390. 知らぬが花 語るは蛇
格子を備えた巨大な門の閂が外されて、重々しい開閉音が辺りへと響き渡る。
「それにしても、こんな夜遅くに雁首揃えてトンズラかぁ」
水晶灯や松明といった照明具を携えた兵らが、開け放たれた正門を潜り抜けてゆく最中、ティオが他人事な様子で口を開いてきた。
「だからそういう風な、兵の士気を下げるようなことを言わないの」
「えー。わざわざ大掛かりな結界まで作っていたぽいのに、勿体なくない? フェレスだってそう思うでしょ? それに、影人だかの攻撃だって納まっているのにさぁ」
そんな彼女をフェレシーラが窘めるが、それを意にも介さず、ティオが言葉の後を続けてきた。
「正直言ってボク、すぐにもでお風呂に入ってオヤスミしたかったんだけど」
「その気持ちはわかるけど。少しぐらい、皆に足並みを合わせなさいな。どうしてもここに残りたいって言うのなら、負傷者の手当と護衛を任せるから。それはそれでいいのよ?」
「それだヤだからついてきてるんでしょ。こっちはタダでさえノンストップで戦い続けてたんだから」
「そんなの貴女が勝手に始めたことじゃない。それに私たちだってそれなり以上に大変だったんだから。文句ばかり言わない」
「へーい。私たち、ねぇ」
フェレシーラに代わりホムラを抱いて歩いていた俺は、二人の会話に耳を傾けつつも、言葉は挟まずにいた。
一瞬、ティオが視線をこちらに向けてきたが……黙って見つめ返していたら、なんともいえない生温かい笑みを浮かべてきた。
なんなんだよ、そのびっっっみょーな表情は。
なんか文句あんのかよ。
「それにしても……足並みを合わせろ、か。まさか君からそんな事を言われるなだんてねぇ。ソロ大好きの聖女様が、変われば変わるもんだ」
「言うほど変わってなんていないし。ていうか、なんで貴女まで最後尾にいるのよ」
「そりゃあここにいるのが、一番退屈しなそうだからに決まってるでしょ。いい加減、喋りもしない雑魚狩りも飽きがきてたしね」
「雑魚狩りって。あんな大物を逃がしておいて良く言うわね、ほんと。それにそもそも、あんなものを連れて会議室に飛び込んでくるから、ここから撤退するって話になったんですけど?」
「おっと。それを言われると痛いねぇ。一応これでも反省してるんだよ? まさかあんな長期戦になった挙句、皆のいる場所まで飛び込まれるだなんて思ってもみなかったからさ。ボクもまだまだだねぇ」
ゆっくりと、しかし着実に前に進み始めた兵士たちに続き、こちらも進発を開始する。
目的地は霧の街ミストピア。
影人の侵攻が完全に途絶えたタイミングでの脱出口。
……なんだけど。
この二人が揃うと、やっぱ良く喋るよなぁ……!
いやまあ、俺も男のわりに結構お喋りな方ではあるけどさ。
なんにせよティオのいう通りに、こちらとは別で戦っていてくれたのであれば、これぐらいの息抜きは構わないだろう。
独断だったとはいえ、ティオがかなりの数の影人を始末してくれていたというのは、おそらく本当のことだ。
その流れで岩肌の魔人が会議室に雪崩れ込んできたのは、下手をすれば大惨事を招いていた可能性もあるにはあるが、十分な戦力でもって即座にトドメを刺せたことを考えれば、結果オーライともいえる。
むしろティオが咎人の鎖で腕の自由を封じていない状態であの魔人が現れていたら、誰かしら犠牲者が出ていたかもしれない。
そう考えると、こちらもティオの行動を非難する気にはなれないかった。
とはいえ、それにしてもだ。
「一人で影人を狩りまくっていた上に、魔人まで追い込んでいただなんてさ。流石、フェレシーラの好敵手っていうだけはあるよな」
「……ん? いきなりなに言ってんのさ。フラムっち」
思わず口をでた言葉に、ティオがこちらを振り向いてきた。
丁度最後尾にいた兵士が門を潜り抜けていったところだ。
これで俺たちが外に出れば、後は迎賓館内の負傷者を看てくれる兵士たちが、門を封鎖してくれる手筈となっている。
当然ながら、彼らはこのまま迎賓館に残ることを希望した人々だ。
先ほどセレンとすれ違った際に教えてもらったところ、独力で動けそうな兵士たちの二割ほどが残存を願い出てきたらしい。
おそらくだが、中にはわざとここに残ることで、影人を引きつけようと考えた者も多くいるのだろう。
街に向かうこちらを、彼らは不安などおくびに出さずに整列して見送ってくれていた。
そんな兵士たちに一礼をしてから、俺はティオに言葉を返した。
「なにって、言葉のまんまだよ。さすがはフェレシーラと」
「ああ、違う違う。そっちの話じゃなくて」
……ん?
あれ、なんだろ。
俺、今なんかおかしなこと言ってたっけか。
そんな疑問を抱えていたのは、どうやらティオも同じだったようで――
「だからさ。魔人を追い込んでいたって、なんの話?」
「……は?」
まったくもって意味不明です、とばかりに首を傾げてきた青蛇の少女に、俺は思いっきり間の抜けた声を返してしまってた。
「……あ、そっか。そういうばそうだったわね」
そんなこちらの横で、フェレシーラがポンと掌を打ち鳴らしてきた。
なにやらこの状況で一人納得というか、答えに辿り着いてしまわれたご様子ですが、ぶっちゃこちらにしてみれば、何故にティオが惚けてきているのか、皆目見当もつかないのですが。
「え、なんだよフェレシーラ。勿体つけてないで教えてくれよ」
「別に勿体つけてるってほどでもないんだけどね」
一体なにが可笑しいのやら、フェレシーラが苦笑交じりとなって後を続ける。
「この子、魔人を斃すどころか見たこともないから。さっきの岩石人形みたいな奴が、魔人だって気付いてないのよ。戦い続きで咎人の鎖ずっと作動させていたら、『探知』でアトマの有無を視る余裕もなかったでしょうし」
ティオが魔人と戦ったことがなかった。
その言葉に、俺とティオが仲良く固まる。
が、その状況から先に脱したのはティオだった。
「え……マジで?」
「こんなことで嘘ついてどうするのよ。それにあんな魔物、貴女だってみたことなかったでしょ?」
「や。そう言われても、なんか腕が多くて長いストーンゴーレムの変種かなぁって……え? マジで? マジであれ……魔人だったの!?」
「だからそう言ってるでしょ。それにアレって、迎賓館の外で戦っていたのに会議室までブッ飛んできたんでしょ? そんなふざけた真似、ただの魔法生物が出来るわけないじゃない」
「いやまあ、そう言われてみればそうなんだけど……ええぇ……」
軽い混乱状態に陥りつつも、ティオがフェレシーラに反問を行うも、返す刃でバッサリとばかりのツッコミに唖然となる。
……なるほど。
たしかにアトマ視持ちのフェレシーラや、『探知』の術具を起動しながら戦える俺と違い、ティオの場合は何かしらにアトマの消費を――この場合、戦術具である咎人の鎖を、だが――回している状態では、他の術法を用いるのは難しくなる。
神殿で対決した際は、俺に対して咎人の鎖と『防壁』の切り替えによる拘束連携を披露してきてはいたが、あれはいわゆる十八番、鍛え抜いたコンビネーションという奴だろう。
わざわざ戦闘中に隙を晒してまで、『探知』を用いる筈もない、という寸法だ。
しかしむしろこの場合は、相手が魔人であると知らずに追い詰めていたティオの技量、戦闘能力を賞賛すべきだろう。
なんか本人、めちゃくちゃ呆然としているけど。
「ま、なんにせよ大した怪我もなく済んでいて良かったじゃない。ちょっと藪蛇なところはあったかもだけど。次からは見たこともない相手を見たら、一度『探知』を使って――」
「なに言ってんだい。藪蛇どころじゃないよ、ソイツのやったことはね」
ピタ、と。
フェレシーラが、発言の最中に動きを止めた。
見れば彼女の……いや、フェレシーラだけでなく、ティオの視線が俺に向けられている。
正確には、俺のベストの左ポケットに向けて、だが。
自分でも、背筋に冷たいものが走るのがわかった。
一体何故このタイミングでだとか、まさか魔人に関する話をしているところでだとか、今更考えたところでどうしようもないことが、頭の中を駆け巡っている間にも――
「その鎖使いのボウヤがやったのは、影人の呼び出し口にされていた魔人。『岩弾』のムグンファーツ・ギルベスタだ。なんでいきなり影人たちが送り込めなくなったんだって、騒ぎになっていたけど……納得だねぇ」
ニョロリ、とポッケの中から白い頭を覗かせてきながら、メグスェイダが口を開いていたのだった。