389. 次なる行き先は
「しかしまあ、ティオ殿が無事なのは良かったですが、会議室はもう使えませんね」
「ですな」
一旦はティオからの報告を聞き終えて、エキュムとハンサが口を開いてきた。
「とは言え、他の部屋では手狭すぎます。指揮所もまだ三箇所ありますが、あの巨大な影人がもう一度やってくれば格好の餌食です。となれば……迎賓館の一階を使うか、また中庭に陣を移すかですが……」
「ええ。そう何度も移動ばかりしていても、兵士も休まりません」
足元から延々と湧き出てくる影人を、ようやく結界で抑え込むことに成功した。
かと思えば、今度は巨岩の如き魔人が突っ込んできたとあらば、それはもう仕方のなかったことなのだろう。
「と、いうことで。どうせ負担になるのであれば、ここは思い切ってこの『白霧の館』を放棄しましょう」
「……致し方ありませんな」
エキュムの宣言に、ハンサが一瞬周囲を見回してから追従する。
主君の命は絶対といえど、ここまで指揮を執ってきたハンサにしてみれば、迎賓館での防戦に加わってくれていた皆の反応は気になる、といったところなのかもしれない。
しかし周りの者にしてみれば、いつ終わるともしれない敵の攻勢を受け続けること自体、相当な負担だ。
それも相手が魔人と分かれば尚のこと。
影人以上に常識の外から襲い掛かってきて、先程のように危険なめに遭いかねないとあっては、面と向かって迎賓館からの撤退に異論を挟む筈もなかった。
「正直なところ、フラム殿と白羽根殿だけでなく……そこの白蛇さんと青蛇殿の、両方に色々と話をお聞きしたいのは山々ですけどね。街に向けて強行するとなれば、そう時をかけるわけにもいきません」
「んにゃ? 白蛇さんってなんのこと?」
「ストップよ、ティオ。貴女にはあとで説明してあげるから、いまはちょっと黙ってなさい。ただでさえ状況がこんがらがってるんだから」
「へーい」
エキュムの言葉に反応したティオだったが、フェレシーラの言葉を受けて意外なほどにあっさりと引き下がった。
そういや、白蛇に青蛇と一気に蛇さんが倍加したな。
当のメグスェイダは、あの石肌の魔人が倒されてからというものの、ベストのポケットに戻って静かにしているけど。
ぶっちゃけティオのヤツに見つかるのが一番不安だったので、移動で忙しくなるこの状況はかえってラッキーだったかもしれない。
「では……まずは移動にあたってはまとめて全員ではなく、休息を取れていた者から順次という形にするぞ」
などと思っていると、既にハンサが伝令の兵に指示を飛ばし始めていた。
「それって、負傷した人も後回しってことですか」
「ああ。夜道でそれなりに距離ものあるので、無理をしたところで足が止まる可能性が高いのでな。最悪、動けない者はここに残していくことになる」
伝令役が離れたタイミングを見計らって彼に尋ねかけると、意外なことに理由の説明まで返されてきた。
「なるほど、移動の途中で団子になると危険ですもんね。それに敵の標的がこちらだとしたら、下手に動くよりは安全ですし」
「そういうことだ。それに襲撃が落ち着いた時点で、神殿と教会に向けた伝令も走らせてある。何事もなかれば、カーニン従士長たちが教団員を率いて合流できる筈だ」
「それは心強いですね」
「ああ。そうなれば俺も、お嬢……エキュム様の護衛に専念できるというものだ」
忙しい最中に時間を取らせて悪いことをしたと思っていたが……
案外、最後の一言を誰かに溢したかったのかもしれない。
いつでも涼しい顔をしてるからちょっとわかりにくいけど、この人はこの人で割といっぱいいっぱい、というヤツっぽいので、聞けてよかったと思っておこう。
けれど、そうなってくるとここは……
「フラム、お前には教官と一緒に殿を頼めるか?」
「あ、はい。俺も良ければ、そうさせてもらおうと思っていたところなので。喜んで」
「助かる。それと、頼んでおいて聞くのもなんだが……何故そう考えていた?」
「何故って……敵の狙いがこっちなことは、状況的に確定してるに等しいですから。また襲撃を受けたときは、皆の足が止まらないように最後尾にってことですよね」
「いや、まあ……それもあるがな」
ハンサからの要望を理解した上で応えたつもりが、何故だか彼はそこで言葉を途切れさせてきた。
うん?
なんだろう。
正直、徒歩で仕掛けてくることが稀な影人や魔人に対して、隊の最後尾を守る殿という概念が有効だとは、あまり思えないんだけど……
街への撤退をスムーズにする為という理由以外に、何があるのか予想もつかないというのが、正直なところだった。
だが、それならそれで好都合でもある。
ハンサの頼みを受ける形で、自然に皆の後ろに回れるなら――
「どうにもお前は、自己評価が低すぎるな」
「へ?」
これからの為にと思考を回し始めたところに、優しげなハンサの声がやってきた。
「ええと……そこのところは、良くわからないんですけど。副従士長のいうとおりだとして……それと殿の件に、なにが関係が?」
「ああ。なるぞ。今のお前は教官と並んで、兵士たちの心の拠り所だからな。そんな人間が揃って自分達の後ろに控えていてくれているというだけで、落ちついて動けるというものだ」
「……なるほど」
そこまで言われて、俺はようやく彼の言わんとするところを理解するに至っていた。
「つまり、兵士の皆さんからすれば、そういう評価というか、評判を得ている俺がこんな感じなので。それで自己評価が低い、って話に繋がるわけですか」
「そういうことだ。まあ、増上慢になってやらかすよりは余程いいのだろうがな。あまりしれっとしているのも可愛げがない、という話だ」
「そう言われてもですね。つい最近まで引き籠っていたので、実際のところよくわかんないんですが……」
「ふ。あまりそう真に受けるな。この程度、男の僻みという奴だと思っておけばいい。それよりも、任せたぞ」
「ええ。そういうことでしたら……確かに、任されました」
ちょっと心配になるぐらい話かけてきていたハンサの言葉に、強く頷き、姿勢を正す。
ぶっちゃけ俺からすれば、いつも落ち着きがあって何でも出来るこの人の方が、余程頼りになる男だと思うのだが……
それだけに、こうして評価をしてもらえるのは、素直に嬉しい。
機会があれば、是非とももう一度手合わせして欲しい、という気持ちもある。
もしそれが叶ったのなら、今度は術具も術法も、己が使えるものを総動員して、全力で勝ちにいこうと心に決めてある。
「それでは、そろそろ俺は行かせてもらうが……お前がいてくれて、本当に良かったよ」
「こちらこそ、ですよ。それではまた……ミストピアの街で皆と」
最後に手を差し出すと、拳骨が突き出されてきた。
指を握り直して、そこに拳を重ねる。
ぐん、と籠められてきた力に負けぬように押し返すと、彼は目尻を下げて後ろに退がり、会議室を後にした。
「男同士の交流は終わりかしら?」
エキュムらと共に去る背中を見送っていると、フェレシーラが声をかけてきた。
微かに寝息をたてるホムラを腕に抱えていた彼女だが、どうやら俺とハンサのやり取りの一部始終を見届けていたらしい。
みればセレンにドルメ、ワーレン卿も部屋を後にするところだった。
「わるい。待たせたな」
「気にしないで。私もティオと軽く話してたし……こっちは最後尾に回ればいいのよね?」
「だな。ハンサさんがいうには、俺たちがいると皆が落ち着くから、ってことらしいけど……そんなもんかな。お前はともかくとしてさ」
「あら。それって私に『フラムは頼りになるわ』って言わせたいの?」
「お前なぁ……人が真面目に聞いてんのに、茶化すなって!」
隣に進み出てきた神殿従士の少女に文句を言いつつも、会議室を後にする。
「……なんかキミらさ。僕がしばらく外してた間に、ちょっと雰囲気変わってない?」
背後からやってきたティオの呟きを背に、俺たちは迎賓館からのミストピアの街を目指して、進発を開始していた。