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89. 無情なる天の秤

 フェレシーラの髪に櫛を通して、それからまたタオルで包み込むことを繰り返し、繰り返しつつ…… 


「それから、エピニオのヤツに路地裏で捕まってさ……あの時は、ほんと焦っててさ」

 

 貧民街スラムでの追走が、巨大な湖に阻まれて失敗に終わったこと。

 そこから道に迷い、予言者を騙る老婆に遭遇したこと。

 エピニオたちと出会い、冒険者ギルドに連れ込まれたこと。

 

 そんな一連の出来事を俺がつらつらと口に昇らせる間、フェレシーラはそれに口を挟むことなく、ただ静かに話に耳を傾けていてくれた。


「なあ、フェレシーラ」

「んー……?」 


 そうして俺の手の中にあった亜麻色の髪が、ふんわりとしたやわらかさと、心地よいくすぐったさで満ち始めた頃。


「お前さ。あのとき……なんであいつに石を投げられたときさ。なんで、わざと避けなかったんだ?」


 俺は心の内に押し込めていた疑問を、彼女に向けて投げかけてしまっていた。


「うーん……あれは、わざと避けなかったわけじゃないんだけど。単に出会い頭で二度も投げつけられるなんて、思ってもみなかっただけで」 

「そんな見え見えのうそつくなって。答えたくないってのなら、別にいいけどさ」

「あら。それをいうなら、そっちこそ見え見えじゃない。わざわざこうして、恩を売ったタイミングを見計らって聞いてくるだなんて」 

「恩って、おま……これ、そういうつもりでやってるじゃないぞ?」

「ふふ。それこそ、うそよ。でも――ごめんなさいね、あのときは本当に」

「あ。いや……」


 ゆったりとしたやりとりの最中、唐突にフェレシーラから謝罪の言葉を口にされてしまい、俺は思わず髪を梳く手の動きを止めてしまっていた。


「そこは、お前が謝る必要ないだろ。あれは完全に俺が暴走しただけだし……謝るのは、こっちのほうだ。ごめん……」


 そこでようやく、俺はフェレシーラに謝ることが出来た。 


「たぶん、だけどね」


 水気を吸い切ったタオルが離れていくのを視線で追いながら、少女が再び口を開く。

 

「あの路地裏であった男の子だけど。あの子はきっと……没落した貴族か、騎士の家の子よ。あのとき口走っていた言葉の内容からしてね」

「貴族か、騎士って……え? 貴族ってのは、ともかくとして。いまの公国には……レゼノーヴァでは、騎士制度は廃止されたって話じゃ……」

「そうね。正確には、その前の……ええと、ラグメレス王国でという話になるのだけど」

「それって……つまり、公国が出来たせいで没落した連中の、子供ってことか? それで教会を出入りしてたお前を見て、あんな真似をしてきたって言うのか?」


 冒険者ギルドでの出来事――

 レヒネから聞いていた、ラグメレス王国とレゼノーヴァ公国の成り立ちに関する事柄を思い返しながら、俺はフェレシーラに問いかけていた。

 しかしそうしながらも、すぐに別の疑問が湧きあがってくる。

 

「でも……没落したって言ってもさ。それって、聖伐教団がその貴族や騎士をどうこうしたわけじゃなくて、魔人将ってのに王国が滅ぼされたからだろ? それなのに……おかしいだろ」

「それも貴方の言うとおりよ。順序としてはそれが正しい。よく勉強してるじゃない。感心、感心」

「お前な。こんなときに茶化すなって……」


 リラックスした口調で返してきたフェレシーラに、俺はつい拗ねたような声で応じてしまう。

 期せずして、ギルドでレヒネに受けたレクチャーが役立ってくれた形だ。

 こちらとしては、そうした知識をひけらかす意図はなかったのだが……

 

 悔しいかな、彼女に褒められたことが嬉しくて堪らない。

 気恥ずかしさをおぼえて、俺はタオルをまたそろそろと動かし始めてしまう。

 

「でもね。そうしてそれまでの生活を失った人たちが、怒りや哀しみをぶつける相手はもういないから。いま豊かな生活を送っている人たちに、不満の矛先が向いてしまったりは……あることなの。だからああいったことは、そう珍しいことでもないわ」


 フェレシーラからは視線を外しながらも、俺は無言となって彼女の言葉に耳を傾けていた。

 話自体には、納得がいったわけではない。

 ないが……それを露わにして、フェレシーラの言葉を遮るつもりにもなれなかった。

 彼女とは、随分と長く言葉を交わしていなかった気がしたからだ。

 

「魔人に国を滅ぼされたことが原因だとしても……領土と領民、統治制度の屋台骨を引き継いだ公国は、見る人が見れば簒奪者のそれだもの。例えそれが、あの争乱を生き抜き、残されてしまった人々にとっての数少ない選択肢みちの一つだったとしてもね」

「そんなの……理屈になってないだろ」

「理屈と感情は別、という話よ」


 結局は口を開かずにいれなかった俺に、彼女は諭すような口ぶりで答えてきた。


「とくに、あのぐらいの歳の子にとっては難しいから。公国や教団は盗人同然の悪であっても、不思議なことではないの。だからあれぐらいのことは……そう、珍しくもないの」 

 

 はらはらと髪を梳かれながら、フェレシーラがまたも同じ結論へと話を持ってゆく。

 それは当然、俺に対する言葉ではあったのだろうが……

 どこか、彼女自身が己に言い聞かせているような響きが感じられた。

 

 なんとなく、俺は返す言葉に迷ってしまう。

 そこでふと、あることを思い出した。

 

「そういや……お前ってさ。なんで神殿従士やってるんだ?」 

「え? なによ、いきなり……唐突に」

「べつに、いきなりってわけでもないぞ。今まで気にはなっていたけど、聞き損ねていただけだからな。フェレシーラは、いつも俺のせいで忙しかったしさ」


 これまで彼女の過去を気にする余裕もなかったことを、おくびにも出さずに俺は言い放つ。

 

「そう言われてもね……物心ついたときには、おと――先生に連れられて、神殿に顔を出していたから。気がついたら色んな人たちに稽古をつけてもらったりで……」 

 

 俺だって、自分のことばかり考えているわけではない。

 そんなちっぽけな見栄から出た問いかけに、しかしフェレシーラは困り顔を見せてきた。

 

「うーん。言われてみれば、なんで私、神殿従士になっていたのかしら……あまり気にしたことがなかったけど……謎ね。ほんと、なんでだったのかしら?」 

「いやいや……なんか漠然とでも目標にしてたとか、目指す理由はあったんじゃないか? あ、もしかしてその先生って人が、有名な神殿従士だったとかか?」

「あの人は神殿の所属じゃなかったから、それもないんだけど……というか、あの頃はまだ神殿そのものが今ほど機能してなかったから、誰かに影響を受けたっていう線も怪しいのよねえ。うーん……」


 こちらの推測に、フェレシーラが首を捻り続ける。

 自分のことだというのに、妙にあやふやな言いぐさだ。

 もしや答えをはぐらかしているのではと思い、暫く様子を窺ってみたが……

 表情を見るに、どうも本気で言っているらしい。


 え……マジか、こいつ。

 ギルドで聞いた限りでは、白羽根は教団に唯一人の存在、って話だったのに。

 特に目標とかもなく、気がついていたらそこに上り詰めていたってことなのか?

 それも、遅くともたったの十七歳で……

 

「あ、そう言えば……たしか私って」

「お! なんか、思い出したのか!?」


 ポンと手を打ち合わせてきた少女に、俺は反射的に喰いついてしまう。

 さすがに何の理由もなNo.1に輝いてました、なんて話は到底信じられない。

 きっと何かが秘訣とか、理由があるはずだと。

 何故だか俺は、そんなことを考えてしまっていた。

 

 だがしかし。

 

「そうそう……思い出した、思い出した。そう言えば私、楽しかったのよね、そう言えば!」

「……え? 楽しかったって……なにがだ……?」

「もっちろん、神殿での訓練に決まってるじゃない!」

「――は?」

 

 フェレシーラの寄越してきた答えは、俺の理解の範疇を完全に超えたものだった。



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