第1話 夢
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『————、————、————、————————?』
『…不思議、石が言葉を…なんて言っているの?』
『チカ、ウ、チカウ、チカ、ウ』
『誓う?』
『——————————セイリツシマシタ。』
***
目を瞑るとたまにおかしな夢を見る。何かを話していたはずなのに、目を開ければその『何か』なんてすぐに忘れてしまう。ただほんの少し『懐かしい』そんな感覚だけが残るのだった。
―キーンコーン…カーンコーン―
校内のチャイムが鳴り響き、目を開けるといつの間にか下校時刻になっていた。今日は夏休み前、最後の登校日。高校2年生、天野 瑠奈、二度目の夏休みが訪れる。
休みを前に浮足立つクラスメイトたち、何かささやき合う男女の生徒、体操服に着替えた運動部の生徒たち、教室の中は騒々しい。窓から差し込む暑苦しい太陽を横目に瑠奈は重い腰を上げた。その時、
「瑠奈、一緒に帰ろっ」
ショートヘアにやや焼けた肌、バックを片手に親友の雛鳥 明里はニコリとしながら、瑠奈の元へやってきた。
「やだ、寝てたの?!」
明里は驚いた表情を浮かべてこちらを見た。どうやら、机の上に顔を伏した状態で寝ていたようで、制服の袖先の跡が顔に残っていたみたいだ。
「校長先生の話、長くて」
ボサボサになった髪をポニーテールに結び直し、瑠奈は微笑んだ。
「よく怒られなかったわね」
「先生も寝てたよ」
瑠奈の言葉に明里は呆れ顔をした。校長先生は眠りの魔法使いか、などと明里はブツブツと小言する。
教室を出て玄関に着くと、扉から入ってくる熱風に足が少し重くなった。今からあの炎天下の中、歩かなければならないと考えるだけでもゾッとする。
いつもは部活があるため、日差しが厳しい時間に帰宅するのは久しぶりだ。色々と気が重たい瑠奈をよそに、明里は軽やかな足取りで外へ出た。
「夏休み最高!」
明里は嬉しそうに笑った。いつも明るく元気な明里は幼い頃から変わらない。瑠奈にとって唯一の幼馴染みであり親友である。
校門を抜けて歩道を二人で歩くと夏の陽射しがヒリヒリと肌を刺した。しばらく歩いていると明里がふと口を開ける。
「あ、そういえば瑠奈に聞こうと思ってたんだけど」
「うん、」
「瑠奈、演劇部の部長に告白されたんでしょ」
(えっ!)
瑠奈は驚き目を丸くすると、口にシーッと指を当てて明里を見た。
「何で知ってるの?!」小声で言うと、明里は本当だったんだと驚喜した。
「情報屋…恐ろしい…」
放送部、期待の新人と名高い明里に瑠奈は少し引いてしまう。
(告白されたの昨日なのに、情報早すぎるよ……)
「おめでとう瑠奈、私は感激だよ。」ぐすんと明里は大きめのタオルで顔を覆った。
「いやいや、付き合っていないから」
明里はえ、そうなの?と顔を上げる。
「演劇部、部長ってあの蒼井先輩のことでしょう?学校一イケメンで、生徒会長で。断る理由ないのに…もしかして瑠奈ってソウイウ人?」
「どういう人だよ」思わずツコッミを入れてしまう。
「まだ返事していないだけ…」
瑠奈は少し困惑した。
「部活の先輩、だよ?簡単に返事できないよ。おまけに」
「人気者だから怖い?(特に蒼井先輩のファンの女子とか)」
「少し違うかな……。何で私なのかとか、いつから?とか知らないことだらけ。何かの罰ゲームなんじゃないのかなとか、色々考えてしまうの」
「『罰ゲーム』ねぇ」
明里は、それはあり得ないなと言う。
それにしても、と瑠奈は疑問に思うことがあった。
「明里のその告白情報ってどこから?」
目をパチクリとさせる明里。
「え。内緒に決まってるでしょ、お金払っているし」
(まさかの闇取引だった!?)
怖い。放送部ってこんなに情報に情熱を注ぐ部活だったんだ。
(私のその情報っていくらしたのだろう…)
聞きたい気持ちをギリギリで抑える瑠奈をよそに明里は続ける。
「瑠奈は親友の私でも恋愛話とかそういうの絶対言わないよね。この情報知った時、ビックリしちゃった」
(だって情報屋なんだもん。)なんて、言えるはずもなく…
「ちゃんと返事してから、言おうと思ったの」
明里はふーんと相槌をして
「で、その返事はいつなのかな~」
「あ、え~と、いつだろう」
瑠奈は上を向いた。
「連絡先知らないから、次の部活の時?」
「連、絡先を知らない?直で返事しないといけなの?!」
またもや驚く明里にそうだよと言うと、明里は頭を抱えた。
「こんな難易度を上げて蒼井先輩って意外といじわる?ふつう、連絡先くらい渡すよね…」などと何かを言っている。
話に気を取られているといつの間にか、大通りの十字路に来ていた。駅前でイベントを開催しているからか、いつもより人も多く、夏の暑さがさらに増して感じた。この近くに住む明里と電車通学の私はこの交差点で別れることになる。
「色々心配だけど、瑠奈のこと応援してるから。自分の気持ち、大切にしてね」
ありがとう、と伝えると明里はバイバイと手を振って行ってしまった。
街路樹のハナミズキから蝉の声が聞こえ始める。駅前にある小さな噴水で小学生くらいの子供たちが水遊びをしているのを横目に「夏だな~」と感じた。夏の生ぬるい風と車の走ったあとの風に制服のスカートがひらひらと揺らいだ。
青信号に変わった交差点を渡って駅に入ると、冷房の効いた冷たい風が体温を少しずつ下げる。駅前のイベントに人が集中しているからか、駅の中は人が少なかった。普段いるであろう学生の姿も見当たらない。別路線の電車が走行しホーム音とアナウンスの声が響き渡る。
一人、電車を待っていると突然、名前を呼ぶ声がした。
振り返ると、蒼井先輩の姿がそこにあった。「やっと見つけた」という蒼井の言葉に瑠奈は少しドキリとした。
「私のこと、探していたのですか?」
うん。と頷く蒼井。黒い髪にコバルトブルーの瞳。高身長に白い肌。さわやかな微笑みに瑠奈の心臓はバクバクと鼓動した。
「そういえば連絡先交換してなかったと思って、教室にいなかったから、もしかしたらと思って来てみたけど、良かった」
「先輩も電車通学ですか?」
「そうだよ。」知らなかった?と蒼井は首をかしげる。
(電車通学2年目。まったく知りませんでした。)
―三番ホームに入りますのは―
アナウンスが入り、電車が来た。
「一緒に乗ろう」と言う先輩に頷くと空いている席に二人で座った。
「返事はいつかで良いんだ。」と蒼井は言うとスマホの画面を見せた。
「どう?連絡交換しない?」
連絡交換くらいなら、と瑠奈はうんと頷く。
ピコリンと音が鳴り、≪友達が追加されました≫と表示される。
(蒼井先輩と二人っきり…。)
同じ学校の生徒がいなくて良かった。と一人胸を撫でおろした。
先輩と二人きりで話すことなんて今まで一度もなかった。同じ演劇部だけど、部長はいつも忙しくて、人気者だから装飾担当の私と話すことなんてめったに無いのだ。昨日の告白と距離感に疑問がふつふつと湧き出てくる。
それでも、イケメンと謳われる蒼井先輩の隣に座わっている。そんな自分の心臓は今までになく高鳴った。
息が詰まる感覚と緊張に、何か話題をと思考するが、蒼井先輩から話かけられることも無く、瑠奈の願いとは裏腹にしばらく沈黙が続いた。
(気まずい…)
ちらりと横を見ると蒼井と目が合ってしまった。ドクン。心臓が跳ね上がる感覚がしたと同時に、話さないと!という謎の責任感に
「先輩はその、本当に私の事が好きなんですか?」
とストレートに聞いてしまう。
(私の馬鹿、何聞いてるのよ!)と自分を叱咤したがもう遅い。
頬が一気に熱くなるのを感じ、恥ずかしさのあまり顔を見ることができない。
「そうだよ、告白も、好きなことも、全部本当だ」
きっぱりと言う蒼井に瑠奈の心臓はさらに跳ね上がった。
(罰ゲームとかじゃなくて、嘘でもなくて、『本当』なんだ…)
学校一の人気者が、私なんかに…
思い返しても『きっかけ』になるようなことが思い出されない。特に頭が良いわけでもないし、美人でもないし、クラスでは大人しい方だ。瑠奈は少し俯いた。『誰かと勘違いしているだけでは』そう感じてしまうのは愚かだろうか。
「天野さんはどう思ってるの?」
はっと見上げると、蒼井先輩の瞳が私をまっすぐ見つめていた。何もかも見透かしているような目に瑠奈は離れられない。耳元で心臓の音が聞こえた気がした。
―道明寺、道明寺前到着です。なお、お降りの際は―
「ごめん、返事はいつかで良いって言ったのに。」
蒼井は顔を真っ赤にしながら足早に電車から降りて行ってしまった。
家に着くと一直線に部屋に入りベッドに倒れこんだ。夏の暑さと収まらないドキドキに胸が熱く感じた。
自分の気持ちが分からなかった。蒼井先輩に聞かれたとき、なんて言えばいいのか分からなくて、何も言えなかった。そんな自分が少し嫌で、情けなく感じた。『誰かと勘違いしている』と思えば楽になれると思ってしまった。でも、このドキドキはもしかしたら『好き』というものでは。と思ってしまう自分もいる。告白されるまで何も思っていなかった。
けど次、もし、部活で会ったら、きっと私、
「意識してしまうかも…」
おもむろにカバンから部活の日程表を取り出して見てみる。
「次の部活は、明後日。」
それまでに自分の気持ちに向き合わないと。
(好きってなんだろう…)
しばらくして考えるうちに瑠奈はいつの間にか眠ってしまっていた。
***
『まさか、星の魔法の誓約に輪廻転生があるなんて』
『星の呪いだな』
『何言ってるの?すごいことじゃない。せっかくヘルメスが解読してくれたのに。サンはあまり信じてなさそうね。』
『アルテミスはどうなんだ?』
『私は…』
***