再会、そして……
疾駆するソラは見た。
ユトピア軍の後方から煙が昇り、その場所へと続く道には、多くの味方の兵士が倒れている。屍の道は一直線に作られ、ソラはその道を辿った。
徐々に屍が増えていく。しかし、どれも損傷が少なく、あるのはぽっかりと空いた胸の穴のみ。ろくに抵抗できず、そして、犯人を目撃することすら出来なかったのだろう。殆どの者が普段通りの表情でこと切れていた。
相当の実力者であり、気配を隠すのも得意となると警戒レベルを引き上げなければならない。
焦るソラは手持ちの札で奥の手の一枚を切った。
黒い珠が目の前にいくつも現れる。それは擬似的な転移を可能にした。
珠はソラを吸引し、引き寄せる。さらにそこへ受ける空気抵抗に受け流すように風の膜がソラを覆った。さらに、雷属性での補正により、伝達速度を上げ、その動きに思考や反応を付いていけるように強化されていく。
風、雷、闇、三つの属性を組み合わせ、さらに、身体強化術【鬼動術】と【軽身術】を絶えず、切り替えながら、【即神術】と魔法で強化された思考が最適な動きを導き出し、最短ルートで駆け抜けていく。圧倒的な移動速度、戦闘に用いれば攻撃速度をたたき出す奥義は【瞬陣】と名付けられた。
瞬陣が発動とともに何もかも置き去りにし、ソラを別世界の住人へと変えた。
動きを邪魔する存在は屍だろうと、木々であろうと一瞬のうちに斬って捨てた。
そして、追いついたソラは50人は超えないだろうと思われる小隊を率いて戦う赤黒い狼の獣人を目撃する。いつの間にか戦場から姿を消していた【獄狼】アイザック=ヴォロノフその人であった。
その小隊はアイザックの指揮の下、光の壁に護られる一団目がけて攻勢に出ていた。
光の壁は球体状に広がっており、その中心に聖女がいた。
ウェーブがかかった艶のある白銀の髪を肩に広げ、クリッとして大きな黒い瞳が敵を睨み付けている。だが、生来の愛らしさは消えず、凛々しく、魅力的だ。その白い肌には傷一つなく、思わず触れたくなるようで、柔らかそうだ。そして、全体的に高い水準で均衡のとれた魅惑的なプロポーションから、艶めかしさだけを取り除き、清楚な印象を与える純白のワンピースは晶鬼蜘蛛が吐き出す透明な糸を加工して織られたものであり、その防御力は見た目の華やかさと軽さから想像できないほど、硬く、魔法を行使する上でも多大な恩恵をもたらしていた。さらに、首からかけている桜の花びらをかたどった青いブローチは所有者を落ち着かせ、魔力の貯蔵庫・増幅装置としての役目を果たしていた。
太陽を連想させる笑顔を咲かせる顔には大量の汗が噴き出し、攻撃を防ぐ必死さがあった。
今の彼女の周りの戦力でアイザックに対抗できる手段を持つ者はいなかった。ゆえに、彼女の創り出した防壁が崩されれば為す術もなく蹂躙されてしまう。それに加え、アイザック率いる小隊は誰もが一騎当千の兵たちであった。退くという選択肢はなかった。
ソラはそんな彼女を見て、既視感を覚えた。そして、その思いを確かめるために口にしてしまった。
「成宮!」
聖女、いや、成宮優衣は確かにその声を聴いた。普段、独り言と間違えそうな声量であっても不思議と耳に届くはっきりとした低い声を聴いたのだ。この数か月間この声が聴きたくて、大学の友達とここまで来たのだ。その衝撃、感動たるや涙が零れてしまうほどだった。
後ろにいる仲間たち、壁の中に入れず攻撃の余波で消えていく負傷した兵士、彼女が護るべき全てを忘れて、ソラの声に応えた。
「空君!」
優衣は笑った。いつも小さな声で話し、平静を装い、仏頂面を崩さないソラがあんなにも慌ててこちらへと向かってくる。初めて見たソラの取り乱した姿は新鮮で、何をそんなに焦っているのだろうと可笑しくなったのだ。
パリンと何かが割れる音で思い出した。
目を見開き、全身を血で濡らした赤黒い狼男を最後に、意識が途切れた。
アイザックの手元に優衣が納まってから、一拍遅れて小隊の前にソラは現れた。
「成宮を放せ」
アイザックはソラの要求を無視して、冷静に指示を下す。
「聖女は確保した。転移準備に移る。敵対勢力を排除せよ」
『はっ!』
各々の得物を抜いて、応える隊員たちがアイザックの周りを囲む。
ソラはその場から消えた。
誰かが唾を飲み込んだ。その者は天地が逆さになった風景を見ていた。
目にも止まらぬ高速の太刀で斬ると、立ちはだかる障害物に向かった。
騎士然とした男たちは盾と剣を構え、絶対に通さないという意図で以て隙間を埋めていた。
その間に黒い球体を出現させると、爆発させ、無理やり隙間を創り出す。その隙間から頭から突っ込むように跳ぶと、そのまま空中で横回転。すれ違いざまに二人の騎士を片足ずつ切り落とすと、体勢の崩れたところに追い打ちをかけて命を刈り取るように、その回転に巻き込んだ。
片足を突き出して、着地すると黒い光を輝かせた。
【一刀螺旋】の行使とともに、黒い闇が広がり刃を補う。5人が――先程殺した騎士たちも含めて――死の竜巻の餌食となった。
当然のことながら優衣には傷一つついていない。だが、先程の攻撃で邪魔者はすべていなくなった。
軋み、悲鳴を上げる身体を無視してその手を伸ばした。
ソラだけの別世界に毛深く逞しい腕が侵入し、ソラと優衣の間を隔てた。
「邪魔だぁッ!」
叫ぶソラが一瞬で魔法を構築。意思に従い、アイザックの腕を覆うように闇が広がった。だが、遅かった。
「準備完了。帰還する」
黒く変色した腕から黒炎が放たれた。ソラをして一度後退させるに相応しい威力を誇ったていた。
ソラが黒炎をねじ伏せるその僅かな時間で、周囲で戦闘を繰り広げていた兵士たちが集まった。
『転移せよ』
アイザックが掲げた宝石は掛け声と同時に眩い白い光を発した。
その光の中で黒い灰へと片腕を変えられながらも、勝ち誇ったような笑みを浮かべたアイザックの顔を見た。
光に包まれたアイザックは優衣を連れ去った。残されたのは負傷した味方の兵士と僅かな敵兵の亡骸、そして、拳を握りしめたソラ。
「クソッ……」
吐き捨てるように出た呟きは虚しく空に響いた。
◆ ◆ ◆
ソラたちの活躍により、勝利を収めることができたが、ユトピア軍に流れる雰囲気は暗く重たく、お世辞にも良いとは言えなかった。
それは聖女であった優衣の誘拐と、救護所が襲われそこで行われた戦闘で、多くの者が命を落とした影響の大きさを物語っていた。
降って湧いた事件に現場の上層部は頭を悩ませていた。
真っ先に行われたのはその責任の所在だ。
挟み撃ちが成功し、油断をしてアイザックたちの存在を見失ったことが問われた。それはその正面で戦っていた勇者たちを非難することに他ならない。あの状況で剣一たちアイザックたちを抑える戦力はなく、防戦一方に追い込まれていた。それどころか奇襲による混乱がなければ、命を落としていた危険性すらあった。それにより、アイザックたちは一度退いたということだったが、いつの間にか本陣深くまで侵入を許していた。
勇者たちを庇うと、次に非難されたのが奥で指揮をしていた自分たちということになる。本陣の警戒が不十分だったということだ。
「貴様が目を光らせていれば、こんなことにはならなかったのだ!」
机を叩いて、男が立ち上がると、名指しで非難された男も立ち上がった。
「貴様こそ、敵におびえ手駒を侍らせていただろうが! そのせいで警戒が薄くなったのだと気づかんか!」
「言わせておけば!」
聖女の存在は大きかった。彼女の存在一つで、継戦能力が格段に跳ね上がるのだ。重宝するという言葉では表しきれないほどの恩恵にあずかっていた。それに加えて、優衣の可憐さは勇者たちの士気向上と優衣の友人であるという腕利きの者たちを戦力として数えられていたという事実も大きい。
彼らには優衣の消息を追う手段がなかった。それこそ、勇者や軍の実力者たちをかき集めても不可能だった。
聖女の喪失と今後のことを考えると、思考を暗くした。それに敵の戦力となる可能性もある。味方であったからこそ、敵に回った時の厄介さは身に染みて理解できた。
内輪での終わりのない責任の追及が一段落すると、決まって同席しているソラに目を向けた。
黙って瞑目し、眠っているように腕を組んで座っている。
周りにいる者はソラが持つ力を恐れていた。だからこそ、相対しておきながらも誘拐を許してしまったソラに対して、強く出られずにいた。
その鬱蒼とした思いが感情の暴発を招こうとしたとき、ニルスが重い口を開いた。
「ソラ殿、恥を忍んで頼みたい。何か良い考えがあれば、話してほしい。この通りだ」
一軍の将が一介の傭兵に頭を下げる。その意味が事態の深刻さを示す。
ソラはゆっくりとその目を開いた。
「やっとか。アンタらはいつまで下らない議論をしているつもりだ?
すぐに部隊を組んで向かわせれば済む話だろう。どうせ聖女の居場所は敵の本拠地だろうってことぐらいは予想ができるだろう?」
確かにその通りだ。出来るのであれば、それが正しい。だが、現状では自殺行為に等しい。
その投げやりな応対に一人が激高した。
「貴様に何が分かるというのだ! たかが傭兵風情がぁッ!
出来るのであれば、そうしている! それが可能な戦力がないことも理解できんのか!」
しかし、怒声を意に返さないどころか、寧ろその言葉を待っていたと言わんばかりに口元を釣り上げた。
「そうか。ならば、アンタらは当てにしない。こちらで好きに動く。
それにこれ以上無能な奴らに付き合うのも時間の無駄だ。失礼させてもらう」
嘲笑に激怒した将官が掴みかかるが、その腕は空を切った。
「だから、無能だというんだ」
立ち去るソラの背中にニルスは言葉をかけた。
「ソラ殿、聖女を頼む」
ため息でそれへの答えとした。
◆ ◆ ◆
ソラたち全員が顔を突き合わせていた。一応会議という体を取っているが、すでにソラの中で結論は出ていた。
「俺一人で、成宮を取り戻す。以上だ」
その言葉でそうですかと、引き下がる者は居なかった。代表するようにベルナールがいきり立った。
「待てよ! 危険過ぎんだろうが!
なによりお前がそこまですることじゃねえ。聞く限り、あの状況は仕方なかった。お前で止められなかったんなら、この王国中どこ探しても止められる奴は居ねえ。
お前が重く受け止める必要はねえし、お前だけに責任が問われるわけじゃねえ。だから、お前が危険を冒す必要なんてねえんだ」
ベルナールたちに関係性を語っていなかったかと思い出した。そして、交際をしているわけでも、好意を抱いているわけでもないのに、命を懸ける必要があるのかと思い直す。だが、いくら考えようともここで見捨てるという選択肢は現れず、その選択に言葉では言い表せない不快感を感じるのだ。
自分の中でもはっきりとしない考えを語るわけにはいかない、それに話し合う時間も惜しい。
「悪い」
黙って頭を下げた。その行為にざわつくが気にしない。
これで納得するかと言われば、しないだろうというのが本音だ。ここで引き下がるような奴らを仲間にした覚えもなかった。だから、言葉を紡ぐ。
「分からないことがあるんだ。確かめに行かせてほしい。答えが出れば、説明もしよう。
だから、黙って見送ってくれ」
そして、仲間に事実を伝えるのは辛いが、唇を噛みしめて告げた。
「それに、お前らじゃ足手まといだ。もし何かあったとしても、俺一人ならどうとでも出来る」
その言葉を聞いて、ストンと力が抜けたようにベルナールは腰を着いた。
「そうか、そうだよな。俺らじゃあ」
大男からでた言葉はあまりに弱弱しく、か細かった。いつもの大声が鳴りを潜めていた。
それだけで自身の言葉の重さがどれほどのものだったのか自覚するが、訂正はしなかった。これ以上彼らのプライドを傷つけたくはなかった。
「そうだ」
謝りもしない。ただ事実として認めてもらうほかなかった。だから、別の言葉をかけた。
「お前らは唯一の俺の居場所だ。こんな俺だが待っていてほしい」
死を予感させるような言葉。だからだろうか、仲間たちの胸を突き、涙が溢れ出た。
真っ先に立ち直ったのがベルナールだった。気丈にも笑顔を浮かべた。
「分かったよ。待っててやる。必ず戻ってくるんだろ?」
「ああ、当然だ」
無言で拳をぶつけ合う。
「ソ、ソラ様ぁ。行かないで欲しいです。私を置いていかないでっ……」
ソラに窮地を救われたアヴェリーは毅然としていながらも、その実、信頼し依存していた。
最近ではめっきり減ったが、出会ったころのように、手触りの良い毛皮を撫でた。
「アヴェリー。そう言われて嬉しく思う。だが、自分以上にお前たちが居なくなってしまうのは悲しいんでな。今回は待っていてくれ」
ソラの瞳はどんな言葉であろうとも、意見を曲げない真っ直ぐな目をしていた。アヴェリーは何をしようとも行ってしまうと悟った。ボロボロと涙を零して、何度もうなずいた。それならば、気持ちよく送り出したかったのだ。
「大兄ぃっ! 俺は待ってますぜ。また、鍛えてくだせぇ」
「ああ、すぐに鍛えてやるとも」
「ソラ兄ちゃん……いか、ううん。いってらっしゃい!」
「ああ、いってくる」
「大兄っ! この場所は変わずにあり続けます。いつでもあなたが帰ってくる場所です。忘れないでください」
「分かってるよ」
一人一人と言葉を交わして、抱擁をすると、し終わったソラの服はしっとりと濡れていた。
だが、身体は軽い。今なら何でも出来る。そんな気がしていた。
「じゃあ、いってくる」
『いってらっしゃい!』
声援を受けたソラは天高く舞い上がった。彼の先を示すように暗く黒い闇が広がっていた。