第4話 耳飾りの少年
異世界に来て、初めての朝を迎えた瑠奈は自身の体に違和感を感じた。
頭と節々が痛い。身体は熱く感じるのに背筋は氷のように冷たかった。起き上がろうとしても身体がだるくて思うように動かない。
風邪かもしれない。と思ったがそれは違った。
「足が…!」
青みがかった足の浮腫。
(これは一体!?)
制服のスカートの上からでも分かるほど、腫れた自分の足に少し吐き気がした。しかも、よく見ると
「走った時に刺さった枝が」
昨日までは、小さなささくれのようなはずのものが、今は赤黒い枝に色が変化して、少しずつ、少しずつ瑠奈の体の中に入り込んでいた。生きている枝。そう解釈してしまう。取ろうとしても、皮膚の内側に入り込んだ枝は引っ張ても取れない。気のせいか赤黒い枝は、奥へ入るたびに大きくなっているように見えた。
(……痛いッ)
今まで感じたことのない激痛と恐怖に瑠奈は息が荒れた。動く枝に足を抑えてみるが、それでも痛みが消えることは無かった。
それから何時間が経ち、次第に意識が朦朧とし始めた。苦しい、誰か助けてほしい。そう願っても、この森の中、しかも、つるに覆われた洞窟に人なんて来るわけがない。絶望という感情が瑠奈を支配した。「あぁ、もう死んでもいい」瑠奈は瞼を閉じた。
『—————!?————ッ』
火のようなパチパチとはじける音が聞こえた。身体も少し温かく感じる。久々に感じる『温もり』に瑠奈は目を開けた。洞窟の中に小さな火が起こされ、入り口を塞いでいたつる植物はなくなり日が差し込んでいた。
「気が付いたか」
声が聞こえた方に目をやると、木製の耳飾りをした金髪の少年がいた。深緑の瞳と使い古されたであろう弓矢を背負う少年はまるで狩人のようだった。きっとこの少年が私を助けてくれたのだろう。「ありがとう」と声を出そうとしたが喉がつっかえた感じがして、上手く声が出せなかった。
「今は声も出ないだろう、これ飲んで少し休め。俺は薬草を補充しに行く。」
少年は頭の近くに薬草を入れた飲み物を置くと外に出ようとした。
(待って、行かないで)
また一人になってしまうという不安に
「い、かないで」
体力を振り絞って言ってしまった。
少年は驚いた表情で見つめ「おまえ…」と少年は言うと、
「馬鹿かっ!知るかっ!」
と吐き捨てるように言って行ってしまった。
それから数時間が経ち、夜になると瑠奈はすっかり痛みが引いて起き上がれるまでに回復した。帰ってきたばかりの不機嫌そうな少年をちらりと見る。
「助けてくれて、ありがとう。」
はっと少年は見下すような声で笑った。
「バラモドキも知らないなんて、どこかの貴族か、ただのアホかのどっちかだ。」
(この少年、口が悪い…。確かにバラモドキなんて知らないけど!)
「…バラモドキって何、」
「おまえの足に刺さってた枝みたいなやつだよ。実際は毒を持った寄生生物だ。バラの枝や葉の裏に潜んで、獲物がバラに触れた瞬間に皮膚を刺して、体内に侵入するんだ。毒は比較的弱いが初めて刺される人はアナフィラキシーを起こして浮腫や、高熱、意識の低下、過呼吸を起こしてしまう。まぁ、」
一度刺されたから、次は軽い症状で済む。良かったな、という少年に瑠奈は申し訳なさを感じてしまう。「ありがとう」ともう一度言うと少年は頭をかいた。
「そういえば名前は?」と聞く少年に
「天野 瑠奈」と答えると少年は文字で書いてほしいと棒を渡した。≪天野 瑠奈≫漢字で書くと少年は唖然とした。
「そんな文字見たことないぞ…。おまえ何者だ?」
「日本っていう国から来た、ただの高校生。」
「は?ニホン?どこだそれ。コウコウセイって何?」
少年は頭に?を浮かべた。
(そうなるよね…)
「君の名前は?なんていうの?」
「…ユピテル」
「文字で書いてみてよ」
(異世界、初めての文字!どんな文字かな?)
と期待して見たが、書かれたのは≪ユピテル≫というカタカナだった。
(まさかのカタカナ。)
少しガッカリとした瑠奈の表情にユピテルは(なんだこいつ…)と思ってしまう。
「今度からこっちの文字で書こうかな」とポツリこぼすと
「文字が書けるなら最初から書けよ!」とユピテルに怒られてしまった。
(さっきの文字は何だったんだ?本当にこいつは何者なんだ…)とユピテルは思った。
川で捕ったという、アユのような魚をユピテルは串焼きにして渡してくれた。
「食べられるだけでいい…」
今日も月のような星が洞窟の中を照らした。昨日とは違う温かみの中で、ルナは一口魚をかじる。
「美味しい」
久しぶりのご馳走はルナの心に深く染み込んでいった。思わず、二口、三口と食べ、あっという間に無くなってしまう。まだ食べれるかも…喉をゴクリとさせるルナ。
「なっ!?」(こいつ、食いしん坊か!?)
「もう一匹下さい。お願いします。」
「し、仕方がない。治りかけは沢山食えってジジも言ってたからな。」
はい、と串焼きをもらいルナは嬉しそうに食べる。
「それにしても、おま」
おまえと言いかけてユピテルは咳払いをした。
「ル、ルナは治りが早いな。ふつうの人はあと2,3日しないとご飯なんて食べられないのに。」
「それはユピテルの治療のおかげだと思うよ。足に貼ってくれた薬草のシップに、あと、この不味い薬がすごく効いてる気がする」
(あんなに辛かったのに、本当にあっという間に治ってしまった)
「ま、不味くて悪かったな」
ユピテルは顔を赤くした。
「あ、」(魚、もう全部食べちゃった…)
「もう一匹、おねが」
「断る」
ユピテルはご飯を食べ終えると小さくなった焚火を足でバタバタと踏み、火を消した。「寝る」そう言って横になったユピテルにルナはふと質問をした。
「ねぇ、ユピテルは何歳なの?」
「10」
(え。10歳……!?)
「一人で森に来たの?」
(おうちの人とか心配してるかな…)などと考えていたがどうも違うみたい。
「…うちの部族は10歳で村を出て、一人で旅をする。世界中を旅して、強くなったと思えば村に帰り、成人の試練を受ける。そこで受かればやっと成人とみなしてもらえるんだ。」
「すごいね…。」(スパルタだった!)
「でも、試練に一度でも不合格になれば、追放されて二度と村に戻れなくなるんだ」
「す、すごいね…」(スパルタ過ぎない!?)
あ?とユピテルはルナを睨んだ
「こいつっ、人の話聞いてないだろ」
ぷいっと背をむけたユピテルに
「聞いてたよ!」と言ったが知らんぷりされる。
(『君の部族やばいね。』とか言ってやれば良かった。)
と手で拳を作ったが、まだ子供まだ子供よと自分に言い聞かせ、静かに胸におろした。
静寂の森の中、どこからか聞こえてくる虫の声だけが耳元でこだました。鈴虫にも似た虫の声にルナは少し心地よさを感じた。『生きている』そんな当たり前に感謝したことなんて一度もなかった。けど、今、『生きた』ということに感動している自分がいる。
「本当に、感謝してるよ。ユピテル。」
寝ているであろう、ユピテルにそう呟いて、ルナは夢の中に入っていく。
***
『アルテミス?』
聞きなじみのある声にふと目を開けた。
『サン…?』
脳裏で蒼井先輩だと認識しているのに言葉は別の名前を言ってしまう。広葉樹の木々に囲まれた緑の森の中で、サンは金髪の髪にコバルトブルーの瞳をしていた。
『大丈夫?疲れた?』
サンはアルテミスを心配そうに見つめた。
『大丈夫。少し、眠っていただけよ』
アルテミスは微笑むと、足元に立てかけていた弓矢を手に取った。『行きましょう』と立ち上がると、サンは嬉しそうに「あぁ」と返事をした。
***