388. そっちにいくんじゃねえ
会議室は、一瞬にして戦場と化した。
崩落した石壁の奥より現れたのは、土色の巨腕が二つ。
それが周囲の壁面天井を問わず削り穿ちながら、こちらに迫ってきた。
「チィ……!」
「おっと」
横合いかた飛び出てきたハンサとワーレン卿が、剣腹で巨腕を打ち据えて軌道を変える。
二人ともに、背後にいたパトリースとドルメを護った形だ。
「な、なんですか、これ……!」
「お嬢、下がってろ! エキュム様も、ここはおさがり下さい!」
「ふぅむ。どうやらそうも言ってられないようですよ、ハンサくん」
慌てふためくパトリースと、悠然と構える主君の前にハンサが進み出てくるも、その間隙を突き、またも巨腕が伸びてきた。
「ぬんッ!」
三度目……否、三本目となるそれに、エキュムが真っ向から刃を叩きつける。
ガィン! と鋼が暴れ震える音と共に、石肌の腕が弾き飛ばされた。
「ふむ。斬れませんか。こんなことなら愛剣を持ってくるんでしたねぇ」
困った風な口振りながらも、エキュムに慌てる様子はない。
齢50に近いらしいのに、ハンサたちに勝るとも劣らない剣筋だった。
「くっそぉ……! よりによって、こんな場所に逃げ込むなんてさぁ……!」
一瞬の攻防の後に悔し気な声をあげてきたのは、金縁の鍔付き帽に黒い外套を纏った少女。
いったい今までどこにいたのか、皺くちゃになったカーペットの上で身を起こすティオの姿がそこにあった。
「ちょっと、ティオ! 貴女これ、一体どういうこと!?」
「やっほ、フェレス。ま、話せば長くなるんで……とりま、コイツを片付けてからね!」
フェレシーラの呼びかけに、黄銅色の鎖を手にしたティオが綱引きの要領で腰を落として答えてきた。
当然ながら彼女が操るのは、伸縮自在の戦術具『咎人の鎖』だ。
言わずもがなそれが捕えていたのは、残る一本となる石肌の巨腕だった。
「グゴオオオオオオッ!」
最早完全に境目である壁を失い、部屋と同化した通路にて異形が吼える。
「おいおい、なんだいこいつは。見たところダメージは受けているようだが……発石車で岩でも投げ込まれてきたのかと思ったよ」
「まったくですな」
呆れた口調となりつつも、セレンとドルメが『防壁』を展開して化け物から距離をとる。
「バオオオオオオッ!」
動く岩そのもの、といった外見をした四つ手の化け物。
「うわっ!? な、なんだこいつは!」
「怯むな! 領主様をお守りするんだ!」
それが苦痛に身を捩るようにして咆哮をあげたところに、護衛の兵士たちが会議室へと駆けつけてきた。
突然飛び込んできた災厄にも臆することなく、兵士たちが剣と盾を手に立ち向かう。
「エキュム様! パトリース様! 御無事で……うおっ!?」
「なんだこいつ……! う、腕が伸び――ぐふっ!?」
しかしそんな彼らも、鞭のようにしなり狂乱する石腕に阻まれて、壁ごと薙ぎ倒されてゆく有様だ。
「チッ――自分から逃げだしておいて、調子に乗るんじゃないよ! この腕長岩男! てーかそこ! さっきからボサッと見てないで、手伝えよな!」
「あ、ああ……! ちょっと状況がよくわからないけど……やるぞ、フェレシーラ! それとホムラは部屋んなかだし、離れてろ!」
「了解……!」
「ピ!」
捲し立てるようなティオの要請を受けて、我に返りながらも二人に声をかけると、即座に返事がやってきた。
はっきりいって、なにがなんだか状況がまったくわからない。
わからないが……このまま石肌の化け物を好きに暴れさせていて、いいわけがなかった。
急ぎ、『探知』の術具を発動させる。
その結果、何も視えてはこなかった。
それは取りも直さず、岩肌の異形が魔人であるという証左だ。
刹那、俺は判断に迷う。
今度の相手はティオが口にしたとおりの、腕長岩男というネーミングがピッタリの相手だ。
いやこれ……通るか、俺の攻撃?
パッとみ、瞳と思しき位置にあるのも硬質な石材にしか見えない。
吼え狂っている真っ最中のお口のなかも、右に同じくといった有様だ。
ぶっちゃけ『熱線』モドキではダメージが通る気がしないし、アトマ光波も同じだろう。
既にハンサとワーレン卿が交戦を開始していたが、共に長剣による攻撃では決定打を与えられずにいる。
一瞬、脳裏に全力の『熱線』が選択肢としてあがるが、すぐに却下した。
威力はともかくとして、密着状態でもない限り射線の調整が難し過ぎて、こんな閉鎖区間で使えはしないからだ。
なら、ここは確実性をとって……!
「縛るは視えざる軛。沈めるは泥土の轍……此処に遣わし、其処に在れ! 緩慢なる抱擁よ!」
荒れ狂う魔人の四腕の付け根、肩に高さに術効を限定しての『鈍足化』を、俺は解き放ち――
「グゥ……ゴアアッ!」
ブォン、と鈍い風鳴りの音と共に、石腕のうちの一本が……ッ!?
「ぅおわっ!?」
予想と間合いの外からやってきた拳骨が、寸でのところで上体を逸らしたこちらの頬を掠めてゆく。
そしてそのまま背後の壁を撃ち抜いた拳が、今度は鞭の如く変化して横薙ぎにされてきた。
「ぐ……ッ!」
慌てて交差させた腕で顔面をガードしたところにやってきたのは、硬い重い衝撃。
手甲の上から脳を揺らしてくる一撃に、息が詰まる。
避け損ねた。
否。
それ以前に、相手がこちらの『鈍足化』の術効を跳ねのけていた。
まったくの予想外。
思ってもみない結果だ。
手甲の霊銀盤の力を借りて、魔法陣まで起動したというのに……石肌の魔人はこちらの術法を完全に無効化してきたのだ。
だが、このままこちらを狙ってくるのであれば、これ以上周りに――
「フラム!」
踏鞴を踏んでよろめいたところに、前方から声が飛んできた。
同時に、それを発した少女へと向けて、魔人の腕が揺れ動くのがわかった。
自然、両脚に力が籠る。
防御に回していた手が、次なる標的を求めて離れゆく石肌の腕を、俺は知らずの内に掴んでいた。
「そっちに――」
霊銀盤を起動させる余裕もなければ、つもりもなかった。
ただ、ゴツコツとした外皮に喰い込ませた指に、ありたっけの力を注ぎ込み――
「いくんじゃねぇッ!」
自身の腕を下腹に巻き込むほどの勢いで以て、俺は異形の腕を己が元へと一気に引き寄せていた。
「グォ……!?」
「あ、きゃっ!?」
同時に響く、石肌の魔人とティオの声。
どうやら綱引き状態だったところに一気に均衡が崩れたようだが、悪いがこちらにそれを気遣う余裕はない。
あるのはただ、俺に代わって魔人を蹴散らしてくれるであろう少女への、布石足らんとする想いだけだった。
「フェレシーラ!」
「オッケ! そのまま!」
その名を叫ぶと返されてきたのは、小気味の良い了承の声。
それを梃子にダメ押しの一引きをくれてやると、魔人の頭部で眩い光が乱舞した。
「やー、ごめんごめん。ちょっとあの腕長岩男との戦いが長引いちゃっててさぁ……お騒がせしてごめんごめん」
フェレシーラの『浄撃』により、石肌の魔人が見事討ち果たされた後。
「あいつボクが外で影人を処理してたら、いきなり湧いて出てきたんだよ。ま、それは別に良かったんだけどさ」
随分と風通しの良くなった会議室にて、ティオが朗らかな笑みと共に、その場にいた皆に向けて弁明を開始していた。
幸い兵士に負傷者が出た程度で、その治療も既にドルメの手によって終えられている。
もっとも、石肌の魔人よりに破壊された内外の壁はひどい有り様ではあったので、そちらに立つ者はいなかったが。
「いやー、びっくりしたね。あんなの相手にするの初めてでさぁ。思ってた以上に長引いてたと思ったら、今度は突然、なんとびっくりここに向かってブッ飛んでいったんだ。なんだろね、あの飛行能力。見た目はゴツいくせにびっくりだよ」
「それはこっちの台詞よ。というか貴女、びっくりびっくりいいすぎだから。はぁ……」
欠片も悪びれる様子もなくペラペラと喋りまくる同門の少女へと向けて、フェレシーラが深々とした溜息をついていた。
随分と長い間、顔を見ていなかった気がするティオさんですが。
本人の話を聞く限りでは、どうやら相当な数の影人を一人で倒してまわっていたようだ。
彼女の言によれば、咎人の鎖を用いれば地面に潜行している影人の発見は容易。
故に、奇襲を狙っている影人を見つけては狩り、見つけては狩り、という作業に只管没頭していた、とのことなのだが……
その途中、不意に現れた石肌の魔人と交戦を開始。
そこからは完全な一対一状態へと以降した結果、気付けば迎賓館に舞い戻り、謎のダイブでこの場に突入した魔人に牽引される形でここに辿り着いていたとの話だった。
うん。
ティオさん、貴女どんだけ長時間戦い続けてたんですか。
俺も遊撃隊だなんてものに任命されて、ちょっとは活躍していたつもりだったのですが。
正直言って、何をどうすればソロで影人どもを延々狩れるのか、コツでもあるなら教えて欲しいぐらいなんですけど……!