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356. 〖消えない痕〗

 それは、巨大な鉄の指だった。

 

「なん、だ……あれ……」

 

 高さ10mを優に越える石造りの塔を突き抜けてきた、五本の指。

 その奥でガラゴロと音立てて崩落するそれは、一度はこの迎賓館防衛の中核メンバーが集まっていた第二監視塔だった。

 

 寒気がした。

 ぼろぼろと石材をこぼれ落とす防壁の上にて燃え狂う篝火に照られされた、鈍色にびいろの指のその奥側(・・・・)

 それを幻視したことで疾った寒気が、すぐに怖気と化す。

 

 敵だ。

 敵が現れたのだ。

 それはわかる。

 

 今まで見たこともないデカブツだ。

 大型巨人タイプだとか、こちらの勝手な常識で名付けていた影人よりも、更に巨大な化け物だ。

 それも、なんとかわかる。

 

 だが、あの馬鹿でかい指を覆う金属質の物体はなんだ?

 あれの正体がもし、こちらが想像してしまった物だとしたら……

 あの指の奥に存在するそいつが、その全身が同様の『鎧』を身に纏っているのだとしたら――

 

「ピィ! ピーッ!」

「!」


 突如頭上より鳴り響いてきた甲高き戦友の声が、ホムラの叫び声が、破砕の音に未だ震える耳朶を打ってきた。

 同時に思考がクリアとなる。


「フェレシーラ!」


 幾つかの案が頭の中を駆け巡り、それを即刻不可能、または不足だと結論付けながら、俺は叫んでいた。

 

 が、動かない。

 俺の呼びかけを受けたフェレシーラに、動きがない。

 

「う、そ……」


 青い瞳が、粉々となり崩れ落ちる石塔を呆然とみつめていた。

 亜麻色の髪が、隠しきれない震えに揺れていた。

 

「フェレシーラ……?」

「うそよ……こんなの、嘘よ……!」

 

 戸惑う俺の目の前で、突然フェレシーラが地に蹲った。 

 その手は愛用の戦鎚ウォーハンマーと、小盾ラウンド・シールドが固く握りしめられている。

 戦う為にそうしているわけでないということは、一目でわかった。

 

「立とう、フェレシーラ。ここから一旦離れよう」


 焦り声を張り上げそうになるのを堪えて、彼女の腕を取る。

 しかしやはり、フェレシーラは動かない。

 小さくかぶりを振り拒絶の意志を示すばかりで、その場から動けない。

 

 敵襲からの混乱。

 始めてみる巨大な魔物への恐怖。

 そんな簡単な理由が原因ではないことだけは、察しがついた。

 

 しかしどうすれば良いのかが、俺にはわからない。

 白羽根の聖女、レゼノーヴァ公国最強の神殿従士である彼女が、こんな状態に陥るなど……明らかな異常事態だ。


 想定外どころではない事態の連続に、パニックに陥りかけたところで、頭の中である言葉が甦ってきた。

 

「ホムラ! セレンたちにすぐに報せてくれ!」 


 お前はまだ若いと、何でも一人で抱え込もうとするなと、そう言ってくれた人の名を口に、俺はホムラに呼び掛けていた。


「お前がいけば、こっちに異常があったとすぐに気付いてくれるはずだ! いってくれ、ホムラ!」

「ピィ……」

「頼む! フェレシーラが動けない以上……いや、フェレシーラは、俺が絶対になんとかする!」

「――ピィ!」


 その宣言に、幼き幻獣がバサリと力強い羽ばたきを返してきて、く闇夜を駆け始めた。

 それを見届けて、俺はその場に腰を降ろす。

 

 防壁が、巨大な指に押し退けられてゆく。

 そこには何かを破壊しようだとか、排除しようだとかいう意図は感じられない。

 ただ、前に進む。

 進む上で、結果としてその先にあるものが押し退けられてゆく。

 

 緩慢な動きに、続く地鳴りの音。

 それを耳にして、俺の脳裏である推測が立ち、そこから一つの方策が浮かぶ。

 嵌れば状況を巻き返せるだろう。

 しかし今はその為の手立てがない。

 

 フェレシーラがこうなってしまった以上、まずはなんとしてもそこをどうにかせねば、打てる手がない。

 彼女が戦えないということは、この防衛戦において致命的だった。

 

 これはハンサにも指摘されていたことだが……今現在、この迎賓館でエキュムらを守る兵士たちの士気が保たれているのは、遊撃隊の活躍によるところも大きいのだろう。

 

 突然襲い掛かってきた正体不明の魔物を相手取り、至る場所へと現れてはそれを退け、その結果でもって味方を鼓舞してゆく。

 そうした動きの中にあっても、『白羽根の神殿従士』フェレシーラ・シェットフレンの存在は、兵士たちにとって一際大きい存在であることは、誰の目にも明らかだった。

 

 どんな相手にも一歩も退かずこれを打ち倒し、苦境にある者をときに護り、ときに癒してゆく。

 暗闇に包まれた戦場にて、勝利という輝きでもって皆が続くべき道を割り開く、聖伐の乙女。

 戦いの場にあって、フェレシーラという少女は……唯一絶対不変の、希望の証そのものなのだ。

 

 それ故、俺は一度は彼女をこの場から連れ去らねばならない。

 

「いこう、フェレシーラ。このままここにいたら……危ない」


 駄目だ、という言葉をなんとかすり替えて彼女の腕を取るも、返されてくるのは幼子がむずがるが如き、「いやいや」の仕草ばかり。

 地鳴りの音は、ゆっくりと……しかし確実に近づいてきている。

 

 この様子であれば、接敵までの余裕だけは十分にある。

 だがこれが戦闘に入ったとなれば、この鈍重さを保ってくれるという保証はどこにもない。

 相手が魔法生物であると仮定すれば、そうした極端な挙動を取ることも十分にあり得る。

 

 やはり、迷っている時間はなかった。

 このままでは|フェレシーラが味方に見つかってしまう《・・・・・・・・・・・・・・・・・・》。

 そうなれば、彼女を心の支えとしていた者たちは、立ちどころにして迫る巨影に恐れをなし、瓦解に追い込まれてしまうだろう。

 

 それだけは絶対に避けねばならない状況だった。

 

「動くなよ」

 

 それだけを伝えて、蹲る少女の体に手を伸ばす。

 幸いというべきか、なんというべきか、晩餐会でのトラブった際に彼女をいわゆる『お姫様だっこ』で抱えて運んでいたので、その経験が活きた。

 

「おい……! なんだ、あのデケぇのは……!」

「ほ、報告だ! ハンサ様に、今すぐ報せてきてくれ!」

「やべぇぞ、こりゃあ……」


 迎賓館の入口側から、歩哨の兵士たちがあげた思しき声が辺りに響き始める中――


「俺から離れるなよ。フェレシーラ」 

 

 こくんと返されてきた頷きを胸に受け、俺は暗がりの中へと走り始めていた。

 

 

 


「……やっぱり、そうなるか」


 館の傍から離れて、俺たちが目指したのは第三監視塔と呼ばれる場所だった。

 そこはこの『白霧の館』においては第二監視塔と防衛上の通路で繋がっている場所であり、それ故に迎賓館からは最も離れた場所でもあったのだが……

 

 第三監視塔、指揮所。

 今現在、ここを利用している者は俺たちの他にいない。

 そして鎧の影人も、ピタリと動きを止めてしまっている。

 周囲は暗く、光源である篝火の火も落ちたままだ。

 

「参ったな……」

 

 呟く俺の腕の中には、震える少女が一人。

 足元には、俺が展開した『防壁』の魔法陣が燐光を放っている。

 

 そこに込められた術効は、『探知』への対抗効果のみ。

 唯一つの恩恵に絞られたそれは、いま暫くの間は俺たちのアトマを闇に紛れさせてくれることだろう。

 

「セレンさんが気付いてくれるといいんだけどな……」

 

 そんな言葉を溢しつつ、深々とした溜息をつく。

 参った。

 それが本心だった。

 

 鎧の影人――鉄巨人ともいうべきそいつは、完全に動きを停止している。

 俺がフェレシーラと共にこの場所に身を潜めて、『防壁』の神術にて『アトマ視の影響を拒絶』して以降、だ。

 

 予想が当たってしまった。

 鉄巨人、並びに影人どもが、『探知』の術効により『標的を探す』機能を備えているのではないか、という予想に加えて……

 

 俺かフェレシーラかのどちらかを、アトマ視でもって影人が探しているのではないか、という予想が当たってしまっていたことに、俺は言い様の無い心苦しさを覚えていた。


 迎賓館から兵士たちが離れてゆく気配は感じられない。

 それは彼らが俺たち遊撃隊が、何かしらの手段で敵を封じていると信じてくれているからだ。

 ある意味で、それは本当のことだと言えるだろう。

 

 だがそんな細かいことは、理由や理屈は、今はどうだっていい。

 この状況で試す価値があることといえば、あとはこの『防壁』の範囲内から俺が離れて、鉄巨人が動き始めるかの確認、ということになるが……


 

「とうさま……かあさま……ふぇれすを、おいてかないで……っ」

「大丈夫だ。フェレシーラ。俺はどこにもいかないよ。ずっと傍にいるよ」

 

 未だ響き続ける震えと声を胸に受けて、結局俺が出来ていたのは、彼女をやさしく撫でつけてやるぐらいのことだった……

 


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