364. 『好機』
「――せいっ!」
気合一閃、振り抜かれた戦鎚が巨大な鎧の踵にて、光輝を放つ。
並みの影人であればそれだけで『浄化』へと追い込むその一撃を踝にあたる部位に受けるとも、しかし鉄の巨人は怯みもしない。
緩慢な、だが明確な意図による踏みつけにより、大地が揺れて、沈み込む。
局所的な地震の発生源をすり抜けて、こちらの前方へとフェレシーラが退避してきた。
「あーあ。ほんと、やんなるなぁ……セレンの言ったとおりね。これじゃ丸っきり、私が囮役じゃない。しかも埃だらけの、小石があちこちに入ってきまくりで気持ち悪いし」
「そう愚痴るなって。俺の攻撃じゃ振り向いてもこないんだからさ。何だかんだでそっちを狙ってくるのは、お前の『浄撃』が効いてる証拠だと思うぞ」
「それは――いえ、そうね」
これだけの図体と重量を誇る相手であれば、やはり基本は足元ねらい。
ホムラが持たされたセレンからの手紙に記されていた、戦術の一つ。
そこには幾つかの、鉄巨人への対抗策が掻き殴られていた。
それらは全てが良策、会心の一手というものではなかったが……
しかしそれも当然のことだ。
突如出現した鉄巨人により、第二監視塔が崩壊に追い込まれた際。
フェレシーラが行動不能となったことで、俺は遊撃隊がその役目を果たせなくなったと判断した。
そしてそれを何とかセレンに察してもらう為に、ホムラを彼女の元へと駆けさせたのだ。
時間的な余裕もなかった故の窮余の策だ。
だが、セレンはすぐさまそんな俺の無茶振りに対応してくれた。
それがあの手紙だ。
おそらく彼女は、単身自らの元に飛びこんできたホムラの様子から、何らかの原因により遊撃隊が機能不全に陥ったことに勘付いただけでなく、その後のこちらの動きまで……
俺たちが、迎賓館を巻き込んでの戦闘を回避すると予見して、この手紙を用意してくれたのだろう。
思いつく限りの策が取捨選択すらもせずに所狭しと掻き殴られていたことが、崩れ切った文字とその量からもはっきりと伝わってきていた。
「ありがたく、ですよ。セレンさん」
「ええ。お陰でこっちが思いつきもしなかったやり方に気付けたし。それじゃ、もうちょっと頑張ってくるから……そっちは、お任せ!」
「ああ。任せてくれ」
「ピ!」
そんなセレンの助けに背中を押されたかのようにして、フェレシーラが再び前に出る。
俺とホムラは、それを見送り成すべきことを果たしにゆく。
ホムラの役割は、フェレシーラの視界の確保だ。
闇の中にあっても尚、果敢に囮役を努めてくれる者には必須の光源、動く『照明』だ。
時折、そんなホムラに鉄巨人が視線を定めては、その俊影を追い切れずに諦めるような挙動をみせている。
「いい加減に……倒れなさいっ!」
その隙を縫う形で、鉄巨人の左踝周辺へと戦鎚が叩きつけられる。
もう幾度目になるかも知れぬ『浄撃』だ。
幾らアトマの扱いに熟達し、それを効率的に用いて戦うフェレシーラといえど、こうも繰り返し攻め続けていては、疲れも蓄積して当然だ。
対して鉄巨人は、目下のところ疲弊する様子もなければ、ダメージを受けた様子もない。
それはヤツが、それまでの影人とは一線を画す防御力と耐久性を備えていることの証明だろう。
そしてそれは、この影人が他の影人とはまったく異なる設計思想で以て構築された魔法生物――
否。
魔法兵器といって差し支えない代物だと認識すべきであることを、俺に伝えてきていた。
いわばそれは、直立し、歩行する攻城兵器といった風情でもある。
というか、逆に考えればそれぐらいしか能がないともいえる。
過剰なまでに頑健で、それ故異様なまでに鈍重な鉄巨人から、ただ逃げ果せるだけであれば、はっきりいってそう苦労もしない。
それ程までに、奴の動きは鈍い。
だが、それが出来るのは生身の者だけだ。
当たり前のことだが、城壁の類にそれは不可能だ。
よってあの影人はそれを目的として造られたことは、想像に難くなかった。
「ま、それにしてはちぐはぐ……露骨におかしい、って話なんだけどな……!」
そんな具体性に欠いた指摘を見舞いつつ、俺は行動を開始する。
度重なるフェレシーラの攻めにより、鉄巨人はその場から殆ど動けずにいる。
振り上げた巨大な手足より繰り出される、踏みつけ叩きつけを避ける際には、フェレシーラも一時退避の形をとり、巻き込み被害を受けないように距離を置いている、という寸法だ。
そこに素早く詰め寄り追撃をかけるほどの敏捷性を、ヤツは持ち合わせていない。
むしろ再び前に出たフェレシーラにあっさりと後ろを取られて、その場をぐるぐると回り続けているのが実情だ。
こうして観察している分には、鉄巨人が大した脅威でもなく、また、フェレシーラのやっていることも、そう難易度が高くないようにも錯覚しそうになるが……
常識外の攻撃範囲。
度々不安定となる足場。
そして万が一にでも喰らえば即死級の、力任せの剛撃。
一手一手が、死に繋がり兼ねない攻防を、倒す見込みもないままに遂行する。
身体面の能力は当たり前として、精神面でもタフさが要求されるこの役目を黙々とこなせるのは、流石というより他にない。
いやまあ、黙々というにはごっつい得物と一緒に、しっかり文句も叩きつけているみたいだけど。
「ほん……っと! タフすぎでしょ! このっ! 木偶の坊っ!」
スローリーな動きで背後を振り向いてくる鉄巨人の左の踵へと、フェレシーラが意気を叩きつけるようにして乱打を見舞う。
集中攻撃により脚部の破壊が生じれば、自らの巨体が仇となって圧し掛かってくる。
そう考え、俺も初撃の『熱線』ではヤツの左足を狙っていた。
それを見ていたフェレシーラからすれば、その猛攻は当然の選択だったのだろう。
オオオオォォ――
「……!」
突如として辺りに響き渡った咆哮に、神殿従士の少女の青い瞳が猛禽の如き眼光を放つ。
見れば鉄の巨人が、執拗な戦鎚の攻めを嫌がるようにして、装甲を歪ませた左足を振り上げにかかってきていた。
「ようやく、効いてきたようね……!」
フェレシーラの放つアトマが一気に膨れ上がる。
それと同時に、こちらも呪文の詠唱に入る。
「地を浸すもの。不動の礎掻き抱くもの……」
左の踏みつけを回避してからの、決定的一打。
それを放つ為に、一度は戦鎚を手にした少女が退避の構えへと移行する。
「水魔の母、腐海の御使い。汝ら天地司る精霊に、我は伏し祈る――」
そこに合わせて魔術の追撃を仕掛ける。
その役目を果たしにかかろうとしたところで、それは起きた。
「きゃ……!?」
不意にフェレシーラが体勢を崩したかと思うと、そのまま転倒してしまったのだ。
恐らくは度重なる鉄腕の殴打を受けた地盤に、緩みが入っていた所為だ。
「フェレシーラ!」
まずい。
まずい、不味い、マズイ……!
今から彼女を助け起こしにいくに、距離がありすぎる。
術法を使おうにも、今からでは到底間に合わない。
無詠唱で扱える術など俺にはなければ、詠唱短縮で役立つ術もない。
ホムラの位置も高すぎる。
このままではと思っている間に、体が動いていた。
「だめ――来ちゃダメ……間に合わない!」
「言ってる暇があれば立て! 諦めるなって言ったの、お前だろっ! 『光弾』の反動でも何でも使って動けっ!」
切羽詰まった少女の声に、叱咤を飛ばしてただ駆ける。
わかってはいた。
一度沈下を起こした地面から逃れるなど、容易なことではない。
例えフェレシーラが熟達した神術士であろうとも、無詠唱による術法の発動が可能といえど……
それは飽くまで、十全な状態での集中を得ていた際の話だ。
精神的にも肉体的にも逼迫した状態でそれが叶うほど、甘い話ではない。
そしてそれは俺にしても同じだった。
こうなったら、一か八か、いくしかないか……!
十分に練り上げた術法式を、今となっては枷としか思えぬ奇跡の欠片を、未だ俺が手放せずにいた理由は一つ。
運が良ければひっくり返せるかもしれない。
そうでなければ――どれだけ甘く見積もっても、十中八九、二人仲良くあの世逝き。
「だめ……フラム!」
「んな風に言われて、とまれる男がいるかよ!」
降下し始めた鉄靴の直下に向けて、こちらが身を躍らせたその瞬間――
「ピーッ!」
「ッ!?」
頭上で、眩い光が炸裂した。
一瞬でも飛び出すのが遅ければ、俺の目を灼き潰していたであろう、その強烈な輝きを受けて、鉄の巨人が仰け反り怯む。
「手ぇのばせ! フェレシーラ!」
叫びながら、伸ばされてきた細腕を乱暴に掴んで引き寄せる。
亜麻色の髪を胸に抱きながらも、刹那の時に思考を回す。
巨大な影人を怯ませたのは、ホムラの『照明』だ。
何をどうやったのかはわからないが、彼女が自らの意思でその術効を爆発的に引き上げて、特大の目晦ましを炸裂させたのだ。
「乾きを祓う腕、雫を注ぐ掌……」
それを証明するかの如く、辺りを照らしていた光は消え失せてしまっている。
ならば、そう長くはこの状況は続かない。
こんな好機は二度と来ない。
逃げればまた、元の木阿弥だ。
やるのであれば、今しかない。
一度は途絶させていた呪文の詠唱に、術法式の再構成に及びながらも、俺はそう判断していた。
「起きよ、承けよ、結実せよ――」
火花を散らす魔法陣が、手に灯る。
未だ左の足を上げたままの、木偶の坊の残る右足の、その直下へと目掛けて――
「大海望む蛟の息吹以て……沈め貪れ、湖沼の陸路!」
俺は渾身の力でもって拳を繰り出し、大地そのものに『軟化』の魔術を叩き込んでいた。