367. 在らざる者との邂逅
「ピィ! ピピーーッ!」
最初にそいつに気が付いたのは、ホムラだった。
「……ホムラ?」
不意に放たれた鳴き声。
明らかな警戒の響きに満ち満ちたその声に、俺は起動しかけていた手甲の『分析』を中断して、辺りを見回す。
が、特にはなにもない。
半ば地中に埋もれた鉄巨人に動きはなく、フェレシーラも怪訝そうな面持ちでこちらを注視しているも――
「おや、気付かれちゃったか。随分と勘の良いおチビちゃんもいたものね」
出し抜けにやった声に、俺は思わずその場から飛び退いていた。
そうしながらも、視線を上にもっていく。
「おっと惜しい。折角のチャンスだったのにねぇ」
男のものとも、女のものともつかぬ、聞いたことのない声。
それが変わらず頭上からやってきている。
「な――」
いつの間に。
そう感じたのは、フェレシーラとて同じだったのだろう。
霧に塗れた朧げな月を背に受けながら、鉄の巨人の頭部に足組み腰かけた、何者かがそこにいた。
「いつの間に……!」
「ピィ!」
戸惑うフェレシーラの頭上にて、ホムラが舞う。
羽ばたきと共に彼女が纏った『照明』の術効が、その範囲を狭めて巨人の頭部を照らす。
妙技、ホムライト。
「誰だ、お前!」
こんな時だというの思いついてしまったネーミングを頭の片隅に追いやり、俺は叫んでいた。
「へぇ。ただのグリフォンの雛かとおもえば、なかなか器用な真似を仕出かしてくれるじゃない。あいつに持って帰ってやれば、いい貸しになりそうかな?」
突然ふざけたことを口にし始めたのは、巨人の上に座した何者かの声。
そいつの腕が、さっと横に振りはらわれた。
そこに僅かに遅れる形で、巨大な兜の周辺にて爆光が瞬く。
それが続けて、都合三度。
長くスラリとした腕が横に振られるたびに、物理的な衝撃を伴う『迎撃』が繰り返された。
「おいおい。まだ自己紹介も済んでいないよ? 物騒なお嬢ちゃんだね」
「あら、それは御免あそばせ。こっちは今のが挨拶代わりのつもりだったのだけど……物足りなかったかしら?」
頭上からの抗議の声に答えたのは、つい今しがた『光弾』を放ったフェレシーラだ。
既に臨戦態勢に入っていた彼女の隣へと、俺は滑り込む。
一々、こちらに喋りかけてくるような相手だ。
隙を狙おうと思えばいつでも狙えただろうに、それをしてこなかったということは、相当に余裕があると見える。
ちなみにそれが、敵意の無さからだとは考えない。
ホムラを捕えて云々などと言い出してきた時点で、何の躊躇いもなくこいつは俺たちの敵だと断言できる。
だがしかし、そこから先が不明瞭すぎた。
急ぎ俺はそいつの姿を確かめにかかる。
布製と思しき短衣の先から覗く、生白く、細長い手足。
魔術の光に照らしだされた、中性的で、しかし何処か無機質さのある美貌。
それだけ見れば非の打ち所のない、美しい若者の姿をしてはいるが……
ただ一つ、そいつはこちらの認識をすべて覆してくる、異様なパーツを備えていた。
「ふぅむ。聞きしに勝る野蛮さだね。出来れば穏便に事を進めたかったんだけどなぁ。あ、まだまだ全然遅くないから、ちゃんとした挨拶からやり直そうよ。今のはノーカンって奴にしてあげるからさ!」
「悪いけど、挨拶なんてものはさっきので十分よ。可愛いうちの子を攫おうだなんて言い出してくる、ふざけた奴相手にはね」
「うーん……そっかぁ。そうなってくると、こっちも平和的に、ってのは難しくなるから困るんだけどなぁ。あ、そっちのキミ、どうかな? キミはワタシと仲良くしてくれるよね?」
こちらを見下ろす形でフェレシーラと向き合う最中、そいつは唐突に言葉の投げ先を、俺に切り替えてきた。
「フェレシーラ、あいつの見た目……」
「ん。わかってる。でも伝承にある通りの化け物なら、とっくにこっちは終わっている筈だから。警戒だけはしておいて、まずは叩いておきましょう」
「わかった。もしもの時は、あいつを倒しきってから考えよう」
「ピ!」
状況が状況、いきなり過ぎるにも程があったこともあり、交わす言葉は手短にという形ではあったが……
どうやらフェレシーラも、こちらと同じ想像をしていたらしい。
あたらめて、俺はそいつの姿を確認する。
そいつの頭には、髪がなかった。
代わりにあったのは、うぞうぞと蠢く無数の影。
夥しい数の蛇を、そいつは己の頭から生やしていた。
ゴーゴン。
またはゴルゴーンとも呼ばれる、神話の時代、その伝承に記述を残す『おそろしいもの』。
そいつの見た目は、俺とフェレシーラにその化け物を想起させるに、十分なインパクトを有していた。
だがしかし、こいつがゴーゴンであるとすれば、ある能力がある筈だった。
「あれ、キミはキミで無視してくるのかい? まあそれならそれで助かるんだけどさぁ……」
敢えて、そいつの顔をじっと見る。
感情を伴わない視線を、互いにぶつけ合わせてみる。
そうしながらも、それまで己の体に籠めていたアトマの守りを徐々に弱めてみる。
だがしかし、やはり変化は特にない。
こちらが第一に警戒した、『見る者を石に変えてしまう』という結果――『邪視』の予兆は、いつまで経ってもやってはこなかった。
「ま、あいつが御伽話に出てくるゴーゴンか、そのお仲間だっていうのなら……最初に見つけたホムラも無事じゃすまなかっただろうし、フェレシーラのいうとおりにその線はなさそうか。それよりも、あいつ――」
第一の懸念が収まったとなれば、後にやってくるのは当然、第二の疑惑だ。
相手を叩くと決めたからには、最低限の情報は欲しい。
「そうね。フラムも『視ている』でしょうけど。たぶん、そういうことね」
そんな想いからフェレシーラに呼びかけると、あっさりと答えたが返されてきた。
一瞬、俺は言葉に詰まってしまう。
予測はしていたが、当たっていて欲しくはなかった。
正直、それが本音だった。
「……マジか」
「マジマジ。というか私、何度も見たことあるもの。間違いない、って言い直したっていいけど?」
敢えて軽い調子で言葉を絞り出すも、返されてくるのは肯定の言葉ばかり。
まあ、予感がなかったといえば嘘になる。
むしろこいつの正体がそうであった方が、なんとなくではあるが、納得のゆく部分すらある。
ここレゼノーヴァ公国が生まれる前より続く、数多の因縁。
ジングの正体に迫る中にも挙がっていた、一つの推測。
そしてミストピア領主エキュム・スルスが俺たちに告げてきた、とある言葉。
「んー……」
ひょい、とそいつが立ち上がってきた。
そして巨大な兜の上よりこちらを睥睨してきて、更に一言。
「暇」
ふぁあ、と一息放った欠伸を噛み殺して、そいつは続けてきた。
「なんかキミたちだけ楽しくお喋りしてるし。初対面だっていうのに、なーんか態度も良くないし。時間を稼げって言われたから、向かってきてさ。コレに手出ししなくなったから、黙って様子見してあげていたけどさぁ……折角あの穴倉から出られたっていうのに、つまんないね。暇だよ」
一度喋り始めると止まらない。
否。
まるで止り方を知らないかのように口を回し始めたそいつを視ようとするも、なにも視えない。
それは、俺の知らない化け物だった。
「でもあいつの頼みを断ると面倒だしなぁ。時間を稼げっていうから、それで外に出られるならいいやっておもったけど。こんなことになるんなら、他の奴に押し付けて――あ!」
蒼鉄の短剣を、その柄を握りしめるも、そいつの調子は変わらない。
フェレシーラの戦鎚が、獲物を狙う猛禽の如き眼差しと共に持ち上がってゆくも……それは同じだった。
「そうだ! ワタシ、いいこと思いついちゃった! 時間も稼げて、暇もしない……いい手があったよ!」
化け物が初めて、表情らしい表情をみせる。
こちらが放った『探知』に対して一切の反応を示してこない、『アトマを微塵も持ち合わせていない』という、この地上には存在しない筈の化け物が――
「今からキミたちと、ゆっくり遊んでから。それから邪魔出来ないように殺してあげるね! それならワタシも暇しないし、時間も稼げるね!」
即ち、満面の笑みを浮かべた『魔人』が、地に降り立ってきた。