371. 異術交策
加減をする余裕など、一切なかった。
「きゃ……!」
純白の胸鎧を両腕で押し飛ばすと、フェレシーラの悲鳴が響いてきた。
それと入れ替わるようにして、暗がりの中より無数の蛇が飛び掛かってくる。
避けられない。
否。
避けにいくべきではない。
ここで避けては体勢を崩したフェレシーラへと、こいつらが殺到することが確実だった。
「――シィッ!」
判断したというよりは、ただ心を決める。
無意識の内に右手が翻り、アトマの刃を放っていた。
銀閃が空を裂き、宙を這い進む蛇を二匹、まとめて両断する。
同時に手甲の霊銀盤を起動して備える。
案の定というべきか、小さめの蛇がもう一匹、こちらの胴目掛けて喰いついてきた。
「ぐ……ッ!」
合皮のベストに牙が突きたてられて、そこに鋭い痛みと熱がやってくる。
そこにもう一匹、巨大な蛇が大きく口を開き飛び掛かってきて――
「ピーッ!」
突如視界の外から飛び込んできたホムラの爪撃が、蛇の頭を掴み潰していた。
その結果に、暗がりの中より「チッ」と舌打ちの音があがる。
左脇腹に走る激痛に抗いながら蒼鉄の短剣を振うも、アトマの刃を繰り出すまでには至らなかった。
まあ当然だろうと、俺は思う。
「フラム!」
右膝が地に落ちて、視界が大きくブレたところに声が飛んできた。
切羽詰まった少女の声。
フェレシーラの声だ。
どうやら彼女は無事だったらしい。
それだけを理解して、俺は片膝をついていた体に力を籠めてなんとか握りしめていた短剣を、己が脇腹に突き立てていた。
ぼとりと、何かが地に落ちる。
荒れ地をぐねぐねと藻掻きのたうつそれは、たったいま、俺の短剣に頭を斬り落とされた蛇の胴尾だ。
襲いかかってきた位置からして、先程の魔人が操っていた蛇槍から分離したものだろう。
力の入らなくなっていた右手から、短剣の柄が滑り落ちる。
霞む意識を奥歯が砕けんばかりに噛みしめて、もう一度手に力を籠め、残る力が蛇の頭を掴みちぎる。
既に痛みはなく、代わりに燃えるような感覚が全身に回り始めていた。
「ほんと、いいところで邪魔ばかりしてくるねぇ……キミさは!」
「この――ッ!」
「ピーッ!」
落ちる瞼には抗わず、ただ意識を保ち回し続けることのみに専心し始めたところに、複数の声がやってきた。
激しい打撃音と羽ばたきの音、そしてそれを圧する歓喜の声。
「アハハハハハハッ! ひっかかった、ひっかかったぁ!」
けたたましく響く、聞く者の勘気を誘う声。
目を開くことは叶わないが、それを誰が発したかのはわかる。
「ねえ、勝てたと思った? もう終わりだとおもった? そんなワケないでしょ! このワタシが……『虚蛇』のメグスェイダが! あれしきのことで、やられるワケがないしょ! お馬鹿さんたち!」
蛇頭の声――メグスェイダと名乗った魔人が、間近に迫っていたことは把握出来ていた。
「フラム……! この、退きなさい!」
「おやおやぁ? 随分と攻めが荒いねぇ? さっきまでの小憎らしいほどの落ち着きようは、どこに置いてきちゃったのかしらぁ? アハハハハ……!」
焦りに満ちた少女の声に、せせら笑いが続く。
フェレシーラ、そしてホムラが再び魔人と交戦しているのだ。
一体何故、という疑問が頭を掠める。
確実に蛇頭の胴を捉えていた、フェレシーラ渾身の『浄撃』。
その寸前に、防御もせずに歯を噛み鳴らし、大きく身を震わせていた魔人の姿。
そして、『虚蛇』のメグスェイダという名乗り――
「……フェレシーラ! ホムラ!」
そこに思考が付き合った瞬間に、俺は大きく息を吸い込み、辿り着いた『仮定』を叫び放っていた。
「そいつはおそらく、自分が生み出した蛇と、自分の身体を入れ替えてくる! そいつが体を震わせたら、辺りに撒き散らされている蛇にも、注意しろ! 入れ替えた直後は動けないはずだ! そこを狙って、確実に仕留めろ!」
「は――はぁッ!?」
一気に喚き散らしたところにやってきたのは、素っ頓狂な蛇頭、メグスェイダの声。
「な……なんなんだよ、キミ! なんでワタシの能力、キミなんかが知ってるんだよ!?」
アホかコイツ。
状況から判断するだけならともかく、勝ちを確信したのか余計な自己紹介までしておいて、なにを言っているのやら。
こんなん誰でもすぐにわかるわ。
自分から手の内晒しておいて慌てるとか、馬鹿だろお前。
そんな心の声まで口にする余裕まではなく、俺は再び意識を集中する。
それに平行して、状況の整理にも取り掛かってゆく。
「はあああああッ!」
「ピーッ! ピピーッ!」
「チィ……ッ!」
「シャーッ!」
爆音に続く、風の唸り。
そして忌々しげな舌打ちと、蛇共が発する威嚇音。
若干の焦りが生まれたのか、メグスェイダの哄笑は止んでいる。
代わりというわけではないが、こちらにやってきたのはゾクリとする寒気。
脇腹を中心に広がりつつあった熱と入れ替わるようにして発生したそれに、歯と歯がぶつかり口蓋にガチガチとした音を響かせる。
「フラム! いま『解毒』するから、もう少しだけ耐えて!」
「ハッ! そいつを解毒する? 笑わせるねぇ、キミ! そんなヒマ、あげるワケないでしょ!」
ガギンッ、という硬質な何かが打ち合わさる音に続き、メグスェイダがさも可笑しそうに宣言を行ってきた。
「ああ。アドバイスしておくけど、早くしないとそいつは助からないよ? ワタシの可愛い蛇ちゃんたちの呪毒を受けたんだ。このままだと、身体の内側からグツグツと溶け腐って終わりさ」
「く……ッ! 退きなさいって、いってるでしょ!」
「おっとぉ」
閉じきっていた瞼の向こう側で閃光があがるも、こちらの期待した音はやってこない。
「危ない危ない。さすがに『浄撃』を喰らうわけにはいかないからねぇ。このまま持久戦でいかせてもらうよ。そこの彼、どこまで耐えられるかな?」
「この! どけっ! どきなさい、痴れ者!」
「そう言われて、素直にどくヤツなんていない……よっと!」
「うぐっ!?」
それは、平時であればありえないことだったのだろう。
魔人の毒に冒された俺の元に、一刻も早く『解毒』の神術を施してやらればならない。
そんな状況が枷となり、フェレシーラに焦りを抱かせてしまっていることが、こちらからも見てとれた。
しかしその為には、まずはメグスェイダを排除せねばならない。
いかな彼女とて、交戦中にこちらに『解毒』を行うのは難しい。
そんなことをすれば、その隙をついたメグスェイダに、二人まとめて仲良くあの世逝きにされてしまうのは確実だ。
戦鎚がどさりという重々しい音を立てて、荒れ地に転がったのが見えた。
メグスェイダが振るい操つる蛇槍が、焦燥に駆られて動きの荒くなったフェレシーラの腕を激しく打ち据えたのだ。
「ピーィ!」
「フン……さっきからウロチョロと。うざいよ、チビ!」
「ピピッ!?」
フェレシーラの窮地を救わんとして急降下を仕掛けたホムラに向けて、魔人の腕が閃く。
不可視の力をその身に浴びせられて、幼い幻獣が空中で大きく弾き飛ばされた。
「ホムラ!」
その光景を目の当たりにして、フェレシーラが叫び『光弾』を放つ。
無詠唱にて放たれたそれは、しかし再びメグスェイダが生み出した不可視のエネルギーに、呆気なく迎撃されていた。
「おや。こっちの鳥も大事な御様子だね、神殿従士サマは。そういえばキミ、さっき白羽根だとか名乗っていたけど……まさかキミが当代の? いや、それだと可笑しいよね。まだアレが健在なのに?」
「うるさい……ッ!」
ブツブツと独り言染みたことを口にし始めた魔人に向けて、尚もフェレシーラが『光弾』を放つ。
完全に頭に血が上ってしまったのか、それとも現状、接近戦では拉致が明かないと判断したのか……
はたまた、蛇槍を受けた右腕へのダメージが殊の外大きかったのか、戦鎚を拾いに行く様子も見せない。
「ふぅん。ま、どうでもいいか。ワタシは外で人間が狩れるなら、なんだっていいし。人間なんて、死ねば皆同じでしょ!」
対するメグスェイダは余裕綽々で『光弾』を叩き落としている。
が、フェレシーラはそうもいかない。
無理押しの『光弾』により、彼女のアトマは確実に浪費させられている。
蛇頭とて、それがわかって防戦に回っているのだ。
その発動・制御の難易度から、無詠唱によるラッシュには限界がある。
それのみでごり押しをさせてくれるほど、メグスェイダも甘くはなかった。
「く……」
フェレシーラの左腕が力なく下がり、地に片膝が落ちる。
乱れた息を整えにかかる少女の姿を、魔人が悠然と見下ろす。
万事休す。
そんな言葉が脳裏を過った瞬間に、フェレシーラの視線が微かに動いた。
「――」
少女の青く美しい瞳が見開かれて、すぐにそれがメグスェイダへと注がれる。
「……気に入らないねぇ、その目。まだ勝てると思ってる目だ」
猛禽の如きその眼差しに、魔人が蛇槍を手放す。
独りでに宙へと浮いた異形の武器が、メグスェイダの頭上で旋回をし始めた。
そこにフェレシーラの『光弾』が押し寄せるも、結果は変わらない。
右手で蛇槍を遠隔操作しながらも、空いた左手を閃かせて『光弾』の軌道を逸らし続ける。
そんなメグスェイダの守りを前に、神殿従士の少女はただただアトマの光を乱れ撃ち、無意味かに思える攻めを繰り返していた。
「でもねえ……正直、ちょっと飽きちゃったかな? さっきからずーっと、同じことの繰り返しばっかりなんだもん。狙いも適当になってきてるしさぁ」
それまでとは異なる蛇槍の動き。
死神の鎌よろしく標的の命を刈り取るであろう、風鳴りを伴う巨大な刃。
「というワケでぇ……まずはキミから、終わりね!」
蛇頭が発した勝利宣言と共に、刃が煌めく。
僅かな間があり、ぼとりと音を立てて、何かが地に落ちた。
「……は?」
メグスェイダが呆然と呟く。
己の眼前に落ちた、旋回する蛇槍を放たんとしていた右腕をみて、阿呆のように口を開き言葉を失う。
アトマの刃を目にしたフェレシーラの口元に、にっこりとした笑みが描かれた瞬間に――
続けて俺の掌中より放たれていた擬似『熱線』の光条が、魔人の胸を背後より灼き貫いていた。