第8話 狩り
エルフの森は比較的魔物が少ないと以前、ユピテルから教わったことがある。
実際、数日過ごしてきた中で魔物と出会ったのは、あの黄色い鳥くらいだった。
雑木林の湿った落ち葉の匂いと緑のそよ風。動物の気配もない静かな森。弓を握りしめたままルナは一歩、一歩前へ足を進めていた。背後にあった野焼きの煙はずいぶん小さくなった。目を凝らしてみてもウサギの姿はどこにもない。
「いないのかも」
あまり遠くへ行っても目印を見失い、迷子になるかもしれない。煙がギリギリ見えるここが引き返しのラインだろう。ウサギ2匹と数でみれば少なく感じるものの、この広大な森で見つけるのは至難の業だとしみじみと思った。戻ろう、と足を翻した瞬間、目の端に小動物らしきものを捉えた。
100メートルほど先の太めの針葉樹の下。ウサギと思われる小さな獣。ルナははっと身を屈め、観察した。だが、ウサギらしきものはルナが想像していた動物とは少し違っていた。
痩せこけた細身の体に少し硬質そうな毛並み、頭の上で腕を組み、足も片方にかけて上を向いて目を瞑っている。長めの耳はウサギの耳というより、狐のような耳。尻尾も長め。いびきを掻いているのか口が少し開いていた。
(異世界のウサギってこんな感じなのかな)
木にもたれかかった小動物は『可愛いウサギ』というより、口を開けて寝ている『臭そうなオジサン』そのものだった。
でも、これは幸いである。動き回るウサギを狩るより、寝ているウサギを一発で仕留める方が圧倒的に楽なのだ。やはり『運』がついている、そう思った。
流石に距離が離れているため、ルナは気配を押し殺して一歩一歩近づいた。できるだけ音を立てないようにして、なんとかウサギが寝ている木の近くに身を潜めることができた。その距離、約30メートル程。これならいけるかもしれない。そう確信し弓矢を引いた。
標的に当てたるよう、呼吸を整える。遠くで見た時よりもウサギの姿が鮮明に映った。青白い毛並みをしている異世界のウサギ。報酬は2匹で8000ルネ。
(…必ず仕留めて、宿に泊まる!)
ウサギの頭に矢先を向ける、ここだ。とルナは指を離した。
シュッと音が鳴った。
まっすぐに飛んだ弓矢がウサギの頭に刺ささろう、その瞬間、
『ぎゃあああああああああああああああああああ!!!!!』
ウサギが絶対発しないであろう、野太い叫び声が森中を駆け巡った。刺さったと思っていた矢はウサギの頭上に突き刺さっていた。外れたのである。
しかし、ウサギの頭にかすったのか、真ん中の毛並みが綺麗に一直線に刈り取られていた。ウサギは軽く失神しているのか小刻みに震えて動かない。
白目になり固まっているウサギの耳を掴んだ。
「捕まえた」
矢は当たらなかったものの、運よく捕まえることができた。このままユピテルの所まで持っていこう。
頭がハゲてしまったウサギは何とも滑稽だった。青白い毛並みから薄いピンクの頭皮が垣間見える。
「依頼には燻製にするって書いてあったから、毛くらい無くても大丈夫だよね」
◇◇◇
煙を目印して集合場所に戻ると、火の前で座り込むユピテルに声を掛けた。
「捕まえてきたよ!」
ブーっと何かを吹き出すユピテル。振り返り、ルナの手に目をやるとユピテルは驚愕した。
「おまえ…それ」
「ウサギ」
「ちげーよ!」
(え!?違うの!?)
じゃあ、これはなに?と聞くと、ユピテルはルナの手から獣を奪い上から下まで見下ろした。
「こいつは魔物だな」
「え。うそ」
「にしても、痩せこけていてなんだかキモイな」
『初対面でキモイとはいい度胸してるナ、人間』
青白い魔物は大きい黒目でユピテルを見つめた。思わず手を離すと魔物は軽々と地面に着地した。にこっと笑う魔物はどこか余裕そうな表情だった。はぁ~やれやれと呟くと、魔物は足で頭を掻いた。が、ふとその動きを止めた。
「あれ、オレ様の…?」
次は手で頭を撫でた。何度も確認しているのはそのハゲた部分。
『無い』と理解したのか、先ほどの余裕そうな顔とは打って変わって、鬼の形相でこちらを見た。
「貴様ら、オレ様の大事な髪をッ」
「髪じゃなくて毛だろ」
「毛とか言うナ!まるでオレ様が獣みたいじゃないか!」
「いや、獣だろ」とユピテルが言い放つと、魔物は似つかわしくない涙をポロポロと流した。
「こんなフェレットみたいな体になるし、エルフの女には追いかけられるし、ハゲになるし最悪ダ……」
『フェレット!?』
ユピテルと目が合った。青白いフェレットはこの魔物の事だ。まさかの1億ルネが目の前にいる。
「お、おい。魔物、そんなに『毛』が気になるなら俺が直すから、この中入れよ。」
差した先には檻があった。
「…なんで、檻やねン」
軽快なツッコミと不機嫌な顔をする魔物は続けて
「というか、オレ様の名前は『ヘルメス』だ。次から名前で呼べヨ」
どこか上から目線なヘルメスは少し人間臭いものを感じた。警戒心とか無いのだろうか、魔物であるはずのヘルメスからは殺意とかそういうものが無いように感じる。
「おい、人間。お腹空いたからなんか食わせろ。ここ何日も食ってないんダ。」
青白いお腹の毛並みをヘルメスは小さな手で撫でた。
「ここに入ったら食わせてやってもいいぞ」
「…だから何で檻やねン」
と、またもやツッコむが、相当お腹が空いていたのだろう、ヘルメスは仕方がないと言っておとなしく檻に入った。
ユピテルは近くに置いていた餌用のネズミを檻の中へ投げ込む。
「うわ~オレ様の大好物なネズミだ~って、食えるかッ!」
バシンと叩いたネズミは檻の隙間をスルリと抜けて地面に転がった。
「こいつっ!」
プイッとそっぽを向けるヘルメスにユピテルは檻を揺らした。
「うわわわわっ、可愛いオレ様に何するんダ!」
「フェレットはネズミ食うだろっ」
「オレ様はネズミなんて食わないっ。果物、いや魚でもいい、あと、飲み物はお酒がイイ」
「なんて、我儘なやつだ。きっとご貴族様に飼われていた高級ペットだな。さっさと引き渡そうぜ。」
え、ちょっと待て。と小さな檻の柵に手をかけてヘルメスは静止した。
「『引き渡すって』どういうこト?」
「そのまんまだ。飼い主に引き渡す。そして俺たちは報酬を貰って、高級宿に泊まる。」
「………もしかしてこの檻って……」
チラリと二人に目線を送るヘルメス。ルナは無意識に横目にして視線を避けた。
「た、助けてくれ。ここから出してくれ。食べ物はいらないからサ」
「さっきから思ってたけど、ヘルメス、お前魔物のくせに攻撃魔法使えないだろ」
小さな動物から見たこともないような汗が湧き出ている。
(……図星なんだ!?)
「そ、そんなことないぞ!こんな檻すぐに壊して貴様らを殺してやるんダ!」
「出てみろよ?そしたら次は速攻で、お前のあそこの毛無くしてやるよ、」
「薄情な奴!」
◇◇◇
朱色に染まるルネの街並み。夕暮れの空にカラスの鳴き声がした。
―ゴーン、ゴーン―
教会の鐘の音が街に響き渡る。その鐘の上、教会の屋根に一人のエルフが座っていた。白い髪をなびかせて、赤い目で見下ろしている女は背後から近づいてきた男に、はぁとため息をこぼした。
「一人でこの景色を眺めるのが好きなの。」
邪魔しないでよ、と吐き捨てるが男には通用しない。
「見つかったか?」
「なんだ、アモン知ってたの。」
女は同類のエルフを見やるとアモンはふっと笑った。
「リリスが興味あると言ったものは大抵重要なことだったりする。僕は重要なことかそうじゃないのか判別したいだけだ。」
「そう。残念だけどまだ見つかっていないわ。」
「そうか。では、もし本当に見つかればすぐに報告しろ。死体でもいい。我らの王は大変喜ばれるだろう。」
王が喜ぶ、その言葉にリリスは腹を抱えた。
「アモン、私、それには全然興味ないなー。」
エルフの王になんて。と付け加えた瞬間、空気がヒリリと凍り付いた。
(……あぁ面倒だな。特に忠誠心が強い奴は。)
「こんなところで魔力出さない方がいいわよ。」
注意すると、そうだったと言ってアモンは魔力を消した。
「あぁ、こうやって人目を気にしないといけないのは面倒だな。」
それには共感する。面倒は嫌いだ。下等生物に気を遣うのも、清きエルフの真似をするのも全てが面倒だ。そして、それを指示している我らの王とやらにも心底面倒だと思う。いっそのこと全人類、殺しちゃえばいいのに。
「ねぇ、アモン。もし、見つけたら殺してもいいの?例えば、人間が保護していたらとか…」
アモンはリリスを見下ろした。
「殺すなら、そこにいた奴ら全員殺せ」
ふっははははっとリリスは笑い転がった。
『捕獲』にしてたけど……
なーんだ。
『死体』でもいいんだ……
(―――――じゃあ、あの青白いフェレットも、捕獲した奴らも、全員殺しちゃおう―――――)
ルネの街にポツリポツリと小さな明かりが点き始める。夕暮れの空はどこか不穏な影を落としたまま沈み込み、人々が行き交うこの場所で闇は静かに動き始める。