366. 機能不全
「うん。取りあえずはこれで良さそうだな」
パンパン、と掌についた土を叩き落としながら、地面に生えた鉄の巨人の後頭部を満足げに見上げていた。
この位置取りなら、たとえコイツが腕をブン回して攻撃してきても、こちらに届くことはない。
一応、背後に回って暫く様子をみてみたが、異様に関節が柔軟で腕が届いてくる、ということもなさそうだった。
「結局、腰から下は泥の中……か。幾らこの木偶の坊の自重がすごいからって、よくこれだけの相手を沈められるものね」
そんな感じで観察を続けていると、隣にフェレシーラがやってきた。
「フェレシーラの言ってたとおりに、元々ここの地盤が元々やわらかかったお陰だよ。それに追加の分の『軟化』は余裕をもって術法式を組めたからさ。時間もかけて集中出来るなら、これぐらいは朝飯前、ってヤツだ」
「ピ!」
彼女の言葉に返事をし終えたところに、鉄巨人の周囲を飛び回る光源が――もとい、『照明』モードのホムラが元気よく鳴き声をあげてきた。
「それにしても、よ。こんなに上手く作戦が嵌るなら、もっと早く試してみても良かったかなとはおもうから」
「そこはなんともだな」
実際、これが迎賓館の敷地内であれば、こんなに上手くはいかなかっただろう。
人の手により土木工事と舗装工事がしっかりと行われた場所では、幾ら俺が『軟化』の術効を引き上げたところで大した効果は望めない。
フェレシーラの力戦と、地形的条件。
この二つが噛み合ってこその結果であることは、間違いない。
「さてと。あんまりチンタラやってたら、新手の影人が現れるかもだしな。コイツを『解呪』出来るか試してみるよ」
「ん。いままでの動きを見た感じ、この状態で何か出来るとも思えないけど……気を付けてね」
フェレシーラの言葉に頷き、俺は作業を開始した。
術法式を調べ上げ、その構成を紐解く為の技。
術具を用いた『分析』と、俺自身の力で行う『解呪』。
そのどちらもが、対象に直に触れることでしか効力を発揮出来ない。
それも成功率を高めたいのであれば、可能な限り作業に集中出来る環境下が望ましい。
しかも、何度も交戦を重ねて検証と実践を繰り返せた『龍人型』の影人とは違い、コイツに関しては碌なデータもないときている。
まあそもそも、サイズからして規格外。
少なく見積もっても15mはあろうかという、通常の影人の10倍にも及ぶデカブツだ。
当然ながら、組み込まれた術法式のレベルも、それを支えるアトマの総量も、これまでの影人とは比較にならない相手だろう。
「……よし」
ゆっくりと気を落ち着けながら、精神を集中させながら、一歩ずつ歩を進めてゆく。
大丈夫だ。
相手に何か動きがあれば、こちらに攻撃が可能であれば、そこはフェレシーラが対応してくれる。
万全の状態の彼女の『防壁』を抜ける相手など、そうそういない。
その自信があるからこそ、フェレシーラもこの場を俺に任せてくれているのだ。
「ピィ」
気付けば隣にホムラがやってきていた。
不安そうにこちらをみつめてくるその眼差しに、俺は片手をあげて返してみせる。
「大丈夫だ、ホムラ。でも何があるかわからないから、フェレシーラの傍にいてやってくれ」
「……ピ!」
こちらのお願いに、彼女はしっかりと返事を行いフェレシーラの元へと飛び去っていった。
術法式の『解呪』。
対象とした式の構成レベル、組み込まれた性質にもよるが……
これに際しては、常に実行者には常にリスクが付き纏う。
まず単純に、そこに籠められたアトマが膨大なものであった時。
下手に術法式を破壊してしまえば、行き場を失ったアトマが膨大なエネルギーとなり、その場に吹き荒れ解呪者を巻き込む可能性が非常に高い。
これは結果としてフェレシーラが用いる『浄化』の力を籠めた『浄撃』による術法式の破壊と同様の効果をもたらすが……
しかし、アトマと物理の両方のエネルギーでもって術法式のアトマで捻じ伏せにいく『浄撃』とは違い、繊細なコントロールで以て行われる『解呪』にはそれがない。
故に式を破壊してしまった時点で、ほぼ無防備なまま反動を受けてしまう。
無論、そこに大したアトマが籠められていなければ、然したる痛痒も受けずに済むのだが……
まあ、このデカブツを相手にそんな失敗を仕出かせば、結果はお察しという奴だろう。
そこに関してはフェレシーラにも説明済みである為、彼女ももしもの場合に備えて待機してくれている、という部分もある。
ここまでは、どんな術法式でも起こり得る基本的な知識。
いわば、『解呪』の技を修めた者にとっての常識だ。
問題は、そこから先の『解呪』に対抗しようという施術者もいる、という部分にあった。
「まあ、今回は十中八九というか……ほぼ確実に仕込まれているだろうな」
少々うんざりとした言い回しで以て、俺はそこに関して言及してしまう。
即ち、『対解呪式』の存在。
術者が丹精込めて作り上げた魔法生物や一部の術具、陣術といったの可動型術法式を無に帰そうとという不届き者に対する、堅牢なる盾、または裁きの一撃。
例えるのであれば、『財宝を蓄えた宝箱』が術法式であるとすれば。
それを守る『鍵と罠』こそが、『対解呪式』といえるだろう。
役割としても殆んど同じだ。
術法分野におけるピッキングツールたる『解呪』に対して『対解呪式』は時に堅固な鍵として、時に恐るべき致命の罠として解呪者の前に立ち塞がってくる。
というこの『対解呪式』、ガチで古代迷宮の宝箱に仕掛けられていることもあるらしい。
物によってはアトマ切れを起こして無害になっているパターンもあるらしいが……
そうでなければ普通の盗賊(なんか変な例えだな)には『解呪』どころかそもそも存在を看破できないのが厄介で、鍵も罠もないと喜び勇んで開けたところに――
とまあ、そこから先は色々とお察しな結果が待ち受けている、といった次第だ。
当然ながら、持続型の術法式にそんな物騒な仕掛けを施してくるからには、そこには何としても守りたいものがあるか、もしくは純粋に手を出した相手に危害を加えたいか、はたまたその両方か、ということになる。
ちなみに以前、セレンがジングの魂を封じる為に用意した翔玉石の腕輪を納めていた箱……
あれにパトリースが『解呪』の練習として挑んだあの箱に仕掛けられていた『防護』の術法も、『対解呪式』の一種ともいえる。
そしてタイプは異なるが、先ほどまで迎賓館で戦っていた影人に施されていた『倒された際に消滅する』という条件発動型の仕掛けも、一瞬の『対解呪式』といえるだろう。
つまりそんな真似ができるこいつら影人どもの製作者が、もしここまでの戦いの顛末を、何らかの手段で知り得ているとすれば。
当たり前だが、このデカブツにも『対解呪式』の類いが――
いや。
あれこれ想像するのは、後にしておこう。
今はまず、この鉄の巨人の術法式を『分析』して、可能であれば『解呪』する。
そう思い、巨大な鈍色の鎧、その腰の辺りへと手を伸ばす。
あれから鉄巨人は動く様子をみせていない。
文字通り、標的であるこちらに対して手も足も出なくなってしまい、観念したのだろうか?
それともまともに動くだけのアトマが足りなくなり、機能不全に陥ってしまったのだろうか?
そんな無意味な、そして甘えた予想が脳裏を過る。
何故、そんな都合の良いことを考えてしまったのか。
答えは簡単だった。
要はびびっているのだ、俺は。
ここから『解呪』に失敗して、とんでもない事態を引き起こしてしまわないかと、今更になって不安を感じてしまっているのだ。
しかし、言い訳をしたいわけではないが……それも当たり前だろう。
これだけのサイズとパワーを誇る魔法生物を、それを生み出した術法式を、いまから何とかしようというのだ。
「落ち着け――」
湧き上がってきた疑念を払うため、言葉にして己を律する。
なにも、絶対にこれで『解呪』を成功させればならないわけではない。
まずは『分析』でもって、じっくりと調べられるだけでも、益はある。
万が一の時には、フェレシーラがフォローに入ってくれる。
ホムラだっている。
もしも『解呪』が出来たら、めっけもの、ぐらいに考えておけばいい。
落ち着いて、自分がやれることを、成すべきことを成せばいい――
それは、そう心に念じて、目の前の巨大な板金に指を触れさせた時の出来事だった。