48. 宿場町セブ
【レゼノーヴァ周辺マップ】
小さな詰所の置かれた、衛兵付きの門を抜けてゆく。
すると、石壁で囲われた街並みと「ようこそ、宿場町セブへ!」と書かれた看板が、視界に飛び込んできた。
「さーてと。町にもついたし、一度教会に寄ってからフレンを預けられる宿を――って、フラム。貴方、門をとおり抜けてからずっと、
キョロキョロしすぎじゃない?」
「い、いや、そんなこと言ってたってな……! ここ、いきなり人増えすぎじゃないか!?」
「ピィ!」
整備の行き届いた往来をゆく人の数に思わず声をあげると、背中のナップサックを占拠していたホムラが同意するかのように鳴き声をあげてきた。
グリフォンの雛であるホムラを、人前で連れていていいものか――
そう悩みはしたものの、フェレシーラによると「魔獣の類を調教してペットとして連れ歩く人間も、そこまで珍しいこともない」との話で、そのまま連れ歩いている。
とはいえ、幻獣種が珍しいことに変わりはない。
野放しでは売買目的の拉致や、幼いゆえのトラブルも十分に起こり得る。
なので街中では、万全を期してナップサックの住人になってもらっているというわけだ。
それもこれも、想定していた以上にホムラが大人しく、俺たちについてきてくれていたお陰ではあるのだが……
それでも、気を引き締めておくに越したことはないだろう。
何せこちらはホムラの世話を始めたばかりで、まったくと言っていいほど勝手がわかっていない状態だ。
故郷の森で、ホムラを助けてくれた男――
黒衣の魔術士バーゼルは、ホムラは俺を仲間として認識したと言っていた。
だがこれは、それだけで片付くような話でない。
ゆえにここは慎重に、肌身離さずといった体を貫かねばならないだろう。
そんなことを考えていると、フェレシーラが振り向いてきた。
「こんなので驚いていたら、この先もたないわよ。ここは公都付近に比べたら、田舎も田舎。まだまだ序の口だもの」
……序の口って。
見える範囲、道の始まりから終わりまで、辺り一帯に建物が並んでいるんですけど。
しかもその殆どが石壁と木材を用いた三角屋根という造りで、平屋のほうが少ないぐらいだ。
道もそれまでの黒土を固めたものと違い、煉瓦でしっかりと舗装されている。
広さにしても、ぱっと見ただけでもシュクサ村の十倍以上はあるんじゃなかろうか。
まあそれでも、あそこの村長の屋敷並の建物は見当たらないが。
「それにしても、この密度は凄いな……物も人も、立ってるだけでくらくらしてきそうだ……」
「そうね。ここは南北から伸びる街道の合流地点で、南のラ・ギオと北のメタルカから渡ってくる人にとっての公国への玄関口だから。規模の大きな町自体は西に進めば幾らでもあるけど……警備の厳しい関所が置かれてないのもあって、賑わってるのよ」
「なる。それだけに混沌としてる、ってことか。如何にも冒険者ですって格好の人もチラホラ見かけるし……よく見りゃ犬猫みたいな耳と尻尾生えてる人もいるな。なあ、あの人達ってラ・ギオの獣人だよな? 俺、初めてみたぞ」
「そういう言いかた、しない。獣人族は、何ていうか……総じて誇り高い種族だから。ジロジロ見てると喧嘩吹っ掛けられてると思われかねないし、注意しておいて」
「う……それは気を付けておかないとだな……」
フェレシーラの説明と指摘に、俺は口元に手をあてて背筋を正した。
それにしても、あらゆる物の密度が凄かった。
道なりに進もうとしただけで度々誰かと肩がすれ違いそうになるなんて、俺からすれば初めてのことだ。
ところ狭しと立ち並ぶ建造物と人の波を前に圧倒され、思わず視線を町の入口側へと戻してしまう。
この場所……セブの町に着くまでは、小さな集落の一つも見かけなかったというのに。
道中ですれ違う人間も片手で足りる程度しかいなかったのに、大した変わり様だ。
街道を進んでいる間はさして気にならなかった夏の日差しも、平原を吹き抜けていた風とお別れしてしまってからというもの、ジリジリと肌を攻め立ててきている。
生活音も、凄い。
大声でやり取りされる露天商の活気だとか、時折流れてくる聞いたこともない打楽器の演奏だとか、空腹を刺激してくる甘辛な肉汁の匂いだとか……
雑踏という言葉の意味を、五感の全てで以て否が応にも実感させられてしまう。
「うーん……それにしても、ここまで一気に変わるのはびっくりだな。別世界すぎるっていうか……」
「レゼノーヴァは若くて活気のある国だから、こういう旅人向けの町が増えてきているのよ。城下町が多い他所の国だと宿場町が少なくて、旅の宿を取るには小さな集落を利用するケースが多いらしいけど」
「ふぅん。それって結構大変そうだな。こっちの方が便利なんじゃないか?」
「この国にはまだまだ堅牢な都市を増やす余裕がない、という証拠よ。あの騒乱で、王国時代の主要な都市はあらかた駄目にされてしまったから」
「……なるほど」
フェレシーラの言う『あの騒乱』とは、他でもない。
十六年前、この地を襲った魔人たちの軍勢によって引き起こされた戦いのことだ。
そして王国とは、その戦いで滅ぼされた大国ラグメレスを指している。
「でも、それにしてもここまで極端に人が増えるもんなのか? あの森が幾ら『迷走』の術で人の出入りをコントロールされていたからって……これだけ近くに大勢の人がいたら、森を出た後にもっと商人なり旅人なり見かけてそうなもんだけど」
「それは……仕方ないんじゃないかしら。なにせあそこは、『煌炎の魔女』の棲家。大抵の人間は近寄りすらしなくて当然よ。誰だって、命は惜しいもの」
「命って。森に入ったところで追い返されるだけだろ? そこまで怖がらないでもよくないか?」
「そうね。でもそれは飽くまでも、侵入者がさしたる害意と武力を持たなかった場合の話よ。少なくとも、メタルカやラ・ギオの指導者たちはそれを理解しているでしょうね」
「武力って……それって、もしあの森に軍隊とかが踏み込んできたら、師匠が黙っていないっていう話か? さすがに、幾らなんでも余所の国と事を構えるだなんてのは……」
「そんな事態にはならないのであれば、貴方のいうとおりに道中もっと賑やかだったでしょうね」
自ら抱いた疑問で会話を〆られて、俺はそれきり何も言えなくなってしまう。
「師匠が、他国にとっての脅威か」
正直言って、あの人の私生活を長年目にしてきた身としては、まったくピンと来ない話ではある。
あるが……あの森の不自然なまでの静けさが、魔人将を討ち取ったとされる『煌炎の魔女』を可能な限り刺激しない為の、周辺国の対応であるとすれば。
あれだけ広大な森に滅多に人が寄り付かないことに、納得がいくのも確かだった。
「あの場所が知れ渡ったら、ここも更に混み合うでしょうね……」
馬を降りたフェレシーラの後に続いていると、そんな呟きが聞こえてきた。
あの場所とは、先日俺たちが『隠者の森』で見つけた霊銀の洞窟を指している。
彼女の話によれば、盗掘行為に対しては国からの厳罰が降るとの話だったが……
それでも尚、稀少な霊的物質を入手しようという輩は後を絶たないのだろう。
バーゼルの話では森を監視していた師匠もおらず、『迷走』の魔術も発動していないとすれば、遅かれ早かれ侵入者は増えてゆくのだろうが――
「ピィ」
不意に、背中のホムラが鳴き声をあげてきた。
反射的に手を伸ばすと、首元を撫でられたホムラが「グルグル」と喉を鳴らしてきた。
まるで、思考の渦に呑み込まれかけた俺を心配してくれたかのような、タイミングの良さだ。
「ごめんな、ホムラ。俺がしっかりしてないといけないってのにさ」
「ピピッ」
ホムラの発した鳴き声の行き先を追うように、俺は頭上を見上げる。
どこまでも広々と晴れ渡る、夏の空。
悠然と流れゆく、真っ白で分厚い雲の群れ。
どれだけ地が人と物で溢れかえっていようと、空だけは変わらない。
その空をスウ、と吸い込むように深呼吸してみる。
そうしてみると、気持ちが幾分楽になってくれた。
「……うん。折角初めて町に来たんだ。楽しまないと、損だよな……!」
落ち着いてみると、目につくもの全てが魅力的に見えてきた。
すれ違う売り子が抱えた、焼きたてのパン。
露店を彩る、煌びやかな装飾品。
巨大な天幕の元で催される、見世物小屋。
「ここよりも凄いって、公都とか想像もつかないな……!」
「あら。もうそっちが気になるなんて、随分とせっかちね。言っておくけど、順調に行ってもアレイザまでは相当かかるわよ」
「ならそれだけ、楽しめる期間も長いってことだろ? お――あれなんか、見てみろよ! 人形劇、やってるぞ! なんだろ……黒いヤツを、赤いのがやっつけてるみたいだけど」
「はいはい。やることやったら、少しぐらいは見て回ってもいいから。まずは教会にいきましょう」
「ああ……わかった! 教会からだな!」
フェレシーラの催促に、俺は意気揚々と歩みを速めていった。




