第7話 弓
ギルドの隅にあった椅子に腰を掛けて、私とユピテルは話し合った。
まずは私のクエストについて。これはユピテルに猛反対された。明日の夜までという短い時間の中で、捕獲できる可能性は低いからだとユピテルは淡々と私に説明した。そもそも『青白いフェレット』なんて動物はいないらしい。可能性があるのだとすれば突然変異をした魔物。捕獲できたとしてもルナがギルドに持ち帰る前に、檻を破壊されるのが落ちだと言う。依頼を返してこいとユピテルに言われたが、私は躊躇っていた。もしかしたら、という期待に諦めがつかなかったのだ。
そこに現れたのが、ギルドのオーナーだった。どうやら聞き耳を立てていたらしい。白い髭に黒いサングラス、筋肉質な頑丈な体つきのオーナーはにっと笑った。
「こういう依頼はなぁ『運』が全てだ。依頼は受けたままで良いんじゃないか?捕獲できたら運が良かったと思ってさ、逃げられても、それもまた『運』だ」
な、とユピテルに顔を向けるオーナー。
「そういえば、坊やが受けた依頼にエルフの森での駆除依頼があっただろう?」
「あぁ、あるが」
「君たち『運』があるよ。青白いフェレットの最後の目撃情報はエルフの森だ。」
どうだ、試したくなっただろう?
そう言ってオーナーは店の奥へ戻って行った。
「エルフの森に戻るとするか」
「もちろん?」
「ルナの依頼もやるよ」
ルナとユピテルの意見が合致した。
ギルドの店を出るとユピテルは先に買いたい物があると言い、露店が立ち並ぶ大通りに出た。怪しげな薬草屋、煌びやかな宝石店、魔法の杖のような物を売っている店。元の世界には無い店ばかりでルナは目を奪われた。
「やっと見つけた」
ユピテルが立ち止まった店には≪シュリョウドウグテン≫「狩猟道具店」と書かれていた。店の男はユピテルを見るや否や、気だるそうな顔をした。
「なんだ、子供か。冷やかしに来たのなら帰れ、帰れ」
どうやら子供が狩猟をするわけがないと思っているようだ。手を払って相手にしない態度にユピテルは一歩前へ出た。
「おっさん、俺、『アスル族』だけど?」
『アスル族』と言う単語に店の男は目を見開いた。
「本当か!?」
「ほら、これ。見てみろよ」
耳に垂れ下がる木の飾りを揺らして見せた。よく見ると、木に何か文字が降ってある。カタカナと言うよりは英語の筆記体のような文字だった。『アスル族』の言葉なのだろうか。
「金色の髪に深緑の瞳。そして、その木の耳飾り。確かに『アスル族』だな。」
こいつはすごいや。と店の男は感心した声で言う。
「と言うことは、君はあれか。『修行の旅』の最中ってことか。」
「そうだよ」
へぇと店の男は言うと、奥から何やら持ってきた。テーブルの上にザッと並べた物に目をやると、それは沢山の狩猟用品だった。鋭利なナイフに弓矢、しめ縄に餌用のネズミ。「さあ、何を買う?」
「小動物用の捕獲の檻と、餌用のネズミを一匹。あと、魔鉱石を一つ。」
「檻とネズミは良いが、魔鉱石はダメだ。」
(魔鉱石ってゲームとかでよく出てくる、あれのことかな)
「なんでダメなんだ?」
「もう少しで戦争が起きそうなんだ。だから、国が魔鉱石を買い占めて、入荷ができない。一か月前と比べると20倍近く値上がったよ。今は落ち着くまで待つといいさ。魔力はまだ残ってるか?」
「予備で買おうと思っただけだから大丈夫。それよりも戦争って?」
「隣国のピタージュと関係が悪くなったらしい。詳しいことは分からないが、国境近くで兵士を集めていると聞いた。本当に戦争になるかはさておき、緊張状態だってことは確かだ。」
まったく、と男は続けた。
「太陽の帝国といい、隣国のピタージュといい、近頃は少し物騒だな。」
戦争。この異世界にも『戦争』なんてものがあるんだ。今までは『平和』と勝手に思っていたこの世界が、急に怖くなった気がした。
買い物を終えて、エルフの森に向かう道でルナはユピテルに話しかけた。
「さっきの会話で聞きたいことがあるんだけど」
なんだ?とユピテルは耳を傾けた。
「その耳飾りって?」
「これはアスル族の子供の証。生まれてしばらく経つと母親が子供に付ける。『お守り』だ。」
「この文字って?」
「魔法が込められた字、魔字だ。ただの魔字ではないぞ。古くから代々伝わるアスル族特有の魔字だ。だから見る人が見れば一発でアスル族だと分かる。アスル族は生まれてから成人するまでこの耳飾りを付けるんだ。」
ユピテルは耳飾りを私に見せてくれた。5センチほどの細長い木に細かな字が彫られてある。
「これは母親の手作りなんだ。アスル族では母が子供に『無事に大人になれますように』と願って作るのが習わしなんだ。」
「どんな魔法が込められているの?」
「分からない。……魔法が込められた字と言ったが、詳しく言うと『魔力を使って願いながら堀った字』だ。魔字は発動するかは運みたいなもので、まだ謎が多い。なんせ『願い』だからな。だから、母親は小さい木に沢山彫るんだ。健康、安全祈願、長寿、まぁ色々だな。」
(小学生の頃、お母さんがランドセルに交通安全のお守りを付けてくれたな~)
この異世界にもそういう『お守り』があるのだと思うと心が少し温かくなった。
「そういえば、魔鉱石を買おうとしてたけど…?」
「そうか、ルナに魔鉱石を見せて無かったな」
ユピテルは首元の服の中からペンダントを出した。透明感のある虹色に輝く10センチほどの鉱石。
「これは人工の魔鉱石。」
「人工?」
「あぁ。人工だ。自然界にある魔鉱石はほとんど採りつくされて、庶民に回るのは人工の魔鉱石だ。」
「どうやって使うの?」
ユピテルは顎に手を添えて少し考えると、
「ルナにはまだ魔法は早いからまた今度な」と言って服の中に戻した。
魔鉱石を使って魔法を使うのかもしれない。店の人が魔力の残りについて質問をしていたから、常に使える訳ではなさそうだ。
でもいつか使ってみたいなとルナは胸を躍らせた。
◇◇◇
昼を少し過ぎた頃、私たちはエルフの森に着いた。
日暮れまであと3時間少し。最初のクエストはユピテルのバラモドキの駆除依頼。これはあっけなくユピテルが見つけた。焼いて袋にと依頼書に書いてあったのを思い出し、ルナはすぐに火起こしをした。
「師匠、火起こし完了しました!」
私は「ユピテル」と「師匠」を分けて呼ぶようにしている。普段はユピテルだが、狩りに集中している時や、教えてもらっている時は自然と「師匠」と呼んでいる。
個人の依頼なのにチームでやっているけど良いのかな?と思うが、きっとそこら辺はギルドも曖昧にしているであろう。区切りなんてつけていても、見ていないと事実なんて分からないだろうし。私がいた世界みたいに監視カメラとかある訳でもない。「個人でやった」と言えばそれが事実になるんだ。
燃えているバラモドキを見ながら、
(報酬の1万ルネ。ありがとうございます。)と静かに心の中で感謝した。
「次はウサギ狩りだな。」
背中から弓を取り出すとユピテルは鏃を研ぎ石で整えた。
ユピテルが弓を持つところを見るのは初めてだった。この異世界に来て、ユピテルと出会ったころから、ユピテルは魚ばかり取っていた。『狩り』それは一体どんなものなのだろう。
「ルナもやってみるか?」
「いいの?」
「良いよ。ただし、しっかり覚えるんだぞ。」
うん、とルナは頷いて、ユピテルから弓をもらう。
ずっしりとした木の感触に滑らかな弓基、ピンと張る弦。使い古されたような握りの跡。これが弓。
「両足を開いて重心が中心に来るようにして立て。まずは向こうの木を狙う。的の中心を意識してその軌道に向かうように少し移動する。重心がずれたと思えば、また足の位置を確認。」
————————学校の弓道部の練習を一度見たことがあった。あれは高校一年生の部活動見学の時。明里がどうしても見に行きたいと言って、一番最初に見学したのが弓道部。部室の静かな空間に弓矢を離した時のシュッと鳴る音が印象的だった。
『かっこいいね!』
きらきらと目を輝かせる明里に私は来てよかったと思った。
『瑠奈もやってみてよ』そう言って、明里は私に弓を渡した。弓と言っても部活動見学用の屋台にありそうなおもちゃの弓だったが。それでも、初めての弓道に戸惑いながらも、先輩が丁寧に教えてくれたおかげで一発で的に当てることができた。あの時は偶然かもしれないけど、的に当たって本当に嬉しかったのを覚えている。
『さすが瑠奈だね!部活はここで決まりかっ』
『ん~、演劇部も気になるから、とりあえず保留かな?』
『え~ここにしてよ、また見たいな。瑠奈の弓の姿。……私、大好きなんだ。』
結局悩んだ末、演劇部を選び、あれ以来、弓を触ることなんて無かった。——————
「弓を立てて矢を掛ける。的から目を離すな。弓を静かに正面に高く持ち上げて引いてそこで一旦止まれ。的との距離、軌道、風の強さ。感でもいい。ここだと思った位置に弓先が来たら引き絞って、力をためてから放て。」
私と木との距離約30メートル。風やや微風。集中して。
(……今だ!)
シュッと放った弓矢はまっすぐに木の中心へと刺さった。
「ぐ、偶然か?」
「偶然だと思う…」
ユピテルはしばらく口を噤んで考えた。
(初心者が当てられるはずがないんだ。偶然とは思えない。視力が物凄く良いのか、体幹がしっかりしているのか、感が強いのか…いや集中力か?)
決めた、
「ルナ。一人で狩りに行ってこい。」
(…えっなんで!?)
ルナは開いた口が塞がらなかった。
「ウサギの一匹くらい仕留めてこい。俺は、ルナが狩りに行っている間にフェレット捕獲の準備と檻の設置をする」
「師匠が設置している間に一匹仕留めろってこと?できなかったら?」
「俺がルナの分まで仕留めるだけだ」
余裕そうなユピテルの笑顔。断れる雰囲気ではなかった。
「分かった」と言うと、ユピテルは早速今回の『狩り』について説明してくれた。
バラモドキを焼いているこの場所が起点(集合場所)となって山の頂を目指して歩く。
「ウサギの鼻は良い。バラモドキを焼いた煙の下は行かないだろう。風は山の頂から吹いている。ここから上に向かってゆっくりと歩いて行け。ウサギ(標的)を見つけたら絶対にウサギよりも風上に行くな。」
「どうして?」
「風上に行ってしまうと、風下にいるウサギに人間の匂いを嗅がれてしまう。そうなったらウサギはすぐさま逃げ出すだろう。」
「ゆっくり歩いて気配を消しながら、風上にいるウサギを見つけ出して矢を放てばいいんだね」
そうだ。とユピテルは簡単に言ったが、初心者でこれは難易度が高すぎではと思ってしまう。
「あんまり遠くに行きすぎないようにな。ちゃんと戻って来られるように、煙の位置は常に把握しておけ。何かあったら大声で叫べ、気づいたら助けに行くからなっ!」
(……気づいてくれなかったら終わりだ)
『狩り』はルナが想像している以上に困難なものにないそうだ。夕暮れまであと2時間。ルナは山の頂を見つめ、静かに弓を握りしめた。