魔王とは
この世界に来てから三か月が経った。
その中で目的のない生活にもある一つの指針たるものが出来始めていた。
抽象的かつ、大きく言うと、この世界に蔓延る理不尽の解消。
そして、目下のところは仲間であるアヴェリーの親を探すことだ。
彼女には特殊な事情がある。ソラが彼女と出会った時、盗賊たちに鎖で繋がれ、番犬同然の扱いを受けていた。そのような出会いをもとに新たな仲間となった。それからの旅の中で、彼女がソラ達がいるユトピアの敵国パラディオンの者だということが判明した。また、この世界では奴隷の存在が認められている。つまり、鎖で繋がれた状態は奴隷として扱われていたのだろうと予測がついた。
しかし、いくつか謎があった。
ソラたちが出会った場所は戦争の最前線からは遠く離れた場所だったこと。彼女の傍には母親がいたこと。だが、父親の記憶がないこと。
それを探るためには一度パラディオンに近づく必要がある。
そうなると、間違いなく戦争に巻き込まれる。ゆえに備えなければならなかった。
まずは、各々が生き残れるよう地力の底上げ、後は武器や防具といった武力面。そして、それに劣らないくらい重要なのが情報だ。
新たな仲間が加入したソラたちは各々手分けをして、与えられた役目をこなそうとしていた。ソラはというと一人ギルドへとやってきていた。
この世界でのギルドは多様なサービスを提供している。
依頼の受付、報酬の受け渡しはもちろん、新たな仲間を探すための交流場、飲食、モンスター素材の売買、宿泊。お金さえあれば、生活することもできる。
このような場所だからこそ、様々な人間が出入りし、情報に溢れている。
酒で口が緩くなった者から、戦争に関わることを聞き出すのは容易い。
だが、予期せぬアクシデントが発生した。
それはソラの他に類を見ないほど端正な顔立ちが起因していた。人目を引く容姿は好転することもあれば、逆方向に作用することも多い。
「お兄さん、一人?」
「一緒に飲まない?」
「アレットっていうの、お兄さんの名前は?」
「あ、このコートの手触りすごーい!」
断る暇すら与えずに矢継ぎ早に誘い文句が飛び交った。ユトピア人特有の猫耳と尾を有する獣人女性四人組。その全員が派手で露出の多い服を着ている。また、肉感的なスタイルで周囲の男たちの視線を一身に受けるグループ。
彼女たちに絡まれたことで、その視線に晒される鬱陶しさは億尾にも出さず、笑みを浮かべ、席を勧めた。
女性たちはソラの気を引こうと身体を寄せながら、自分の優れた点を羅列していった。適当に相槌を打ち、頃合を見て戦争に関する話題をふった。
堅苦しい話題に女たちは、すかさず話の筋を変えようとしてくるが、そんな時は機嫌が悪そうに眉を顰めた。すでにソラを自分のものにしようと必死な女性たちは知っていることを話した。
曰く、王国側が押し込んだものの、パラディオンの将軍【獄狼】こと、アイザック=ヴォロノフが現れ、戦線を戻してしまった。その際、突出していた一個大隊が壊滅状態に陥った。
曰く、ユトピア側の将軍、ジェラルディン=ショパンが負傷した。
曰く、近々この辺りのギルドに遊撃兵として招集がかけられる。
曰く、教会から勇者認定された者が派遣される。
曰く、最前線で治療をし続ける者がいるらしい。その技量はユトピア一の技量を持つとか。
他にも誰々が戦功を立て騎士に叙任される、誰それが死亡した等々、情報を漏らしてくれたが、重要なのは先に挙げた五つだ。
情報を仕入れたことで用が済み、女性たちへの興味が一かけらもないソラはどのようにしてこの場から抜け出そうかと思案していると、おあつらえ向きの奴らを見つけ、微かにほくそ笑んだ。
「おい、姉ちゃん。俺にも酌してくれよ」
「きゃ、何触ってんのよ!」
ジョッキを片手に持った男に肩を抱き寄せられた女が男から離れようと腕を押しのけようとしているが、傭兵業を生業としている男を引き離すことはできない。
自力では無理と判断した女が助けを求める視線をソラに送る。すでに愛想笑いは消え去り、興味なさげに目を細めた。彼らそっちのけでコツコツと机をたたき、瞑目する。
そんな態度を取っているにもかかわらず、未だ女たちの視線がソラを見ているのが気に食わなかったのか、男はソラを睨みつけ、威圧するように強く肘を机についた。
「なあ、お前もそれで良いよな? 俺たちがこいつらを好きにしても」
新たに四人増えるが、その誰もが人を馬鹿にするような笑みを浮かべている。
ため息をつくと口を開いた。
「勝手にすればいい。そいつらが良いと言うのならな」
「お、話しが分かるじゃねえか。じゃ、そこを退けや」
言葉とともに放たれるは右の拳。
傭兵稼業をやってるだけあって、その腕は太く、その戦歴を誇るかのように傷が目立っている。
だが、ソラにとってはその拳はあまりにも遅い。
左足で自分の椅子を蹴り、身体をずらす。目の前を通り過ぎる拳に手を伸ばす。
放つ動作も遅いが、引く動作も遅い。
あえて、指が食い込むほどの力で手首を掴むと出入り口の方へと机の上の物をまき散らしながら投げ捨てた。
ゴロゴロと転がる男を追って、出入り口に向かいながら、残った男たちをあざ笑う。
案の定、挑発に釣られて椅子を蹴り飛ばしながら、ソラを追った。
投げられ扉の前で横になっている男を外へと蹴り飛ばした。
男が起き上がるのと、他の男たちが集まるのを待っている間に、どこからか騒動の臭いを嗅ぎつけた野次馬が群がり出した。
「ゲホッゲホッ!」
咳き込みながら仲間に支えられて立つ男は怒り心頭。顔には筋がいくつも浮かび上がり今にも爆発してしまいそうだ。
「許さねえ。ぶっ殺す!」
今度はきっちり身体強化が施され、先程と比べて段違いに速い。
しかし、それでも、
「遅い」
ソラは男が踏み込もうとした時には、すでに懐に潜り込み、がら空きの胴に拳を打ち込んだ。
瞬間、くの字に身体を折り曲げて野次馬の中に飛んでいく。
男がやられて、ついに他の男たちも本腰を入れる。
周りを囲むような位置取りをし、各々の得物を抜いた。そして、怒声を上げソラへと迫る。
「二連斬!」
「三連突きぃ!」
「剛打ぁっ!」
剣、槍、ハンマーが襲いくる。
男たちは声を張り上げ、闘術を発動させた。闘術も術であることには変わりない。そのため、口に出すことで確実かつ容易に扱うことができる。だが、そうすることで敵には行動を予測されてしまう。そのため、対人戦で詠唱有で使うのはデメリットの方が多い。つまり、闘術を、しかも低級なものを詠唱有で行うのは三流の証拠に違いない。連携を重視して、あえて使うことで二流。それなしで連携、さらに、フェイントにも使えるようになって一流というものだ。
それでも戦いの中で闘術は低級なものでも一撃必殺の威力と速さを誇る。
しかし、行使のタイミングも告知しているような状況下で予備動作を見切るのも簡単。加えてソラは加速した攻撃を完全に捉えていた。
呼吸でタイミングを、踏み込みの程度で間合いを測る。すでに攻撃がソラに当たる可能性は皆無となっていた。
二連斬に、三連突きはどちらかと言えば、威力よりも速度を重視した技である。それがソラの目にははっきりと映し出されていた。
刃に触れないように、側面から刀身に掌底を当て、剣を手放させ、槍の柄を掴むと、その力の流れに逆らわず、引き後ろへと流す。一拍遅れてハンマーが脇腹目がけて振るわれた。剛打は破壊力を重視した技であり、下級の技の中では屈指の威力を誇る。だが、それを躱すことすらせずに一瞥しただけで受ける。
直撃の瞬間、身体強化術の一種、【硬化術】を使い、防御。積み重ねた修業はハンマーを弾き返すまでの練度となった。
自身の力を限界以上に引き出す技を使うには相応のリスクが伴う。それは行使後の硬直だ。闘術を使った男たちは無防備な姿をソラの前にさらしていた。獅子の前で寝ころぶ行為に等しい。
そして、ソラはそれを見越し、すでに反撃に移っていた。
鞘ごと刀を抜くと、体を大きく捻る。
(一刀螺旋)
胸の中で闘術を暗唱し発動。小さな旋風を起こし、一振りで弾き飛ばす。ソラが幾ばくかの情けをかけたおかげで、群衆の目に凄惨な光景が広がることはない。
そして、最後の一人が開けた通りに歯をむき出しにして笑っていた。
その男は斧を両手で持ち、闘術の予備動作を終えていた。
男たちと同様に硬直がソラを襲う。
その一瞬のタイミングを狙い、研ぎ澄まされた一撃が放たれる。
仲間を囮にしてでも勝利をもぎ取る。それを狙えるだけの技量。この男だけは他の男とは段違いの強さを持っているようだ。だが、悲しいかな、その攻撃ですらも予期されていた。
勝利を確信した男が罵倒しつつ距離を詰める。しかし、それを受けるソラの口元は吊り上がっていた。
(ああ、愚かだ)
「ラァンブゥッ!」
【嵐斧】。斧を使い、巻き起こる嵐を纏う、広範囲で強力な技だ。それ故に、比較的鈍重であるが、その威力は指折り付きだ。そして、その速度でも硬直時間のうちに当てられるはずだった。
だが、そのような状態でもソラは動いてみせた。
この世界にはこのような格言がある。
『身体強化とは基礎にして奥義である』
それを体現するように身体強化術、【即神術】を行使したのだ。この術はあらゆる神経を強化、抑制できる。そして、それを極めることで、自分のイメージ通りに身体を動かせるようになる。
つまり、それは硬直のリスクを消す。
無理やり身体を操る。この瞬間だけはソラの身体が別の何かが支配する。
意識したのは糸。自分自身の体に操り人形のように全身に糸を張り巡らせる。糸が軋む身体を突き動かした。
軋む体を動かしているとは思えないほどの滑らかな動きで、回避行動がなされる。
【嵐斧】の攻撃範囲から逃れるように後方に大きく飛び退く。そして、着地と同時に片足で前へと身体を押し込んだ。
硬直時間が切れ、無理やり身体を動かした痛みが消える。痛みから解放され、さらに加速。男の真上で足を振り上げる。
その溜めの動作で、ようやく男の視線がソラの動きに追い付いた。それは半ば奇跡に近い。だが、すぐに絶望へと変わった。硬直して動けないはずの敵が必殺の一撃を躱すどころか、気づいた時には頭上に跳躍しているのだ。躱そうにも攻撃の反動で身じろぎ一つ出来ない。故に徐々に大きくなる足を黙って受け入れるほかなかった。
驚愕に染まる顔に踵が振り下ろされる。
何の変哲もない踵落としだが、鍛え上げられた脚力と落下を利用したその威力は男を地面にひれ伏させるには十分すぎた。一度地面に叩き付けられただけではその威力を殺しきれない。そのため、大きく跳ね上がる。そこへさらに追撃。男の首元にめがけて刀を突きさした。切っ先は服の襟を捉え、縫い付けた。
衝撃を逃すことすら許されず、さらに刀が首元に押し付けられていてはもがき苦しむことも封殺された男の顔は苦痛で歪んでいた。
言葉を発するのも耐え難い苦痛を生むだろう。だが、あえて問う。答えなければ斬ると言外の脅しを込めて。
「まだやるのか?」
男は汗を額からダラダラと流して、地面に顔を擦り付けるように、首を横に振った。
「ま、まいった」
その言葉を聞くソラの意識はどのようにして事態を収束するかに移っていた。辺りを見回すと、あれほど騒がしかった群衆も閉口し、息を飲んで事態の成り行きを見守っている。さらにぐるっと見渡すと、厄介ごとに巻き込まれないように目を伏せる者も多く見えた。そこで体に当たるある物の存在を思い出した。
(この道具に役立ってもらうことにするとしよう)
首元から服の内側に手を突っ込み、細いブラックシルバーのチェーンを掴み、引っ張り出す。外気にさらされたそれが鈍く光を反射した。
チェーンに括り付けられていたのは、そのチェーンと同系色のリングだった。デザインは限りなくシンプル。それゆえに、はめ込まれた宝石がその存在感を強く主張していた。
黒龍の瞳と呼ばれ、その希少性と闇属性との親和性、増幅率、制御効率、どれを取っても一級品だ。もし、現金に換えれば、一つの町を買ってもお釣りがくるほどの価値を持つ。
それはいくらソラが有能だとは言え、高々三か月やそこらで集められる額ではないのだが、一月前の出来事、S+級モンスター地王竜の討伐の功績により、褒賞として受け取った物であった。
故に、それは強者の証明。このリングは力だ。それは戦闘において、役に立つという力も含まれるが、一番大きな力は権力だ。各種ギルドでの優遇、具体的には依頼の優先的受領や契約金の減額、報酬の増額、商人ギルドでの素材買取価格の増額、宿泊施設での優待、貴族との面会権、軍役の免除権等々。これを見せることでの効力は大きい。
受領時には良い面ばかり、提示されたばかりで悪い面の説明をされなかった。だが、言外に、そして、こちらを刺激しないように、配慮に配慮が重ねられていた思いを読み取っていた。
(つまり、猫に着けるような鈴。ネズミがいつでも逃げられるようにするための目印のようなものだな)
大仰な二つ名とともにギルドから贈られたこのリング。しかし、その実は違う。
これはS級モンスター討伐者の証左であり、圧倒的なまでの暴力の化身の証明。
一般人を巻き込まないための警笛。
それにいくら美辞麗句で固めていても、手渡す時にギルドの者が微かに指先が震えていては話にならない。つまり、その証はそれほどまでに恐れなければならないということだ。
そして、その効果は覿面であった。野次馬が道を作り、男は即座に言葉遣いを改めた。
「そ、それはもしかしてお前は、いや、あなたは……」
今や全ての野次馬がソラの一挙手一投足に注目している今、男の呻くような声でもよく通った。
「あなたは魔王、魔王ソラ=カミヤ」
はれ物に触るような扱いに一度だけため息をつくと、その場を後にした。暗く息苦しい雰囲気を逃れるように、この街で動く仲間たちとの合流地点へと向かった。