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87. 知り得ぬ斜陽

 気付けば視界は、温かみのある赤色で覆い尽されていた。


 一刻、刻一刻とグラデーションを描いて変じてゆく、無形の赤。


 漂う綿雲を染め上げながら、赤、橙、紫――そして黒へと移りゆく。

 その光彩には見覚えがある。


 夕暮れの赤。

 斜陽の赤だ。

 

 だが、その太陽は俺が知るものよりも、ほんの少し青みが強く見えていた。

 よく見れば雲を染める輝きも、紫に見える割合が大きい。

 世にも珍しい、赤と紫紺の入り混じった夕焼けだ。

 それが俺の視界いっぱいに広がっている。

 

 眼下には、薄っすらとした霧の垂れ幕。

 それもやはり、赤と紫の合間で揺らいでいる。 

 初めて目にする不思議な色合いだ。

 

 見慣れぬその輝きは、しかし妙にくっきりとした輪郭をしており、それが逆に現実味を与えてこない。

 夢を見ているのだろうか。

 そう思い、首を巡らせようとしたが……視界が動かない。

 それは他のことにしても同じだった。

 

 体が動かせず、風景だけが目の前にある。

 やはり、夢だ。


 そう思った瞬間、視界が突然、右方向に大きくずれた。

 驚くほどの上下にブレを伴った急旋回だ。

 

「――」

 

 いきなりのことに目を回していると、何かが喋る音が届いてきた。

 それに釣られるようにまたも視界が回る。

 今度はほんの少し右側に、音のやってきた側を捉える形で。

 

「――――?」 

 

 再び音がやってくるが……

 何故だかそれが、意味のあるものには聞こえてこない。

 だが、眼下に映し出されていたのはそれまでの赤紫の光景だけではなく、急勾配の――

 

「――ム」 

 

 不意に、音が意味を伴ってきた。

 

「……ラム! ちょっと! 起きなさいったら、フラム!」 

「う、わぁっ!?」 


 耳元で響いたその声に、俺は思わず全身を跳ね起こす。

 パチンと開いた視界には、呆れ顔となった女性が一人。

 亜麻色の髪と青い瞳の、美しい少女――フェレシーラがそこにいた。


「え、えっと……」


 突然の事態に混乱しかけながらも、俺は状況を把握しにかかる。

 

 目の前には、真新しい法衣に袖を通したフェレシーラの姿。

 俺は寝台の上で体を起こしており、床には大きなタライが置きっぱなしになっている。

 

「あ、あれ……? ここ、宿の中か?」

「なに当たり前のこと言ってるのよ。それよりも、いまはホムラよ。あの子はどこにいるの?」 

「どこにいるって……え、ホムラのヤツ――いないのか!?」 

 

 心配そうに辺りを見回すフェレシーラを前にして、俺は今度こそ寝台から跳ね起きた。

 ホムラがいない。

 その言葉は本当だった。

 

 石造りの一室の中には、俺とフェレシーラしかいなかった。

 開け放たれていた扉から廊下へと飛び出すも、やはり同じだ。


 ホムラの姿は周囲のどこにも、影も形もなかった。

 

「私が来たときには入口は閉まっていたし、通路でも見かけなかったわ」 

「そんな……」 

 

 腕組みをした少女の言葉を背に、俺は廊下に茫然と立ち尽くす。


 予想外の出来事だった。

 ホムラと行動を共にし始めてから、ここまでの六日間。

 これまであいつが俺の元から離れていったことは、一度たりとてなかったのだ。

 

 最初の数日間は、俺はホムラが動き回ってはぐれたりしないかと気を払い、慎重に見守ってきた。


 だが、片時たりともこちらの傍を離れようとしなかったホムラに対して、心の何処かで油断が生まれていたのだろう。

 湯で体の汚れを落としたあと、俺は呑気にもホムラをほったらかして眠りについてしまっていたのだ。

 

「くそ……ホムラ! どこだ、ホムラ! 近くにいたら、返事しろ! 返事してくれ!」 

「落ち着いて――っていうのも、無理があると思うけど」


 あっさりと打つ手をなくして叫んだところに、フェレシーラが呼び掛けてきた。

 その落ち着き払ったその振る舞いに、俺は一瞬「なんでそんなに平然としているんだ」と口にしかけてしまう。


 だがしかし、いまの俺にそんなことを口にする資格は一切ない。

 加えて言えば、起き抜けの混乱しきった頭では、まともな判断を下すことも出来そうになかった。


 焦る気持ちを無理矢理に抑え込み、フェレシーラの声に耳を傾ける。

 そうするより、他に手はなさそうだった。

 

「まずは最悪のケース。貴方が身体を洗って寝入ったあとに、誰かが扉を開けて連れ去ったっていう線ね。あの子が誰彼構わず人についていくとも思えないけど……餌や玩具で誘導された可能性もあるし……なにか、狙われていたとか心当たりはある?」 

「狙われていたって、そんなこと言われても――あ!」

 

 その言葉に、俺の脳裏を過ぎるものがあった。

 

「ギルドだ……さっき冒険者ギルドで、ホムラのこと、グリフォンの雛は珍しいって言ってた連中が、沢山いたから……!」

「ええ。冒険者に限らず、幻獣種は好事家に売れば金になるって思う人は必ずいるから……そうなるとまずは私がギルドに行って、貴方はこの辺りを虱潰しに探してみるのがベターでしょうね」

「そ、そっか……うん、そうだな。でもそれなら、俺が急いでギルドに――!」 

「その慌てようで行ってどうしようっていうのよ。いいからそっちは私に任せておきなさい。こう言っちゃなんだけど、いまの貴方がギルドに駆け込んでも『ホムラを返せ!』って誰彼構わず喰ってかかっちゃうだけでしょ。それで騒動になってる間に犯人に逃げられでもしたら、逆効果だし。そもそもホムラが拉致されたっていう、確証だってないもの。だから貴方は、純粋な捜索に回るべきよ」

「それは……そう、だけど……っ」 


 順を追ってこちらを諭しかけてくるフェレシーラに、俺は無様に食い下がろうと試みる。


 焦りと後悔。

 自分自身へのやり場のない怒りと、苛立ち……

 そんな感情で、頭の中がいっぱいだった。


 押し寄せてきた罪悪感にいとも簡単に打ちのめされて、情けなくもうなだれてしまう。

 

 昼間あんなやらかしを仕出かしてしまったというのに、またこれだ。

 まずは気持ちを落ち着けて、ホムラを探しだすのが最優先だというのに……

 何故だか目の前は、真っ白になっていくばかりだった。 


「落ち着いて、フラム」


 そこに、声が届いてきた。


 俺のすぐ傍からやってきた、優しげな声。

 フェレシーラの声だ。


 それを追いかけるようにして、やわらかな感触が俺の頭を包み込む。

 

「ホムラから目を離したのは、貴方だけではないから。私にも責任があるから。今回の件は、貴方たちを置いて行った私も同罪。だからあの子の為にも、まずは落ち着いて……ね?」 


 ……やわらかに感じたのは、うなだれた俺の髪を撫でつける、彼女の掌だった。

 そのことに、遅れて俺は気がつく。


 俺の視界を覆っていたのは、純白の法衣だったのだ。

 間近に身を寄せてきていたフェレシーラに、半ば抱き寄せられるようにして、俺は彼女からの慰めを受け続けていた。

 

 その光景は、傍から見れば聞き分けのない幼子をあやしつける母親のようですらあっただろう。


 悲しくなるほどの、子供扱い。

 悔しくなるばかりの、過保護ぶりだ。


 しかし……そんなことを彼女にさせているのは、他でもない俺自身なのだ。

 

 失敗を引き摺るな。

 頭を切り替えろ。

 採るべき最善の行動を、最短で実行しろ。


 ここから巻き返してみせろ。

 どうして俺は、なんて言い訳は……この瞬間に終わりにしろ。

 

「……ありがとう、フェレシーラ。もう大丈夫だ。俺、絶対にホムラを見つけ」 

「ピィ!」


 ……る?

 

「ピィ! ピピィ! ピピピピィ!」 

 

 コツ……コツコツ、コッコッコッコ……!

 

 意を決して放ちかけたこちらの言を遮り、突如響いてきたのは聞き覚えのある鳴き声。

 そして何か硬い物が、断続的につつかれる音だった。


 それを耳にして、俺とフェレシーラは間近で顔を見合わせる。


「え……なにこれ。これ、部屋の外からよね……?」

「あ、ああ。でもこれ、外っていうか、そこの窓の――あっ!?」 


 そこまで言って俺は弾かれたようにフェレシーラから身を離すと、大慌てで窓のある位置へと駆け寄った。

 そこにあったのは、ぴったりと閉ざされた灰色のカーテン。 

 急ぎそれを左右に押しのけると、外側に大きく開かれた窓があり――


「ピ! ピィー! ピピピピピ……ピピー!」 

 

 そこから外へと顔を突き出すと、窓枠のすぐ真下の石壁へと向けて果敢にアタックし続ける、ホムラの姿があった……

 

「おま……なにやってんだよ……」 

「ピピピピピピッ――ピ?」 


 おそらくは、無風となってカーテンが閉じ切っていたことで、帰り道を見失っていたのだろう。


 遮二無二となり嘴を動かすホムラに、俺は魂の抜ける想いで声をかけていた……

 


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