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68. 迷走の路地裏

 最悪の気分だった。


 走りつめてきた道をノロノロ、とぼとぼと歩く中、殆どなにも考えることは出来なかった。

 

「ピィ……ピピィ」


 背中からは時折、ホムラの声がやってきている。

 さえずるような鳴き声は、まるでこちらを慰めているような響きに満ちていた。

 

「ごめんな、ホムラ。こんなところまで引っ張り回した挙句に……」 

 

 こんなところ等と言いつつも、俺はここがどこなのかさっぱり見当もつかない。

 

 赤土を盛り固めた、お世辞にも堅牢そうには見えない土壁。

 細く入り組んだ、黒土の剥き出しとなった路面。

 明かりの一つもなく殺風景な、掘っ立て小屋同然の住まい。

 

 走っているあいだは全く気がつかなかったが、どうやらここもミストピアの一部であることに変わりはないらしい。

 おそらくは俗に言う貧民街スラムというヤツなのだろう。

 だが、それがわかったところで特に意味はなく思えた。

 

 時折道端ですれ違う住人は、皆、暗い表情をしていた。

 老人、幼子、中年、よくわからないヤツ……

 その殆どがあてもなく彷徨うこちらに胡乱な眼差しを向けては、すぐにそっぽを向く。


 中には目を細めて、ニタニタとした笑みを浮かべて近づいて来る者もいた。

 しかしそれも、ホムラがグルグルと低い唸り声を発すると、慌てて元いた暗がりへと舞い戻っていった。

 

「とりあえず、上だな……」 

「ピィ!」 

 

 自らを納得させるように呟くと、賛同するようにホムラが声をあげてくれた。

 

 はっきり言って、道がわからなかった。

 わかることと言えば、ここにくるまでどんどんと坂道を下ってきたということぐらいだ。

 だからいまは、その逆を行う。

 それぐらいしか思いつかなかった。

 

 当然だが、ミストピアの町がどんな構造をしているのかを、俺は知らない。

 僅かながらに知り得ていたのは、この町が貪竜湖と呼ばれる湖に……

 レゼノーヴァ最大の湖のほとりの一部に接する形で、大街道から下り降るようにして造られているということだけだった。

 

 それ以外、一切がわからない。

 迷路のように伸びる細道の先に、なにがあるのかも。

 俺が走り始めた最初の地点が、どこであったのかも。

 

 ……一体どんな面を下げて、フェレシーラに顔を合わせればよいのかも、わからなかった。

 

「――そうだ」


 せめて、何か目印になるものが欲しい。

 そんなことを考えているときに、俺はふとそれを思い出した。


「教会……教会だ」

 

 そう呟きながら、俺は思い出す。

 鉄の十字を掲げた建物の、その独特の景観を思い出す。


 聖伐教団の所有物である教会は、俺が唯一この町ではっきりと覚えている建物だ。

 その場所さえわかれば、そこから泊まっていた宿を探し出すことも出来るだろう。

 なんなら中に立ち寄って、道を尋ねてしまえばいい。

 この際、フェレシーラとはぐれてしまったことも全部打ち明けてしまおう。


 受付の……なんて言ったっけ、あの……

 とにかく、あの神官の女の子に事情を話せば何となるはずだ。

 確実に呆れられてしまうだろうが、背に腹は代えられない。

 

 そうとなれば、いつまでもウジウジしている場合ではなかった。

 

「誰かに会って、教会の場所を教えてもらわないと……」 

 

 ようやく見つけた一縷の望み。

 それを手放してなるものかという想いから、俺は独り言を口に歩みを進める。

 

 あまり友好的とは言えぬ反応を示す路地裏の住人たちには、声をかけるのを躊躇っていたが……

 他によい解決手段が思い浮かばぬとあっては、選り好みをしていても仕方がないだろう。

 

 早足になって路地を進んでいくと、すぐに十字路が見えてきた。

 これまでうろついていた場所よりも日当たりがよく、幾分は明るい。

 周囲の壁や建物も、多少なりとも真新しい感じに思えた。

 迷わず、俺はそちらへと進んでゆく。

 

 十字路に出ると、右手のほうから人の声がしてきた。

 数は……二人、だろうか。

 真っ黒な外套を羽織った背の低い人影と、半袖の男が何やら言葉を交わしている。

 

 取りあえず、この二人に教会の場所を尋ねてみよう。

 そう思い歩を進めると、半袖の男が大股で遠くに去っていった。

 何か揉めごとでもあったのだろうか。

 

 不審に思い駆け寄る勢いを落とすと、外套を羽織った人影が振り返ってきた。

 

「おぉ……」

 

 人影が声をあげてきた。

 しゃがれた声だ。年老いた、女性の声。

 人影の正体は、片手で短い杖をついた老婆だった。


「そこな道ゆく若人……ばばのはなしを、ききなされ、ききなされ」


 背が大きく曲がった老婆が、手招きをしながらヨロヨロと歩み寄ってきた。

 老婆の瞳は白目の部分が黄色く濁っており、その中心は灰色をしていた。

 こちらを見ているようで、どこか遠くを見ている。

 そんな目だった。

 

 その瞳に気圧されて立ち尽くしていると、老婆は唇を大きく吊り上げてきた。

 伸び放題となってたい白髪がばさりと揺れて、満面の笑みを覗かせてくる。


「ききなされ、ききなされ……今より十二年前、悪魔どもがこの地に押し寄せてきた話、知っておいでであろう、若いひと」

「え……あ、はい。ええと……たしか」


 どこか様子の可笑しい老婆を前に、俺は戸惑いながらも話を合わせておくことにした。

 教会の場所を聞くにしても、それを話す切っ掛けぐらいは必要だろうという判断だ。

 だが――


「たしか、魔人の将軍が、このレゼノーヴァに攻めてきたっていう……」

「んぬ!? ちがうわ! バカモノが! 間違うでない!」


 俺の返答に、老婆は突然声を大にして吼え狂ってきた。

 

「レゼノーヴァなどという、盗人の国の話ではない! これは、偉大なる王国の最後にして最高の聖騎士……かの偉大な『聖伐の勇者』ジンが守り抜いた、ラグメレス王国の話じゃ! たわけが! たわけが!」

「え――あ、ちょ、婆さん、いたっ……! 杖、振り回したら……あたっ!」 

「ふん! バチじゃよバチじゃ、バチ……よいか、わっぱ。ばばが話すのは、それより更にまえのことじゃて……そう、まえのな」


 どうやら彼女にとって、こちらの認識は許し難いものだったらしい。

 老婆は手にした杖でこちらの頭をバシバシと叩いてくると、再びとくとくと語り始めた。


「そう。勇者ジンが魔人の王を討ち果たしたのは、今より二十八年まえ……遷神暦、百三十二年のこと。ジンがその命を落としたのち、魔人の将が消え失せたのは、一四八年。そしていまは、いまは……うむ?」

「……遷神暦、一六〇年」 

「おお、そうじゃ、そうじゃ……いまは、一六〇年。これが意味するところが、わかるか、若いひと……」

 

 ……ええと。

 言っていることが支離滅裂で、いまいちよくわからないけど。

 このお婆さんの言いたいことは、多分、こうだ。

 

「もしかして、また……この国に、魔人が現れるって。そういう話かな、おばあちゃん」 

「うむ! そうじゃ! かしこいぞ、わっぱ! かしこい、かしこい……そうじゃ、そうじゃ……かしこい、まこと、かしこいわっぱは……ほれ、続きがききたいか? ほれ、ほれ」


 こちらの言葉に老婆は頷くと、再び満面の笑みとなって手を差し出してきた。

 その掌には、フチの欠けた小さなお椀が乗せられている。

 

 なるほど。

 ……多分、あれかな。

 この人は、道ゆく人を捕まえては、こんな感じで『お告げ』の謝礼を要求しているのだろう。

 先程、半袖の男が離れていったのはそういうことらしい。

 

 どうしようかと、俺は悩む。

 言いかたは良くないけど、厄介な人に当たってしまったが……

 幸いと言うべきか、お金も少しぐらいなら持ち合わせている。

 

 ここは一つ、『お告げ』のほうは切り上げてもらい、当初の目的を果たすことにしよう。

 

「えっと。ちょっとおばあちゃんに、聞きたいんだけど。この町の教会って――」 

「……なんじゃと?」 


 教会は、どこにあるのかと。

 そう尋ねようとした途端、老婆の濁った瞳が剣呑な光を放ってきた。


「え。あ、いや……ばあちゃんの話は、また今度にしてさ。おれ、教会の場所が」 

「教会! きさま、いま教会と言ったか! この、罰当たりめが! 不心得ものめが! きさまも、母なる神を貶める気か!」 


 会話の途中、またも老婆の杖が振り回されてきた。


「おっと……!」

「ピ! ピピィー!」 

 

 だがしかし、二度目はそう簡単に流石に喰らわない。

 ホムラの声援を受けて、俺は老婆と距離を取る。

 残念なことに話は通じないらしい。

 

 そう判断してその場を離れようとしたところに、老婆が大きく目を見開いてきた。

 

「むむ……! なんじゃ、その奇怪な鳥は……そうか! その鳥、魔人将の手下であろう!」

「は――はあっ!? な……なんだよそりゃ! どうしていきなり、ホムラが魔人の手下になるんだよ! 幾らなんでも、言っていいことと、悪いことがあるぞ!」

「良いも悪いもあるか! うぬ……よくみれば、わっぱ! きさま赤い髪をしておるな! ということは、魔女の手下か! それであの恥知らずな教会を……聖伐教団を探していたのは、そういうことであったか! この、悪魔の手先めが!」

「――」

 

 続けざま、一方的に老婆に捲し立てられたことで……俺はいい加減に、言葉を交わすという行為を諦めた。 


 駄目だ。

 流石にこれは、時間の無駄だ。

 会話を試みても、馬鹿を見るだけだ。

 言いたくはないが、物乞いの妄言に付き合っている暇など俺にはない。

 なにより、ひどく気分が悪かった。

 

 もういい。

 さっきの糞餓鬼といい、ここにはロクなヤツがいない。

 こんな場所では、他人を頼るだけ無駄だ。


 ムカムカと胸をかれる思いに背を向けるようにして、俺はもと来た十字路へと爪先を向けた。

 

「なんじゃなんじゃ……逃げるのか、魔女の手下めが! わしらの王国を踏み躙っておいて、逃げるのか! この、盗人どもめが! 火事場泥棒どもめが! 恥をしれ! 恥を――」 

 

 尚も撒き散らされる罵詈雑言に、心の耳を塞ぎながら。

 俺はこれ以上見知らぬ掃き溜めを目に入れぬよう、猛然と走り始めた。



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