358. 真夜中の逃避行
「それじゃ、まずは打ち合わせ通りにいこう。俺は一旦、このままここで『防壁』を維持」
「ええ。私が先に外に出て……鉄巨人だっけ? あの影人に動きがあるか、試してみるから」
「ああ……頼むよ。もし反応があれば俺もすぐに動く」
フェレシーラの返答を受けて、俺は指揮所の窓より外の様子を伺う。
あれからこの第三監視塔に近づいてくる者はいない。
一応、備え付けの水晶灯をつけてはみたが、それは同じだった。
「では……いきます」
やや緊張した面持ちでもって、フェレシーラが俺が展開した『防壁』の外へと踏み出す。
鉄巨人の、肉眼以外の索敵手段。
それがこちらの予想通りアトマ視であり、尚且つ、特定の誰かのアトマを標的としているのであれば……
「……どお?」
「反応なし。動きはかなり鈍いから、少しそのままで様子をみよう。フェレシーラが標的なら、そのうち動きだす筈だ」
「了解。なんだか緊張するわね、これ……」
「だよなぁ」
引き続き窓より外の動きを探るも、鉄巨人は微動だにしない。
そこからしっかりと数えて1分。
「変わらず、反応なし。これであのデカブツのアトマ視が届いていないか、お前が狙いじゃないか。そのどちらかに絞られたかな」
「そっか。『探知の』範囲外、ってことならいいのだけど」
「それだと本当の意味での検証にならないし、俺は範囲内であることを願うぞ。取り敢えず『防壁』を解除するから、今度はフェレシーラも外を見ていてくれ」
「うん……」
自分が標的でない可能性が高まったというのに、フェレシーラは不安げな様子だった。
対してこちらは、安堵する気持ちが強い。
まあ、仮に彼女が狙いだとしても、俺のやることは変わらない。
「それじゃ……『防壁』、解除だ」
少女の手が祈るように組まれる中、周囲に展開されていた光の壁が消失する。
瞬間、鉄の巨人が頭部に赤い光が瞬き――
「決まりだな」
再び崩壊し始めた石壁を前に、固く握りしめられた彼女の指より力が抜け落ちる。
「影人の標的は、俺だ。あとは予定通りにいこう」
その背中に語り掛けながら、俺は行動を開始した。
「ピィ!」
「お……きたか、ホムラ! ナイスタイミングだ!」
「ピピィ♪」
指揮所を後にして防壁上の通路に出ると、示し合わせたかのようにしてホムラが舞い戻ってきた。
「すごいわね、ホムラ。私たちの居場所がわかるだなんて。もしかして、なにかしてみたの?」
「お、いい勘してるな。さっきあのデカブツが動き出した瞬間に、ダメ元で『ここだぞ、ここだぞ~』って念を送ってみたんだよ。こいつ、そういうのでわかってくれるみたいだからな」
「へぇ……本職の魔獣使い顔負けのツーカーっぷりじゃない。案外、そっち系でもやっていけるのかしら?」
「どうだろうな。飽くまで、バーゼルのおっさんが施してくれた契約法の術効な気もするけど……っと。今はそれどころじゃなかったか」
「ええ。またよろしくね、ホムラ」
「ピ!」
フェレシーラがにっこりと微笑むと、ホムラが赤茶の翼をばさりと打ち鳴らして応えてきた。
もしもホムラが駆けつけてこなければ、の話。
その場合、急ぎこちらから迎賓館に向かい合流を果たすつもりではあったが、幸いにもそちらに時間を割く必要はなくなった。
鉄巨人の動きは緩慢ながらも、一直線にこちらに向けて移動を再開している。
つまり、あの状況からそういう動きをしてくるということは――
「きゃ……っ!」
「おっ、と」
ぐらりと大きく揺れた足場でなんとかバランスを取りつつ、小さく悲鳴をあげたフェレシーラの背中を支えると、更にホムラが背後に回って俺を支えてくれた。
愛いヤツめ。
「しかし、マジで何があろうとお構いなし、って感じだな」
「本当にね。最短距離で標的に迫るっていう命令を受けているにしても……まさか館の防壁を押し退けながら進んで来ようとするなんてね」
呆れ顔でフェレシーラが見つめる先には、崩壊した防壁にめり込むような形となった鉄巨人の姿。
その結果は、さもありなんといったところだ。
なにせ奴は、一直線に俺を目指して動いてきている。
それも第二監視塔が存在した場所から、防壁で結ばれた第三監視塔を目指して、だ。
当然ながらそんなことをすれば、無数多量の石材に阻まれて動きは鈍る。
ただでさえ鈍重な鉄巨人だ。
館の防壁が破壊されてゆくのは歓迎出来る事態ではないが、差しあたっての脅威度はかなり抑えられたとみて、間違いないだろう。
「それじゃ、後は手筈通りに。このままだと館の被害も大きくなるし、あまり時間はかけられないからな」
「オッケー。ちゃっちゃとやっちゃいましょ」
「ああ。ホムラもついてきてくれ。あのデカブツが手間取っている間に、移動しておきたい」
「ピピ!」
威勢のいい返答を続けざまに受け取り、俺は呪文の詠唱を開始する。
用いるのは『浮遊』の魔術。
「漂うは看得ざる鶴翼。秤謀るは空の踊り子……」
手甲に仕込まれた霊銀盤にもアトマを注ぎつつ、術法式の構成を練る。
既に一度、ホムラに掴まり迎賓館の中庭を飛んだ際に、行使した術法だ。
当然、式の制御に集中出来さえすれば、この程度の術法、どうというわけも……
「――フラム!」
がくんと、不意に膝から崩れ落ちかけたところに、耳元で叫び声があがった。
「あ、あれ?」
同時に、己の体が支えられていたことを自覚する。
フェレシーラだ。
心配そうな顔をした、フェレシーラの顔が間近にあった。
それでようやく、俺は自分が危うく倒れかけていたことを理解した。
「わ、わるぃ……アイツが遠慮なしに足元揺らしてくるから、ちょっとバランスが」
「うそね」
反射的にそんな言い訳を口にするも、彼女はそれを見抜き、断じてきた。
「昼間の代理戦から、ここまでずっと連戦続きだもの。体の疲労も溜まっていて当然よ。焦らないで。どうせあっちは亀の歩み、って奴なんだから。まずは回復させるのが先決よ」
言いつつ、手早く『体力付与』を施すフェレシーラに、俺は無言となって頭を下げる。
ここで無理をして体が使い物にならなくなるのは、御免といった判断もあるが……
どうやらすっかり、いつもの彼女に戻ってくれている。
俺が影人の標的であるということが、ほぼ確定した直後はかなり落ち込んでいる様子を見せていたが、流石の切り替えようだ。
「ホムラ、強度高めで『身体強化』をかけるから、ここは頼らせて頂戴。フラム、肩を貸すから、移動が完了するまでこっちにしっかり掴まっていて」
「わかった。ありがとう、フェレシーラ」
「感謝は上手くいった後にね」
テキパキと指示を行う少女の手から、小盾が弧を描いて宙に投げ放たれる。
……あれ?
なんかいま一瞬、盾が光っていたのは気のせいだろうか……?
「四肢昂るは強者の求め。荒ぶるは始原の望み……」
こちらが訝しむ中、中高音の美声でもって厳かな詠唱の声が辺りに響き始めた。
握りしめられた戦鎚が、少女の頭上に掲げられる。
程なくして、やわらかな光が幼い幻獣の体を包み込んだ。
直後、真横にされた戦鎚を『身体強化』の術効を得たホムラのぶっとい鈎爪が、ガシッと握りしめた。
「さてと。それじゃ三人揃って仲良く……真夜中の逃避行といきましょうか!」
そこは散歩をもじって、散飛だとか前に言ってなかったか? などと心の中でツッコミつつも。
「キュピピピピピ……ピピーッ!!!」
気合い満々のホムラの叫び声と共に、俺たち三人は石壁にめり込む鉄の巨人を置き去りにして、高き壁の外へと飛び立っていった。