2.セラフィナ、四か月
わたくしがセラフィナとして生まれてから数か月が経った。
お父様とお母様とラファエルお兄様は毎日わたくしに会いに来てくれる。お母様は手が空いているときにはわたくしにお乳も飲ませてくれる。ミルクと違ってお母様のお乳はわたくしの体に合うのか、たくさん飲んでしまって、抱っこされているのも心地よくてわたくしは眠ってしまう。
お父様はわたくしをお風呂に入れてくれることがある。バスタブに袖を捲った腕を挿し入れて、わたくしの体を洗ってお湯の中に浸からせてくれる。
ラファエルお兄様は、お父様とお母様から「気が早い」と言われながらも、わたくしに絵本を読んでくれた。
生まれてから四か月が経つころには、わたくしはかなり目も見えるようになってきた。
お父様の逞しい格好よさと、お母様の圧倒的な美しさと、ラファエルお兄様の美少年ぶりに驚きながらも、この三人と血が繋がっていて、「かわいい」と繰り返し言われるわたくしももしかするととてもかわいいのではないかと思ってしまいそうになる。
前世と全く違って、お父様とお母様は愛し合っていて、ラファエルお兄様のこともわたくしのことも愛してくれていて、家族仲は非常に円満だった。
「セラフィナはセレナに似てとてもかわいいな。かわいすぎる。嫁にはやれないな」
「ヘリオドール様、何を仰っているのですか。セラフィナはまだこんなに小さいのですよ」
「いや、こんなにかわいいのだから、いつ結婚の申し込みが来てもおかしくはない。セラフィナは誰にも渡さん!」
お父様は若干親ばか気味であるし、「同感です」と言っているラファエルお兄様も兄バカ気味である。
わたくしと同じ銀髪に菫色の瞳のお母様はそれを聞いて苦笑していた。
わたくしは前世でこんなに小さなころの記憶はなかったが、家族とはこんなに温かなものだっただろうか。
前世では両親は夫婦仲が冷え切っていたし、父は愛人がいて、その子どもを親戚の子どもなどと偽って家を継がせようとしていた。わたくしは父に取って邪魔でしかなく、ベルンハルト公爵家に売られるように奉公に出されたのも仕方がないことだった。
今世では逆に、わたくしをどこにもやらないとお父様もラファエルお兄様も言っている。
わたくしは家族に愛されている幸せを噛み締めていた。
ラファエルお兄様は一度だけアルベルト様を連れてきてくれたが、それ以降はアルベルト様を連れてくることはなかった。あの後、ラファエルお兄様はお父様とお母様に怒られたようなのだ。
「セラフィナはまだ小さいのです。他のひとに接触すると病気をもらう可能性があります」
「セラフィナが一歳になればお披露目をするつもりだから、それまでは待つように」
わたくしは一歳になればお披露目をされる。
そのころにはわたくしは少しは話せるようになっているのではないだろうか。
今はまだ「うー」とか「あー」とか「あだー」とか、喃語しか話せない。
十五歳の知識があるだけにわたくしは非常にもどかしかった。
「セラフィナ、お兄様が抱っこしてあげようか?」
「あー」
抱っこに関しては、両腕を広げて意志を示すことができる。ジェスチャーで物事を伝えようともしてみたのだが、わたくしの体はなかなか自分の思い通りに動いてくれない。
赤ん坊の体というのはこんなにも不便だとは知らなかった。
ラファエルお兄様に抱っこされると、視界が広くなって周囲がよく見える。ラファエルお兄様の格好いいお顔もよく見えて、わたくしが手でラファエルお兄様の頬に触れると、ラファエルお兄様が嬉しそうに微笑んでくれる。
「セラフィナがわたしの顔に触りました」
「お手手が上手に使えるようになったのですね」
「爪が少し伸びていないか? 傷を付けるかもしれない。わたしが切ってあげよう」
ラファエルお兄様からわたくしを受け取ったお父様が、わたくしを膝の上に乗せて、小さなハサミ型の爪きりでぱちんぱちんとわたくしの爪を切る。丁寧にやすりをかけて、滑らかに仕上げて、お父様は満足そうにわたくしをお母様に渡した。
赤ん坊の爪というのは薄くて意外と鋭利なので、伸ばしていると自分の肌をうっかりと傷付けることもあるし、ラファエルお兄様やお父様やお母様を傷付けることもあるので、切ってもらえたのは助かった。
「陛下、わたくしが致しますのに」
「セラフィナのことは何でもわたしがしてやりたいのだ」
申し出る乳母に、お父様は笑み崩れながら言っていた。
わたくしはとても幸せなのだと思う。
でも、どこかで、わたくしを失ったアルベルト様の姿がわたくしの心に引っかかっていた。
生まれ変わった新しい人生を過ごしていきたいのだが、アルベルト様は前世のわたくしが死んだ後でどうなったかどうしても気になる。
一度だけ会ったアルベルト様は、ラファエルお兄様の学友になっていたようだが、とても沈んだ声をしていた。幸せそうには思えなかった。
死んでしまったメイドのことなど忘れて幸せになってほしいのに、わたくしはそれを言うことができない。
赤ん坊なのでまだ喋れないということと、わたくしがアルベルト様のメイドだったクラリッサの生まれ変わりなどといって信じてもらえるはずがない。
アルベルト様はわたくしがお屋敷に来た最初のころ、よく庭に逃げ出していた。
まだ七歳だったアルベルト様は、自分の感情を制御できず、両親が忙しいので寂しかったのか、よく沈んだ顔をしていた。外に走り出ると、アルベルト様はいつも逃げ込む茂みがあった。
最初のときはとても探すのに苦労したが、アルベルト様がその茂みに隠れることを知ってから、わたくしはアルベルト様が落ち着くまで待って、茂みにアルベルト様を迎えに行った。
迎えに行くとアルベルト様はわたくしの手を握って、部屋まで戻ってくれた。
公爵家の一人っ子で嫡男のアルベルト様は幼いころから勉強やマナーを教える家庭教師がついて、自由がなかった。そんな中で両親も忙しく、自分が愛されてるかアルベルト様は分からなくなっていたのだ。
「父上と母上は、ぼくが嫌いなのだろうか」
茂みの中で膝を抱えて小さく呟いたアルベルト様。
両親に愛されたことがなかったからこそ、アルベルト様の悲しい呟きはわたくしの心に響いた。
「アルベルト様はきっと愛されています」
「父上も母上も、ずっとぼくに会ってくれない」
「お忙しいだけです。お会いになりたいと思っていると思います」
「そうだったらいいけれど」
小さな七歳のアルベルト様はひたすらに寂しかった。
だからこそ、十二歳のわたくしに懐いて、わたくしがいるときには庭に逃げないようになっていた。
アルベルト様をお助けしたい。
その一心で、アルベルト様の手を引いてわたくしは旦那様と奥様の部屋に行った。
「旦那様、奥様、アルベルト様とお話をしてください」
わたくしのような年若いメイドの声にも、旦那様と奥様は耳を傾けてくれた。
「アルベルト、何か話したいことがあったのかな?」
「アルベルト、どうしましたか?」
旦那様と奥様の前で、アルベルト様は泣いてしまった。美しい琥珀色の瞳からぽろぽろと涙が零れる。
「父上と母上は、ぼくが嫌いですか?」
「そんなことはない」
「アルベルト、忙しくてあなたを放っておいてすみませんでした」
「アルベルト、お前を愛しているよ」
抱き締められて、アルベルト様は必死に涙を拭いていた。
その日以来、アルベルト様は変わった。
わたくしと授業が一緒に受けられるように両親に交渉して、両親に愛されている自信を持って、生きられるようになった。
アルベルト様は寂しい幼子ではなくなったのだ。
アルベルト様のおそばでずっとお仕えすることがわたくしの望みであり、喜びだった。
アルベルト様のことは弟のようにかわいいとずっと思っていた。
馬車が襲われたとき、アルベルト様を庇って死んでしまったことに後悔はないけれど、アルベルト様がそのことを気にしているのではないかということは心配だった。
「うー、あだー」
「セラフィナ、かわいい声を上げてどうしたのかな?」
「セラフィナ、髪の毛が伸びてきましたね。リボンで結びましょうか」
アルベルト様に会いたい。
そう言おうとしても、わたくしは喋ることができない。
伸びてきた髪を頭頂部で結ばれて、わたくしはお父様とお母様とラファエルお兄様に絶賛されただけだった。
「セラフィナ、かわいすぎる!」
「この髪型はとてもかわいいですね」
「わたし、セラフィナにリボンをプレゼントしたいです。こんなにかわいいんですから」
頭の上でちょこんと結ばれたリボンは、手を伸ばしても届きそうにない。
鏡を見たかったが、わたくしの希望を伝える方法がない。
「父上、セラフィナが一歳になったら、またユリウスとアルベルトを連れて来てもいいですか?」
「そうだな。一歳になったらな」
「あう!」
「セラフィナもお友達がほしいみたいですよ」
ラファエルお兄様がアルベルト様を連れてきてくれると聞いて、わたくしは声を上げて喜ぶ。喜ぶと勝手にきゃっきゃと笑い声が出てくるのが赤ん坊のようだ。笑っているわたくしをお父様とお母様とラファエルお兄様がうっとりと見つめている。
「天使のようだ」
「こんなかわいい女の子はいませんね」
「セラフィナ、大好きだよ」
何をしても絶賛される赤ん坊のわたくし。
一歳になればラファエルお兄様経由でアルベルト様に会えるかもしれない。
アルベルト様に前世のことは話せなくても、慰めることはできるかもしれない。
一歳になるまで残り八か月。
わたくしはその日が待ち遠しかった。
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