表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

富士山ころりん

~プロローグ~


「俺は、海の方が好きだな」


それは、富士登頂を終えた人間の、小さな独り言でした。



 



 それは、白富士を赤で照らす、夕刻の出来事。


 標高3,776mの頂から、直径1cmにも満たない小さな雪玉が、転げ落ちた。


 雪玉は、舞い踊る落葉と同じくらいの緩やかなスピードで、富士山ふじやまをコロコロ進む。


 夕刻の赤が、夜の黒に完全に飲み込まれた頃、小さかった雪玉は、すでに直径2メートル近くの大玉になっていた。


”気が付けば、だいぶん体も大きくなったものだ”


 驚くなかれ、この雪玉には自我があった。なにも、自我は人間だけの特権ではないのだ。人間はただ、自我の表現がうまいだけで、万物全てが自我を持っていることは、至極当然のことである。


”しかし、富士山ふじやまの斜面は思ったほど、急ではなくて助かった”


 雪玉は、思ったほど転がる速度が速くないことに、ほっとしていた。


 いくらヤワラカくてフワフワしている雪玉でも、標高3,776mの頂からその身を投げるのは、恐ろしかったのだ。


 何も、恐ろしいという感情は、人間だけの特権ではない。動物だって、植物だって、雪だって、怖いものは怖いのだ。恐怖とは、万物にはびこる概念であり、世界を構築する重要な要素なのだ。恐怖なくして雪は降らず、恐怖なくして雪は白にあらず、恐怖なくして雪は、しんしんとしていないのである。

 人類が『恐怖が世界に及ぼす効力のメカニズム』を解明できるのは、まだまだ先の話になるだろう。だから、この話が嘘か真実かは、誰にもわからないのだ。ただ、ここに一つ断言しておきたいのは、万物に”恐怖”が存在するということは、揺るぎのない事実である、ということだ。いずれ偉い人がそれをわかりやすく解明してくれるだろう。それまで気を長く持て、人類よ。


”人間が言っていた、『海』を見たい”


 雪玉が、一世一代の勇気を振り絞って転げ落ちた理由は、『海』でした。富士山の何もないいただきに、ただ昇って降りるという、雪玉にとってはまるで意味の分からない行動をする人間が、ぽつりと言っていた『海』というものが、どうしても見たかった。『海』のことを考えると、ドキドキが止まらなかった。心がそわそわして、どうしようもなかった。


 その思いは、コロコロと富士山の斜面を転がるたびに大きくなった。その思いと一緒に、雪玉の体もどんどん大きくなった。気が付くと、直径は5メートルを優に超えていた。


”さて、ようやくふもとまで来たぞ”


 標高3,776mに及ぶ長い行路もようやく終わりです。最初こそ、その身も小さく、その転がるスピードも緩やかであった雪玉ですが、ふもとまで来るころにはその体もスピードも、当初からは想像できないほど大きなものになっていました。


「ゴゴゴゴゴゴォオオオオン!!!」


 巨大な轟音と共に、雪玉はふもとに茂る木々をなぎ倒しながら、海に向かってどんどん進んでいきます。平坦な道で傾斜がなくなっても、3,776m分の『コロコロエネルギー』は減衰することなく、むしろその凄みを増す一方でした。


 さて、ここで「困った」と言ってしまうのが、人間です。


「大変です、巨大な雪玉が富士山から転がってきています! 住民の皆さん、直ぐに避難してください!!」


 テレビからは避難勧告が早急に出され、人々は巨大な雪玉に畏怖し、まるでゴキブリの様に四方に逃げまどいます。


「バキバキ! ドン! ゴゴゴォ!」


 たとえ雪玉に悪気はなかったとしても、その巨大な体とスピードには破壊が付いて回ります。”大きい”ということは、ある意味、それだけ罪であり、凶器であり、悲劇の元凶でもあるのです。何事も大きければいい、というわけではないのです。『大は小を兼ねる』という言葉は、大小便でもかけてびちょびちょにしてやりましょう。必ずしも先人たちの教訓が正しいとは限らないのですから。


「これは、軍隊の出動が必要だな」


 人間の誰かが言いました。どうやらその人は”偉い人”であるらしかったようですが、雪玉にとってはそんなことは関係ありません。問題は、誰が言ったかではなく、「このままでは人間にこの身を破壊される恐れがある」ということでした。


「ブゥーーーーーン!」


 雪玉の上を戦闘機が踊ります。


”あれは確か……見たことがあるぞ”


 雪玉は『飛行機』の存在を知っていました。今から70年、80年くらい前のことでしょうか? 鮮やかだった街並みを一瞬にして赤色に染め、その後灰色の街にした、あの空飛ぶ鉄の塊だ。


”あぁ、あともう少しで『海』に行けるというのに……”


 雪玉は恐ろしくなりました。富士山の頂上から見た、あの赤色を、灰色を思い出したからです。あの時は、「あの街に降り注いで、あの赤を、あの灰色を、白に染めてあげたい」と、雪玉は思っていました。遠くの悲惨な景色とは裏腹に、あまりに静かだった、富士山のいただきを、今でも覚えている。


「発射!!!」


 戦闘機から、ミサイルが放たれました。


”あ! あの青は『海』だ! ついに『海』が見えた!!”


 そう、雪玉が思った瞬間、


「ドガーン!」


 ミサイルが雪玉に命中しました。巨大な雪玉は四方にはじけ飛び、小さな欠片と中くらいの欠片、少し大きな欠片に別れました。3,776m分の加速により得られた速度も勢いをなくし、まるでしんしんと降る雪と同じくらいの、今にも止まってしまいそうな速度になってしまいました。それでも、雪玉はあと少しでたどり着ける『海』に向かって、必死に転がりました。


「やりました、巨大な雪玉は無事に破壊できました!」


 人間が歓喜に沸くなか、次々と雪玉の破片は転がるのをやめました。もう、転がる力がなかったからです。雪玉に手はないけれど、手を伸ばせば届きそうな距離に『海』があります。それでも、雪玉の破片たちは止まるしかありませんでした。”『海』に触れたい”と、どんなに強く望んでも、物理的に、『海』には届かないのです。


”あぁ、ついに完全に止まってしまった。本当に、あと少し、あと数センチの距離なのに。あぁ、『海』に触れたい、『海』にこの身を投げたい。ただ、それだけなのに……”


 雪玉は、強く、強く願いました。


”私に手があれば、その手を伸ばして、この望みを掴むのに”


 もしも、自分に”望み”を掴む力があったなら、絶対に、逃さずに、掴んでやるのに。自分にはその力も、才能もない。力も才能もあるヤツは、”望み”を掴むことができるのに、掴もうとしない。それなら、その才能を、力を、私にくれよ!


 雪玉の、そんな思いは奇跡を起こしました。


「あ! ねぇねぇ、ママ見て、海に雪がたくさんあるよ! ねぇ、遊んでいい? 遊んでもいい?」


 それは、まだ何もできない、小さな小さな手でした。


「うんしょ、うんしょ。よし、できた!」


 小さな手が作り上げた、小さな雪だるま。


「そうだ! この雪だるまに手を付けてあげよう!!」


 雪だるまには、手が二つ。


”ありがとう、この手があれば、海に届く”


 雪玉は頬を赤くした少年に礼を言った。


 つぎの瞬間、雪玉は何の力も加えていないのに、自然と、海の方へと倒れてしまった。


「あ! せっかく作ったのに…………うぇええええええええん!! ママぁ! えーーん」


 雪玉は、波にさらわれました。遂に、念願の『海』に到達したのです。


”あぁ、これが海か……”


 雪玉は波に揺られながら、鼻水を垂らして泣きじゃくる少年のさらに赤みを増した頬を見て、自分が生まれ育った富士山の、赤い夕刻を思い出しました。


”…………富士山に、帰りたい”


 望みが果たされた今、雪玉の望みは帰郷でした。『海』を目指していた時とはまた違った、胸を締め付けるような衝動が、雪玉の心を襲いました。たった1日足らずの出来事でしたが、生まれ育った富士山ふじやまの頂が、恋しくて恋しくてしょうがなくなったのです。


”海よ、少年よ、ありがとう”


 そう言うと、雪玉は気化し、空雲となり、生まれ故郷の富士山へと帰っていきました。



~おしまい~





~エピローグ~


”海はすごく良いところだったぞ!”


”本当か!?”


”俺も海みたい!”


”僕も僕も!!”


 雪玉は、海の素晴らしさをほかの雪玉達に伝えました。するとどうでしょう、みんなも『海』を見たくなりました。さて、ここで「困った」と言ってしまうの人間です。


「大変です!! 巨大な雪玉が次々と富士山から転がってきます!! 皆さん、直ぐに避難してください!」


 自分の望みをかなえるということは、時に大災害を引き起こす……かもしれません。その覚悟をしっかりと持って、夢を追いかけてください。その覚悟もないのに、中途半端な気持ちで夢を追いかけるのだけはやめてください。それは、ただ人を傷つけるだけの愚行です。


 あなたの”望み”を叶えるためには、絶対に”犠牲”が必要なのですから。



 それを忘れずに。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] ほのぼのしたタイトルから始まる文章の中に秘められた色々な皮肉や風刺が凄く効いて、ハラハラしつつも一気に読み進めることが出来ました。 [気になる点] 地の文が途中から「~だ」「~である」か…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ