396. 地を満たし、天を仰ぐ者ども
薄霧の漂う夜の林道を、数十名の兵士たちが隊伍を成して進み続ける。
目指すは湖畔の街ミストピア。
度重なる影人との戦いを経て疲労困憊の極致にある筈のその足は、整然とした歩みを保っていた。
「なあ、フェレシーラ。このままいけばどれぐらいで皆、ミストピアに辿り着けるとおもう?」
「そうね……このままのペースなら、足が残っている部隊で先行して一時間」
殿を務める俺たちは、そんなの彼らの背中が捉えられる程度の距離を置き、魔人の襲撃に備えていた。
「動くのが厳しい人は迎賓館に残ってるから、脱落者はそうそういないとして。全体でみれば二時間以内、ってところね」
「なるほど……地形的なことはわからないし、助かるよ」
「どういたしまして。一応、こちらが攻撃を受けても兵士たちは街を目指す手筈にはなっているから。むしろ前よりにいるエキュム様やパトリースたちが気がかりね」
「んー。そっちはそっちでなんとかするんじゃない? あの狸領主さまが、そうそう下手を打つとも思えないしね。自分たちが狙われる可能性も捨てきれない状況だし、不安ならフェレスとフラムっちを殿に回したりしないでしょ」
「そうだな。ティオの言うとおりだ。こっちはいざとなればカバーする、ぐらいのつもりでいこう」
フェレシーラ、そしてティオと言葉を交わしつつも、既にホムラはやや前方、空中で周囲の様子を窺っている。
メグスェイダを背中に乗せたホムラには、万が一彼女が不審な動きを見せたり、ホムラ自身を害そうとすれば、風のアトマで引き剥がして、即刻地面に叩き落とすようにと注意済みだ。
とはいえ、それを耳にしたメグスェイダは平然としてホムラに騎乗していったのだが。
「しっかし、状況が状況とはいえ……ホムラが大人になったら、一番に背中に乗せてもらおうと思っていたのになぁ」
「こんな時になに呑気なこと言ってるのよ。メグスェイダが逃げ出さないようにみてくれているんだから、文句はなしでしょ。気持ちはわからないでもないけど」
「ていうか、そんな簡単に大人にならないっしょ。たしかグリフォンって長命な分、成長はかなりゆっくりな筈だしさ」
「え、そうなのか? 乗れるのが先のことになるのは残念だけど、寿命が長いってのは嬉しいな……!」
「へぇ。それは初耳ね。まあ、同じ幻獣種の竜族も超越種階級になると数百年は生きるって聞くから、当然といえば当然なんでしょうけど。でもそのわりに、あの子ったら成長が早い気もするのよねぇ……」
早くも定番と化しつつある、ホムラさんのまん丸お腹から降り注ぐ『照明』の輝きに助けられながら、俺たちは未来の話に花を咲かせていた。
襲撃を受けた際の手筈。
どういった状況に、誰がどう対応して動くか。
場合によってはエキュムらに救援を求めるか。
またはその逆に、本隊が壊走を避けられない状態になる前に、敵を引き連れながらの離脱に入るか。
メグスェイダにも、場合によっては情報の提供を行うように話はつけてあった。
彼女にしても、自分が完全な捨て駒であったという確証を得てしまったのなら、という気持ちはやはりあるらしい。
もしもそうした事を知れたのであれば、魔人たちとの戦いを優位に進めることも可能となる。
正直いって、多少の後ろめたさは残るやり口ではあるものの……この際、四の五のと言っていられる状況でないことは明白だった。
「まあ、影人だとかいう手下は引き連れてくるよねぇ。ボクらにとっては足止めにもならなくても、パンピーくんたちには十分な戦力だし。魔人もあのムなんとかクラスの相手が複数出てくると面倒だし」
「その時は、いけるようならこっちが影人の『解呪』に回るんで補佐してくれ。数的有利を保てるのは重要だからな。逆に数頼みでないデカブツが投入されたときは、フェレシーラを中心に一つずつ潰していこう」
「了解よ。でもそれ以外のパターンとなると……問題はやっぱり、『爆炎』持ちの木偶の坊みたいなタイプを投げ込んできたときよね。もしあの手の奴が出てきたら、今度は延焼対策とかは考えずに、本隊と一緒に只管ダッシュで離れましょ。結局はそれが魔人どもにとっては一番の痛手になるのだし」
自然、話す内容もそこに絞られてゆく。
戦闘に関する経験が絶対的に不足している俺にとって、彼女たちの知見は何物にも代えがたい、戦う力そのものだ。
特に魔人は個々に備えた能力が異なる者ばかりな為、戦いの場においての想定が立て難く、相手の特性を知った頃には後手後手に回り、窮地に追い込まれていた、というケースが頻発しかねない。
となればこちらも自分達の特性を活かし、強みを押し付けてゆくのがベターとなる。
その為の打ち合わせは入念に重ねていた。
ちなみに迎賓館の外壁を突き破り、会議室に飛び込んできたムグンファーツの能力は、なんと『自分自身を岩弾と化して、特定方向に撃ちだす』ものだったのだと、メグスェイダによる解説があった。
なんでも細かい調整と連続使用は効かない分、あの体でも猛スピードで移動が可能だったとの話だが……
どうにもメグスェイダからすれば、既に斃された者であれば別に情報は隠さないで良い、という判断だったらしい。
彼女にしてみれば、特に味方である魔人に対する造反には繋がらない、という考えのようだ。
しかし、こうして後からでも情報が得られるというのは、積もり積もって何処かで役に立つことも十分に有り得る。
なのでここは、ありがたく詳細を聞かせてもらっている、という次第だった。
ていうか、『虚蛇のメグスェイダ』といい『岩弾のムグンファーツ』といい、魔人の渾名というか自己紹介は、わりとストレートに固有能力に由来しているのかもしれない。
が、流石に出会った端で渾名を明かしてくるようなアホはそうそういないだろう。
当然それがブラフの可能性もあるので、一応頭に入れておく、程度の代物だ。
まあ、メグスェイダも一度は手下の蛇との入れ替わりで、こちらをピンチに追い込んできた際にはフツーに名乗ってきたので、そういう手合いもいるかもだが。
「打ち合わせとしては、こんなところだな」
一頻りの連携案を出し終えてから、俺はそこで一度、話に区切りをつけた。
何とはなしに、予感があった。
これから始まる戦いは過去最大のものになる。
そしてそこから逃げ出すつもりなぞ、毛頭ない。
恐らくは、想像もつかない事態に陥るだろう。
しかしそれ故に、戦う価値があるのだという確信もあった。
「フェレシーラ。ティオ。始まる前に、もう一つだけ。聞いておいてくれ」
足を止めることなくそう願い出ると、二人共にこちらに肩を並べての頷きが返されてきた。
それを感謝の念で受け止めて、俺は続ける。
「俺は自分のことが知りたい。なんでマルゼスさんが、孤児だった俺を拾い育ててくれたのか。それが何故、今になってあの人の元から放逐されたのか」
フェレシーラは元より、ティオまでが無言となって耳を傾けてくれていた。
「そして何故、魔人に狙われているのか。そこに魔人戦争から続く因縁だとか。どんな理由があるのかを……知りたいんだ」
それはずっと、師と仰いだ女性と共にすごした地を離れてからも、心の内に押し込めていようしながらも、いつ如何なる時も影ながら俺を突き動かしてきた欲求だった。
そして、いつの日か必ず乗り越えねばならない、俺にとっての最も高き壁だった。
「だから、あらためて頼ませてもらうよ。二人とも……俺に力を貸してくれ」
誰からともなく、歩みが止まる。
鳶色、青色、金色。
六つの瞳が一所、カタカタと震え始めた闇色の腕輪へと注がれて……
そいつらは無数の影を地に引き連れ、天より墜ちてきた。