398. - evil change -
ぼいーん、と跳ね返る鷲兜。
そして鼻腔を備えた嘴を手で押さえて仰け反る、ルゼアウル。
「な、ななななな……」
「あらよっとぅ!」
よろめき後退る兎角の魔人を尻目に、鷲兜がシュタッと着地を果たした。
同時に、ズキズキと痛みを発していた俺の眼の奥に、幾つもの記憶の断片が瞬き蘇ってゆく。
その中に、こちらに向けて威嚇する、ヤドカリの如きポーズを取る鷲兜の姿があった。
「おま……ジング!? ジングなのか!?」
「ケッ! まーた寝惚けたこと言ってやがんな、この糞餓鬼がよぉ! こ、の、優美さ力強さ逞しさ知性美しさパワフルさしぶとさ、すぅおしてぇ! かしこさ溢れる姿を見て、他にどぅあれぐぁ存在するというのかねぇ、テメェはよぉ!」
はい。
これは間違いないですね。
このやかましさ、唐突さ、太々しさ。
どうみてもジングくんです。ご回答ありがとうございました。
「ていうかお前、言葉のニュアンスかぶりすぎだろ。かぶるのはそのクソダサ兜だけにしとけっての」
「は? なに言ってんだよテメェはよ。ニュアンスだかバイオレンスだかしんねーが、さては俺様の御威力にビビッてんな? あとクソダサ言わないで傷つくんで」
「あ、うん……今のは俺も、ちょっと言い過ぎだったかなって。サーセン」
微妙に語彙力のイントネーションが怪しいあたり、マジで本物だなぁなどと思いつつ、俺は真正面へと向き直る。
そこには、全身を戦慄かせる羽角の魔人の姿があった。
「ななな……なんですか、貴方は! 私の精神干渉に、何故いきなり貴方のようなわけのわからぬ異物が、堂々と紛れ込んでいるのですか……!」
「あァン? ぬあーに言ってんだ、オメェはよぉ。異物もなにも、ここはそもそも俺様の庭みてーなモンよ。ま……どこぞの餓鬼どもの横槍で、暫く留守にしていたがな」
琥珀色の瞳を見開き放たれた誰何の声に、鷲兜が悠然と応える。
遥か頭上より見下ろされているというのに、平静としたその様は、不思議なまでの貫禄を纏っていた。
「本来であれば、貴様如き三下がこの領域に土足で踏み入ることなぞ、赦されぬものではないわ。控えよ、下郎」
「さん……!? げ……!?」
恐らくそれは、初めて投げかけられた言葉だったのだろう。
ルゼアウルと名乗った魔人が、絶句しながらも耳木兎の翼をバサリと広げてきた。
「この私に向けて、そのような言葉……取り消しなさい! いますぐに!」
「おォン? なんだねチミは。まさかこのジング様とやり合う気かね? 三下下郎、略してサンゲロウクン?」
「おのれ……言わせておけば! この、痴れ者めが!」
再びいつもの調子に戻った鷲兜の挑発に、あがる激昂の声。
ルゼアウルの翼が閃き、無数の羽根が放たれる。
「おっと! そういう真似は格下相手にやるモンだぜ! カカカ!」
空を裂き飛来するそれらを、ジングが右に左に、前に後ろにと、見事なステップで躱してゆく。
次々と押し寄せる刃の如き羽根の嵐は、しかしその速度に反して軌道が単調だ。
「ぬうっ!? ちょこまかと――!」
明らかに羽根を撃ちだした瞬間に、ジングが存在した場所のみを狙い続けている。
当然そんな代物では、如何なアホの化身たる鷲兜とて捕まる筈もなく。
「あ、ホイ。あ、ソイ。あ、ヨイヨイヨイヨイ」
「く……そこですか! いや、そこかっ! そこかッ!?」
羽ばたき撃たせては走り、走っては撃たせてといった如何にも『もうちょっとで当てられそう』という動きで、見るからに経験の浅い射手を手玉に取り――
「うぉら、隙ありいいいいぃっ!」
出し抜けに羽角の胸元目掛けて、早くもジングくん本日二度目となるダイビングアタックが敢行されていた。
「ホブッ!?」
一直線に飛来してきた鷲兜の頭突きをもろに受けて、ルゼアウルが仰け反る。
地面ばかりをカサコソと動き回りまくってからの奇襲だけに、効果は抜群といったところか。
これが出会い頭のごっつんこを決めた後であれば、流石にここまで上手くはいかなかったに違いない。
しかもどうやら、今度はその上……
「ぐ、この……! は、離れなさい、この! 我が君より下賜された装束に、汚らわしい!」
「へっへーん。やーだねっと。こんな組みつきやすい足場を、誰が見逃すかよっと」
嘲笑うような声をあげたジングが、自前の兜から生やした謎足でもって灰色の長衣にしがみつくと、ルゼアウルの背後へと回り込んでいた。
「いよーし、ここらで良さそうか」
そんな呟きと共に、ジングが標的の翼の付け根へと居座る。
当然それをルゼアウルが腕を伸ばして振り払おうとするも、自身の立派な耳木兎の翼が仇となり、上手くいかない。
「そんじゃまー、ありがたく……っと」
そこでジングが、大きく身を仰け反らせ。
「き、貴様、一体なにを――!?」
「……は?」
後ろを取られて焦る魔人の声と、とんとん拍子で進む一連の出来事に呆気に取られて完全なる傍観者と化していた俺の声が、見事に重なった。
見れば鷲兜の頬当ての部分に、大きな突起が二本生えている。
それが何なのか、カオスすぎる状況に思考が追いつく暇もあらばこそ――
「いっただきまーす!」
ガブリと、ジングがその巨大な牙を哀れな標的へと突き立てていた。
直後、バタンという扉の閉まるような音が、灰色の世界を吹き飛ばした。
「ホギャアァァアァ!?」
「――!?」
突如として響き渡ったけたたましい叫び声に、断絶していた意識が引き戻される。
目の前には、突き出した己の両腕。
白煙を上げる手甲が物語るのは、限界ギリギリまでに出力を上げて放たれていた破壊の魔術の、その残滓。
夜。
焦げた土の匂いと立ち込める白煙。
そして吹き散らされて微かに漂う黒い靄……瘴気。
地に膝をつき、両手で首筋を抑えて藻掻き苦しむのは耳木兎の魔人――
急変する事態に理解が追いつかぬままに、視界に入る情報を拾い集めて統合しようとするも、上手くはいかない。
「な、なんだ、アイツ……いきなり苦しみ始めて――ぐっ!」
「ティオ! 貴女、その腕!」
右手よりやってきた苦しげな声に、左手からの悲鳴が続く。
見ればそこに、両手をだらりと力なく垂らして肩で息をするティオと、急ぎ彼女に駆け寄る『治癒』の神術に取り掛かるフェレシーラの姿があった。
「はは……ちょっとだけ無理をして、咎人の鎖を使った反動かな……二体同時に縛るのは、流石に――あづっ!?」
「いいから、動かない! フラム! 一度魔術が無効化されたぐらいで、ぼさっとしてない! そのまま攻め続けて、反撃を抑え込んで!」
切羽詰まった少女の声が、俺の意識を無理矢理過去へと引き戻す。
場所は迎賓館からミストピアの街へ向かう、馬車道。
相対していたのは、無数の影人と二体の魔人を引き連れた羽角の魔人、ルゼアウル。
突如現れた異形の群れに対して、ティオ、そしてフェレシーラと共に、俺は攻撃魔術を用いた先制攻撃に及んでいた。
それは思い出せていた。
そこに至るまでの過程も、俺がフラム・アルバレットという人間であることも、すべて思い出すことが出来ていた。
だがしかし、この状況を理解するにまでは至っていない。
無効化された?
あのタイミングで仕掛けた連携から叩き込んだ、マルゼス・フレイミング直伝の独創術『熱線崩撃』が、完全に?
しかもおそらくはそれを成したルゼアウルが、何故大きなダメージを受けたような反応を見せている?
いや……
そもそも俺は何故あの羽角の魔人が、ルゼアウルという名前だと知っている?
それは混乱の極みにある思考の最中、極々当然の疑問に突き当たった、直後のことだった。
「クカカカカカカ……」
不意に間近で、愉悦に満ちた声がした。
聞き覚えのある、しかし二度とは耳にする筈の無いその哄笑に、身も凍るほどの恐怖を覚えた瞬間に――
「ようやく取り戻せたぜぇ……この体をよぉ!」
俺の口から、歓喜に満ちた声が解き放たれていた。