401. 因果を嗤う鷲兜
「む……!」
こちらより見て、左前方にフェレシーラ、右前方にティオが駆け出したのを見止めて、耳木兎の魔人ことルゼアウルが警戒の眼差しを巡らせてきた。
「挟み討ちにする算段ですか……! ターレウム! ツェブラク! お行きなさい!」
「あい」
「御意に御座います、ルゼアウル様。矮小なる人間風情の首一つ程度、即座に刈り取って御覧にいれましょう」
主の命に従い、左右に控えていた魔人たちが動きだす。
赤銅色の斧持ちがフェレシーラに向けて、黒いローブを纏ったヤツがティオへと向けて、それぞれ間合いを詰め始める。
膠着状態から先手を打って動きだしたお陰もあり、こちらの狙い通りの組み合わせとなる形だ。
そして残すところは、数十はいようかという影人と、その統率者たるルゼアウルとなるわけだが……
「影人たちよ。人間どもの兵を食い止めるのです。こちらに手出させてはなりません」
耳木兎の翼がバサリと夜霧を払うようにして打たれると、影人どもは地に溶け込み、こちらの先を行っていた兵士たちへと向けて、無音の行進を開始していた。
『お……まさかまさかの動きだな。これで随分と動きやすくなったけど、それだけ邪魔はさせたくないってことか。お前の乱入が随分と効いてるぽいぞ? ジング』
『うぉん? なんだオメー。わざわざ俺様に話しかけてきてんじゃねーよ。アトマが切れたら呼びやがれってんだ。また乗っ取ってやるからよぉ』
『誰が一々そんなこと教えるか、アホ。ま、一応またヘバってだんまりになってないか、確認しただけだ。あんま気にすんな』
『へいへい、フラム様はおやさすぃことですなぁ。マージでけったくそわりぃーんだよ、オメェのそういうところがな!』
うむ。
ちょっと確認をしてみただけで、この荒れよう。
ジングくん、心底ご立腹なご様子でなによりです。
この分であれば、そうそうにゼフト切れを起こしてまた沈黙、というオチもないだろう、
しかしまあ俺とて、別に本気でコイツのことが心配で話を振ったわけではない。
ここから先、やりようによってはこの鷲兜の――
「ご容赦をば、我が君よ!」
思考を回す最中、ルゼアウルが宣言と共にバサリと翼を打ち、瘴気の波動を放ってきた。
魔人の済む奈落に満ちるとされる瘴気は、地上で暮らす生き物にとっては毒同然。
当然ながら、こちらとしてはそんな物騒な代物を喰らってやる義理もない。
「おっと……!」
扇状に撒き散らされてきた黒い靄を、影人の奇襲を警戒しつつ後ろに跳んでやり過ごす。
やはりというべきか、この魔人と影人の統率者らしきルゼアウル……
明らかに、俺を殺しにきてはない。
もっと突っ込んでいうのであれば、こちらを無力化ないし、篭絡に来ているのだろう。
それは先刻の精神領域のやり取りからも、類推することが出来ていた。
魔人の統率者が、何故そんな真似に及んでくるのか。
その裏にあるあちら側の持つ情報は、喉から手が出るほど欲しいものだ。
そしてこの状況下であれば――
「やはりわざわざ瘴気を避けますか。となれば、そのアトマは偽装などではなく……報告にあった人間、フラム・アルバレットというわけですか。貴方は」
不意にルゼアウルが、嘆息混じりの言葉を洩らしてきた。
きた。
思っていたとおりに、切り出してきた。
これはおそらくは、ここから『自分が期待していた展開』へと転がることに一縷に臨みをかけての、確認。
なんてことはない、未練の現れというヤツだ。
ジングが利用していた、魂を入れ替え、肉体の所有権を奪う術法式。
そのジングと同類である、魔人の登場と幾つかの発言から予想される、一つの仮定。
即ちそれは、『フラム・アルバレット以外の何者か』が俺の肉体を乗っ取ることを、『魔人たちが画策していたのでは』、という疑念だった。
……少々突飛に過ぎる話ではあるし、そもそも考えたくもない内容ではあるものの、その仮定でいくと腑に落ちる部分が多いのも、確かなのが現状だ。
ルゼアウルが再三に及び口に上らせてきた『我が君』という発言に関しても、そう考えれば納得がいく。
加えて言えば困ったことに、『我が君』という言葉自体、聞き覚えもある。
それは俺がフェレシーラと初めて出会った次の日。
彼女と『隠者の森で』共に影人の調査に乗り出し、滝つぼの傍の河原にて大型の影人と交戦した際のこと……
一度は不定術法により焼き払った筈の影人が、黒焦げの巨体を蠢かせて発していた、カタコトの言葉。
ワガキミ。ミツケタ。ワガキミノ――
そんな言葉を口にしていたことを、俺は覚えていた。
それを思い返しつつ、耳木兎の魔人に返すべき言葉を定めていく。
「どうやらあんたが『隠者の森』に放っていた影人には、生き残りがいたみたいだな」
「……!」
細心の注意を払いこちらが口を開くと、琥珀色の瞳が大きく見開かれてきた。
「何故、貴方がそれを……!」
「さてね」
肯定に等しい驚嘆の声に、俺は平静そのもの、といった調子で返しておく。
ふう……
いやこれ、自分で仕掛けておいてなんだけどさ。
ぶっちゃけ滅茶苦茶キツいリアクションだな! 一応覚悟の上での引っ掛けだったとはいえ!
まあ……ともあれ、だ。
これでほぼほぼ、ルゼアウルの狙いも確定した。
正直なところ、してしまった、と言いたい気分ではあったが、それはもう仕方のないことだろう。
『おい』
『んだよ……引っ込んでるんじゃなかったのかよ、鷲兜』
『ヘッ! べっつになんでもぬぇーよ! ま、一つだけ言わせてもらうんならよぉ。あの雑魚フクロウモドキがいってるワガキミなんてヤツよりゃあ、このニ……あ、いや。こ、このジング様の方が、ナンボも格上だからな! んな雑魚を崇める雑魚のいうことなんざ、一々気にしてんじゃねーよ! これ見よがしにうっとおしい溜息なんて吐きやがってよ!』
『なんだそりゃ……ていうか、雑魚雑魚いいすぎだろ。はは……』
唐突に、その上ボキャブラリーも欠如しまくったジングからの文句に、思わず失笑してしまう。
どうやら俺は、このふざけた乗っ取り野郎に慰められてしまっているらしい。
そのことに気付くと、肩に重くのしかかってきていたアレコレが、嘘のように吹き飛んでいた。
「サンキューな、ジング」
「あァン? なにテメェ、勘違いして……って。ありゃ?」
しっかりと声に気持ちを乗せて呼び掛けると、翔玉石の腕輪に見覚えのある嘴が浮き上がってきた。
「なんだ? オメェ、どういう風の吹き回しだ? わざわざ喋れるようにしてくるなんざよ」
「そこはアレだ。これからのお楽しみ、ったヤツだな。それよりも……あっちもそろそろ痺れを切らしてくるぞ?」
「ほーぅ。はぁあ……ぬぁるほどねぃ……」
じわじわと距離を詰めてきていたルゼアウルの姿を、カッと見開いた猛禽の眼で捉えて、ジングが厭らしく嗤う。
以心伝心、というほどではなくとも、これから俺がやろうとしていることが、なんとなくで伝わっている感じだ。
というか、どうせ作戦しっかりと伝えたところで、コイツがその主旨を完全に理解出来る筈もなく。
むしろ半端に知ることで、こちらの望む役割を果たせなかった、というオチするありえるのがジングクオリティである。
「ま、お前の言葉を借りるなら所詮はパワーだけの雑魚だしな。一丁、気楽にやってみるか……!」
「ハン。おりゃあオメェのことなんて、どーでもいいけどよぉ。ま、雑魚は雑魚なりになかなか力を奪えたしな。礼の一つもくれてやるってのが、礼儀ってもんだわなぁ」
心機一転、迫る魔人を見据えて気合を入れると、そこに尊大な同意の声がやってきた。
……いやまあ、やる気になってくれるのは、こちらとしても大変ありがたいんですけどね?
最早ツッコミ待ちとしか思えないから、スルーしとくぞあっち突っ込んできてるし!