10.ベルンハルト公爵家と新聞
暖炉に火がともされる季節が来て、わたくしとラファエルお兄様はベルンハルト公爵家に行くことになった。一泊二日だが、アルベルト様と一緒に過ごせるのは嬉しい。
出かける前にミカに伝えたのだが、ミカは泣き出してしまった。
「みーも! みーも!」
「ミカエルは行けないのだよ。お留守番だ」
「みーもぉ! びええええ!」
大声をあげて泣くミカは、お留守番が嫌でたまらない様子である。
ミカも連れて行ってあげたいのだが、二歳ではベルンハルト公爵家も困ってしまうだろう。
「ミカ、連れて行けなくてごめんなさい。ミカがもう少し大きくなったら、一緒に行きましょう」
「やー! みーも!」
ひっくり返って泣いてしまったミカをオレリアさんが抱っこして宥める。嫌がって反り返って暴れるミカに、オレリアさんがそっとわたくしとラファエルお兄様に伝える。
「今のうちに行ってくださいませ。ミカエル殿下はこちらで落ち着いてもらいます」
「ミカ、ごめんなさい」
「ミカエルには美味しいお土産を持って帰るよ。ごめんね、ミカエル」
ミカに謝ってわたくしとラファエルお兄様は出かけることにした。
荷物を入れたトランクは馬車に積みこまれているので、後は乗るだけ。わたくしが馬車の高いステップを上がろうとすると、ラファエルお兄様が自然と手を差し伸べてエスコートしてくれる。
前回馬車に乗ったのは一年前の今ごろで、同じくベルンハルト公爵家に行くためだった。
あのとき、わたくしは馬車が怖かった。
前世でわたくしは馬車を襲撃されて死んでしまった。
馬車に乗るとそのときのことをどうしても思い出してしまう。
ラファエルお兄様が乗り込んできて、わたくしが震えているのに気付くと、ラファエルお兄様はわたくしをお膝の上に抱き上げてくれた。
「馬は大きいし、馬車は高いから怖いよね。セラフィナ、わたしがいるから大丈夫だよ」
「お兄様……」
まだ小さなわたくしは馬車の大きさや馬の大きさに怯えていると思われているようだったが、本当は違う。それをわたくしはラファエルお兄様に伝えるつもりはなかった。
ラファエルお兄様のお膝も抱き締める腕も優しく温かい。
ほっとしていると、ラファエルお兄様がわたくしの髪を撫でた。
前まではふわふわだったのに、今はわたくしの髪は真っすぐになっている。さらさらと音を立てそうなくらい真っすぐで美しい銀色の髪は、お母様に似たのだった。
ラファエルお兄様は少し癖のある赤い髪を短く切っている。
わたくしは生まれたときから髪を切ったことがないので、背中まで届く真っすぐの髪の毛先の方が少しふわふわとしていた。
「ミカエルには可哀そうなことをしてしまったね。ミカエルも四歳くらいになったら一緒に行けるのだろうけれど」
「四歳まで後二年……ミカは来年も泣きそうですね」
「そうだね。ミカエルが泣いているとわたしも心が痛む」
ラファエルお兄様はわたくしのこともミカのこともとてもかわいがってくれている。ミカが泣いているのを見たら、それはつらいと思うだろう。
わたくしも、ミカが泣いているのを見ると心が痛む。
「帰ったらミカをたっぷりと甘やかしてあげましょう」
「セラフィナも小さいのだから無理をしないで。弟妹を甘やかすのはわたしの役目だよ」
「わたくしもミカの姉です」
話していると馬車の怖さを忘れてくる。
馬車は石畳の帝都を揺れながら進んでいった。
ベルンハルト公爵家のタウンハウスは宮殿から近い場所にある。広い敷地と広い庭を備えたベルンハルト公爵家の玄関まで馬車は進んで、わたくしたちを降ろしてくれた。
荷物はベルンハルト公爵家のメイドが運んでくれる。
「ようこそいらっしゃいました、ラファエル殿下、セラフィナ殿下」
「アルベルトも待っていますわ」
「お世話になります、叔父上、叔母上」
「よろしくお願いします、叔父様、叔母様」
ベルンハルト公爵家の叔父様と叔母様が出迎えてくれて、わたくしたちは客間に通された。客間でコートやマフラーを外し、わたくしは温かなカーディガンを羽織って食堂に向かった。
食堂では叔父様と叔母様とアルベルト様が揃っていた。
「アルベルト、今日はよろしくね」
「こちらこそ、ラファエル、セラフィナ」
「アルベルトお兄様、今日はよく晴れて、星が見えるそうですよ」
「今夜は少しだけ夜更かしをして、一緒に星を見ようか」
アルベルト様に誘われて、わたくしは喜んで頷いた。
昼食を食べてから、アルベルト様の部屋で過ごすことになった。わたくしはアルベルト様にお願いしていた。
「わたくし、かなり難しい単語も読めるようになったのです。それで、読んでみたいものがあるのですが」
「なにかな、セラフィナ」
「新聞です」
宮殿では新聞を手に入れることはできなかったが、ベルンハルト公爵家では新聞が手に入るのではないだろうか。わたくしが期待していると、アルベルト様はちらりとラファエルお兄様の顔を見た。
ラファエルお兄様は頷き、許可をしている。
「今日の新聞だけではよく分からないこともあると思いますので、数日分読んでみたいです」
「すぐに用意させるよ」
アルベルト様はメイドに命じて新聞を持って来させていた。
アルベルト様とラファエルお兄様がボードゲームをしている間に、わたくしは新聞を読ませてもらう。
新聞には皇帝であるお父様がどんな政治をしているかなど興味深いことが書かれていたが、わたくしが探している記事は決まっていた。
ルナール男爵の裁判の記事と、セルフィナ伯爵家の関与の記事だ。
数日分の新聞を読んでいると、ルナール男爵の記事は小さいけれどなんとか見つかった。
『ルナール男爵、ベルンハルト公爵家の嫡男の暗殺に関わり、裁判にかけられる。判決はルナール男爵家のお取り潰しと、北の大地での強制労働。ルナール男爵はセルフィナ伯爵家との関与を証言すると裁判官と交渉して、減刑を図っている』
まだ裁判は続いているのだろう。
ルナール男爵がセルフィナ伯爵家との繋がりを口にすれば、セルフィナ伯爵家も裁きの場に出て来なければいけない。
そこから裁判はまだ進んでいないようだ。ルナール男爵と交渉中なのだろう。
「セラフィナ、何か面白い記事があったかな?」
「あの、えっと、競馬って何ですか? 馬を走らせるのですか?」
「競馬に興味を持ったのか。新聞を見せるんじゃなかったな」
「競馬は賭博ではあるけれど、馬はきれいだし、悪いものじゃないよ」
「セラフィナに賭博を教えてしまった」
競馬の記事が一面に来ていたので急いでそれについて問いかけると、ラファエルお兄様はいい顔をしていなかった。競馬は馬を使った賭博のようだ。偶然一面に記事があったので聞いてみたが、ラファエルお兄様はわたくしに賭博を教えたくなかったようだった。
「競馬は馬を走らせて順番を当てる賭博だよ。当たれば配当金が支払われる」
「一等を当てるのですか?」
「一等と二等と三等を当てたり、一等だけを当てたり、色んな賭け方がある」
アルベルト様は競馬について詳しく教えてくれた。ラファエルお兄様は競馬をあまりよく思っていない表情で聞いている。
「競馬……一度見てみたいです」
「セラフィナには似合わないよ」
「馬を見たいのです」
学園の体育祭のときにアルベルト様は乗馬で参加していた。あのときのアルベルト様はとても格好よかった。
馬という生き物が美しいのだとわたくしに教えてくれた。
「セラフィナが新聞を気に入ったのなら、家庭教師に頼んで新聞を読めるようにしてもらったらどうかな?」
「アルベルト、新聞にはセラフィナにはよくない記事も載っている」
「セラフィナのことを守りたい気持ちは分かるけれど、セラフィナも世界を知らなければいけないと思うよ、ラファエル。いつまでも守られているだけではよくない」
アルベルト様とラファエルお兄様の意見は対立しているように見えるが、どちらもわたくしのことを考えてのことだと分かる。
「宮殿に帰ったら、家庭教師に言ってみよう」
「ありがとうございます、お兄様」
結局折れたのはラファエルお兄様だった。
わたくしはアルベルト様に感謝しつつ、今後もルナール男爵家の情報が入ってきそうだと思っていた。
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