プロローグ
月冴る夜に少年は凍える掌を摩った。木製の細長い耳飾りに金の髪、深緑の瞳。5歳になったばかりの幼き少年は、外が凍えるような寒さだとは知らなかった。
悴んだ指先を吐息で温めて、身を屈める。いつも大抵夜は、暖炉がある木造の家の中で過ごす。だが、この日は違った。家の近くにある物置部屋で少年は静かに祖父を待ち続けた。
「待ったか?」
ううん、と首を振ると祖父は少し心配そうにした。そうか、と呟くと祖父は少年の横に腰を据えた。少年の小さな手を取って祖父は大きな手で温めた。少年は祖父のその広くて厚い手が大好きだった。
「すまない。母親を説得するのに少し時間がかかってしまった」
祖父が言う『母親』とは少年にとっての母親である。祖父と母親は仲が悪い。そして、その原因はいつも自分にあるということも、少年は理解していた。
祖父と少年が好きな『おとぎ話』は母親にとっては好ましくないものだった。母親は決まって「教育に悪い」と言って絶対に許してはくれない。家中にあった本を焼き尽くされたこともあった。そんなこともあり、おとぎ話の本は年に数度程しか読めないのである。
「今日はどんなおとぎ話?」
少年は目を輝かせた。たとえ母親の機嫌が悪くなる事だと分かっていても、少年の『おとぎ話』に対する好奇心は抑えられない。少年にとってこの時間は何よりの至福なのである。
「今日は『星々の魔法、始まりの地』だ」
「初めて読む本だね!」
祖父は右手に持ったランタンを近くに置くと、カバンから一冊の本を取り出した。
所々虫食いの跡がある古びた本を祖父は大切そうに見つめる。
「焼かれてなくなった本、何とか同じものを探して買ってきたんだ。」
祖父は長いこと働いていない。だからその『買った』は祖父の微々たる貯金から出した貴重な本である。また焼かれませんように、と少年は静かに願った。
「ユピテル」
名前を呼ばれた少年は木製の耳飾りを揺らした。
「座っていいの?」
「いいよ、こっちにおいで」
ユピテルはニコリ微笑むと、嬉しそうに祖父の膝の上に座った。祖父の体は痩せこけていて決して居心地の良いものではない。しかし、温かな祖父の鼓動はユピテルにとって心地の良い音だった。静かな夜、月明りが物置部屋の小さな窓から差し込む。
「始まり、始まり」祖父の温かな声と共にユピテルは物語に耳を傾けた。
古代、人がまだ『魔法』の存在を知らない時代、この星に一つの石が降ってきた。
それはとてつもなく大きく、虹色に輝き、世界中の人々を驚かせた。だが、不思議なことに地上に落ちるであろう瞬間にその石は7つに分かれ世界中に散らばり消えてしまう。
まるで、その石に『意思』があるかのように。
でも、その石にはもっとすごい力があったのだ。
「魔法?」
ユピテルは祖父を見つめた。
「そうだ。」
そして、石は手にした者の中に入って星の魔法を渡したとされている。
「星の魔法?」
「そう。空から降ってきた石、星が与えた魔法だからそう呼ばれている。が、詳しいことは与えられた者にしか知らない。」
その時代は国も無く、小さな村々や集落が小さな争いをしていた。しかし、時には大きい争いもあって村一つ無くなることもあった。その一人、村と家族を失った少年がいた。のちに星の魔法を手にする、
「星の魔法使い、太陽神サンだ!前に読んでくれた本に出てきた人!」
ユピテルは目を輝かせた。祖父はこくりと頷くと物語りを続けた。
サンは世界をまとめ、争いのない世界にしようと、星の魔法を与えられた残りの6人を探す旅に出た。ここで色々な冒険譚が出てくるのだが、それはまた別の本に書いてあるみたいだな。「残念」と少年は少し落ち込む。
「まあとりあえず、サンは残りの6人を集め国を作った。一つじゃないぞ、7人それぞれで国を作ったんだ。」
「7つの国ってこと?」
「賢いぞ、その通りだ」
そうして、人々が魔法を使えるようにと魔力がこもった魔器を作った。これが人類が魔法を使えるようになった第一歩の時代「古代魔法時代」だ。
だが、それをよく思わない人間がいた。しかも運の悪いことに「エルフの森」を発見してしまう。
「エルフの森?」
エルフは人間が誕生するよりも前から生きている、羽の生えた美しい不死の生き物だ。外部との関わりを拒み、ずっと森の奥深くで結界を張って暮らしていた。
「ここまでは良かったんだが…」
なんと、エルフの森には人類が手にしたことのない魔鉱石があったのだ。魔鉱石は星の魔法と同じように、人に魔力を与えることができる。
魔法に目が眩んだ者、国に不信を抱く者、そういった人間が魔鉱石を求めてエルフの森を襲撃してしまったのだ。
怒ったエルフの王は叫び、その声を聞いたエルフたちは皆、王に共鳴し堕天使エルフとなってしまう。
「まあ今で言うダークエルフって奴じゃ」
ダークエルフは人々を虐殺していった。当然、星の魔法使いたちも戦ったが、魔力差に大きな差があり、1つの国を除いて全滅してしまう。ここまでかと思ったが、星の魔法使いの一人がある魔法を生み出した。
「おや?もう寝るのかい?」
ユピテルはいつの間にかウトウトとしてしまう。首を縦に揺らしながら眠たい目を擦った。
「ジジ、もう少し聞きたい。最後だけでも…」
ユピテルのお願いに祖父は顎に手を当てた。このまま寝かせてあげたいと思案したが、もう少し話すことにした。
結局、星の魔法使いの7人は皆死んでしまった。だが、ダークエルフを天空へ追放し二度と地上に降りないという誓約を交わし、世界は平和を取り戻したと言われている。
「おしまい」
「星の魔法使いたち、また戻ってこないかな?」
「どうだろうな」
「大人の人が言ってた。人は死んだら天に帰るけど、夏の時期になったら戻ってくるって。」
(それは年に一度の先祖の供養の日のやつじゃな…)
祖父の解に対しユピテルは確信とした瞳をした。
「絶対戻ってくるよ!」
深緑色の瞳にきらきらとした星が映り輝く。
「そうだな」
ユピテルは祖父の言葉にこくりと頷いた。
「さあ、家に戻ろう」
祖父は細い腕でユピテルを抱いて歩いた。すると、小さな手が祖父の袖を掴み、顔を胸に寄せた。祖父のトクントクンという、温かな心臓の音がユピテルを眠りへと導いていく。
ユピテルの寝息を聞きながら、ふと祖父は空を見上げた。
(夜空に広がる無数の星々。今、星の魔法使いたちの魂はどこにあるだろう。またこの世界に再び戻ってくるのだろうか…)
―少しずつ、時の歯車は回り始める―