10
その日も俺はいつものように齋藤の世話をしていた。
健太郎と一緒に体を拭く日だったが、その日は特に齋藤の顔色が悪く、「明日に回そうか」という話になっていた。
今までも齋藤の状態が目に見えて悪い時はあった。例えば孤児院のチビたちに風邪をうつされた時だ。免疫力の低くなっている齋藤には、ただの風邪すら脅威になる。
栄養状態の悪化からなのか何なのか、恐れていた床ずれができたこともある。その時も炎症から高熱が出て大変だった。
そういう俺たちで対応できない何かが起きた時、斎藤には病院に入院しなおしてもらった。
今回もそうなのかと思い健太郎を伺うが、両手を肩のあたりで広げ、「さっぱりだ」というポーズをとられる。
熱はないのかと額に手を置くが、奇妙なほどにひんやりとしており、汗の一つもかいていなかった。
もしかして、このまま死ぬんじゃないのか?
「健太郎……っ!」
「待て待て、取り乱すなっ!…別に死にゃあしないさ。全身状態は安定してる」
ふう、とため息をつかれる。俺は医療関係を習ったわけじゃないから、全身状態がどうのと言われてもいまいちピンとこない。
健太郎のことは信用しているが、不安はなくならなかった。
「まぁオレはそろそろ帰るから、何かあったら電話しな」
「……ああ」
正直一人にして欲しくなかった。だが他にも健太郎を待ってる患者がいることを考えると、引き止めることはできない。
去っていく後姿を眺めつづけることしかできなかった。
「……?」
ふと気配のようなものを感じ、斎藤を振り向く。
ああ、「一人にしてほしくない」と思ったが、ここには俺以外にもう一人いるじゃないか。
「ごめんな、斎藤。お前のことを無視してたわけじゃないんだぞ」
「今お前と二人っきりになりたくなかったんだ。……今、今だけな」
「お前が死ぬんじゃないかって」
返事がないと知っていて、斎藤に話しかける。完全に独り言でしかないこれを、俺は毎日続けていた。
「意識がなくても、聞こえている」いつか健太郎が言っていたことを信じているわけではないが、これしか俺にできることがないことは確かだから。
できるだけ優しく頬に触れる。すっかりとこけてしまったそこは、額と同じくひんやりとしていた。
「死なないでくれ、斎藤。俺に償わせてくれ……」
そして俺を――
「……っ?」
目じりを親指で擦ると、ピクリとまつ毛が揺れた気がした。
反射、だろうか。以前歯ブラシ代わりのスポンジで口腔内を洗っていたとき、むせた斎藤に目覚めたんじゃないかとぬか喜びしたことがある。
あの時は、「ただの反射だから」と健太郎に笑いながら言われて落ち込んだ。
今回も、きっとそうなんだろう。健太郎に聞こうにも、あいつはもうここにいない。
明日にでも話してみるか――と考えていたとき、齋藤の目が、開いた。
「さ、斎藤っ!?」
思わず体が後ずさる。裏返った声に羞恥を感じる余裕すらなかった。
何度も夢に見た。齋藤が目覚めて俺に笑いかける夢を。
でもこれは……夢、じゃない。
笑いかけてはくれなかったこの齋藤は、俺の妄想なんかじゃないはず。そう思って再び齋藤をまじまじと見ると、もうその目は開いてはいなかった。
「でも……確かに斎藤は……」
俺は急いでこのことを先輩に電話した。焦っていて自分でも何を言ったかわからない。
「すぐに帰るから待ってて」と言われたのは覚えている。
ひたすら齋藤に話しかけながら、その時を待っていた。
次の日、先輩から齋藤は緊急入院したと電話があった。まだ来るな、とも。