表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

社会を支える地獄の囚人

作者: 萩岡豆屋

 ボロボロの革靴が、まるで底に鉛が入っているかのように重い。今すぐこいつを脱ぎ捨てて、裸足のまま、どこか遠くへ逃げ出したい。そんなどうにもならないことを考えつつ、僕は、今朝もいつものバス停へと向かう。重い両足を引きずりながら。

 定刻になってもバスはやってこない。どの道、地獄行きのバスだ。鉛の靴を脱ぎ捨てる勇気が持てるまで、いっそこのままやってこなければいい。それを思うと同時に、はかなくも交差点に現れる四角い影。こいつに乗れば、半刻も経たない間に地獄へ到着する。乗りたくないという僕の意思。それを軽々と押さえつけ、僕の足を前へと誘うこの力は、いったい何なのだろうか。歯車は自分の意思では回れない。そういうことなのだと言い聞かす。30年余りの人生で、唯一身につけたもの。それは、己を諦めさせる術だけだ。きっと、その能力こそが、今の社会を支えている。

 吊り革を握るのは左手。そして、右手で器用にスケジュール帳をめくってみる。びっしりと埋められた地獄の日程表。その中に空白の日を探してみる。何の予定もなく、ただ無駄に過ごす休日までの日数を数えながら、僕はただため息をつく。

「やりたくもない仕事を続ける理由は何だ?」

 何者かの声が、僕の心に問いかける。

「わからない。なぜ、こうなったのか。でも、行かなくちゃならないんだ。」

 そう答えると、声は続けて語りかけてくる。

「自分が向かうべき場所は、自分の意志で決められるはず。不満を抱えながらも妥協するということは、己を否定するということと同義だろう?」

 声は、次第に軽笑を含み始める。

「違う!時には自分を押し殺すことも必要だ。そうしなければ、社会の均衡は乱れてしまう。僕は、ただ、はぐれたくはないんだ。」

 精一杯の反論だった。

「社会のため?社会のために、おまえは生まれてきたのか?それならば、おまえ自身の意思は、いったい何のためにあるのだ?」

 更なる問いかけに、返す言葉が見つからない。そのとき、ふと気がついた。働き蜂や働き蟻には、生殖機能がない。その名のとおり、己の種の存続のためだけに働き、個々の足跡をこの世に残すことはない。己の意思など、無いに等しいではないか。なるほど、それは蜂や蟻に限ったことではないのかもしれない。

 バスを降りると、そこにはいつもと変わらない地獄があった。革靴の鉛は、どこへ行ってしまったのだろう。先ほどよりも、ずっと脚が軽く感じるのは気のせいだろうか。ずっと、己の意思を抑えて生きてきたつもりだった。しかし、そうではなかったのだ。おかしいのは社会でも現実でもない。この意思そのものが、まやかしに過ぎないのだ。

僕は今日も働く。地獄の中で。社会の繁栄のために。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ