燃えろ
東に1時間ほど駆け足で移動した先に鬱蒼とした森が広がっている。ほとんど人の手が入っていないようで、あるのは獣道ばかりだ。
大人一人分を優に超す大きな足跡や何者かが無理やり押し通ったかのようにぽっかりと開けた空間、無残にも喰い散らかった巨大な骨等々。人知を超える何かが存在していることを言外に知らせる。
「不帰の森か」
ソラのつぶやきは森へと吸い込まれる。所狭しと生い茂る木々で陽がほとんど差し込まないせいで、その雰囲気を助長している。
「薄気味悪いな」
隣を歩くベルナールが手で枝を払いながらぼやく。
やはり、人の手が入りにくい場所というのは得体が知れず、ゆえに危険度も高い。慎重にならざるを得ない。そのはずなのだが……、
「ウラァァッ!」
ジルベルトが突き出した槍が風を纏い、道を切り開く。ジルベルト自身が竜巻を纏っているかのように葉や枝が舞い上がった。
「この先異常なしですっ!」
ビシッと拳を胸に当て敬礼するノーラ本人は頑張っているようだが、その容姿と相まってどこか可愛らしい。
「付近も敵なし。さては、あっしらにびびったでやすかね?」
意気揚々と報告する環も普段と違い、気が大きくなっている。
そんな彼らの様子を見て、ソラはため息をついた。
「やりすぎたか」
「ああ、違いねえ」
普段と違うのは何も彼らだけではなくアヴェリーもそわそわしている。時折腰の剣をさすり、敵を待ち望んでいるかのように舌舐めずりをしていた。
これはひとえにソラの演説のせいだろう。内容が素晴らしかった。それもなくはないのだが、やはり、闘術の一つである【威圧】を使いながら話したことが大きい。
本来ならば、この闘術は相手に恐怖、圧迫感を抱かせるものである。そこに魔力も行使することでその圧で軽い攻撃を防ぐことができる。戦巧者でさえ、その程度の扱いしかしない。だが、ソラは極限までその効力を弱めることで、自分の言葉に力を持たせ、相手の心の壁を取り払った。打ち砕いたと言ってもいいが、何にせよその使い方をするのはソラが初めてであり、思いもよらない効果を生んでいたのである。ベルナールだけが通常運転なのは、【威圧】に慣れていたからに他ならない。
「あのままにしといて大丈夫かよ?」
「まあ、何とかなるだろう」
幾ばくかの不安を抱きながらそう答えた。士気が異様に上がっているのも事実だ。
いざ、戦闘になれば、落ち着きを取り戻す。そう信じていた。
「シャアッ! オラァッ!」
信じる心は頼りげなく揺れた。
さらに進むこと1時間。お昼過ぎに出たというのに、未だ太陽が高いところに位置している。影が伸びておらず、上から照らされているのが確認できた。
ソラが持ち込んだ腕時計は無用の物へと成り下がっていた。それもそのはず、ここでは1日の長さが異なる。約40時間。ほぼ1日半の時間をかけて、日が昇り、落ちる、そして、また昇る。
とは言え、薄暗いのは変わりない。
奥に行けば、行くほど暗くなり、地面も湿っぽく、足場も悪い。
だが、何よりも先ほどから辺りに満ちる圧迫感。それは強者が放つ独特の感覚。何かが待ち受けていることは間違いなかった。
この辺りまでやってくると流石にジルベルトたちも気を引き締め、口を噤む。ハンドサインや目線によってのみでやり取りを行っている。物音や動きのある影にも反応を見せ、この様子ならば大丈夫だとソラに思わせていた。
ジルベルトの表情は浮かない。鳥の獣人であるため、この中の誰よりも遠くを見通せる目を持つが、この暗さが視界を遮っていた。
この状況での戦闘になれば苦戦必至。隣にいるノーラや環だけが頼りだった。力を試されている以上ソラを当てにはできない。せめて、冷静さだけは失わないようにと自分を律した。
こんな状況だからだろう。木々の間に僅かに見えた二つの光を見逃さなかった。発見と同時に叫んでいた。
「環、4時の方向を薙ぎ払え!」
鋭い声が辺りに響く。圧迫感がさらに強く感じる。何かがいる。
環の使う魔法は九尾の狐の力を継いでいるために、火属性については非常に適性が高い。視線を向け、指向性を持たせるだけで、六本の火炎の槍が瞬く。
木々に大きな穴を空けて、なお、その威力を失わず直進。恐るべきはその貫通力と速度。ゆえに火炎の槍が作った道は僅かに木々を燃やしたが、貫通した木だけを炭化させたに済んでいる。
着弾のすぐ後に爆風が巻き起こった。
視界が土煙で茶色一色に染まる。しかし、それは突風によって吹き飛ばされた。
開けた空間にジルベルトだけを残して、誰もいない。ソラたちは邪魔にならないようにすでに身を隠していたのだが、ノーラや環もあの一瞬で姿を眩ませていた。
【武装竜鱗人】は腕と胴体に金属が巻きつけ、鎧の如く身を守る。手に持った大刀は刃が歪み、人が作った者の完成度とは比べ物にならないくらい低いが、武装竜が振り回しても問題ない頑丈さを持ち合わせていた。それにいくら刃こぼれが酷く曲がっていようとも鈍器としてならば、それがいかに凶悪な物なのかが分かる。大きさゆえに威力は馬鹿にできない。
環の先制攻撃は成功していたが、身に付けていた金属が分厚く、その防御力の前に傷一つ付けることが出来ていなかった。
武装竜を囲むように木々が置かれているところを見るに寝床だったのだろう。安眠を邪魔され、怒りの籠った視線をジルベルトは一身に受けた。
「へ、傷ものかよ」
不思議なことにこの武装竜は右腕と尻尾がない。その傷は完全に塞がっており、生えてくる気配もなかった。
それは弱者の証左か、それとも歴戦の強者ゆえか。
そこに勝機がある。
ジルベルトは口元を釣り上げると、飛翔した。火炎の槍はジルベルトに空を与えていた。
滑空し、放たれた矢の様に飛んだ。
迎撃するように振るわれる大刀は近くで見るとさらに大きい。ジルベルトの身長を超える刃を軽々と振るう武装竜に冷たい汗が流れる。
恐怖を押し殺して、旋回。寸でのところで躱すと防御の薄い頭目掛けて槍を突き出した。
頭一つをとっても巨大だ。それだけでジルベルトと同じ大きさだ。隙あらば一飲みにされてもおかしくない。全体で見ればさらに巨大。大人四人が肩車をしてやっと並ぶことが出来るだろう。空を飛ぶジルベルトだからこそ自由自在に頭部への攻撃が可能だった。
風を纏った槍は武装竜の顔へと突き立てられた。
刺突に特化した三角錐状の太く大きな槍頭が表皮の一部を削り取った。
流れ出る赤い血はボコボコと鳴り、蒸発した。かなりの高温だ。
傷はすぐに塞がり、武装竜の怒りに火を注いだ。
大気を震わす低いうなり声が辺りに響き渡る。開かれた口からは鋭い歯を覗かせ、その奥に火花を散らせている。
風向きが竜の口へと変わる。照準がジルベルトに定まった。
ジルベルトは動かない。ただ黙ってみていた。なぜならば、信頼できる仲間がいるから。
さらに大きく開かれた、その瞬間、木々の合間から放たれた炎弾が武装竜の横っ面に炸裂し、爆風は熱線を逸らした。
しかし、その軌道は大きく変わらない。だが、直撃を受けなかったそれで十分だった。
熱風を巧く周囲に流し、溜めの動作を終えたジルベルトがカッと目を見開いた。
「ラアァァッ!」
一瞬だけ、槍に回転を加えつつ石突を叩く。
高速回転し続ける槍は小さな竜巻を作り出し、叩かれた衝撃と突風により消える。それは武装竜の左肩を穿ち、地面へと突き刺さった。
鎧に阻まれ、左腕を落とすことは出来なかったが、確かなダメージを与えた。
飛び散る熱き血潮を小さな影がすり抜ける。
白黒の斑模様の犬耳がぺたりとたたまれ、天然の結界のわずかな隙間を通り抜けた。
ノーラの瞳は片方が青く、もう一方が茶色だ。茶色の瞳に魔力が凝縮されているのが感じられる。
ノーラは大地の精霊に愛されている。故にその瞳は茶色に染まり、それを顕現している間は加護を少ない魔力と多大な体力を引き換えに使うことができた。
砂が罪人を縛る錠のように両足と左腕を絡め取った。
ジルベルトが付けた傷跡を狙って、短刀を振り下ろす。
勢いを増す流血を砂がノーラの身を守る。即座にその場から離れる。
そして、炎の鎚が落とされた。
環が額から流れる多量の汗をものともせずに、鎚の形状のまま留め、肩に押し込んだ。相手は炎と剣を扱う竜だ。その耐久力をじりじりと削り、傷口を焼いていく。
絶叫が空を切り裂いた。
顔を顰めながらも、追撃の手を緩めはしない。
槍を再び手にしたジルベルトが天高く舞い上がった。
砂の拘束は解かれていない。身動きの取れない武装竜を目標に落下した。
一、二と羽ばたき、音を超えた。
ジルベルト自身が槍と一体化し、突き抜いた。
ブチブチと音を立てて、千切れていく。
左腕が吹き荒れる暴風で吹き飛ばされていった。
砂に覆われたジルベルトが槍を構えなおす。
両腕を無くし、自慢の大刀を振るえなくなった武装竜が口から熱線を吐き出しながら、回転する姿が見えた。
視界が赤く染まる。
(チッ、絶叫なんかじゃなかったってことかよ!)
声を張り上げる間もなく、身体がはね飛んでいくのを感じた。
「ガハッ!」
意識の消失は一瞬、大木に打ち付けられ目を覚ます。
膝は震え、両翼はあらぬ方向に折れ曲がっていた。左足には木の破片が突き刺さり、痛みがその存在を知らせる。
一瞬の油断。それで全てが変わった。
ノーラと環の姿は見えない。
武装竜に、そして、自分自身に強い怒りを感じた。
(てめぇのせいで、あいつらはっ!)
強い感情を引き鉄に何かが体の中で弾ける。
両腕から、いや、体全体を覆うように赤いオーラが吹き出した。豪気の覚醒である。
「キィーイッ!」
ジルベルトの嘴から甲高い鳴き声が上がる。
翼の羽毛が逆立ち、膨らむ。体積が増加し、右翼の豪気がその濃さを増す。赤いオーラが本来あるべき姿を示す。それに沿うように無理やり翼が広がっていく。バキバキと骨が砕けていく。だが、ジルベルトの体はその気概に応えた。
左足に刺さった破片を放り捨てる。踏ん張るたびに流れ出る赤い液体を止めようともせず走り抜けた。
後先考えない気の解放は、怪我を押す動きをさらに力強く、加速させた。
ジルベルトの眼前には熱線の弾幕が広がる。
長く放射し続けるのではなく、口を閉じることで、小まめに発射し連続で熱線を放っている。
腰を落とし、一発目の熱線を躱す。体勢を低くしたまま駆ける。
跳躍して二発目を躱す。右翼を使った跳躍を速く、高い。
右翼を使い、姿勢を自在に変え、直線的ではあるが空中での移動を可能にした。
義翼に熱線が掠る。瞬時にどろりと溶け、身体が後ろに引き戻されそうになる。だが、もう一度大きく右翼を動かした。内出血が皮膚を突き破り、外側へと流れ出すことを代償に、ついに武装竜を攻撃範囲内に捉える。
槍を掴む手に血が滲み出す。さらに強く握り締めた。
あの日見たソラの姿に自分を重ね合わせる。黒刀を手に地王竜を貫いた一撃を思い出す。自身が必要とし、届かなかった絶大な力に、再度手を伸ばした。
「嵐天覇突ッ!」
赤に染まる口内へと槍を突き入れる。
豪気が槍に着いたり、離れたり、を繰り返して暴れまわる。それは正しく嵐のように豪気が吹き荒れた。翼と暴風で体を前面に押し出す。
熱線をかき消し、突き刺さる。
「キィーイッ!」
ジルベルトに眠る野生が顔を出し、さらに、肉を食い破らんとする。
飛び散った血が身体に付着した。何かが焦げるような嫌な臭いだ。だが、不思議と痛みはない。竜の歯を足場に押し込む。
そして、貫き通す。眼前には青い空が広がっていた。
力を失い落ちていくジルベルトを何かが優しく抱き留めた。
「よくやった」
静かに目を閉じた。
◆ ◆ ◆
ソラはゆっくりと着地すると、木に寄り掛かせるように寝かせた。
武装竜を中心に螺旋状の爪跡を残した熱線の前に、ノーラたちが対抗する術はなく、ソラが間に入るほかなかった。しかし、助力されたということになり、そこで彼らは脱落とみなされる。
残ったジルベルトでは達成不可能かと思われた。
彼ら三人組の中で最大火力を誇るのはジルベルトではなく、環である。ジルベルトが扱う風属性は元来補助や支援という役割を担っており、それ単体でダメージを稼ぐことは難しい。環の扱う火属性は単体でも威力を発揮する。それを十全に使いこなすだけの技量もあった。惜しむらくは防御に用いるには向いていなかったということだ。
ゆえにジルベルトだけでは、武装竜の防御力を突破出来なかった。あの瞬間までは。
ソラがジルベルトの視界に入らないようにノーラたちを回収したことで、武装竜の攻撃で灰燼に帰したという、勘違いが起こった。
それを契機に感情が爆発。気の解放、豪気の習得へと繋がったのだ。
最後の嵐天覇突はソラの目から見ても、侮れない威力を叩き出していた。
それにあのように豪気を爆発させて闘術に使うことはソラには出来ない。
これはいくら才能が飛び抜けていようと、出来るものではない。
だからこそ、賞賛した。自分に出来ないことをしてみせ、結果を出した。
豪気の習得とA+ランクモンスターの討滅をもって、名実ともに一流の領域へと踏み込んだ。
治療を行いながら、口元が綻ぶ。
仲間の成長と将来が楽しみになる者がそばにいるというのは、ソラ自身にも彩りを与える。
これからはより騒々しく、より充実した日々が待っているだろう。そんな予感がした。
だが、輝かしい未来にも暗雲は立ち込めるものだ。
「おい、ソラそのへんにしといた方が良いんじゃねえのか?」
ジルベルトの治療は終わっていない。彼の傷は深く、ここで打てる手は打っておかねば、後遺症として残る危険性があった。それはソラの楽しみが失われてしまうことになる。
ゆえに黙殺する。それがソラを気遣うためにかけられた言葉であったとしても。
治療には魔力を使う。
体力を消費する身体強化術の一つにも、早治術と呼ばれるものがある。それは傷を治すものであるが、自分自身にしか使えない。そのため、魔法での治療を施すほかなかった。
回復薬の類では即座に治すことは出来ない。あれは治療をしたあとに、一定期間服用し、回復を促すものであり、即効性はない。それにソラ以外に治療が出来るのは環しかいない。しかし、環では深手を治す技量はなく、魔力も足りない。その条件を満たしているのがソラだけだった。
だが、ここでの問題はソラの患っている黒恵呪という呪いのような病だ。
これは闇属性の強化をもたらす一方で、その行使とともに病状が進行し、最期には闇に飲み込まれ死ぬ。
この対処法は闇属性と相克する光属性、もしくはそれが込められた魔道具での治療のみ。
だが、ソラの闇属性への適性は他に類を見ないほど高い。そのため、生半可な治療では効果がなく、効果の高い魔道具でも、ソラの持つ指輪をもってしても、その進行を遅らせることしかできなかった。
それだけではない。魔力の行使は問答無用で闇属性の力が引き出されてしまう。 つまり、魔力を使うことはソラの命を削る行為に等しい。
だからこそ、使い時をよく考え、出来るだけ制限しなければならない。
それでもソラは治療を止めようとはしなかった。
水属性と土属性、さらに、火や木の属性を混ぜ合わせた回復魔法は目に見える速度で、ジルベルトの傷を癒していく。さらに、闇属性の侵食が発動し、内側にもその効果を広げた。使い勝手はいいが、その代償の結末が死では大き過ぎた。
ゆえに、ベルナールは止める。こんな所でソラの命を削らせるわけにはいかない。
「ベルナール、俺はこの命の使い方は分かっている」
まだ、ジルベルトから目を離せない。未だ危険域だ。
「どのみち、人である限りは死ぬものだ。それまでに何が出来るのだろうかと考えたことがある。
お前もあるだろう?
俺は与えることにしたんだ。人それぞれにある可能性を、将来性を俺の力で紡げるのであれば、手を尽くす。
こいつだけじゃなく、お前らにも期待している。
目の届く範囲で、その可能性をゼロにしたくはない。楽しみなんだよ。俺には出来なかったこと、俺とは違う方法でそこに辿り着けるんじゃないか、とな」
そう語るソラの横顔に儚げな笑顔が浮かんでいる。触れれば今にも崩れてしまいそうな笑みだ。そして、何か眩しいものを見ているかのように目が細められた。
「俺はその先を見てみたい。
だから、そうそうに死にはしない。そのためならば、出来る限りのことはする。
俺がそうやろうと思ったんだ。出来ないはずがない」
「だろう?」と続けられる言葉には多少の恥ずかしさが混じっていた。
だが、そう言われればそうだと納得できるほどの能力がソラにはあった。だからこそ、惜しいのだ。その期待している人物の中にソラ自身が入ってないことに。
自己評価が限りなく低いことに気づいていた。淡々と私情を挟まず現実だけを見ている。そこに期待や不確かな予想は存在しない。ただ出来ることを事実として、できると述べているだけに過ぎないのだ。
「だがなぁ」
そうとしか返せなかった。自分ではいくら言ったところで、この頑固者は意見を変えない。なら、周りの奴がちゃんと守ってやるしかない。