僕と彼女と屋上と
観客の声援、サッカーゴールに先輩の放ったシュートが決まる。
先輩のシュートで敵のチームとは同点になった。
残り十秒、チームメイトから僕にパスが回ってきた。
残り三秒、届くかギリギリのゴールに向かって力いっぱいロングシュートを放った。
ボールが見事ゴールネットを貫いたのを目の端で確認した時、プツっと糸が切れるような音が僕の右足から聞こえた。確認するよりも早く足から力が抜け、倒れ………る………………そこで僕の意識はブラックアウトした。
目を開けると白い天井が見えた。
まただ、またあの夢を見た。
高校リーグの準決勝試合で逆転シュートを放った僕は力いっぱいボールを蹴りすぎたらしい。右膝の膝蓋腱を断裂してしまった。
膝蓋腱とは、腱の一種で大腿四頭筋の末端部、膝蓋骨に付き、更に延びて頸骨上端の前面に付く部分。
と公辞苑には書いてある。
まあ、簡単に説明すると膝から脛にかけての筋の事だ。
普通は膝蓋腱を断裂してもすぐに手術をすればリハビリを経て、元のようにサッカーができる。
だが、僕の場合靱帯は直りつつあるが、感覚障害が残ったらしい。
右足を軽く押しただけで痺れ、強くぶつけた際には電気が走るような激痛に襲われた。
普通に歩く事すらままならず、走る何てとてもとても。
そして
『手術は成功した。だが、この感覚障害は原因が分からない。
リハビリをすれば普通に生活する分にはあまり支障が出ない位に回復するだろうが、おそらくボールを蹴るたびにこの激痛に襲われるだろう。
君は元のようにはサッカーはできない』
担当医にそう宣告された。
その言葉の後
『しばらくビタミン剤を飲んでみよう。神経に働きかけて痛みを和らげてくれるかもしれない』
と慰めのように言われたが、ビタミン剤を1ヶ月ほど飲んだが一向に効き目はなかった。
この痛みがある限りサッカーは出来ない。
自分の夢であったJリーガーにはなれないのだ。
それを知ったときは絶望したね。
長年望んできた夢が断たれたんだ。
無気力感が半端ない。
そうして、自殺でもしようかと本気で考えていた頃、僕は彼女と出会った。
最初の頃はチームメイトやクラスの友達が毎日のように見舞いにきていたが、自暴自棄となって八つ当たりを繰り返していた僕への対応が面倒臭くなったのか日に日にくる人数は少なくなり、そして誰も来なくなった。
人間の縁なんて所詮そんな物なのだ。
いつものようにすることもなく自分の病室から空をボーっと見つめていると、目の端に何か影のような物が動いているのが見えた。
僕の病室からはこの病院の屋上が良く見える、その影は屋上の端で踊るように回っているのが見えた。
くるくると回るそれはとても綺麗だった。
何故か屋上に行くと言ったら同室の人達に心配され、止められたが好奇心が抑えきれない僕は制止を振り切り、松葉杖を使い屋上まで向う。
最近は全くと言っていいほど運動をしていなかったので階段を上るだけで額にうっすらと汗が噴き出る。
ざまぁ無いなと自嘲気味に笑みを浮かべる。
ドアを開け、屋上を見渡すが先ほどまで踊っていた影は見当たらない。
ため息が出た、何故かとても大切な物をなくした気分だ。
汗の浮いた額にあたる風が心地よいのでしばらく屋上に居ることにした。
フェンス越しに景色を眺めていると、ふと心の声が漏れた。
「ここから飛び降りたら………楽に死ねるかなぁ」
「飛び降りる人間は途中で気を失うって言うよね、本当かどうかは知らないけど」
誰かに聞かれているとは思っておらず、ばっと振り返ると屋上の入り口の上に誰かが座っていた。
「とりあえず、飛び降り死体はグチャグチャになって、後片付けが大変だからやめなよ。迷惑だからさ」
それは一人の女の子だった。
「………独り言にそこまで言われたのは初めてだよ。第一、君には関係ないだろう?」
独り言を聞かれた気恥ずかしさと苛立ちを覚えながら言う。
「関係無くはないよ。
あなたがこの屋上から飛び降りたら用務員のおじさんが片付けとかで迷惑するし第一、患者が自由に屋上に来れなくなっちゃうじゃない」
あくまでも自分の為だと言い、彼女は長い髪をなびかせてとても綺麗に笑った。
それが彼女との最初の出会いだった。
「あら、また来たの?」
屋上のドアを開けるといつものように入口の上に彼女がいた。
「もしかして、私に会いに来てくれたとか?」
嬉しそうに彼女が笑うが彼女に会いに来ているのがばれると後から延々とからかわれるのが目に見えているのでわざと不機嫌な声で答える。
「そんなわけないだろ。ただ単に屋上のほうが病室にいるより気持ちいいからだ」
「ふ〜ん、そうなんだ? まあ、確かに、こんなに天気がいいのに病室にいたら体が腐っちゃう」
含みのある笑いを込めながら彼女が言った。
悔しいが、僕の考えは彼女にはお見通しなのだろう。
「いや、腐らないだろ」
会話をしながら影のある入口付近のベンチまで移動し、持ってきた推理小説を読もうと腰を下ろした。
「ふ〜ん、推理小説なんて読むんだ。意外」
いつの間にか下りて来ていた彼女が後ろからのぞき込んでくる。
「別に良いだろう、誰が何を読もうと」
「でも、あなたは『運動大好き、勉強嫌い』て感じの見た目だし、とても読書するような人には見えないもの」
「……まあ、そうだったんだけど入院生活があまりにも暇だったから読書するようになったんだ」
「ふーん、成長したんだね♪」
「………」
何か言い方がムカついたので無視することにした。
「おーい」
「………」
「マイワールドに行かずに私を構ってよ」
「………」
彼女がむっとしたのが気配で分かった。
「そのシリーズ、私も昔読んだなぁ」
「………」
「あ、そのあと主人公の友人が殺されるんだよ」
ページをめくると確かに殺されている。
「んで、しかも主人公が部屋に閉じ込められるの」
「………」
ページをめくると確かに閉じ込められている。
「それでさ、実は犯人の正体は「うるさい」
我慢できず、口を挟んだ。
「なによ〜、話し相手になってくれたっていいじゃん」
ふてくさりながら彼女が言う。
「読書の邪魔をしないくれ。
それに今、完全に犯人の名前言おうとしただろ」
睨み付けると彼女はしれっと答えた。
「邪魔なんてしてないし犯人の名前何て言おうとしてないわよ、独り言を言っていただけだもの」
「それじゃあ、僕に独り言が聞こえない場所に行ってくれないかな」
「別に、どこに居ようと私の勝手じゃない」
「はぁー」
このまま読み続けると犯人はおろかオチまで言われそうだと思ったのでしょうがないから本を閉じた。
「あれ?読まないの?」
これまたしれっとした顔で彼女が訊ねる。
「君のせいで読む気が失せた」
イヤミを混ぜて返すが
「人のせいにするのはよくないよ?」
さらりと交わされた。
「はぁー」
「溜息をつくと幸せが逃げるよ?」
誰のせいだ誰の
この後は、しばらく他愛のない雑談をして時間を潰した。
「君はいつも屋上にいるよな」
彼女と毎日のように会うようになってからは、不思議と最初のように自殺をしようなどとは微塵も考えなくなっていた。
「あら、いけないかしら?」
「いけなくはないよ屋上に来るのは個人の自由だ」
「ええ、屋上は誰のものでもないしみんなの物だもの」
「そうだな。ところで、今日こそ君の名前を教えてくれないかな?」
そしてその代わり、彼女のことをもっとよく知りたいと言う思いがこみ上げてくるようになった。
「またそれ?そんなの知ってどうするの?」
「ただ知りたいそれだけだ。それに、僕は君に名乗ったのに、君が僕に名前を教えてくれないのは不公平じゃないか?」
「不公平って……別に私はあなたに名前は聞いていないわよ?あなたが勝手に自己紹介しただけじゃない」
「く、ああ言えばこう言う」
「あら、ありがとう。減らず口が取り柄の一つなの」
けらけらと笑った。
「ちなみに私は今のところ名乗るつもりはないよ?」
いたずらっぽく彼女が言う。
「えー!?教えてくれよ!」
「それじゃあ、一つずつ病室を覗いて探してみて」
「…そう言うちまちましたのは苦手なんだ」
「やっぱりね。そう思った」
「なんだよそれ…せめて趣味とか」
「なあに、お見合いでもする気?」
からかうような表情で覗き込んでくる彼女。
「いや、そう言う訳じゃ」
「じゃあ、いいじゃない」
彼女の様子からこれ以上聞き出すのは無理だと判断する。。
「はあー、それにしてもこの病院の人って屋上にあまり来たがらないよな。シーツや洗濯物干してあるけど人が来くところを見たことないし」
溜息をつきながら話を変える。
「そうでもないよ、ほら」
彼女が言うと同時に屋上のドアが開いた。
見ると、四〇代ぐらいのおばさんが洗濯籠を片手に屋上に入ってきた。
目が合うと一瞬ビクッとする
何にそんなに驚いたのだろうか。
とりあえず会釈をすると笑顔で返してくれた。
「君、ここの患者さん?」
僕の近くに干してある洗濯物に近寄ると、その洗濯物を畳みながらおばさんが話しかけてきた。
「はい」
「そう、私の息子もここに入院しているのよ」
「へえーそうなんですか」
名前を聞いても分からなかったが、部屋番号を聞くと隣の病室にいる奴だと分かった。
「結構長い間入院しているんだけど、うちの子ったらナースステーションに行く時とかトイレや売店に行く時以外、病室からあまり出たがらないのよ」
「へえー、もったいないですね。屋上とか来れば結構いい景色が見れるのに」
ちなみにここの病院は看護士のお姉さんのレベルが高いことで有名で、同じ年頃の男子としてはナースステーションに行きたい気持ちは良く理解できる。
「屋上って気持ちがいいでしょ?だけどなぜかあの子ったら屋上に来たがらないのよ。
ここで会ったのも何かの縁だし、今度一緒に屋上まで行ってあげてくれない?」
最近はあまり同世代の子とはあまり喋っていなかったから喜んで引き受けた。
いや、まあ喋っていなかったのは自業自得なのだが。
おばさんが屋上からいなくなり、ふと後ろを振り向くとそこにいたはずの彼女は居なかった。
周りを見渡し、入り口の上も確認したが、いつのまにか彼女は屋上から居なくなっていた。
出入口は僕の直ぐ近くにあるから出る時は分かる筈なんだけどなぁ。
首を傾げながら本と松葉杖を拾い、病室に帰った。
407号室
表札を確認してから病室のドアを開ける。
中には6人の患者が居た。 「おい、お前が樋口さんの息子か?」
窓際のベッドで本を読んでいるメガネに声をかける。
「…そうだけど、誰?」
無愛想だな、おい。
「僕は隣の病室の翔って言う者だ。お前の母さんにお前と一緒に気分転換に屋上に行ってくれって頼まれたんだ。つうことで行こうぜ」
「嫌だ」
即答された。
「何で?屋上気持ちいいぞ〜」
「………」
反応がない
「理由言わないなら担いで連れていくぞ〜」
「………」
反応がない
「そんな格好を見られたら笑われるだろうな〜。
ここの看護士のお姉さんは美人が多いけど、その人たちの記憶に刻み込まれるだろうな〜。
樋口さん家の息子さんが男に担がれて居たって未来永劫に」
「分かったよ!言えば良いんだろ言えば!」
看護士のお姉さんに関すること、と羞恥心を煽るように言ったのが効いたらしい。
「最初っから素直になればいいのに」
そう言うとうるさい!と怒られた。
「で、理由は?」
「………屋上には幽霊が居るから」
……は?
「ワンモア、リピートプリーズ」
「発音悪っ!………屋上には女の幽霊が居るんだ。だから行きたくない」
そっぽを向きながら言ってくる樋口。
おいコラ、発音が悪いとか言うんじゃない。
僕のガラスのハートが砕けちまうだろうが。
「何でそう思うんだ?」 「昔からそういうのが見える体質だから」
「ふーん、じゃあ屋上行くか」
話が脱線したのでとりあえず本題に戻そう。
「ちょっと待て!何でこの流れでそうなる」
何故か怒り出した。
「こんな真昼間から出る幽霊なんて居ないっつうの、そんなに言うなら一回屋上行ってみようぜ」
樋口の腕を掴んでベッドから引きずり降ろす。
「いーやーだー!!大体、君は幽霊が見えるのかい?」
「見えるわけねえだろ」
霊感なんて無いんだから。
と言うか、まず幽霊なんて半信半疑だ。
ふと、幽霊の正体は彼女なのでは?
と思ったが、あんな存在感ある幽霊がいて堪るかと直ぐに打ち消した。
「じゃあ、君には幽霊に追いかけられるとか誘われるとか、この僕の恐怖は理解できないだろ!!」
「ああ、うん、分かんないねぇ。じゃあ行くぞ」
「いーやーだー!!放せ!!」
僕に掴まれている腕とは逆の腕でベッドの柱を掴み、無駄な抵抗をしているが気にせず引きずっていく。
体が鈍っているし片手で松葉杖で歩いているとはいえ、元体育会系なめるなよ。
「ちょ、看護士さん助けて!」
引きずっていると近くを通りかかった看護士に助けを求め始めた。
「あ、看護士さんこんにちは」
「あら、遊びもほどほどにね翔君」
「はい、気を付けます」
先にナースセンターで事情を話しておいたのですれ違う看護士さんたちは笑顔で見送ってくれる。
うん、やっぱりここの病院は美人が多いな。
その美人な顔で文字通り白衣の天使のごとく、微笑んでくれる。
まぁ、樋口にとっては悪魔の微笑みに見えるかもだが。
階段を上る頃になると樋口は抵抗しなくなっていたので手を離し階段を上る。
屋上のドアを開け、外へ出た。
目の前には晴れた雲ひとつない青空が広がっている。
「おい、樋口こっち来いよ、気持ちいいぞ」
入口の傍にあるベンチに腰掛け手招きをする。
「ん、あ、ああ」
しばらく辺りを用心深く見渡していたが、しばらくしてベンチに腰掛けた。
「で、幽霊はいたか?」
にやにやと笑い、聞いてみる。
「………今は居ないみたいだな」
沈黙、後にぼそりと答えが返ってきた。
「それで?初めて屋上に来た感想は?」
「…結構、気持ちいいな」
これもまたぼそりと答えが返ってきた。
「だろ?お前もこれからはちょくちょく屋上に来いよ」
「幽霊がいなくて、気が向いたらな」
そっぽを向いて言った樋口に笑顔でサムズアップしながら僕は言った。
「おう、じゃあ明日から雨の日以外、毎日誘いに行くな!」
「ちょっと待て、僕は毎日来るとは言っていないぞ!?」
「ははは、まあいいじゃないか」
「良くない!」
「まあまあ、お前に合わせたい人が居るんだ。
今日はまだ居ないみたいだけどかなりの頻度で屋上に居る人だからそのうち会えるだろ、ちなみに結構美人だぞ」
「……どのくらい美人なんだ」
冗談で言ってみたら意外にも食い付いた。
「うーん、俺が出会った中では一番美人だな。ここの看護士さんは目じゃないくらいだな」
からかわれる事が目にみえるので本人には絶対に言えないがな。
「……まあ、そういうことならいいだろう」
予想通り樋口は美人に弱いらしい。
それを言ったら「悪いか!」と怒られた。
いや、別に悪くはないぜ?
俺だって美人なお姉さんは好きだし。
こうして僕に病院での初めての男友達ができた。
樋口を誘ったけど今日は検査があるとかで一人で屋上に来ている。
屋上のドアを開ける。
今日は良い天気みたいだ。
最早、定位置になってきている入口近くのベンチに腰掛けた。
「んー、あー」
腕を伸ばし、伸びをしてみる。
上に向けた視界からは雲ひとつない空が見える。
ふと、視界の端にひらひらと白い布のような物が入った。
「え?」
そのまま首を布の方向に向ける。
そこには、屋上の入口横に設置されてある梯子に逆さまに引っ掛かった状態の彼女がいた。
しかも彼女はスカートだ。
両手で真ん中を押さえているが端っこは押さえきれず、太ももの真ん中より上あたりまで捲れ上がっている
「んなっ!!」
思わず立ち上がるが、足を思い切り地面に打ち付けてしまったので激痛が右足を襲う。
「痛ッつ!!!」
溜まらず右足を押さえて蹲った。
「何してるの?一体?」
逆さまに引っ掛かった状態で彼女は冷ややかな声で言った。
「何してるって……こっちの台詞だ!」
少し涙が滲んだ目で彼女を睨む。
「見て分からない?」
見て分かったら自分を全力で褒めてやりたい。
「下りようとしたら足が滑って落ちそうになって、とっさに足を曲げたらこんな状態になっちゃったの」
彼女は少し困ったような顔をした。
「何だ、てっきり新しい遊びか何かかと思った」
「馬鹿だ馬鹿だと思っていたけどそこまで馬鹿だったなんて」
「ひでぇこの人」
冗談に対してブリザードアイを送るとか。
「ちなみに、下りれないのか?」
「自分で下りれたらいつまでもこのままの状態で居ると思う?」
それもそうだ。
どうしようかと考え、名案が浮かんだ。
「じゃあ、はい」
両手を広げた状態で構える。
それに対して不信感まるだしの彼女。
「何?その手」
「飛び降りて、受け止めるから」
「………大丈夫なの?」
「片足でも君ぐらい受け止められるさ」
「…じゃあ」
えいっと彼女は飛び降りた。
ふわりとスカートが風を受けて膨らむ。
「よっと」
僕は彼女を受け止めた。
彼女は体重が無いんじゃないかと思うぐらい軽かった。
羽のように軽いとはこのことを言うのではないか。
そんな感想を抱くが、それと同時に不安になった。
「なあ」
「何?」
無事地面に足を付けた彼女が聞いてくる。
大丈夫なのか?
その言葉は喉の奥で消えた。
なぜなら、それを言ったら彼女が消えてしまいそうな気がしたから。
彼女に樋口を紹介したいと思ってその後何度も屋上に出向いた。
だけど、それから彼女には何故か会えなかった。
今日は久しぶりに一人で屋上で本を読もうと思いドアを開け、ベンチに向かうとそこには彼女が居た。
「久しぶり、最近屋上に来ないなどうしたんだ?」
久しぶりに会えた喜びで満面の笑みで話しかけると。
「友達、できたのね」
僕の質問には答えずに彼女は嬉しそうに言ってきた。
「ああ、樋口って言うんだ今度紹介するよ。ほら僕以外にも話し相手がいたほうが楽しいだろ?」
「ええ……そうね」
彼女は少し困ったように笑った。
しばらく雑談に興じていると、ふと彼女が真面目な表情を浮かべる。
「ねぇ、」
「何?」
「もう、自殺しようなんて思わない?」
「?………あ」
彼女に会ったのは自殺を決意した時だった事を思い出した。
「ああ、もうそんなこと考えてない」
君のお陰だ何て死んでも言わないが。
そう返すと彼女は頬笑み、うなずいた。
「じゃあ、もう翔は大丈夫だね」
「え?どういうこ」
いきなり親みたいな事を言い出したなと思った所で彼女の体が透け始めていることに気が付き、思わず言葉が詰まる。
「な、何だよ、何だよこれ!」
彼女を掴もうと思うが手はすり抜けるばかりで何も掴めない。
「何で!?この間は掴めたのに!?」
「タイムリミットだから肉体は既に消失しているの」
「はぁ!?タイムリミット!?」
「翔、今まで黙っていたけど私幽霊なんだ」
「…幽霊?」
信じられないが、彼女の今の状態を見ると信じる他無い。
「っそ、翔の友達霊感あるみたいだから最近は翔たちが居る時には姿を現さないようにしてたんだ」
正体バレちゃうし。
その言葉を聞いて全てが腑に落ちた。
樋口と最初に出会ったときに言っていた『屋上には女の幽霊が居る』その正体は彼女だった。
まさか冗談で思った事が本当だとは……。
体重が羽のように軽い?当たり前だ、実体がないのだから。
そして、僕が何度も彼女の名前や病室の事を聞いてもはぐらかされていた理由。
「名前や病室を聞いても教えてくれなかったのは、教えてくれなかったんじゃなくて教えられなかったんだな」
「正解」
良くできましたとでも言うように彼女は頷いた。
名前が分かればナースセンターで調べることができるから直ぐに彼女がここの病院の患者ではないと分かる。
病室が分かればそこに行かれると彼女が居ないこと分かる。
だから、彼女は僕に自分の事を一切喋らなかったんだ。
「私ね、三ヶ月ぐらい前この病院で死んだんだ」
「三ヶ月ぐらい前?」
俺が屋上に来たのも三ヶ月ぐらい前だ。
「あなたと出会った日に私は死んだの白血病で」
自分が消える、そんな状況になっても彼女はいつものように笑いながら言う。
「私みたいに死んだ人間は、七日か四十九日、七十一日のどれかの日程を選んでその日程分地上に居られるらしいの。
ちなみに私が選んだのは七十一日。
それでね、今日が七十一日目なんだ。」
「…それじゃあ」
「だから、もう、翔とはさよならしないといけない」
「嫌だ!君の事を俺はまだ良く知らないし、名前すら知らないんだぞ!!」
彼女の言った言葉をかき消したくて大声で叫んだ。
「あのね、私は、最初は全くこの世に未練なんて無かったから七日で成仏しようと思ったんだ。
でも、死んで、屋上で生きている時にこの目で実際には見れなかった風景を見て、もっと色んな風景を見て、もっともっと生きたかったって思ったの。
その時に偶々君と出会った。
人生に絶望した、死にたいと思っていた、そんな私と同じ目をした君と」
色んな感情がごちゃ混ぜになり、その激しさで呼吸が荒くなる。
そんな僕とは対照的に静かな声で彼女は言う。
「あなたは、私と違ってこれからもちゃんとたくさんの物を見れる。
行きたい場所に行ける。
好きな時に誰かと話しをしたりできる。
好きな物を食べることができる。
そして、ちゃんと生きていける。
だから、私はあなたの目に輝きを取り戻したくて七十一日地上に留まることにした」
彼女は出会ったときと同じように綺麗に笑った。
伝えなければ、彼女に自分の気持ちを。
「……君のおかげで…僕は生きようと思うようになった。
ありがとう…でも、それは君と…!一緒に……生きて…!」
息がつまり、言いたいことが伝えたいことがきちんと言えない。
「こちらこそありがとう。そう思ってくれてとっても嬉しい、でもごめんね。
それは無理なんだ。
一緒に居る時はとても楽しかったよ。
最後になるけど、私の名前はあやめれい。花の菖蒲に、れいは綺麗の麗」
ようやく知ることができた名前は彼女の笑顔にぴったりの名前だった。
だけど………
「そんな………最後だなんて言うなよ!こんな時に名前なんて知りたくない!!!」
「でも、私は君に私の名前をちゃんと覚えて欲しいんだ。
ごめんね、狡くて」
困った様に笑いを浮かべる彼女に胸が痛くなった。
僕は、彼女を困らせたい訳じゃないのだ。
一度、大きく呼吸をした後、彼女の目としっかり視線を合わせて言った。
「麗………良い名前だ。君にぴったりだよ」
「ありがとう」
彼女の頬を涙が伝う。
反射的に彼女の頬へ手が伸びるが、透けるだけで触れることは叶わない。
「泣かないで、君は笑顔が一番似合うんだから」
涙を拭いてあげたいけど、僕が彼女に触ることは出来ないのだ。
「じゃあ、翔も泣かないで」
言われて初めて自分が泣いていたことに気が付いた。
手の甲で涙を拭う。
「…君に、麗にどうしても言いたい言葉があるんだ」
「…奇遇だね。私もだよ」
二人で頬笑み合う。
二人の声が重なる。
強い風が吹き、とっさに閉じた目を開くと彼女はすでに消えていた。
お互いに一番言いたかった言葉は同じだった。
『大好きだったよ、またね』