419. 告げられし名
俺自身に関すること。
これまでの、そして今回の影人の襲撃に関すること。
ルゼアウル自身のこと。
質問したいこと、知りたいことは、それこそ山のようにあった。
「我が君とは……」
しかしそれらを押しのけて俺がルゼアウルに問うていたのが、彼が固執する『我が君』に関するものだった。
正直に言って何故にそこから質問していたのか、自分でもよくわからない。
だがそれであっても、他のなにを捨て置いても、という胸騒ぎにも近い直感があった。
「我が君そこ、地上、奈落における真の支配者として、相応しき御方……神代の時より続く因果を越えし、新たなる統治者……」
制約により発動した『忘我』の術効による影響なのか、ルゼアウルが平時のそれよりも平坦且つ、緩慢な動作で『我が君について詳しく教えろ』という、こちらの要求に答え始めた。
それはいい。
定めておいたとおりに、制約機能している証だ。
だからそれはいい。
だが、問題なのはルゼアウルが口にした言葉の内容だ。
「地上、奈落の真の支配者だとか、また随分と大きく出たもんだな……続けてくれ。もっと具体的に、そいつが何者であるかを先に教えてくれ」
こちらの指示を受けて、耳木兎の魔人がゆっくりと頷く。
琥珀色の瞳で何処か遠くを見つめたまま、彼は続けてきた。
「我が君の名は、ヴォルツクロウ――」
「んな……!?」
自失の中にありながらもなお畏敬の念に満ちた厳かな声と、それを圧する驚愕の声。
だがそれは、俺の口から漏れ出でたものではない。
遮るものなく告げられたその名に震えたのは、いまは地に在る黒き魂の、仮初の器だった。
刹那、俺は迷う。
翔玉石の腕輪を震わせたジングの反応をみるに、たったいまルゼアウルが口にした『ヴォルツクロウ』とやらとコイツの間には、浅からぬ因縁があるのだろう。
となれば……このままルゼアウルに在り来たりな質問を続けるよりは、ジングの好きにさせた方が事の核心に迫る情報を得られるかもしれない。
勿論ジングが調子に乗って質問が明後日の方向にいくのであれば、適宜修正をかけてゆく必要はある。
しかし、その手間を差し引いても試してみる価値はあると思えた。
となれば、ここはジングの様子をみつついくしかないだろう。
「なんだよジング、そんなに驚いて。知ってる魔人の名前だったのか?」
「お、おうよ……ちょっとした、昔の知り合いみてぇなもんだが……」
戸惑うジングの返答で、その『ヴォルツクロウ』が魔人であることは確定した。
ルゼアウルの主であれば当然なのだろうが、万が一、という場合もあるのでやはり大事だが……
それにしても、ジングのヤツの狼狽えぶりが凄い。
普段から超がついても足りないほど喧しいヤツではあるが、いまはあまりに衝撃が大きかったのか、口を動すのも忘れて呆然としてしまっている。
が、それも長続きはしない。
「クロウのヤツは、生きてんのか」
「こちらが掴んだ情報によれば、恐らくは」
迷った挙句の一言に、ルゼアウルが応えてくる。
それを受けて、ジングが堰を切ったように口を動かし始めた。
「場所は……場所は何処にいる! アイツはいま何処にいる!」
「先程まではフラム・アルバレットの体の中にいるものとして行動していました。ですがいまは不明です」
「なら、目的はなんだ! 小僧の体を奪ってなにをする気だ!」
「それに関しては、こちらは何もしりません」
「んだよ、つっかえねーな!」
淡々と答え続ける耳木兎の魔人に、ジングが足元から大声をあげてきた。
なんというべきか……
思っていた以上に『忘我』の術効は効果覿面。
質問をすればすんなりと答えるし、会話への理解力と対応力も必要十分、といった様子だ。
こうして効果を目にしてみるまでは、案外と対象との意思疎通が上手く行かず、頓珍漢な回答を寄越されたりするのでは、と考えていたのだが……これなら『制約』に絡めず『忘我』単体で活用できる場面もあるだろう。
まあ、これは相手がルゼアウルだから、という可能性もあるのだが。
しかしながら、ジングくん。
焦り過ぎているのか、質問そのものが粗い粗い。
どうやら『ヴォルツクロウ』の存在が気になって仕方ないようだが、折角の質問タイムを活かしきれてない感じがバリバリだ。
だがここに関しては、我が君さんこと『ヴォルツクロウ』とジングに何かしらの強い因縁があることが見えてきたので、良しとしよう。
「そこまでだ、ジング。後はこっちの質問があるからな」
「ぬぐぐぐぐ……いいや、まだよ! まだ打つで手は……そ、そうよ! そうよそうよ……! アイツがまだ俺様の存在に気付いてねえってんならよ!」
こちらの言葉を受けて、しかしジングは切羽詰まった様子で声をあげてきた。
「ここでコイツを、サクッと始末しちまえばいいだけの話よ! おい、小僧! いますぐコイツにトドメを刺しやがれ! でねえと、取り返しのつかねぇことになるぞ!」
「ちょ、おま……!」
名案を思い付いたとばかりに叫ぶジングに、今度は俺が慌てる番だった。
「いきなり、なに言い出してんだこのアホジング! そんなこと口にしたら――」
「むう! ターレウム、ルゼアウルさまを傷つけるヤツ、ゆるさない! おまえたち、つぶす!」
「って、そーなるよなぁ!?」
それまでじっとルゼアウルの傍に控えていた赤銅の魔人、ターレウムがその手に握った巨大な戦斧を振りかざしてこちらに進み出てきた。
怒れる魔人がその巨大な足を踏み出したのは、当然ながら『忘我』の術効に囚われ身動き出来ぬ主ルゼアウルと、俺の立つ間。
即ち、超絶ド阿呆鷲兜のジングくんが宿る翔玉石の腕輪が転がるスペースだった。
このままいけば、見事にプレスされて綺麗な足跡の出来上がり。
そこに転がっていたままでは、如何に大怪鳥の稀少素材で作った腕輪といえど一溜りもなく、粉々に砕けることは避けられない。
「え、あ、い、いまのはちょっとした冗談でして――あひんっ!?」
この期に及んでアホ丸出しな発言を行う腕輪に向けて、俺は右足を一閃させて、結果も見ずに左に跳ぶ。
「あっぶな……いだっ!?」
キーン! という澄んだ響きに遅れて、全身に鋭い痛みが走る。
一瞬、なにが起きたのかもわからないまま、それでもなんとか荒れ狂うターレウムから距離を取る。
その間にも、たったいま引き起こされた現象について思考を回す。
ジングの宿る腕輪を蹴った後、僅かなタイムラグをおいてのこちらへのダメージの発生。
途端、思い出したのは真っ白いドーム状の空間。
初めて己が精神領域に足踏みいれて、鷲兜を蹴り飛ばした時のこと。
こちらとジングの間にあったダメージの連動現象を、俺は思い返すに至っていた。
「くっそ……こっちでもダメージが連動してんのかよ! しかも一方通行とか最悪だろ……!」
「一方通行じゃねえよ! テメェがボコられたときは毎度俺もいってぇんだよ!」
「え、マジか。ごめん……てーか言えよな、そういうことは!」
「言ったところでどーせテメェは止めやしねぇーだろ! こんの、ギャンブルアタック狂いが! でも今のはありがとうございましたァ!」
「いやまぁ、それはそうだけ……ぅぐっ!」
やや離れた地面より中々に衝撃的な告白を受けつつも、再び全身を駆け巡った痛みに足が止まる。
不味い。
そろそろ冗談抜きで体に限界が来ている。
というか、ルゼアウルとの決闘を制した時点で、半ば無理矢理立っているような状態だった。
これまでであれば、自前で『治癒』の神術を使って、誤魔化すことも出来ただろうが、いまはもう不定術法式用の霊銀盤も損壊させてしまっていたので、それもままならず……
「おまえたち、もう、ゆるさない!」
ルゼアウルに対して質問をするだけ、という前提だったこちらが禁を破ったことで、この赤銅の魔人は完全にこちらを叩き潰しにきている始末だった。
「くっそ……まあ、俺も要らない欲掻いたのが良くなかったな、今回は……」
ズン、ズン、と地を揺らして迫りくるターレウムから、なんとか逃れようとするも体が動かない。
一か八か。
それとも九死に一生というヤツか。
なんとか取れそう手段を見つけに思考を回すも、無情にも戦斧が振り上げられて――
「光よ!」
そこに、朗々と響き闇を貫く声と光とが押し寄せてきた。




