社会を支える地獄の囚人
ボロボロの革靴が、まるで底に鉛が入っているかのように重い。今すぐこいつを脱ぎ捨てて、裸足のまま、どこか遠くへ逃げ出したい。そんなどうにもならないことを考えつつ、僕は、今朝もいつものバス停へと向かう。重い両足を引きずりながら。
定刻になってもバスはやってこない。どの道、地獄行きのバスだ。鉛の靴を脱ぎ捨てる勇気が持てるまで、いっそこのままやってこなければいい。それを思うと同時に、はかなくも交差点に現れる四角い影。こいつに乗れば、半刻も経たない間に地獄へ到着する。乗りたくないという僕の意思。それを軽々と押さえつけ、僕の足を前へと誘うこの力は、いったい何なのだろうか。歯車は自分の意思では回れない。そういうことなのだと言い聞かす。30年余りの人生で、唯一身につけたもの。それは、己を諦めさせる術だけだ。きっと、その能力こそが、今の社会を支えている。
吊り革を握るのは左手。そして、右手で器用にスケジュール帳をめくってみる。びっしりと埋められた地獄の日程表。その中に空白の日を探してみる。何の予定もなく、ただ無駄に過ごす休日までの日数を数えながら、僕はただため息をつく。
「やりたくもない仕事を続ける理由は何だ?」
何者かの声が、僕の心に問いかける。
「わからない。なぜ、こうなったのか。でも、行かなくちゃならないんだ。」
そう答えると、声は続けて語りかけてくる。
「自分が向かうべき場所は、自分の意志で決められるはず。不満を抱えながらも妥協するということは、己を否定するということと同義だろう?」
声は、次第に軽笑を含み始める。
「違う!時には自分を押し殺すことも必要だ。そうしなければ、社会の均衡は乱れてしまう。僕は、ただ、はぐれたくはないんだ。」
精一杯の反論だった。
「社会のため?社会のために、おまえは生まれてきたのか?それならば、おまえ自身の意思は、いったい何のためにあるのだ?」
更なる問いかけに、返す言葉が見つからない。そのとき、ふと気がついた。働き蜂や働き蟻には、生殖機能がない。その名のとおり、己の種の存続のためだけに働き、個々の足跡をこの世に残すことはない。己の意思など、無いに等しいではないか。なるほど、それは蜂や蟻に限ったことではないのかもしれない。
バスを降りると、そこにはいつもと変わらない地獄があった。革靴の鉛は、どこへ行ってしまったのだろう。先ほどよりも、ずっと脚が軽く感じるのは気のせいだろうか。ずっと、己の意思を抑えて生きてきたつもりだった。しかし、そうではなかったのだ。おかしいのは社会でも現実でもない。この意思そのものが、まやかしに過ぎないのだ。
僕は今日も働く。地獄の中で。社会の繁栄のために。