10.エリカとアルベルト
冬が近づき、日に日に風が冷たくなってきている。
わたくしはエリカと一緒に庭にお散歩に出ていた。乳母車に乗せられたミカも一緒だ。
エリカは力強く土を蹴って走り回っている。
世話係が教えてくれたが、エリカはまだ一歳半の若い雌犬で、たくさんの運動が必要だという。
見えなくなるまで遠くには行かないが、生け垣で区切られている子ども部屋用の庭の端まで走って、エリカは戻ってくる。戻ってきたエリカに、世話係が水をあげている。
「ゆき、つもったら、エリカたん、おそと、め?」
「雪が積もっても狼犬は寒さに強いので外で散歩させますよ。セラフィナ殿下は部屋で待っていてもいいです。わたしが責任をもって連れて行って、連れて帰ります」
走ってきたエリカの吐く息が白くなっている気がする。
雪が積もり始めるのももうそろそろだろう。
世話係に話を聞いて、わたくしは頷いて理解したことを伝えていた。
エリカには午前と午後のお散歩が必要だが、わたくしは午前だけ一緒に行く。午後はわたくしがお昼寝をしている間に世話係が連れて行っているのだ。
狼犬の健全な育成には運動が欠かせないようだった。
エリカが世話係に足を拭いてもらって子ども部屋に戻ってくると、わたくしもルームシューズに履き替えて、ミカと一緒に子ども部屋に戻る。
ルームシューズは布でできていて、柔らかくて履き心地がいい。
ミカも歩くようになったらルームシューズを履くのだろうが、それがどれだけ小さいかと考えると、ミカの成長が楽しみなような、ゆっくり大きくなってほしいような複雑な気分になる。
わたくしは前世の記憶があるので、とにかく自分の力で動きたかったし、話せるようにもなりたかったが、ミカはどうなのだろう。
お散歩から帰って疲れてベビーベッドで眠るミカを覗き込んでわたくしは考えていた。
ミカは普通の赤ん坊に見えるが、わたくしのような例がないわけではないのだ。
ミカにも前世の記憶があったらどうしよう。
わたくしは前世の記憶など生涯誰にも言うつもりはなかった。そんなことを言っても誰も信じてくれないと分かっているからだ。
最近のわたくしのお気に入りは、寝そべるエリカを背もたれのようにして座って、絵本を読むことだった。エリカは大人しくしているし、とても温かくていい匂いがする。
エリカに寄りかかっていると、エリカもリラックスしているようで、わたくしは心地いいのだ。
絵本を読んでいるうちに眠ってしまったようで、わたくしはベッドで目を覚ました。ベッドの横にはエリカが寝そべっている。
狼犬の寿命はよく分からないが、わたくしはエリカがずっとそばにいてくれればいいと思っていた。
アルベルト様が子ども部屋を訪ねてきたのは、粉雪の降る日だった。学園は週末で休みで、ラファエルお兄様も一緒にいた。雪は積もるほどではないが、しんしんと降っている。
「犬を飼ったとお聞きしました。会わせていただけますか?」
「いらったいませ、アルベルトおにいたま。このこ、エリカでつ」
わたくしがエリカを紹介すると、アルベルト様が琥珀色の目を一瞬見開いた。
なにかおかしなことを言ってしまっただろうか。
わたくしが首を傾げていると、アルベルト様が目を伏せた。長い睫毛がアルベルト様の白い頬に影を落とす。
「エリカ……小さなかわいい花をつける植物と同じ名前ですね。亡くなったわたしのメイドが好きな花でした」
そうだった。
わたくしはエリカの花が好きで、庭で咲いているところを見たらアルベルト様に教えに行っていた。ラファエルお兄様が狼犬の名前の候補で「エリカ」と言ったときに、その名前に決めようと思ったのも、エリカの花が浮かんだからだった。
「わたしが名前の候補を出して、その中でセラフィナが選んだんだ。偶然だと思うよ」
「そうですね。すみません、思い出してしまって」
ラファエルお兄様が言うのに、アルベルト様は伏せた睫毛を持ち上げて、琥珀色の目でわたくしを見つめていた。紹介されたエリカは撫でてもらえるのかとアルベルト様の足元で尻尾を振っている。
「アルベルトおにいたま、エリカたん、なでなでちてくだたい」
「撫でてもいいのですか?」
「あい」
エリカが待っているのでわたくしが促すと、アルベルト様が最初はおっかなびっくりといった様子でエリカを撫でる。エリカが喜んでぐいぐいと体を押し付けてくるので、そのうちに両手でわしわしと豪快に撫でていた。
「かわいいですね。大きいので怖いかと思っていました」
「エリカたん、かわいーの」
「とてもかわいいです」
エリカはすぐにアルベルト様に懐いた様子だった。アルベルト様とわたくしとラファエルお兄様にジャーキーの欠片をもらって、ガジガジと噛んで嬉しそうにしている。
「アルベルト、来ていたのか。セラフィナが誕生日に犬をほしがったから、プレゼントしたんだ」
「伯父上、お邪魔しています。セラフィナが犬を飼ったと聞いたので見に来ました」
「ラファエルにはもっと小さい犬がよかったんじゃないかと言われたが、セラフィナを守るのだから、世界一強い犬でないと困るからな」
お父様がアルベルト様が子ども部屋に来ているのを聞いて、来てくださったようだ。笑いながらアルベルト様に説明しているお父様にわたくしは気付く。
エリカに最初に会ったときに、大きさに驚きすぎて、わたくしはお父様にお礼も言っていなかった。
「おとうたま、わたくち、エリカ、おおきくて、びっくりちたのでつ」
「小さい犬の方がよかったかな?」
「エリカ、かわいーでつ。ありがとうございまつ」
改めてわたくしがお礼を言えば、お父様は金色の目を細めて微笑む。
「セラフィナが気に入ったのだったらよかった。アルベルト、セラフィナはラファエルとわたしの色だと言って、エリカに赤い首輪を選んだのだよ」
「それで、エリカは赤い首輪をつけているのですね。とてもよく似合っています」
嬉しそうにアルベルト様に話すお父様に、アルベルト様はエリカの首元を確認して頷いていた。
ミカが泣き出したので、エリカはミカを抱くオレリアさんの方に行って、わたくしたちはティールームに移動した。
ティールームにお父様がご一緒するのは珍しいのでわたくしは嬉しくて、ティールームに行く廊下をお父様と手を繋いで歩いた。宮殿内は広すぎて、わたくしは小さくて視野も狭いので、まだどこがどこだかよく分かっていない。
何度も行っているティールームも連れて行ってもらわなければ道順が分からない。
宮殿内でこれなのだから、わたくしは宮殿の外に出るようになったらもっと大変なのではないだろうか。
それまでには子ども部屋やティールームの位置関係くらいは把握しておきたいと考えていた。
「父上、セラフィナはいつごろ一人部屋になりますか? 一人部屋になったら、わたしの部屋の横がいいです」
「一人部屋にするのは、五歳になったころくらいかな」
「セラフィナの部屋のカーテンもベッドカバーも、かわいいものにしましょう」
ラファエルお兄様とお父様の話しているのを聞いて、わたくしは五歳になるころには子ども部屋から一人部屋に移されることを知った。
前世では物心ついたときには屋根裏部屋で一人で寝ていたので、一人で寝ることに関してはそれほど恐怖はないが、普通の家庭では五歳にもなると一人部屋に移されるのかと知って驚いてしまう。
ミカと一緒の子ども部屋にいられるのは、後二年くらいしかないということだ。
「おにいたま、アルベルトおにいたま、ひとりべや、いくつ?」
「わたしも五歳くらいだったと思うよ」
「わたしもそうですね」
ラファエルお兄様とアルベルト様に聞いてみると、五歳くらいで一人部屋になったと教えてもらえる。
子ども部屋にはお手洗いや、子ども用のお風呂がついているが、一人部屋にはついているのだろうか。わたくしは皇帝の娘だからどんな一人部屋が用意されるのかも想像がつかない。
アルベルト様のメイドだったころに、アルベルト様の部屋の片づけをしたり、一緒に勉強をしたりしていたが、アルベルト様の部屋はとても広かった。勉強をする部屋と、寝室と、ソファセットがある部屋が繋がっていた。
アルベルト様であの広さなのだから、皇女ともなるわたくしはもっと広いのかもしれない。
「今年の初苺を持ってきましたよ。どうぞ、召し上がれ」
ティールームに行くと、艶々の苺を半分に切ったものが出されて、わたくしはフォークでそれを刺して口に運んだ。甘酸っぱくて美味しい。
「エリカたん、いちご、たべれまつか?」
「エリカはどうだろうな」
「世話係に聞いてみようね」
この美味しさはミカには当然届けられるだろうが、犬が苺を食べても平気なのか分からなかったわたくしがお父様に聞けば、ラファエルお兄様が世話係に聞いてくれるようだった。
「おいちいね。アルベルトおにいたま、ありがとうございまつ」
「どういたしまして」
アルベルト様にお礼を言って口いっぱい苺を頬張ると、アルベルト様は微笑んでくれた。
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