いつもの日常
「ひ、ひょえ〜!」
朝の仕込みをしていた俺の背後で、間の抜けた悲鳴が上がった。
振り返った先に立っていたのは、その声に負けず劣らず、とんでもない格好をした彼女だった。
先程まで重厚なローブに包まれていたはずの中堅魔法使いは、今やほとんど紐のような……服?を、申し訳程度に身にまとっているだけである。
……いや、ちょっと待て。なんでこうなる。
「……あー、何があった?」
できるだけ視線を逸らしつつ、俺は棚から貸出用の寝巻きを取り出して差し出した。正直、直視するのは色々とまずい。
「いや、絶対おかしいんですよ!」
寝巻きを抱え込みながら、彼女は必死に訴えてくる。
「構築してた魔法陣の調整やってたら、なんかピカってなって……で、気付いたらこれですよ!?」
……やっぱり、今回も例の”アレ”が絡んでいる気がするな。
「この宿はとってもいいところだと思うんですけど……ここだけが難点なんですよねぇ。店主さん、この現象、なんとかなりませんか?」
何度も繰り返された質問に、俺はいつもの答えを返す。
「まぁ、前にも言ったけどさ。俺にどうにかできることでもないんだよね。……それに、その分、仕事も増えてるし」
言いながら、内心では少しだけ申し訳なくも思う。
実際、服を貸し出す程度で済むなら、まだ安いものだ。前に風呂場の水道が壊れた時なんて、それこそ一週間、戦場みたいだったしな。
そのとき、二階の客室の方から、ばたばたと慌ただしい物音が聞こえてきた。どうやら、さっきの彼女の叫び声で、他の宿泊客も次々と目を覚ましたらしい。
「……さて。今日も一日、やっていくか」
小さく息を吐き、俺は仕事モードに頭を切り替える。
部屋の掃除に、朝食の仕込み、備品の確認。やることは山ほどある。
この宿は、王都とダンジョンと港町をつなぐ街の中継点にある。その分、客足は多く、忙しさも並じゃない。
……まあ、そのおかげで、こういう”事件”も起きやすいわけだが。
俺はふと、胸の奥に引っかかる、遠い昔の記憶を思い出す。
――子どもの頃、森で出会った、不思議な女性。神様みたいで、でもどこか頼りなくて。
あれ以来、どうにも俺の周りでは、ちょっと妙なことが起きる。
「……考えても仕方ないか」
今さらどうこうできる話じゃない。
俺のやるべきことは一つだ。この宿を、ちゃんと切り盛りすること。客に安心して泊まってもらえる場所にすること。それだけだ。
「よし。今日も、しっかり働こう」
そう呟いた直後、玄関の方から、びしょ濡れの足音が聞こえてきた。
「す、すみませーん……! ちょっと、転んじゃって……」
振り向いた先に立っていたのは、濡れた服が肌に張り付き、すっかり透けてしまっている見知らぬ女性客だった。
……ああ。やっぱり今日も、平穏無事とはいかないらしい。




