「会長、好きです!」「断る!」――公爵令嬢は、今日も平民特待生の生徒会長に振られに行く
「おはようございます会長、今日も好きです! 私と付き合ってください!」
朝の陽光が差し込む王立学院の廊下で、エリスがいつものように満面の笑みとともに告げると、銀の髪をさらりとたなびかせて振り返った生徒会長のロイドが、深々とため息をついた。
「お前、毎日毎日本当に飽きないな……。付き合わねぇから」
「ですよね。了解です! では、授業へ行ってまいります!」
そう言って清々しく踵を返して歩き出すと、背後から「相変わらず嵐みたいな奴……」という微かな会長の呟きが聞こえてきた。
なのでエリスは振り返って、
「いやぁ、そんなに褒めないでくださいよ、恥ずかしいです」
と言うと、すぐさま声が返ってきた。
「褒めてねぇから」
「もう、会長ったらそんなに照れなくても……」
「照れてねぇ! いいからさっさと教室行けって!」
「はーい」
そう返事をすると、エリスは今度こそ振り向かずにその場を立ち去った。
そんな彼女の元に、友人のアイラが駆け寄ってきた。
「おはよう、エリス。今日も相変わらずバッサリ振られていましたわね」
「うん、あの一刀両断な感じ、ますます惚れちゃうよね……」
恍惚とした笑みを浮かべてそう答えたエリスだが、もはや毎度のことなのでアイラはもう何も言わなかった。
毎度のこと――半年前、新入生としてこの学院に入ってきたエリスが、生徒会長であるロイドに一目惚れし、断られても毎回懲りずに告白しに行くのは、もはやこの学院の風物詩となりつつあった。
実際に廊下にいてあの現場を見ていた生徒たちも、慣れたものだと言わんばかりの空気を放っている。
「今日もやっていますわね、エリスさん」
「本当に飽きないよな。あんだけ断られ続けたら普通は折れそうなもんなのに」
「実際他の女の子たちは全滅だったもんなぁ」
そう、現生徒会長にして、容姿端麗、文武両道のロイドは、学院内の女子たちの憧れの的だった。
それは、貴族階級がほとんどを占めるこの学院において彼が平民出身の特待生である、ということを差し置いても問題ないほどである。
他の男子生徒より頭一つ抜けた高い身長とすらりとした体躯で、そこはかとない色気すら漂わせるロイドはしかし、どの女子生徒の告白にも一切靡くことはなかった。
「好きです!」
「俺は好きじゃない」
「付き合ってください」
「無理」
「あの、今度よかったら一緒に休みの日にカフェに……」
「課題が溜まってるから行けない」
声には優しさも慈悲の欠片もなく、取り付く島もない。
あまりにもバッサリと断られるので、蝶よ花よと可愛がられた温室育ちの貴族令嬢のお嬢様たちは心が折れて、泣きながら立ち去るのが常だった。
だが、そこに現れたのがエリスである。
王国でも有数の公爵家の跡取り娘であり、小柄な体躯と愛らしい見た目を持つエリスだが、ロイドの断りの言葉などどこ吹く風で、毎日こうして告白し続けているのだ。
どうも彼女のメンタルは鋼でできているらしいと、もっぱらの評判である。
だが、エリスから言わせれば鋼のメンタルなどではない。
ただ単に、諦めるという選択肢が存在しないだけだ。
なにせ彼女は、あの日――入学式の日からずっと、ロイドに心底惚れ込んでいるのだから。
◆
半年前、真新しい制服に身を包み、王立学院の壮麗な講堂で新入生として整列していたエリスは、壇上に立つ一人の男子生徒に釘付けになっていた。
それが、三年生にして生徒会長を務めるロイドだった。
美しい銀髪と、長身に制服を着こなす端正な佇まい。
そして何より、壇上から新入生を見下ろす、涼やかで知的な青の瞳。
『新入生の皆様、本日はご入学、誠におめでとうございます。王立学院生徒会を代表し、心より歓迎いたします』
大人数がひしめく講堂内においても、よく通る、凛とした声だった。
生徒会長が平民出身の特待生である、という話は事前に耳にしていた。
だが、貴族の生徒が大多数を占めるこの学院において、平民である彼が一切の臆病さを見せず、堂々と祝辞を述べるその姿は、息を呑むほど美しかった。
そう、ただ純粋に、格好良かった。
身分がどうとか、彼が平民であるとか、そんな難しいことはエリスの頭から完全に抜け落ちていたのだ。
一目惚れ――その言葉以外に、この感情を説明する術はなかった。
胸の奥に雷が落ちたような衝撃を受けたエリスは、壇上を降りたロイドのもとへ迷わず直行した。
そして周囲の生徒たちが驚いて道を開けるのも気にせず、彼の目の前に立ち、気づけばまっすぐに目を見て告げていたのだ。
「イクリシア公爵家の娘、エリスと申します! 好きです!」
「……は?」
「一目惚れです! 私と付き合ってください!」
「断る。席戻れ」
即答だった。
しかし、そんなことでエリスの心は折れない。
むしろ、一切の躊躇なくNOを突きつけてくるその冷たい表情に、ますます惹かれてしまった。
「分かりました! では、また後で改めて告白しに行きます!」
呆気にとられるロイドに優雅なカーテシーを披露し、エリスは堂々とその場を後にしたのだった。
そして宣言通り、入学式が終わってから改めてロイドの元へとやってきたエリスは、言葉通り再び彼に告白をした。
「先ほどは失礼いたしました! 改めて、好きです! 私と付き合ってください!」
「無理。断る。しつこい」
二度目もやはり、間髪入れずにバッサリと切り捨てられた。
だが、エリスが引き下がって少し様子を見ていると、他の女子生徒たちも次々とロイドに声をかけ、見事なまでに玉砕していくではないか。
「ひどい……」
「少しくらい話聞いてくれたってっ……!」
泣きながら走り去る令嬢たちを壁に張り付いて見送っていると、横からチャラチャラとした雰囲気の男子生徒がエリスに声をかけてきた。
ネクタイの色からして、ロイドと同じ三年生のようだ。
「君、新入生? あいつさ、俺たちが入学した時からずっとあんな感じなんだよね。告白されまくってるけど、全員あんな風にあしらってるわけ。だからまあ、諦めた方がいいよ。悪いことは言わないからさ」
「…………」
「それよりさ、あんな冷たい奴より、俺はどう? 君、イクリシア公爵家のお嬢様だろ? 俺はウィンスト侯爵家の次男なんだけど、よかったらこれからお茶でも――」
「なるほど。つまり会長は、ご自分の好意がない相手には誰に対しても分け隔てなく、変に期待を持たせずにはっきりと断れる、誠実な方だということですね! 素晴らしいです!」
「えっ? いや、俺の話聞いてた?」
勿論聞いていない。
ナンパめいた先輩の言葉など完全にスルーして、エリスは一人で感銘を受けていた。
ますます諦めきれない。
むしろ好感度はストップ高である。
それが、今に続く毎日の告白の始まりだった。
◆
そんな入学式での強烈な出会いから数日後。
エリスは学院の廊下にある掲示板の前で、目を輝かせていた。
『生徒会 一年生役員募集』
貼り出されたその用紙を見た瞬間、エリスの頭の中にはチャンス到来の文字が踊った。
愛しのロイドのそばに堂々と居座れる、これ以上ないチャンスである。
エリスはすぐさま入会希望の申請書を書き上げ、提出した。
この学院の生徒会役員は、基本的に入学時の成績と、生徒会メンバーによる面接の総合評価で決まる。
入学時の成績が文句なしのトップだったエリスは、当然のように面接へと駒を進めていた。
面接官として長机の中央に座るロイドは、目の前に座るエリスを見るなり、露骨に胡乱な目を向けた。
「……お前、俺に近づくために生徒会に入ろうとしてないか?」
「はい! その通りです!」
「そこは建前でも否定しろよ」
一切の迷いなく肯定したエリスに、ロイドは深く頭を抱えた。
隣に座る他の役員たちは、清々しいな……と苦笑い、もしくはお腹を抱えて笑っている。
だが、エリスの表情は真剣そのものだった。
「ですが、仕事の手は絶対に抜きません。公爵家の跡取りとして、領地経営や財務の基礎は叩き込まれています。恋も仕事も全力投球が私のモットーですので!」
「……俺は反対だ。こいつを入れたら、絶対に仕事の邪魔になる」
ロイドは渋い顔をして即座に却下しようとした。
しかし、エリスの入学時の成績資料に目を通していた副会長や他の先輩役員たちが、すかさず口を挟む。
「えー、でも会長。彼女の入学成績、ダントツでトップですよ?」
「そうそう。うちの生徒会、今めっちゃ人手不足でキツイし。これだけ優秀なら即戦力になるんじゃないっすか? あとなんか面白くなりそうだし」
「お前らなぁ……」
周囲からの後押し、という名の圧力を受け、ロイドは忌々しげに息を吐き出した。
「……はぁ。分かったよ。ただし、公爵家への忖度は一切しないからな。使えなかったら即刻追い出す」
「望むところです! これで合法的に会長の傍に張り付いて告白し放題ですね!」
「もう一度言う。使えなかったら即刻追い出す」
「了解であります!」
こうして文句のつけようがない実力と、先輩役員たちの推薦により、エリスは正式に生徒会役員として迎え入れられることとなったのだった。
◆
そして現在。
「会長、先ほど依頼されていた来月度の予算案の修正、終わりました。各部活への配分も規定通りに調整済みです」
「早いな」
朝の告白も華麗に玉砕したその日の放課後、生徒会室のデスクで、ロイドがエリスから受け取った書類に目を通す。
その涼やかな青の瞳が、わずかに驚きに見開かれた。
「完璧だな。誤字脱字もないし、計算も合ってる。他の役員が手こずってた箇所までカバーしてやがる」
「ふふん、お役に立てて光栄です! それと会長好きです、私と付き合ってください!」
「告白を業務連絡に混ぜるな」
ロイドは書類から顔を上げず、呆れたようにため息をつく。
だが、エリスを生徒会室から追い出そうとはしなかった。
彼女の仕事への責任感と実力が本物であると認めているからだ。
「それよりお前、最近挨拶レベルで告白入れ込んでくるよな」
「いついかなる時も会長への想いが溢れているっていう証拠です!」
「あっそ」
つれない返事だが、エリスはめげない。
それに、それ以上深く踏み込むこともない。
エリスは、ロイドが絶対に嫌がるラインを極めて正確に見極めていた。
もし彼女が仕事を放り出して恋を優先させたり、公爵令嬢という立場を振りかざして我が儘を言ったり、あるいは断られたことで泣き落としをして彼の罪悪感を煽るような真似をすれば、ロイドは間違いなく彼女を軽蔑し、即刻この部屋から追い出すだろう。
だからこそ、彼女の告白はいつも明るく、潔く、そして決して業務の進行を妨げない絶妙なタイミングで切り上げられるのだ。
事実、エリスは生徒会の仕事を何一つおろそかにしていなかった。
煩雑な書類作成、各部活との折衝、貴族生徒たちからの理不尽な要望の処理。
彼女は公爵家の跡取りとして培ってきた知識と手腕をフルに活用し、真面目かつ完璧にすべての業務をこなしていた。
彼女は自らの実力を証明することで、ロイドの隣に立つ有能な仕事のパートナーとしての立ち位置をしっかりと確保したのである。
そんな生徒会での日々が続き、二人の関係も少しずつ変化を見せ始めていた。
ある日の昼休み、エリスが友人たちと昼食を取るためにカフェテリアへ向かう途中、とある波動を感じて中庭に目を凝らすと。
「あの奥の木陰のベンチに、ロイド様がいる気がする……」
「え、こわ……。エリスのそのセンサー何なんですの?」
アイラが若干引き気味にそう言ったが、エリスは気にせず、お弁当を持ったまま既に中庭へと駆け出していた。
「私、ロイド様と食べてくるねー!」
そして実際に、遠く離れたその木陰のベンチには、確かにロイドが座っていた。
彼は一人、固そうな黒パンに干し肉を挟んだだけの質素な食事を、もそもそと口に運んでいる。
エリスは目を輝かせ、一直線に彼のもとへ突撃した。
「会長、お疲れ様です! 隣、ご一緒してもいいですか? いいですよね? では失礼します!」
ロイドが返事をするより早く、エリスは隣のスペースにちょこんと腰を下ろした。
干し肉を咀嚼していたロイドが、ジト目でこちらを見下ろす。
「……お前、俺が了承する前に座ってんだろうが」
「だって、会長の了承を待っていたら絶対に『ダメだ』って言うじゃないですか」
「分かってるなら聞くな」
「えー、じゃあ追い払いますか?」
出会ったばかりの半年前なら、ロイドは本気で嫌そうな顔をして彼女を遠ざけていた。
エリスもそれは分かっていたので、本当に嫌がっている時は絶対に踏み込まなかった。
だが、今は違う。
口では文句を言いながらも、彼から本気の拒絶の気配は感じない。
「……好きにしろ」
「やった、会長との距離、着実に縮まってますね!」
半ば諦めたようにため息をつき、再び固いパンをかじり始めるロイド。
その手元を見ながら、エリスは自分の豪勢な三段重の弁当箱を開いた。
そこには色とりどりの野菜や、美しく調理された肉料理がぎっしりと詰まっている。
「会長、もしよろしければ私のおかず、食べませんか? お昼、それだけじゃ絶対足りないですよ」
「こちとらどこかのお嬢様と違って苦学生なんだよ。これでも干し肉あるだけましな方」
「だったらなおさら食べてくださいよ。ほら、あーん」
「いらねぇよ」
「お気になさらず。これは私からの賄賂です。美味しいお肉で、会長からの好感度をアップさせる作戦なのです!」
「自分で言うか、普通……」
呆れ返るロイドだったが、エリスがフォークで差し出した香草焼きの肉から、たまらなくいい匂いが漂ってくる。
少し迷った後、ロイドはパクッとそれを口にくわえた。
「……うま」
「でしょう!? うちの料理長の自信作です。私と付き合ってくだされば、毎日これより美味しいご飯をご用意しますよ!」
「物で釣るんじゃねぇ」
ロイドはそっぽを向いたが、その声に刺々しさはない。
よほどお気に召したのか、その後香草焼きを五口ほど食べていた。
残念ながら二口目からはあーんはさせてもらえなかったが、それでも大満足のエリスである。
美味しそうにお肉を咀嚼するロイドを、エリスはニコニコした笑顔で見つめている。
木漏れ日が揺れる中、なんだかんだと穏やかな空気が二人の間に流れる。
そんな中、ふと、ロイドが真面目な声色で尋ねてきた。
「なあ。……なんで俺なんだよ」
「え?」
「エリスは公爵家の跡取りで、頭も良くて仕事もできる。お前とお近づきになりたいって男は、高位貴族の中にも山ほどいるだろ。なんで、よりにもよって平民の俺なんだ」
そこまで言って、ロイドは少しだけ目を細め、探るような視線を向けてきた。
「……まさか、俺を都合のいい愛人にでもするつもりか?」
貴族社会において、学生時代というのは結婚前の最後の遊びの期間でもある。
貴族たちの多くは家同士で決められた同格の婚約者がおり、卒業と同時に政略結婚をするのが常だ。
だからこそ、学院にいる間だけは、後腐れのない自由な恋愛――つまり、期間限定の恋人ごっこを楽しむ者が少なくない。
現に、これまでロイドに告白してきた令嬢たちの大半もその類だった。
もちろん、ロイドの才能を見込んで婿養子に迎え入れたいと考える家もあるだろうが、平民である彼を正式な血族として受け入れられるのは、せいぜい男爵から子爵クラスまで、というのが一般的だろう。
いくら現段階で婚約者がいないとはいえ、王国トップである公爵家の跡取り娘が、本気で平民を夫にしようとするなど、常識的に考えてあり得ない、と思っているようだった。
だからロイドは、エリスもまた見目良くて有能なお気に入りを愛人として侍らせたいだけなのではないかと疑っているのだ。
そしてそれは、貴族の常識に照らし合わせれば決して間違った推測ではない。
不思議そうに、少しだけ自嘲を交えて問うロイド。
しかしエリスは、心外だと言わんばかりに目を丸くすると、手元の弁当箱を置いて居住まいを正した。
「愛人だなんて、そんな半端な関係を望むわけがありません! 私は一番最初から、本気でお付き合いをしたいと思っています!」
「……本気? 俺でも噂くらいは聞いている。ゲルマー公爵家をはじめとした子息たちの名前が、お前の婚約者候補として名前が挙がってるってな。ならどう考えてもそっちの方がいいだろう」
「確かに釣り書きが山程来ていることは否定しませんけど」
イクリシア公爵家の婿になる――爵位を継げない次男以下の貴族の子息たちにとって、これほど魅力的な条件はなかなかない。
イクリシア公爵家はこの国でも有数の公爵家、そしてエリスは、小動物のような小柄な体躯で若干童顔気味ではあるが、見目もいい。
「ですけど会長。私は会長以外興味がないんです! そしてゆくゆくは同じお墓に入るのが夢なんです……」
「っごほ!」
うっとりとした顔で遠くを見つめながらそう言ったエリスに、思わず水を口にしていたロイドがむせる。
「待て、お前、色々すっ飛ばしすぎじゃないか……。いや言いたいことは分かるが、墓って……もう死んでんじゃねぇか」
「『死が二人を分かつまで』どころか、死んだ後も一緒にいたいという私の強固な意志の表れです!」
「重いわ! つーか、そもそも付き合ってもいねぇだろうが!」
「だからこうして現在進行形で猛アタック中なんです。将来のお婿さんになっていただくために、まずは恋人から、と順を追ってお願いしているじゃないですか」
「だからその、将来の婿前提なのがおかしいって言ってんだよ……」
頭を抱えて深々とため息をつくロイドに、エリスはふふっと得意げに微笑んだ。
「私がただの遊びではなく、どれだけ本気か、少しは伝わりましたか?」
「お前が変なところで頑固で、一度決めたら絶対に曲げない奴だっていうことだけは、この半年で嫌というほど分かったよ」
「会長にそう評価してもらえるなんて光栄です! それで、先ほどの質問に戻りますが。なぜ私が数多の貴族令息ではなく、会長を選んだのかというお話ですね」
エリスは咳払いをして、一つ指を立てた。
「一番最初は、入学式での一目惚れです」
「……それは知ってる。顔ならよく褒められるからな」
「はい! 会長のお顔は最高です! 国宝レベルです。最初は見た目でした。それは認めます。だけどそれだけじゃありません」
エリスはロイドの瞳を、まっすぐに見つめ返した。
「生徒会に入って、会長の隣で仕事をしていくうちに、中身もどんどん好きになっていったんです」
「いや、どこに好きになる要素があるんだよ。俺、別にお前に優しくした覚えもないぞ」
「優しくないところがいいんですよ」
きっぱりと断言するエリスに、ロイドが目を瞬かせる。
「え……お前そういう癖が」
「違います! そうじゃなくて。……会長は、私が公爵令嬢だからといって決して甘やかしません。だけど私の仕事の成果はちゃんと見てくれるし、一人の人間として公平に評価してくれるじゃないですか。そんな人、私の周りには会長しかいませんでした」
エリスは間違いなく、この国において多くの人間にかしずかれるお嬢様である。
多少ミスをしようとも、周囲は気にするなと甘やかす、それが常だった。
しかしロイドは違う。
生徒会の仕事でミスをしたらきっちりみっちり、それはもうねちっこく指摘してくるし、普通にビシバシとしごかれるし怒られる。
それはエリス以外の生徒に対しても同じで、鬼の生徒会長と裏で囁かれてはいるが、一切忖度しない姿勢は意外にも慕われている。
エリスの言葉に、ロイドは黙って耳を傾けている。
その様子を横目で見ながら、エリスは続ける。
「それに、会長は誰に対しても誠実です。好きでもないご令嬢に気を持たせるような態度は絶対に取らないし、生徒全員のために遅くまで身を粉にして働いている。勉強だって手を抜きません、そんな会長の在り方が、私は本当に好きですし、尊敬しているんです」
顔が好き。
でも、中身はもっと好き。
エリスの嘘偽りのない真っ直ぐな言葉を受け止めたロイドは、しばらく言葉を失ったように彼女を見つめ――やがて、ふいっと顔を背けた。
「……ふーん」
「ということで! やっぱり大好きです、私と付き合ってください!」
「断る」
いつものように即答し、ロイドは立ち上がった。
手元のパンをすっかり平らげており、エリスを残してさっさと教室へ戻ろうと背を向ける。
本当ならすぐさま追いかけて隣を歩きたいところだが、エリスの弁当箱にはまだ中身が残っている。
エリスが残念に思いながらも、一緒に昼食を取れたと喜びながらその大きな背中を見送ろうとした、その時だった。
立ち去りかけたロイドが、ふと立ち止まり、背中を向けたままぽつりと呟いたのだ。
「……でもまあ、ありがとう」
それだけ言い残し、今度こそ彼は早足で中庭を去っていった。
残されたエリスは、数秒間ぽかんとしていたが、やがて顔を真っ赤にして口元を両手で覆った。
「はわっ……!」
それは初めてもらった、明確なデレだった。
たった一言の破壊力に、無敵の令嬢の心臓は激しく鳴り、弁当箱を膝の上に乗せたまま固まってしまった。
「エリス、ちょっとエリス? もうお昼終わりますわよ?」
戻りが遅いエリスを心配してやってきたアイラが、昼休み終わり間際、微動だにしないエリスを見つけて体を揺すったことで、ようやくエリスの時間は動き出した。
だが、心臓は相変わらず早いままだった。
◆
あの中庭での「ありがとう」事件を経て、エリスは通常運転――いや、以前にも増して絶好調なテンションで生徒会の業務に勤しんでいた。
たった一言のデレで得られたエネルギーは凄まじく、書類を処理する速度はさらに上がり、ロイドへの告白もより一層の熱意を放っている。
「書類完成しました! 会長好きです、好きが溢れて止まりません! 助けてください!」
「知らん。保健室でも行って来い」
興奮が冷めやらないので顔を洗って熱を冷ましてから、エリスは生徒会の仕事として他学年の教室へ書類を届けに行く道すがら、廊下で一人の男子生徒に行く手を塞がれた。
「やあ、エリスちゃん。こんなところで奇遇だね」
「……ええと、どちら様でしたっけ?」
キメ顔で壁に手をつき、行く手を阻んできたチャラチャラとした雰囲気の男子生徒。
エリスが本当に心当たりがないという顔で小首を傾げると、男は少しだけ引きつった笑みを浮かべた。
「ひどいな、入学式の日に声をかけただろ? ウィンスト侯爵家の次男の――」
「ああ! あの時の、会長の誠実さを私に教えてくれた先輩ですね! その節はありがとうございました!」
「……ええっと、まあいいや」
男は気を取り直したように前髪をかき上げ、甘い声を出した。
「君、相変わらずあの冷血な生徒会長を追いかけてるらしいね。毎日振られて可哀想に。いくら顔が良くたって、所詮は平民だ。君のような可愛い公爵令嬢には相応しくない。どうだい? 報われない恋はそろそろ終わりにして、俺とこのあとお茶でも――」
「あ、お誘いありがとうございます。でも結構です!」
エリスは満面の笑みで、一秒の躊躇もなく即答した。
「えっ? いや、侯爵家と公爵家の繋がりなら、家柄としても申し分ないし」
「家柄とか以前に、私、会長以外にまっっったくなんの興味もないんで!」
「は?」
「私のお茶の時間は全部、万が一会長に誘われた時のために空けてるんです。というわけで、急いでるので失礼します!」
ロマンチックな駆け引きなど一切ない、見事なまでの一刀両断である。
付け入る隙を全く与えないエリスの明るく容赦ない拒絶に、ウィンスト侯爵家の次男はきちんとした名前すら名乗れず、口をぱくぱくとさせて言葉を失った。
だが諦めきれないのか、呼び止めようとしたその時だった。
「おい、エリス。いつまで油を売ってる」
少し離れた廊下の角から、不機嫌そうな低い声が響いた。
エリスが振り返ると、腕を組んだロイドが冷ややかな視線でエリスを見据えていた。
「あっ、会長!」
「頼んでおいた他学年への通達、まだ終わってないのか。仕事の途中で勝手に足を止めるな」
「すみません、今すぐ行きます!」
エリスの顔が分かりやすくぱっと輝く。
ロイドはそのままウィンスト侯爵家の次男を見向きもせず背を向けた。
エリスは目に見えない尻尾をぶんぶんと振るような勢いでその後を追いかけ、あっという間に二人の姿は廊下の奥へと消えていった。
その道すがら、エリスは少し前を歩くロイドの背中を見つめながら、弾む声で話しかけた。
「会長、わざわざ迎えに来てくれたんですか? 嬉しいです!」
「迎えに行ったわけじゃねぇ。お前の戻りが遅いから、仕事が滞らないように見に来ただけだ」
「またまた! あ、会長、よかったら生徒会の仕事が終わった後一緒にお茶でも」
「行かねぇ」
「釣れないとこも素敵ですー!」
「お前ほんと、めげないな」
「これが私のいいところなので」
「自分で言うなよ」
呆れたように吐き出された声だったが、その響きには出会った当初あった刺々しさはない。
そして背中を追いかける形で少し後ろを歩いていたエリスには、その時のロイドがどんなに柔らかく、微かに口角を上げた顔をしていたかなど知る由もなかった。
その後、仕事を終えて生徒会室へ戻った二人は、残りの業務を完璧に片付けた。
やがて窓の外が茜色に染まる頃、ロイドが立ち上がり、帰り支度を始める。
「会長、本日もお疲れ様でした! 今日も会長が大好きでした。明日は今日以上に好きになっていると思います。ではまた明日!」
「……はいはい。またな」
告白部分はさらっと流し、ロイドはひらひらと手を振って生徒会室を後にした。
「ふふっ、今日も一日幸せでした!」
エリスが満面の笑みで閉まった扉をしばらく見つめた後、自分の鞄を手に取った、その時だった。
部屋に残っていた三年生の副会長であるジークが、ニヤニヤと笑いながら話しかけてくる。
「エリスちゃん、今日も相変わらず元気だねぇ。でもさ、さっきのあれ、知ってる?」
「あれ、とは?」
「ほら、エリスちゃんがさっき廊下で他学年の男に絡まれてたやつ。この部屋の窓からちょうど見えたんだよね」
「あ、そうだったんですね! 秒でお断りしておきましたけど」
「うん、それは見てて分かったんだけどさ。……問題はロイドだよ」
「会長がどうかしたんですか?」
きょとんとするエリスに、ジークはさらにニヤニヤを深めた。
「あの男がエリスちゃんと話しているのを見た瞬間、デスクで書類読んでたロイドが席を立ってさ。『戻りが遅い。エリスを手伝ってくる』って言って、ものすごい早足で部屋を出てったんだよ」
「えっ」
「あんなに焦ったあいつの顔、俺ら初めて見たよ。仕事が理由とか言ってたけど、ありゃ絶対にただの口実。実際はエリスちゃんのことが気になって、急いで助けに飛んでったんだと……」
その瞬間、不意に生徒会室の扉が開き、帰ったはずのロイドが顔を出した。
「悪い、忘れ物を――」
「おっ、ロイド、噂をすれば! 今ちょうどエリスちゃんに、さっきのお前の勇姿を――」
「っ、変なことを吹き込むな」
ロイドはジークの言葉を低い声でピシャリと遮ると、自分のデスクから忘れ物のファイルを引き抜くように手に取った。
そして、そのままジークの腕をガシッと掴む。
「お前も仕事終わったんだろ。帰るぞ」
「えっ!? いや俺まだカバン閉めてないし――ちょっ、ロイド!? 引きずらないで!?」
抗議するジークを強引に引きずりながら、ロイドは逃げるように足早に廊下へと消えていった。
同時にバタン、と再び扉が閉まる。
嵐のように去っていった二人の後姿を、エリスは一人、ぽかんと見送った。
やがて静まり返ってエリス一人になった生徒会室に、彼女の小さく息を吐く音が落ちる。
「……仕事の進捗を確認しにきただけ。ですよね」
そう、常に冷静で有能なあの生徒会長が、自分のために我を忘れて飛び出してくるなんて、そんな都合のいい話があるわけがないのだ。
分かっては、いるのだが。
エリスは自分の頬に、そっと手を当てる。
なぜか頬はだらしなく緩んでいて、じんわりと温かい。
「……ふふっ」
エリスはギュッと鞄を抱きしめると、誰もいない部屋で嬉しそうに微笑んだ。
そして、弾むような足取りで生徒会室を後にするのだった。
◆
それから数日後の放課後。
自宅へ戻るためにエリスが校舎の正面玄関を出ると、すぐそばに豪奢な馬車が停まっていた。
王家の馬車と見紛うほど華美な紋章入りの車体を、学院の生徒たちが遠巻きに眺めている。
「嘘、あの紋章って……」
「ゲルマー公爵家よ。一体学院に何の用かしら」
怪訝な声が上がる中、エリスだけは顔が引きつる。
なんとなく嫌な予感がしたのだ。
そしてそれは現実のものとなる。
「まあ、なんてお美しいの……!」
中から出てきた人物を見て、周囲の令嬢たちが黄色い声を上げ、頬を染めている。
しかし、馬車から降りてきた見目麗しい青年を視界に収めた瞬間、エリスはあからさまに顔をしかめた。
「げっ……」
それは、通算四度はお断りしているにもかかわらず、懲りずにエリスに釣り書きを送り付けてきている、ゲルマー公爵家の三男のニースだった。
「やあ、エリス嬢」
だがニースはエリスのあからさまな反応など気にした様子もなく、爽やかな笑みを浮かべて歩み寄ってきた。
「たまたま近くを通りかかったものでね。よければこれからお茶でもどうだい? いい茶葉が手に入ったんだ。婚約者候補として、僕のことをもっと知ってほしいんだ」
「そのお話でしたら、我が家から何度もお断りしたはずですけれど。なので婚約者候補と明言するのはやめてもらえませんか?」
「釣書だけでは、僕の魅力は伝わらないだろう? 一度くらいは二人で時間を取って、親交を深めてもいいんじゃないかな」
「お断りします。私のほうは、あなたについて十分調べたうえでお断りしていますので」
甘い笑みを浮かべたニースの頬が、わずかに引きつる。
けれど、彼は諦めなかった。
「そう冷たいことを言わないでくれ。家同士の釣り合いを考えれば、私以上に君にふさわしい相手なんめ――」
「なんだ。揉め事か」
と、少し離れた場所から、よく通る声が響いた。
振り返ると、書類の束を抱えたロイドが怪訝そうな顔でこちらへ歩いてくるところだった。
「あっ、会長!」
もはや条件反射である。
思わず顔を輝かせ、仮にしっぽがあったら千切れんばかりに振っていたであろうエリスとは対照的に、ニースはロイドの姿を認めると値踏みするように目を細めた。
「君が、最近エリス嬢にしつこく付きまとっているという、平民出身の生徒会長殿か」
日々の告白は学院中の知るところだ。
当然、学院以外にもその噂が届いていてもおかしくはない。
が、情報が食い違っていることに気づき、エリスは即座に口を挟む。
「違います! 付きまとっているのは私の方です! あと私はそこまでしつこく追いかけ回してませんから! ただ、挨拶ついでに毎日愛を伝えているだけです!」
「自分で付きまとってるって認めてどうすんだよ。大体、挨拶に混ぜて毎日告白してくる時点で十分しつこいからな」
ロイドはいつものようにエリスへ突っ込んでから、ニースへ冷ややかな視線を向けた。
「許可のない部外者の立ち入りは、学院の規則で禁じられています。生徒を迎えに来たのであれば、事前に学院へ申請してください」
あくまで事務的な口調だったが、ニースは悪びれるどころか小さく鼻を鳴らした。
「さすがは噂に聞く生徒会長殿だ。規則にはお詳しいらしい」
「お褒めいただき、どうも」
「だが、自分の立場については、あまり理解していないようだな」
ニースはロイドを上から下まで眺め、露骨な嘲笑を浮かべた。
「いくら学院で優秀だと評価されようと、所詮は平民だ。エリス嬢のような高貴な女性には、近づきすぎないほうがよい。彼女にはいずれ、僕のように家柄の釣り合う男が必要になる。学生のうちの戯れに、妙な期待を抱かないことだ」
ニースの言葉は、明確な見下しと、貴族社会における絶対的な優越感に満ちていた。
「戯れでは――」
エリスが反論しようとしたが、その前にロイドの顔が目に入った。
ロイドは、感情の温度を消したような、酷く静かで凪いだ瞳で男を見つめ返していた。
反論するまでもない、己の立ち位置をとうの昔に理解しきっている――そんな諦観すら通り越した目だった。
「――そんなことは、俺自身が一番よく分かっていますよ」
感情の乗らない淡々とした声で小さく答えたロイドに、エリスの胸がチクリと痛む。
「さあ、馬車に乗るんだエリス嬢」
ニースがエリスに向かって優雅に手を差し出す。
エリスはここで騒ぎ立ててロイドにこれ以上不快な思いをさせるよりも、一度この男について行き、望み通りお話をすべきだと判断した。
そう、ただ釣り書きを突っ返すだけでは甘かったのだ。
――完膚なきまでに叩き潰して二度とこちらに近づけないようにするのが最善だ。
ならば、エリスの取るべき行動は決まっている。
「……分かりました。お茶でも何でもご一緒しましょう」
「ほう、ようやく分かってくれたんだね」
「はい。分からせるべきだということが、分かりました」
エリスは笑っているが、目の奥は全く笑っていないことにニースは気づいていないようだった。
「では会長、また明日」
エリスはロイドにそう言い残すと、自ら足早に馬車へと乗り込んだ。
ニースが勝ち誇ったような顔で後に続き、馬車はゆっくりと学院を後にする。
揺れる車内から小窓越しに振り返ると、書類の束を抱えたロイドがただ一人その場に立ち尽くし、遠ざかっていくこちらをいつまでも静かに見送っている姿が見えた。
◆
そして翌朝。
エリスは昨日、ニースとの茶会に両家の代理人を呼び、その場で縁談を受ける意思が一切ないことを明言した。
さらに、学院へ無断で押しかけた件についても正式に抗議し、二度とエリスへ直接接触しないという約束まで取りつけた。
他にもエリスが彼を選ばない理由として、実は素行不良で何人もの恋人がいることなども調べ上げた調査結果を突き付けておいた。
ゲルマー公爵家側はそのことを知らなかったらしく、ニースは途中から顔色を失っていたが、知ったことではない。
とにかく、これで問題は完全に解決した。
というわけで、エリスはいつも以上に清々しい足取りで生徒会室へ向かうと、晴れやかな笑顔で扉を開いた。
「おはようございます、会長! 今日も好きです。私と付き合ってください!」
いつもどおりの元気な告白。
普段なら間髪を容れずに「断る」と返ってくるはずだった。
しかし、書類から顔を上げたロイドの目は、これまでにないほど冷たく、固く閉ざされていた。
そして返ってきた答えは。
「……もう、俺への告白はやめろ」
「え?」
普段とは違い、ひどく静かで重みのある拒絶の響きに、エリスはきょとんとして首を傾げた。
「ええと、なぜですか?」
ロイドは書類から完全に手を離し、深く息を吐き出した。
その表情はひどく強張っている。
「…………」
エリスは何も言わず、黙って答えを待つ。
長い沈黙が落ち、やがてロイドは、机の上で両手を固く組んで絞り出すように口を開いた。
「昨日、迎えに来てただろ。家柄も釣り合う、堂々としたお前と釣り合う同格の男が。婚約者候補なんだろう?」
「違います。それに私、昨日あの後きっちりお断りして、二度と学院にも私にも近づかないよう分からせてきましたよ?」
「分からせてきたってお前何して……って、いや、そういう問題じゃない」
ロイドは自分に言い聞かせるように、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「仮にあの男を選ばなかったとしても、お前はいずれ、公爵家のためにああいう立派な貴族と結婚する。俺みたいな平民に構って、遊びの恋をしてる場合じゃねぇだろ」
「遊びじゃありません。私は本気だと前にもきちんと伝えて――」
「俺はお前の隣には立てないんだよ!」
不意に、ロイドの声が荒げられた。
普段の冷静な彼からは想像もつかない悲痛な叫びに、早朝の静まり返った生徒会室の空気が、ピンと張り詰める。
二人きりの空間に、彼の少し荒くなった呼吸の音だけが痛いほど響いていた。
エリスが目を丸くすると、彼はひどく苦しそうな、痛みを堪えるような顔でエリスを見つめていた。
「……あいつの言う通りだ。いくら生徒会で仕事ができようが、俺は何の後ろ盾もない、ただの平民だ。この学院の中なら、身分に関係なく対等に扱われる規則に守られている。だが、卒業して一歩外へ出ればそうはいかない。現実は残酷なほど明確に、俺とお前の住む世界を隔てているんだ」
「それは――」
エリスが何か言いかけたが、わずかに俯いたロイドがそれを遮る。
「お前にはもっと相応しい男がいる。頼むから、もう俺に構うな。俺は……期待なんてしたくないんだ」
「っ……!」
その悲痛な響きに、エリスは息を呑んだ。
……しかし、同時に彼が最後にポロリと零した『期待』という言葉が、エリスの頭の中で引っかかった。
期待したくない――それは裏を返せば、エリスの言葉に心が揺れ、あわよくばと望んでしまいそうになっている自分を、必死に律しているということではないのか。
エリスはそろりと声を上げた。
「……あの、会長」
「なんだよ……」
「期待って、つまり、私の告白を本気にして、その、将来お婿さんになることを考えてしまいそうになる……みたいな、そういうことでしょうか?」
おそるおそる、けれど隠しきれない期待を込めて尋ねたエリスに、ロイドの肩が分かりやすく跳ねた。
続けて顔を上げたロイドは、自分が無意識のうちにとんでもない本音をこぼしてしまったことに気がついたらしい。
悲痛一色だった顔が、一瞬にして耳の先まで真っ赤に染まる。
「……っ! ち、ちがっ、俺は別にそういう意味で言ったんじゃ……」
図星である。
分かりやすすぎるその動揺を見て、エリスの中で先ほどまでの張り詰めた空気が、パチンと音を立てて弾け飛んだ。
なんだ。
嫌われたわけでも、本当に迷惑がられているわけでもない。
ただ身分差という壁を前にして、強烈なブレーキをかけているだけなのだ。
ということは、彼自身の気持ちのハードルはもうとっくに越えているではないだろうか。
つまり、望みがあると。
ならば話は早い。
ロイドが必死に言葉を濁そうと目を泳がせている前で、エリスは誇らしげに胸を張った。
「会長! 私、公爵家の跡取りなんですよ?」
「知ってる。だから、それに相応しい相手と――」
「跡取りということは、私が次期公爵になるということです。領地経営、財務、外交、どれも完璧にこなせますし、お父様よりも私のほうが格段に優秀です!」
「……自分で言うか、普通」
「事実なんで! 親戚も家族も、誰も私の決定に逆らえませんし、そもそも政略結婚で他の貴族とのパイプを繋いで……なんてする必要もないんです。昨日の令息も、能力も人格も私の夫にふさわしくないので、二度と顔を見せないようお引き取りいただきました! 今頃あちらのおうちは修羅場になっているかと思われます」
「いやお前、本当に何したんだよ……」
つい先ほどまで悲壮な表情をしていたロイドが、予想外の反論に目を見開く。
だがエリスは構わず続けた。
「ですから、私は結婚相手に家柄なんて、初めから求めていないんです。私が求めているのは、夫として、相棒として、公爵家を一緒に切り盛りしてくれる有能な方です」
エリスはにっこりと笑い、ロイドへ一歩近づいた。
「つまり、会長です!」
「なんでそうなる!」
「能力も人柄も、会長以上の方はいません。会長の頭脳と公平さがあれば、領地は今よりもっと豊かになります! あのニースよりも、私の隣には会長のほうが百倍ふさわしいです。あと会長が隣にいれば私のやる気はさらに満ち溢れるので、やっぱり会長以外考えられません!」
「待てって言ってるだろ!」
当然待てなどするはずもなく、エリスはさらに一歩近づき、ロイドに向かって至近距離でにっこり微笑んだ。
「というわけですので、身分差などまったく問題ありません。会長は安心して、私のお婿さんになってください。ね?」
「は……?」
ロイドの耳が、一瞬で真っ赤に染まった。
「だ、誰がお前の婿になるって言った!」
ロイドは勢いよく立ち上がり、机へ両手をつく。
つい先ほどまで漂っていた悲壮な空気は、跡形もなく消え去っている。
「えー、でも会長、さっき期待しちゃうとか言ってたじゃないですか。それってつまり、もう私のことを意識してるって告白したようなものですよね?」
「い、言い間違いだ!」
だがエリスの耳ははっきりと聞いた。
脳内にもしっかりとあの言葉を刻み込んだので、削除は不可能である。
ここでエリスは少し考えてから、ぽんと手を打った。
「では、まず恋人からですね! 改めまして、私と付き合ってください!」
「順番の問題じゃねぇ!」
「公爵家へ入ることがご不安なら、何も心配はいりませんよ。私が会長の人生ごと、ぜーんぶ丸抱えで幸せにしますから!」
「お前なぁ……」
絶対に逃がさないと言わんばかりに輝くエリスの笑顔を前に、ロイドは完全に退路を断たれていた。
ニコニコと追い詰めるエリスに対処できなくなったらしいロイドは、結局逃げた。
「……っ、もう授業が始まる。俺は教室に戻る」
「あ、私も行きます! 会長……好きですよ!」
「ああもううるさい、少し黙れ!」
怒鳴り散らして足早に廊下を歩いていくロイドだが、振り向かないその後頭部から覗く耳の先は、まだ茹でダコのように真っ赤なままだった。
「待ってくださいよ会長ー! 一緒に行きましょう!」
今日の告白に対する明確な断りの言葉は、ついに最後まで出なかった。
その事実に特大の勝ちどきを上げながら、エリスは弾むような足取りで、愛しの生徒会長の背中を追いかけるのだった。
◆
あの日、身分差という最大の障害を粉砕してから、さらに数週間後。
エリスの告白は相変わらず続いていた。
だが、明確な変化が一つある。
ロイドが「断る」と即答しなくなったのだ。
代わりに「はいはい、仕事しろ」と呆れたように話を逸らされるか、完全に聞こえなかったふりをされるかの二択になった。
しかし、スルーしている時の彼の耳の先がいつも微かに赤いことを、エリスは見逃していなかった。
そんなある日の放課後、エリスはいつものように生徒会室の扉を元気よく開け放った。
中にはロイドしかおらず、エリスの気配を感じたロイドはゆっくりと手元の書類から顔を上げる。
頬にはわずかに赤みが差し、きっともう一押しでロイドを陥落させられると意気込むエリスは、今日も全力で告白する。
「会長! 今日も好きです。私と付き合ってください!」
日課にして至高の挨拶である。
と、ここでロイドは、先ほどまで走らせていたペンを止めると、ゆっくりと口を開いた。
「……分かった」
「はい、本日も私の告白はさらっとなかったことにされちゃいましたね。ではさっそくこちらの書類の確認を――」
いつものように華麗にスルーされたと思い込み、エリスが傍にあるファイルを開きかけた、その時だった。
「…………え?」
数秒遅れて、脳が音の情報を処理する。
エリスは震えながらパタンとファイルを閉じ、ぎこちない動きでロイドを見た。
「あの、会長。今、なんと、言いました?」
あまりにも自分が望みすぎていたせいで、ついに脳が都合のいい幻聴を作り出してしまったのだろうか。
消え入るような声でそう尋ねたエリスに対し、それよりも小さな声でロイドが答える。
「分かったって言ったんだよ」
「っ、な、なな、何がです、か……?」
「だから……っ、エリス、お前と、付き合う」
静かな生徒会室に、ロイドの少しぶっきらぼうな、けれどはっきりとした声が響く。
エリスは完全に固まった。
――この半年間、毎日毎日あれほど全力で押しまくっていたのに、いざ受け入れられると言われると、エリスは途端にあわあわと動揺する。
「え、えっ? ほ、本当に? ドッキリとか冗談とか、嘘、ではなく?」
「嘘でこんなこと言うかよ」
呆れたようにため息をつくロイドだが、耳の先まですでに赤い。
彼はエリスから視線を逸らすと、どこか落ち着かない様子で口元を片手で覆った。
「う、嬉しすぎます……っ! ああ神様、お父様お母様、私、ついにやりました! 生きててよかったです!」
あまりの幸福感に視界が滲み、両手で顔を覆って歓喜の声を上げるエリス。
そんな彼女を見てロイドは少しだけ目を細め、それから真面目なトーンで告げた。
「ただし……一つだけ、頼みがある」
エリスはビクッと肩を揺らした。
例えば毎日の告白をやめろと言われるのか。
いや、両想いになったとしても日々の愛の言葉は伝えたいのだが、ロイドが嫌だというのなら受け入れるしかない。
もしくは、恋人らしいことは一切しないという塩対応の継続だろうか。
それとも、手繋ぎは一ヶ月に一回までといった、彼らしい真面目すぎる制限ルールだろうか。
身構えるエリスに対し、ロイドはさらに顔を赤くして、そっぽを向いたまま言った。
「二人きりの時は……その、会長って呼ぶのをやめろ」
「……え?」
「っ、名前で呼べ。……恋人、なんだから」
「――――っ!?」
エリスの脳内で、何かが致死量の爆発を起こした。
一気に顔から火が出たように熱くなり、心臓が早鐘のように打ち鳴らされる。
あまりの威力にエリスは持っていたファイルを落とし、そのままその場にへなへなとしゃがみ込んでしまった。
「お、おい、 どうした!?」
「きゅ、急なデレは……死にます……っ、嬉しいけど、寿命が、寿命が縮む……」
「お前普段あんなにガンガン来てたくせに、なんでそこまで防御力低いんだよ!」
「だ、だって……こんなの反則です……!」
両手で顔を覆い、うずくまるエリス。
が、そんな彼女の反応を見て、ロイドは自分が優位に立ったことを悟ったのか、少しだけ意地悪そうな笑みを浮かべて、しゃがみ込んだエリスの顔を覗き込んできた。
「で?」
「……っ」
「名前で呼んでくれねぇの?」
破壊力抜群の至近距離での追撃である。
エリスは心臓を強く押さえながら、茹でダコのように真っ赤な顔の隙間から、消え入りそうな声で呟いた。
「ロ、ロイド、様……」
その瞬間、ロイドが初めて、普段の彼からは想像もつかないほどにひどく柔らかな笑顔を見せた。
それに加えて、エリスの頭を優しくポンと撫でる。
「よくできました」
「――〜〜〜〜ッ!!」
エリスの意識は、そこで完全にホワイトアウトした。
「は? エリス!? おい、しっかりしろ! 嘘だろ、本当に気絶したのか!?」
慌ててエリスを抱き上げ、保健室へと走っていくロイド。
……ちなみに二人のやり取りは、空気を読んで中には入らず、廊下でこっそりのぞき見していた他の生徒会役員たちにばっちり見られていた。
「……なあ、毎日あれだけ押し倒す勢いだったのに、会長が一度押し返しただけで倒れたぞ、あの子」
「攻撃力全振りで、防御力ゼロだったんだな……」
と、呆然と二人の背中を見送るのだが、そんなことを当の二人は知る由もなかった。
そして十分後。
保健室のベッドで目を覚ましたエリスの隣には、椅子に座って腕を組むロイドの姿があった。
「目が覚めたか」
「……あ、会長?」
「名前」
「ま、まだ心の準備がですね……」
「半年間毎日告白してきた奴が、いつまで準備してんだよ」
呆れたように笑う彼に急かされ、エリスはシーツをぎゅっと握りしめた。
「ロ、ロイド、様……」
「様はいらねぇ」
「っ、ロイド……」
「ん」
エリスが絞り出した声に、ロイドが満足そうに目を細める。
エリスはまた顔を爆発させそうになったが、今度は気絶せずにしっかりと耐え抜いた。
もはや意地である。
あと、エリスを見つめるロイドの顔を、一秒たりとも見逃したくないという欲が働いたことも関係している。
ここで色々と吹っ切れたエリスは勢いよくベッドから身を乗り出すと、ロイドの手を両手でしっかりと握りしめた。
「ではロイド! 私と結婚してください! すぐ、そう、今すぐに!」
「付き合った初日に話を進めるな!」
「でもお婿さんになる覚悟は、早めに決めておいたほうがいいですよ? あ、安心してください。うちの両親には、すでにロイドが婿入するって確定事項で話はしてあるので反対されません!」
「なんで俺が返事する前に話進めてんだよ! ……まあ、その、せめてお前が卒業するまで待ってくれ」
「えっ? それは、卒業後ならいいという意味ですか!?」
「公爵家の跡取りのエリスの隣に立つなら、色々と準備がいるだろ」
ロイドはバツが悪そうに視線を泳がせ、ポリポリと頬を掻いた。
「貴族の礼儀作法やダンスの教本も読んで、その、実は猛特訓してるんだが……あれ、難しすぎないか? 普通の勉強と比べて、全然頭に入ってこないんだけど」
「……えっ」
「だから、完璧にエスコートして、誰の目から見てもお前の隣にふさわしい男になれるまで、もう少しだけ時間をくれ」
「――――〜〜〜〜ッ!!」
特大の不意打ちだった。
エリスはロイドの手を握ったまま、限界突破した心臓を抑え込んでベッドの上で悶絶した。
「おい、また気絶するなよ!?」
「しません! 嬉しすぎて死にそうですけど耐えます。……ああもう、本当に好き。そういうことなら、私が手取り足取りご指導いたしますね!」
「……お手柔らかにな」
「はい! まずは物理的な距離に慣れるための手繋ぎから! そしてハグ、ゆくゆくはキスを――」
「うるせぇ! さっきから欲望垂れ流しすぎなんだよ!」
「ですが色々と決めておいた方がいいというかですね……」
「エリスお前マジで少し黙ってくれないか……!」
耳を真っ赤にしてそっぽを向くロイドを見て、握った手は離さないまま、ベッドの上で満面の笑みを咲かせたエリスは、ロイドをじっと見つめる。
「で、確認なんですが、ロイドは私のことが好きってことでいいんですよね?」
「っ……だ、大体察しろよ。言わなくても分かるだろ」
「嫌です! ちゃんと好きって言ってくれるまで離しませんよ!」
「…………」
無言で抵抗していたロイドだったが、やがて諦めたように息を吐くと、視線をエリスに向ける。
そして――自分で言わせたにもかかわらず、真正面から答えを聞いたエリスがその破壊力に再び気を失ったのは言うまでもない。
こうして、平民特待生の生徒会長へ向けた、エリスの『告白(片思い)』は終わりを告げた。
代わりに翌日からは、「会長おはようございます! 今日も大好きです! 愛しています!」という、エリスの恋人への果てしない愛の言葉が学院中に響き渡ることになり、ロイドが振り回される未来が待っているのだった。




