第5話 エルフの森
朝食を食べ終えるとユピテルは荷造りを始めた。使い古された弓矢に鋭利な短剣。薬草や水筒のようなものを次々と革製のリュックに詰めていく。今日は快晴。森の緑もいつに増して青々としていた。
「浮腫もなくなったし、足も動かせる。食欲も問題ないし…大丈夫だな!」
ユピテルはそう言って私に微笑みかけるが、正直に言えば私は全然大丈夫じゃない。
ユピテルから見れば、偶然見かけた負傷者を助けて、治ったからまた旅に出よう(一人で!)というオーラを醸し出しているが、それは私にとっては超絶な赤信号。なんと言っても、この世界に来たばかりの私にとっては、右も左も分からない森で置き去りにされるのが一番の恐怖なのだ。どうにかしてユピテルを引き留めなければ。
「…っあ!っ痛い!」
近くにあった赤色の実を右手で握りつぶし足に擦った。
「まだ治ってないかも!今ユピテルが行ってしまったら、私…」
ちらり、ユピテルは足を見たがすぐに目を細めた。
「クサイチゴの実が付着してるだけだ」
(…バレてる…)
「んじゃあ、俺は行くよ。」
出発の準備が整えられた大きめの荷物を背中に担ぐ。今にも行きそうなユピテルに、私の頭は警鐘を鳴らした。
「一緒に行きたい!」
少し大きい声が出たのかユピテルはビクンっと体を震わせた。
「えっ!?」
「お願い、一緒に連れてって。私この世界に来たばかりで、何も分からないし、」
警鐘が鳴り響く。脳内から口を閉じるな、説得しろと命令されているのか、開いた口が止まらなかった。
「ここがどこで、どういう世界なのかも分からない。けど、人を探しているの!私と同い年の子と一つ上の先輩。二人を探して、それから元の世界に戻りたい。『星』って呼ばれる光にセカイヲスクオウとか言われて、よく分からない状況でここに飛ばされて。もしかしたら、二人も私と同じで大変な思いをしているかもしれないし、早く見つけて、会って、聞きたいこととか色々沢山あるの」
「それってつまり、ルナは別の世界からこの世界にどういうわけか『星』に飛ばされて、俺と旅しながら人探ししたいと?」
「そう!」
「…一つ聞くが、ルナの言う『星』っていうのはこっち世界でいう『おとぎ話に出てくる星』のことか?」
「おとぎ話?」
「大昔、一つの星が降ってきて、地上に落ちる前に7つに分かれた。その星に選ばれた7人は『星』から当時人間が持っていなかった『魔法』を手にし、国を作った。この世界に国ができたとされる諸説ある仮説のうちの一つ。そして、ただのおとぎ話。」
おとぎ話に出てくる『星』。それが、私を異世界に連れてきた『星』と同じなのかは分からない。けれど、ここに来た理由がそこにあるなら、私はそのおとぎ話を知る必要があるのかもしれない。
「訳ありって感じだな」
ユピテルは頭を掻いて考え込んだ。
(確かにルナが言ってるとこが嘘のようには聞こえない。最初、魔法で荷物とかを収納しているから、手に何も持っていないのかと思った。貴族ならそれくらいの魔法は持っているからだ。バラモドキも知らなかったしな。でも、ルナが魔法を使ったところなんて見ていないし、妙な服も、文字も別の世界からだと言われれば納得する。本当に『星』に飛ばされたのならかなりの訳ありだな。気になるとしたら、なぜ一緒に飛ばされたであろう仲間の二人がいないのかってところだけど。)
「まあ、細かいところはいいか。困ってる人を見捨てるのは性に合わないしな。」
「本当!?」
嬉しさのあまりユピテルに抱き着いて「ありがとう!」と叫んだ。顔を真っ赤にして「やめろ!恥ずかしいだろ」と言うユピテルに、年齢の差もあって可愛い弟のような感じがした。
「ところでさ、一応確認するけど」
「うん?」
首をかしげるルナにユピテルは咳払いを一つした。
「魔法は?」
「使えない」
「弓矢は?」
「できない」
「お金は?」
「ない」
「……よく生きてたな」
死んだ魚のような目で見つめるユピテル。
「これから俺と旅をするなら、最低限のことはできるようになってもらわないと困る。徹底的に教えるから覚悟しとけよ」
『旅』に危険はつきもの。この世界で生きるための知恵と力は必須事項である。ユピテルの強くなるための『修行の旅』とルナの『二人を探す旅』がここから始まった。
「よろしくお願いします。頑張ります。」
それと、可愛い弟から『師弟関係』になったのもここから始まるのである。
◇◇◇
ユピテル(師匠)と一緒に旅を始めて2日がたった。あれから、少しずつこの世界の事が分かってきた。どうやら、この森は『エルフの森』と言われているそうだ。大昔、エルフが住んでいたらしい。これもおとぎ話から付いた名前だそうだから実際は分からない。
おとぎ話では美しい羽が生えたエルフが堕天しダークエルフとなり、星の魔法使いが天空へ追放したとされている。でもそれは嘘だ、とユピテルは言い切った。なぜならエルフは実際に地上にいるからだ。そのエルフは羽が無く、当の本人たちもエルフは羽がないと断言している。しかも、エルフは殺生を好まない。肉も食わないそうだ。そんなエルフが人を殺す理由がないのだ。
それと『おとぎ話』とされている根拠がもう一つある。天空へ追放したとされる、その場所がないのだ。世界中どこの空を見ても宙に浮かぶ城や羽が生えたエルフなどいない。場所がないのにどうやって追放なんてできるのであろうか。所詮誰かが作った『おとぎ話』でしかない。というのがこの世界の常識だそうだ。
「お?!早く火を起こすことができるようになったな!」
ここ2日でやっとできるようになったのが火起こし。褒められると嬉しいものだなとルナは微笑んだ。今夜、野宿して明日にはエルフの森を抜けて街に着く。異世界に来て初めての街だ。
現在地は月の国「ルネルーン」(エルフの森)。そして明日たどり着くのは月の国三大都市の一つ「ルネ」市の下町。ユピテルも今までふるさとの村から出たことが無かったらしく、初めての街らしい。
「今日はアユの塩焼き!そして、特別に今日は何匹でも食っていいぞ!」
「やったー!!」
明日を前に浮かれているユピテルを見るとそこは子供だな~と感じる。という私も串焼きになったアユを見て、早く食べたい!とワクワクして浮かれている。
『アユ』と聞こえるが、私がいた世界での言語に勝手に置き換えられているのかもしれないと最近は思っている。ユピテルとの会話にも苦労する単語とかは今まで無かったし、漢字は相変わらず通じなかったが、言葉は通じている。これはそういう仕組みに『星』がしているのかもしれないとも考えている。
「明日は久しぶりにベットで寝れるかもな!」
「本当!?」
ユピテルは焼けたアユを口いっぱいに頬張りながら目を輝かせた。
「街にはたくさんの依頼があるんだ」
(なるほど、クエスト的なやつか)
「ギルドってところで見れるんだけど」
(ザ・異世界だ!行ってみたい!)
「そこの依頼を無事に達成できれば、お金がもらえるんだ。」
「そのお金で宿に泊まるってこと?」
ユピテルは手をグーにした。やっとお風呂に入れる、温かい布団で寝れると歓喜で走り回りたくなったが、さすがに子供だと平常心を装った。
「それとギルドには沢山の情報が集まる。探している二人の情報も手に入るかもな」
ギルド。異世界初めての情報収集に依頼クエストの達成、そして宿。明日は忙しくなりそうだ。もしかしたら、すぐに二人に会えるかもしれない。淡い期待を胸にルナは夜空を見上げた。
◇◇◇
ルネ市下町、ギルドにて黒いフードを被った女が店に入った。
「いらっしゃ、」
受付の男性はいつも通りの挨拶をしようとしたが、即座にやめた。それはある種の「感」だった。彼はギルドの受付で働いてもう30年以上は経つ。だからこそ知っている。この職にはある程度の「感」が必要だということを。気が荒れた性格の冒険者、ケチをつける魔法使い。自分が強いと思っているからか、はたまた自尊心からなのかは分からないが、そういう類いの人がギルドに来ることは珍しいことではない。だから「感」は大切だ。問題が起こらないように初手で気づき、予防し、対応する。その「感」が自分に警鐘しているのだ。
(こいつは『人殺し』だと)
「依頼をお願いしたいのだけれど?」
まっすぐに受け付けに入ってきた女は少し高めの声だった。
「かしこまりました。では、こちらに依頼内容と報酬、お名前をお願い致します。」
こういう奴は目を合わせない方が良い。なぜなら目を見て人を殺すかどうか判断するからだ。人殺しってのは大抵、変人が多い。殺す相手の気持ちをなぜか知りたがる。苦しいか?とか痛いか?とかだ。だから気持ちが伝わりやすい目を相手に見せてはいけない。依頼書を渡すと女は少し面倒くさそうにした。
しばらくすると書き終わったらしく、はいと手渡しされた。
「ありがとうございます。では、確認致します。」
(依頼内容:青白いフェレットの捕獲。報酬:1億ルネ。)
は?1億ルネ?
城が建つお金だ。嘘だろ。
(名前:リリス)
「も、問題ありません。」
「そう。」
「あ、あの…」
思わず業務外な声かけをしてしまった。
「1億ルネって記載されていますが…」
女は首を傾げた。
「そうよ?何か?」
「い、いえ。大丈夫です。あ、確認ですが依頼期間はどれくらいでしょうか?」
ん~そうね、と女は少し考えて
「3日ってとこね。それ以上待てないし、もし捕まらなかったら別を当たるわ」
「かしこまりました。」
「3日後ここにまた来るから。」
承知致しました。お待ち申し上げます。と男は深々と頭を下げた。
やっと帰ってくれる、3日後は有給でも取ろう。男はニコリと笑った。
が、女は帰ろうとした足をピタリと止めて男の顔の近くにすーっと近づいた。
「人殺しなんて物騒なこと思わないで、私は虫も殺せない清きエルフよ」
フードの下から赤い瞳がチラリと見えた。女はふふっと笑うと店を出ていった。
受付の男の手汗まみれになった依頼書はその後、丁寧に掲示板に貼られ出された。