376. 小細工、夜天に火を噴かす
「いまから『爆炎』の被害を食い止められるかもしれないって……本当にそんなことが出来るの?」
「ああ。勿論、上手くいけばって話だけどな。可能性はゼロじゃない」
夜の原野を掠めるようにして、ホムラが羽ばたく。
その直下にてサーカスのブランコの如く戦鎚にぶら下がりながら、俺は背中越しのフェレシーラの声に頷きを返していた。
「でも、何をどうやるって言うの? もう私たち、あの木偶の坊からこんなに遠く離れちゃってるのに……手の出しようもないんじゃない?」
「そうだな。今更ここからどうこうするってのは、流石に無理だ」
言いつつ俺は、首を捻って後方確認を行う。
見ればそこには、豆粒ほどの大きさに見えるオレンジ色の半球があった。
超大型の影人、鉄巨人に仕込まれていた魔術の灯火。
災禍振り撒く、破壊の火種だ。
それを見やりながら、俺は言葉を続ける。
「ちょっと試しにさ。鉄巨人の術法式を『分析』してから離れる前に、『爆炎』の式に細工をしておいてみたんだ」
「細工って……あの時は『解除』するは到底無理だって言ってたけど。一体、何をしたの?」
「うん。『爆炎』の術法自体は、マルゼスさんも大の得意だったし――」
フェレシーラと声を交わす途中、それは来た。
「フラム……あれ!」
「ああ」
背中で跳ね上がったその声は、すぐに息を呑む気配へと変じていた。
先程まで、ほんの僅かに灯って見えていた火種が、その光量を一気に増し始めている。
術法の起動から発動までを制約として、それと引き換えに極限までに術効を引き上げられた『爆炎』の猛威が発露へと至る。
広範囲殲滅攻撃術の代表格にして、頂点とも呼ばれる『爆炎』の魔術。
術者の指定した空間を起点に結界を形成し、その内部に無数の炎球を発生させたのち、連鎖爆発を引き起こす。
そうすることで、結界内の熱量を圧力を限界まで高め、それを一気に開放する。
撓められた地獄の業火を、破砕の衝撃に乗せて全方位へと叩きつける。
それが『爆炎』の正体だ。
「駄目……!」
フェレシーラの唇より、か細い悲鳴があがる。
魔術を専門としない彼女とて、『爆炎』の脅威は既知のものなのだろう。
如何に自分たちの元へとその猛火が届かずとも、無数の命を呑み込むことに変わりはないのだ。
空に在りてなお鳴動を示す地の絶叫を、火砕の旋風が塗り潰す。
抗う術なく燃え尽き塵と成り果てる供物を求め、無尽に膨れ上がる破滅の火種。
全てを灰燼と化す、火の奔流。
それが、縦方向へと噴き荒れた。
「え――」
地を貫き、天を焼き焦がさんとするそれを前にして……
呆然としたフェレシーラの声が、そこはかとないくすぐったさを伴って、こちらの首筋へとやってきた。
間を置かず、轟音が辺りに轟く。
続けて巻き起こったのは、煌々を燃え盛る火柱を包むほどの靄。
即ち、大量の水蒸気。
「これって……え? え? なに? なんなの? いったい、なにが起きちゃってるの?」
遠目にもわかるその異様な光景、予想外の現象に、神殿従士の少女が素っ頓狂な声をあげて、火柱を覗き込むような動きをみせてきた。
ちょっと危ないですよ、フェレシーラさん。
幾ら『浮遊』の術効で身軽になっているとはいえ、肩当の肩紐を手綱みたいに扱うのは止めていただきたい。
手綱といえば、フレンのヤツ、元気してるかなぁ……
「ちょっとフラムってば! あれってどういうことなのよ! 『爆炎』の魔術が発動したのなら、あんな風に火柱が立つなんておかしいでしょ! それに、あの大量の霧も!」
「ピ! ピピププピ!」
「ああ。あれは霧じゃないと思うぞ。ええと……そうだな。もう大丈夫だと思うし、ここは下に降りて説明しておくか。ホムラ! 少しずつ高度を下げてくれ! フェレシーラ、着陸の体勢に入るぞ!」
「ピーッ!」
「へ? 着陸の体勢って――」
「しっかり首根っこにつかまってろ、ってことだよ! 舌噛むなよ!」
「……うん!」
一応、事の顛末を見届けたこともあり、空の旅路を終えに入る俺たち。
さすがに周囲の地物への被害ゼロとまではいかずとも、最悪の事態は免れた、といったところだろう。
「よし……お疲れ、ホムラ! 助かった!」
「ピィ♪」
地表まで数mといった辺りまで近づいた時点で、俺は握り手としていた戦鎚の柄から手を離す。
緩やかな落下が始まる。
いまだ『浮遊』の魔術、その術効は健在だ。
が、それでもこのまま地に降り立てば、それなり以上の衝撃が返されてくることは必定だ。
それでも自分一人であれば、受け身の一つも取ればいいところだが……
今はそうもいかない。
首筋にかかるたしかな重みと温かさを損なわぬため、俺は間近に迫る畦道へと向けて自由となった両の掌を突き出し、アトマの波動を解き放っていた。
「ハッ!」
「きゃ……!」
「ピ!?」
ところが一人分として放つよりも若干強めに放ったせいか、若干きつめに反動が来てしまった。
慌てて手を後ろに回して、フェレシーラにおんぶの体勢を取らせる。
一瞬、身を硬くする気配があったが、それもすぐに消え失せていた。
「――っとぉ」
ようやくの着地。
ちょっとぶりなじゃりじゃりとした小石の感触をブーツの裏に感じつつ、俺はそっと身を屈めて、背中の少女を地へと降り立たせた。
「ふぅ……ごめんな、ホムラ。心配させて」
「ピィ! ピピィ♪」
片手をあげて声をかけると、そこに戦鎚を鉤爪で握り締めたホムラがスルリと舞い降りてきた。
ここまで結構な速度で俺たちを運んでくれたというのに、元気一杯、まだまだいけたとばかりに羽根を広げてステップまで披露してきている。
ていうかこれ、俗に言うネコ科の動物が繰り出す、やんのかステップではあるまいか。
見ようによっては鳥類のオスがやる、求愛の踊りにも見えなくもないけど。
まあ、ホムラさん女の子ですしそれはないか。
「ちょっと、フラム……謝るなら、私が先でしょ!」
「ん? あー、わるかったよ、フェレシーラ。最後ちょっと加減間違った。ていうか考えてみれば、お前に『光弾』撃ってもらうか『防壁』を下に張ってもらえば良かったな」
「そ、それはちょっと、それどころじゃなかったから、いいんだけど……」
肝心要の着地でバタついたからか、それとも別に理由があったのか。
妙にもにょるフェレシーラへと謝罪を終えてから、俺は今尚、轟轟と燃え立つ火柱へと視線を向けた。
「うん……どうやら辺りに燃え広がる気配は無さそうだな。上手いこと水蒸気が壁になって、延焼を防いでるみたいだ」
「水蒸気が壁に、ね。その口振りだと、それすらも計算の内だったってこと?」
「いや、そこは運に恵まれた感じだよ。そもそもの話がそんな感じだけどさ」
「なるほど。上手くいけば、って言ってたものね。それじゃ狙い通りに策が嵌ったってことで……」
軽く屈伸をして体の張りをとっていると、彼女はそんなことを口にして――
「それじゃキリキリと、手品の種を明かしなさいな。こっちはあんな代物を見せられてから、ずっとモヤモヤしっぱなしなんだから」
久しぶりとなる仁王立ちでの腕組みを、こちらに向けて披露してきたのだった。
……ん?
なんかお前、びっみょーにプンスカしてないか?
なんか俺、怒らせるような真似してたか?