355. 災禍、到来
静まり返った闇の中――
「照らすは汝の塒、灯すは子らの燭台……揺蕩う光、安寧の輝きよ」
長く美しい亜麻色の髪の所在が、若干頼りない『照明』の輝きにて明らかとなる。
「おぉ……」
「わお。いけたじゃない。不定術抜きでの術法発動。おめでと」
「といっても、出力はまだまだ出てないけどな。ありがと」
「ピ」
フェレシーラの祝いの声に返事をしたところに、頭上よりホムラが降りてきた。
「どうやら結界は上手く作動しているみたいだな」
「そうね。影人の攻め自体、散発的になっているみたいだけど……それも何故か入口側に集中しているから、兵士も術者もかなり楽が出来ているみたいね」
「だな。伝令の兵士の人も、いまのところ二階にいきなり影人が出てくることはない、っていってたし……こうなるとセレンさんの推測通りに、壁や地面に長時間潜んで移動したり、登るような動きは苦手、ってことかもしんないな。それか、入口に集中しているってことは、もしかしたら人が移動した経路を辿る癖があるのか」
掌中に生まれた頼りない球状の光源に合わせるような、小声でのやり取り。
「あー、たしかに。言われてみれば監視塔に集まってきた動きも納得ね。ハンサたちとあそこに向かったあと、急に影人が集まってきたし。そういう習性があるのかしら」
「ありえるな。魔法生物にあまり複雑な判断能力を与えようとすると、その分、他の部分のスペックが下がったり、下手すれば可笑しな行動をとったりするし……単純な行動パターンを組合わせて、戦闘に向いた動きが出来るようにしている可能性は高いと思う」
迎賓館の窓より洩れ差してくる水晶灯の煌めきを見上げつつ……
想定よりもかなり暇をしていた俺たち遊撃隊は、影人考察に勤しんでいた。
館内への人員の移動も済み、術士たちが力を合わせて結界を施してからというものの。
得意としていた地面からの奇襲を封じられた影人どもは、幾度かは強引にその守りを突破しようと姿を現しかけるも、準備万端で待ち構えていた兵士たちに『出る杭は打たれる』とばかりに重量武器でボッコボコにされていたらしい。
そうこうする内に地面からの進攻が途絶えて、今度は館の入口に群れ始めてきたとの話だったのだが……
こちらは無理にその場で応戦せず、わざと扉を解放して広いロビーに誘い込み、常に数的有利をキープしながら捌ききっているとのことだった。
「ここまでは順調、ってところね。移動の隙を突かれたり、デカブツに壁を狙われたりする危険性を考えると、わりとリスキーな策にも思えていたけど。思った以上に敵の戦力を削れていた、ってところかしら」
「かもしんないな。第一波、第二波って感じで、強烈な攻めが続いていたし。あれクラスの攻めが続いていたら守りきれるかわからない部分があったから、このタイミングがベストだって判断だったんだろうけど。なにはともあれ、しっかりと休みつつ守れる体勢に入れそうで良かったよ」
「そこなのよねぇ……」
罅割れの入った石畳に戦槌を突き立てるようにして、フェレシーラが「ふぅ」と溜息を溢してきた。
「うん? 何か心配ごとでもあったのか?」
「そうね……流石の貴方も連戦続きでアトマを使い過ぎてる気はしていたし、こうして疲弊せずに済んでいるのは歓迎したいところだけど。さすがにこんな真似を仕出かしてきた相手が、こんな尻切れトンボみたいな結果で終わり……っていうのは、虫が良すぎるかなぁって。そう思っただけよ」
「ああ、そこに関してもちょっとセレンさんには話しておいたよ。飽くまで推測に過ぎない感じだから、ハンサ副従士長に提出する書面には含めてもらっていなかったけど」
「へー……それって新手の影人が出てくるかも、って奴よね? どうせ暇なんだし、今の内にパパっと話しておきなさいな」
「ええと、そうだな。たしか――」
そういやコイツとは、その話を皆に持ちかけにいったところでセレンと出くわして、そこから別行動になっていたなぁと思い出しつつ、俺は彼女に手短に『第三の影人』に関する予想を告げていた。
「物に潜んで移動する能力を省いて、その分、戦闘面に特化した影人ね……」
「ああ。奇襲が上手くいってないのを、あっちが気付いていればっていう前提にはなるけど。いままでの能力を全部合わせたタイプよりは、現状そういうのが出てきたほうが厄介かなって思ってさ」
「うーん……そうね。仮に影人の統率者がいたとして、戦況まで把握していればその選択が効果的に思えるけど。一つ、質問してもいいかしら? 魔法生物に関することなのだけど」
「勿論。俺に答えられることなら、なんでもどうぞだ」
言ってこちらが頷くと、フェレシーラが「それじゃ、遠慮なく」と前置きをしてから尋ねてきた。
「私、そんなに魔法生物に……秘術生命体について詳しくないのだけど。そんなに簡単に、色々と特性も能力も違う代物を生み出せるものなのかしら。聞き齧った話だと、単純な能力を持つ魔法生物を作成するだけでも、それなり以上の知識と専門の施設が必要って印象だから」
「うん、その認識であってるよ。加えていえば、当然ながら多量のアトマを中心とした、素材になる物質も必要だ」
「そうそう。素材は必須。そうよね?」
「あ、ああ……そう、だけど」
若干食い気味で詰め寄ってきた彼女に、思わず腰が引けてしまう俺。
しかし、フェレシーラの言いたいこともわかる。
故にここは、もう少し彼女の抱いた疑問を受け止めておくとしよう。
「簡単な魔法生物を造るだけでも結構大変なのに、これだけの規模で、しかも複数種の戦力になる代物を用意できるなんて……誰がどう考えても、普通じゃないわ。一個人のレベルをとうに越えているもの」
「うん。俺もそう思う」
「そうよね? 一体どうやって資源や製造施設、人員を確保してるのかはわからないけど、これって異常事態よね? やっぱり、フラムもそう思う?」
「ああ。思うよ」
短い言葉で目の前の少女の認識を認めていきつつも、俺は敢えて陣術に関する禁忌――土地のアトマを吸い上げて、強烈な術効を得ることが可能であることは伝えなかった。
それは何故かと言えば……
今のフェレシーラにそれを伝えるのは、どうにも不味い気がしたからだ。
陣術はその性質上、魔法生物の作成に適している。
それを用いてアトマを土地から吸い上げることで、大量の影人を製造出来る可能性を伝えてしまえば、きっと容易くフェレシーラはパニックに陥ってしまう。
そう断言出来るほどに、今の彼女の様子はおかしかった。
何かに怯えている。
ちょっとした仕草や言い回し、言葉の調子からそれが伝わってきていた。
普段の、これまでのフェレシーラの在り様からすれば、まったく想像もつかない、考えられない反応だった。
しかしそのことが、何故だか逆に俺に落ち着きを与えてきている。
「ピ……?」
「たしかに普通じゃないな。フェレシーラの言うこと、わかるよ」
肩の上より首を傾げてきたホムラを撫でつつ、俺は更なるフェレシーラの言葉を受け止めにかかる。
すると彼女はコクリと大きく頷いてから、暫しの間じっとこちらをみつめてきて……やがて、意を決したように口を開いてきた。
「エキュム様が言われていたのも、当然かなっておもう」
「領主様が言っていたって……魔人戦争を思い出す、ってヤツだな?」
「……うん」
きっと敢えてその名を出しはしなかったのであろう、その言葉を代わりに口にすると、少女が恐る恐るといった風にそれを肯定してきた。
やはり普通ではない。
こんな彼女の姿を見るのは始めてだった。
魔人戦争。
その名に怯えるにしては、普段のフェレシーラと……『白羽根の神殿従士』、フェレシーラ・シェットフレンとのイメージが、あまりに乖離しすぎている。
正直、何故にそんな反応を彼女が示すのかは、俺にはわからない。
しかしそれでも、ここは話をしておくべきだろう。
支えてやるべきだ。
いや……支えてやりたい。
理屈ではなくそう思った瞬間に――
遠くに見えていた監視塔が、轟音と共に消し飛んだ。