352. 『最善手』
「ま、君のことだ。この手の知識もあるのだろうが、一応ね」
再び羊皮紙に何事かを――おそらくはこちらの意見と指摘を、だろうが――書き記しつつ、セレンが断りを入れてきた。
「この国が陣術の取り扱いに関して厳しいのは、嘗ての魔人戦争でやむにやまれず苦境に立たされた術士たちが、大地のアトマを用いて魔人に抗していた故、という事情もある」
土地そのものの、アトマを利用する。
それは言葉の通りに、大地そのものから力を吸い上げるというやり方だ。
術者のアトマに加えて霊的物質を触媒に用いることで、強烈な術効を得ることが可能な陣術。
それが何故に、その使用に際して国の許可が必要になるかといえば……
理由はほぼこの一点。
土地のアトマを用いることも可能であり、それ故使い様によっては大地に深刻な『アトマ枯渇』を引き起こしかねないからだ。
アトマが枯渇した大地は、その時点で不毛の土地と化すのが通例だ。
世界各地に点在する砂漠も、その殆どが陣術によるアトマの過剰搾取によって引き起こされたとまで言われている。
とはいえ、陣術の使用後も土地が十分にもつだけのアトマが残存していれば、時間の経過と共に回復は見込めるため、完全な禁術指定までは受けていない、といった次第でもある。
加えて広大深淵な大地を霊的触媒として用いるためには、その呼び水としてアトマを用いる術者にも多大な負担がかかる。
強力な陣術の履行に及ぶために、術者の限界を越えて周囲のアトマを掻き集めたその結果。
悲惨な最期を迎える者も、決して少なくはないのだ。
俺とセレンが、パトリースに対してこうした陣術の用い方を教えなかったのには、そういう理由もある。
もっとも、パトリースの陣術へのセンスを考慮すると、自ずとこの技法に辿り着く可能性は十分にある。
そういう意味でも、セレンがバックアップにつくのは必然といえるし、彼女もそうすることでパトリースに陣術の危険性を学ばせる腹積もりなのだろう。
「安心し給え。パトリース嬢が受け持つのは陣の維持・制御だ。アトマの捻出に関しては私が責任をもって完遂しよう」
そんなことを考えていると、セレンがまるでこちらの心を読んできたかのようにして告げてきた。
その口振りに、俺は思わず苦笑してしまう。
「前に、あの子は自分にはついて来れないし、教えるつもりもない、とか。そんな感じのこと言ってませんでしたっけ」
「はて、そんなことを言ったかね? まあ……聞いた話では、ホムラくんも順調に成長しているようだからね。こちらとしても手が空いただけの話さ」
「ピ? キュピピピ……ピ!」
「なるほど」
テーブルの上で一丁前に四肢を踏ん張り、翼をピンと伸ばしたホムラをみて二人共に笑う。
「あまり無茶をされないでくださいよ、セレンさん。あの『大地変成』だって、ちょっぴり神殿の敷地内からアトマを拝借していたんでしょう?」
「おや。カモフラージュは徹底していたつもりだが、見抜いていたのかね。私も焼きが回ったかな?」
「そこは見抜いていたわけじゃなくて。単純に得た術効に対して、注いだ四人でアトマと触媒だけじゃ勘定が合わない気がしてた、ってだけの話ですよ。それに俺が視たあの黒いアトマも、周囲の地物から取り込んだものだとすれば説明もつきますからね」
「やれやれ。噂の『煌炎の魔女』殿は、こんな若者に何をどこまで仕込んでいたのやらね。末恐ろしい奴にも程がある」
「いや、まあ……あの人の教えてくれることには、結構偏りがありましたよ。知識だけなら、たまーにこっちが教えることもありましたし」
「ああ、わかるね。私も結構あったよ、そういう事は」
「ですよね――って。ちょっと脇道に逸れすぎましたね。今はそれどころじゃありませんでした」
「うむ。またその内に、折を見てだね」
頷くセレンに、こちらもまた同様に返す。
ついつい楽しくて、この手の話題は話し込んでしまうが……どうやらこれで結界の仕様については固まったらしい。
セレンが近くにいた術士たちを呼び寄せて、羊皮紙を手にエキュムの元へと向かうよう指示する姿を眺めつつ、俺は次に話しておくべきことに考えを巡らせ始めていた。
「さて……察するに、何か話があるのだろう? 人払いはしておいたから、今のうちに聞いておこう」
「ありがとうございます。……そんなに分かり易いですかね、俺」
「ああ。人付き合いの苦手な私にも気付けるぐらいにはね。なあ、ホムラくん」
「ピピィ……」
礼を述べつつ、ふと気になり尋ねてみると、やってきたのはそんなお言葉。
マジですか。
二人揃ってマジですか。
自分じゃわりとポーカーフェイスってヤツ、作れるとおもってたんですけど……!
いやまあ真面目な話、特にいまは演技とか必要ないんですが。
ここは気を取り直して話を切り出すとしよう。
先程フェレシーラと相談していた、影人に関する懸念。
その要点を抜き出す形で、俺はセレンに話を持ちかけていた。
「ふむ……第三の影人。新手の敵に関する予測か」
「どうでしょうか。正直、推測の域を出ないので話だったので……結界で対応するべきではないと思い、このタイミングだったのですが」
口元に軽く握った拳をあてて思案する彼女へと、意見を求める。
するとセレンが首を縦に振ってきた。
「うむ。その判断は妥当だと思うよ。そもそも結界自体、今までの影人の不意打ちを抑えきれると断言はできないからね。変に気を回しても仕方もない。それに君のことだ。なにかしら理由はあるのだろ?」
「はい。当然、これまでの影人の長所を合わせたタイプが攻めてきたとして、それはそれで十分危険なんですが。実はもう一つ、これが来たら厳しいのがあるなと思っていて」
思うにですね、と前置きをして推測を重ねてゆく。
「あちらに無理押しが出来る戦力があるなら、もうとっくにやっていると思うんですよね。こちらが奇襲で浮足だっているうちに、全ての戦力を投入して片を付ければいい話なので。でも、それをしてこないで散発的な襲撃に留めている、ってことは。残る影人製造の為のリソースを、違う形で割り振っているんじゃないか? って思うんです」
「それはもっともな推測だね。こうして時間があれば、こちらが結界を用意出来るように……あちらもまた、何かしらの策を講じることは可能なのだから」
「はい。その上で、もし俺がそのリソースを有効活用するとしたらですね」
いつの間にか、うつらうつらとし始めていたホムラを撫でつつ、考えたことを言葉にしてゆく。
予想以上の抵抗を見せた敵。
奇襲による攪乱、切り崩しが決定打となりえない相手。
集い支え合う、小さき、しかし粘り強いもの達を叩き潰すのであれば。
「奇襲能力をオミットして、戦闘能力とアトマ奪取能力に振り切った個体を、ごく少数のみ製造。それらに加えて、残存する影人との協働による力攻めでの早期決着へと移行。つまりは……」
影人を生み出す為のリソースの集中して、容易には倒されぬスペックを付与し、更には倒した者のアトマを奪うことによる変異・進化を可能とした強個体の、構築と投入により――
「次の進攻で、確実に全てを終わらせます。それがあちら側にとっての、最善手なので」
そんな俺の予測に対して、黒衣の女史はニヤリとした笑みで応じてきた。