408. 撤退戦、遂行
今回の迎賓館襲撃……
その黒幕である魔人を前にしての、撤退戦。
少々大袈裟にいえば、それは負け戦ともいえるだろう。
「にしても、あの女が逃げを受け入れるとはな。正直意外だったぜ」
「お前の言いたいこともわかるけどな。そこに関しては考え方次第かな」
「考え方次第だぁ?」
「ああ、そうだ」
ルゼアウルの元へと向けて歩みを進める、その途中。
俺はジングの呟きに対して、独白染みた答えを返していた。
「ティオの離脱支援に、こっちに向かっている兵士たちの統率。追手が迫ってきた際の主軸になる交戦要員。フェレシーラが引き受けてくれたのはそういう部分……撤退戦に関わることの殆どに関してだと俺は思ってる」
「ハ。オメェらは好きだねえ、そういうの。逃げは逃げ、負けは負けですまねぇのな。めんどくせぇったりゃありゃしねえぜ」
「そう言うなって。理由が必要なんだよ、皆」
ジングのいうことも尤もではある。
どれだけ上手く立ち回ろうが、どれだけ頑張ってみようが、撤退戦は撤退戦だ。
どこぞの鷲兜のようなアホが一人で突っ込んで来て、返り討ちにして一発逆転めでたしめでたし、なんてことでも起きない限り。戦果としては大きなものが見込めるわけでもない。
そういう意味では魔人の討滅に意気を燃やすフェレシーラが、こちらの提案をすんなりと受け入れてくれたのは、意外といえば意外だった。
ちょっと己惚れて見方を変えてみれば、だ。
それは彼女がそれだけ俺に期待してくれているという、証ともいえるだろう。
まあ、提案した俺が言うのもなんだけど。
「起承結。揺蕩う光、安寧の輝きよ」
手甲に意識を集中して、不定術による『照明』を前方へと出現させる。
メグスェイダともどもホムラも離れている現状では、こうして自前で光源を生み出す必要があるわけだが……
「――つぅ」
己がアトマを糧に熾る燐光を前にして、走る眼底への微かな痛み。
「おい、どうしたよ。こんなところで立ち止まりやがって」
「いや……なんでもない。それよりも、あちらさんがお待ちかねだ。打ち合わせ通りに頼むぞ」
ふよふよと闇夜に浮かぶ『照明』を左手で操りつつジングへと注意を促す。
同時に、翔玉石の腕輪は手甲の中へと納め切っておいた。
「これは一体、どうした風の吹き回しですか」
すると腕輪からの返事に先んじて、羽角を失った耳木兎の魔人、ルゼアウルが問うてきた。
その両脇を固めるのは二体の魔人。
巨大な戦斧を携えた赤銅の魔人ターレウムと、ローブの下に鋭爪を潜ませた魔人ツェブラク。
共に全身の至る箇所に手傷を負っているところをみると、フェレシーラとティオを主たるルゼアウルに何としても近寄らせまいとしていたことが見て取れた。
「決着を付けるまえに、話が出来ないかとおもってさ」
「笑止ですね」
牽制を兼ねてのこちらの呼びかけが、敢え無く切って捨てられる。
「その体を手にして良いのは我が君のみ。なれば言葉など不要。こちらは貴方を生け捕るのみ」
「なるほど。正に問答無用ってことか。ま、あんたは随分とお喋りみたいだから、それも怪しいけどな」
「……余計なお世話です」
しかし結局は一笑に付しきれずに続けてきたルゼアウルに、俺は立場も状況も忘れて苦笑してしまう。
既に俺以外はこの場に残っておらず、幾らルゼアウルにダメージがあるとはいえ、戦力的にみればあちらが圧倒的に有利。
にも関わらず、ルゼアウルは従僕である二体の魔人を傍らに配したまま動けずにいる。
おそらくそれは、こちらに何らかの逆転の策があるという見立てからくる対応だ。
苛烈な吐息の撃ち合いで手傷を追わされたところに、気が付けば露骨なまでに優位な状況が転がり込んできている。
特に深読みをしない相手であれば、これ幸いと襲いかかってくるところだろうが……
悲しいかな、ルゼアウルという魔人は統率者をこなすには、不必要なまでに頭を回す癖がありすぎた。
ぶっちゃけここはまずは、ターレウムかツェブラクのどちらか差し向けて、こちらの出方をみておけば良い場面だ。
それだけで俺は然したる余裕がないことを露見させて、あっさりと窮地に陥るだろう。
警戒心が高過ぎるっていうのも考えもの、といったところだ。
まあ、こちらにしてみればルゼアウルがそういうタイプである、という確信に近い判断があっての行動だったわけだが。
更きいえば、残る二人の魔人もヤツの忠実な部下でこそあれ、あれこれと口を挟んだり、独断専行に走る出合いではなかろう、という読みもある。
「あんたのいう我が君とやらに、こっちはまったく覚えがなくってさ。なにかの勘違いとか、人違いなんじゃないのか?」
「……答えてあげる義理はありませんね」
わずかな間を置き、ルゼアウルが口を開いてきた。
「言っておきますが、あの人間たちが撤退するまでの時間稼ぎのつもりであれば無意味ですよ」
「おっと……まあ、待てって。もう少しぐらい付き合っても、損はさせないからさ」
強気の宣言を宥めすかすようにして、俺は両手を振る。
あちらは時間稼ぎは無駄と言っているが、ここは大事な部分だった。
こちらを捕縛した上で、『爆炎』付きの鉄巨人を置き土産にして、この場を後にする。
まあ、ヤツが兵士たちを殲滅する必要性を感じていなければ、鉄巨人は温存というパターンもあるかもしれない。
どちらにせよ、ルゼアウルの言動からすればそんなところだろう。
そしてコイツは今現在、こちらがなにかしらの罠を張り巡らせていると予想している。
故にリスクを抑えて俺の魂胆を知れる可能性があれば――
「フム。聞くだけ聞いてあげましょうか。ですが少しでもおかしな真似をすれば、命の保証はありませんよ。それと、そこで止りなさい」
「了解だ。だけど悪いが武器はこのままにさせてもらうぞ。なにも降伏しにきたわけじゃないからな」
「いいでしょう」
と、いう次第で乗ってきてくれた。
あちらにしてみれば、3対1という願ってもない状況。
なにかしらの狙いがあったとしても、それを捌き切ればメリットしかない、という判断に違いない。
「ま、聞きたいことはそう難しい内容じゃない」
突き出した手はそのままに、俺は声をあげる。
僅かながらの時間稼ぎは、まずは成功。
これでティオが無事離脱できる可能性は、グンと高まった。
となれば……こちらは手筈通りにいくのみ!
手甲の霊銀盤にアトマを注ぎ込み、俺は疾く術法式を練り上げる。
「ルゼアウル様!」
その動きにいち早く反応してきたのは、ローブの魔人ツェブラク。
闇夜に溶けた外套の内より、三本の爪がこちらに伸び迫る。
蒼鉄の短剣を抜き、左にステップを踏む。
距離は十分。
余裕をもって避けられる。
そう判断して足を止めかけたところに、ツェブラクがニヤリと笑みを浮かべてきた。
「く――ッ!」
まるで『照明』の光を避けるようにして弧を描いてきたのは、躱したと判断した魔人の鋭爪。
それを寸でのところで身を捻ってやりすごす。
「チッ。存外、まだ動くか」
「ぬう。だましうち、おまえ、ひきょう」
舌打ちと共に爪を巻き戻すツェブラクに続き、赤銅の魔人ターレウムが進み出てきた。
「なんとも、小癪とすらいえない手を使うものですね。そんなことで私を討てると思いましたか。ツェブラク、ターレウム! 手足のニ、三本は叩き折ってあげなさい! ただし、殺してはなりませんよ!」
「あい!」
「ハッ!」
奇襲は失敗、対話もこれまで。
そう判断したのであろうルゼアウルの命を受けて、二体の魔人がこちらに突っ込んできた。




