富士山ころりん
~プロローグ~
「俺は、海の方が好きだな」
それは、富士登頂を終えた人間の、小さな独り言でした。
それは、白富士を赤で照らす、夕刻の出来事。
標高3,776mの頂から、直径1cmにも満たない小さな雪玉が、転げ落ちた。
雪玉は、舞い踊る落葉と同じくらいの緩やかなスピードで、富士山をコロコロ進む。
夕刻の赤が、夜の黒に完全に飲み込まれた頃、小さかった雪玉は、すでに直径2メートル近くの大玉になっていた。
”気が付けば、だいぶん体も大きくなったものだ”
驚くなかれ、この雪玉には自我があった。なにも、自我は人間だけの特権ではないのだ。人間はただ、自我の表現がうまいだけで、万物全てが自我を持っていることは、至極当然のことである。
”しかし、富士山の斜面は思ったほど、急ではなくて助かった”
雪玉は、思ったほど転がる速度が速くないことに、ほっとしていた。
いくらヤワラカくてフワフワしている雪玉でも、標高3,776mの頂からその身を投げるのは、恐ろしかったのだ。
何も、恐ろしいという感情は、人間だけの特権ではない。動物だって、植物だって、雪だって、怖いものは怖いのだ。恐怖とは、万物にはびこる概念であり、世界を構築する重要な要素なのだ。恐怖なくして雪は降らず、恐怖なくして雪は白にあらず、恐怖なくして雪は、しんしんとしていないのである。
人類が『恐怖が世界に及ぼす効力のメカニズム』を解明できるのは、まだまだ先の話になるだろう。だから、この話が嘘か真実かは、誰にもわからないのだ。ただ、ここに一つ断言しておきたいのは、万物に”恐怖”が存在するということは、揺るぎのない事実である、ということだ。いずれ偉い人がそれをわかりやすく解明してくれるだろう。それまで気を長く持て、人類よ。
”人間が言っていた、『海』を見たい”
雪玉が、一世一代の勇気を振り絞って転げ落ちた理由は、『海』でした。富士山の何もない頂に、ただ昇って降りるという、雪玉にとってはまるで意味の分からない行動をする人間が、ぽつりと言っていた『海』というものが、どうしても見たかった。『海』のことを考えると、ドキドキが止まらなかった。心がそわそわして、どうしようもなかった。
その思いは、コロコロと富士山の斜面を転がるたびに大きくなった。その思いと一緒に、雪玉の体もどんどん大きくなった。気が付くと、直径は5メートルを優に超えていた。
”さて、ようやくふもとまで来たぞ”
標高3,776mに及ぶ長い行路もようやく終わりです。最初こそ、その身も小さく、その転がるスピードも緩やかであった雪玉ですが、ふもとまで来るころにはその体もスピードも、当初からは想像できないほど大きなものになっていました。
「ゴゴゴゴゴゴォオオオオン!!!」
巨大な轟音と共に、雪玉はふもとに茂る木々をなぎ倒しながら、海に向かってどんどん進んでいきます。平坦な道で傾斜がなくなっても、3,776m分の『コロコロエネルギー』は減衰することなく、むしろその凄みを増す一方でした。
さて、ここで「困った」と言ってしまうのが、人間です。
「大変です、巨大な雪玉が富士山から転がってきています! 住民の皆さん、直ぐに避難してください!!」
テレビからは避難勧告が早急に出され、人々は巨大な雪玉に畏怖し、まるでゴキブリの様に四方に逃げまどいます。
「バキバキ! ドン! ゴゴゴォ!」
たとえ雪玉に悪気はなかったとしても、その巨大な体とスピードには破壊が付いて回ります。”大きい”ということは、ある意味、それだけ罪であり、凶器であり、悲劇の元凶でもあるのです。何事も大きければいい、というわけではないのです。『大は小を兼ねる』という言葉は、大小便でもかけてびちょびちょにしてやりましょう。必ずしも先人たちの教訓が正しいとは限らないのですから。
「これは、軍隊の出動が必要だな」
人間の誰かが言いました。どうやらその人は”偉い人”であるらしかったようですが、雪玉にとってはそんなことは関係ありません。問題は、誰が言ったかではなく、「このままでは人間にこの身を破壊される恐れがある」ということでした。
「ブゥーーーーーン!」
雪玉の上を戦闘機が踊ります。
”あれは確か……見たことがあるぞ”
雪玉は『飛行機』の存在を知っていました。今から70年、80年くらい前のことでしょうか? 鮮やかだった街並みを一瞬にして赤色に染め、その後灰色の街にした、あの空飛ぶ鉄の塊だ。
”あぁ、あともう少しで『海』に行けるというのに……”
雪玉は恐ろしくなりました。富士山の頂上から見た、あの赤色を、灰色を思い出したからです。あの時は、「あの街に降り注いで、あの赤を、あの灰色を、白に染めてあげたい」と、雪玉は思っていました。遠くの悲惨な景色とは裏腹に、あまりに静かだった、富士山の頂を、今でも覚えている。
「発射!!!」
戦闘機から、ミサイルが放たれました。
”あ! あの青は『海』だ! ついに『海』が見えた!!”
そう、雪玉が思った瞬間、
「ドガーン!」
ミサイルが雪玉に命中しました。巨大な雪玉は四方にはじけ飛び、小さな欠片と中くらいの欠片、少し大きな欠片に別れました。3,776m分の加速により得られた速度も勢いをなくし、まるでしんしんと降る雪と同じくらいの、今にも止まってしまいそうな速度になってしまいました。それでも、雪玉はあと少しでたどり着ける『海』に向かって、必死に転がりました。
「やりました、巨大な雪玉は無事に破壊できました!」
人間が歓喜に沸くなか、次々と雪玉の破片は転がるのをやめました。もう、転がる力がなかったからです。雪玉に手はないけれど、手を伸ばせば届きそうな距離に『海』があります。それでも、雪玉の破片たちは止まるしかありませんでした。”『海』に触れたい”と、どんなに強く望んでも、物理的に、『海』には届かないのです。
”あぁ、ついに完全に止まってしまった。本当に、あと少し、あと数センチの距離なのに。あぁ、『海』に触れたい、『海』にこの身を投げたい。ただ、それだけなのに……”
雪玉は、強く、強く願いました。
”私に手があれば、その手を伸ばして、この望みを掴むのに”
もしも、自分に”望み”を掴む力があったなら、絶対に、逃さずに、掴んでやるのに。自分にはその力も、才能もない。力も才能もあるヤツは、”望み”を掴むことができるのに、掴もうとしない。それなら、その才能を、力を、私にくれよ!
雪玉の、そんな思いは奇跡を起こしました。
「あ! ねぇねぇ、ママ見て、海に雪がたくさんあるよ! ねぇ、遊んでいい? 遊んでもいい?」
それは、まだ何もできない、小さな小さな手でした。
「うんしょ、うんしょ。よし、できた!」
小さな手が作り上げた、小さな雪だるま。
「そうだ! この雪だるまに手を付けてあげよう!!」
雪だるまには、手が二つ。
”ありがとう、この手があれば、海に届く”
雪玉は頬を赤くした少年に礼を言った。
つぎの瞬間、雪玉は何の力も加えていないのに、自然と、海の方へと倒れてしまった。
「あ! せっかく作ったのに…………うぇええええええええん!! ママぁ! えーーん」
雪玉は、波にさらわれました。遂に、念願の『海』に到達したのです。
”あぁ、これが海か……”
雪玉は波に揺られながら、鼻水を垂らして泣きじゃくる少年のさらに赤みを増した頬を見て、自分が生まれ育った富士山の、赤い夕刻を思い出しました。
”…………富士山に、帰りたい”
望みが果たされた今、雪玉の望みは帰郷でした。『海』を目指していた時とはまた違った、胸を締め付けるような衝動が、雪玉の心を襲いました。たった1日足らずの出来事でしたが、生まれ育った富士山の頂が、恋しくて恋しくてしょうがなくなったのです。
”海よ、少年よ、ありがとう”
そう言うと、雪玉は気化し、空雲となり、生まれ故郷の富士山へと帰っていきました。
~おしまい~
~エピローグ~
”海はすごく良いところだったぞ!”
”本当か!?”
”俺も海みたい!”
”僕も僕も!!”
雪玉は、海の素晴らしさをほかの雪玉達に伝えました。するとどうでしょう、みんなも『海』を見たくなりました。さて、ここで「困った」と言ってしまうの人間です。
「大変です!! 巨大な雪玉が次々と富士山から転がってきます!! 皆さん、直ぐに避難してください!」
自分の望みをかなえるということは、時に大災害を引き起こす……かもしれません。その覚悟をしっかりと持って、夢を追いかけてください。その覚悟もないのに、中途半端な気持ちで夢を追いかけるのだけはやめてください。それは、ただ人を傷つけるだけの愚行です。
あなたの”望み”を叶えるためには、絶対に”犠牲”が必要なのですから。
それを忘れずに。