346. 異形なる者 その末路
迎賓館の中庭南東部、『領主守備隊』第4班。
そこは無数の兵士たちと影人どもが入り乱れる、激戦区と化していた。
「ギシャアァッ!」
「こ、このっ……! あっちへいけ!」
金属製の長方形の盾を前面に押し出した兵士が、迫る影人に威嚇として剣も振るう。
厚い守りに行く手を阻まれた影人が、大きく開いた口から長いピンク色の舌を蛮声に震わせながら、執拗に鉤爪を叩きつけてくる。
「く、くそっ! 誰か、こっちに来てくれ!」
盾を握る手に伝わってくる衝撃に自ず剣の切っ先が下がる中、焦り助けを求めるも、苦境にあるのは周囲の味方も同様だ。
辺りには響くのは、武具と爪牙とが打ち鳴らす不協和音と、激しい怒声。
「……? あ、あれ?」
そんな中、盾を手にした兵士が素っ頓狂な声をあげて周りを見回す。
いつの間にか、影人の姿が見えなくなっている。
誰かが倒してくれたのか。
それとも諦めて、他にいってくれたのか。
そんな風に彼は考えたのだろう。
その方が大きく落とすとされるのと同時に、巨大な盾の守りが解かれて――
「下だ! 避けろ!」
「へ……? あ、おわっ!?」
こちらが発した警告に彼は気の抜けた声を洩らすと、そのままバランスを崩して地に転がった。
突然の出来事に思考が追いつかなかったのか、兵士が呆然と頭上を見上げる。
そこにいたのは、『彼の足元から再出現してきた』影人。
「ひっ……!」
引き攣った声をあげるその喉元へと、鋭い鈎爪が迫る。
間に合わない。
距離が、そしてそこに至るまでの障害物が多過ぎる。
そう思った瞬間に、翡翠色の輝きが闇夜を裂いて舞い降りた。
「ピーッ! ピピッ!」
「グァゥッ!?」
風を纏って現れた小さき幻獣の爪撃に、影人の瞼が切り裂かれる。
「ほんと、今日のお前――」
苦し紛れの咆哮があがる、その最中。
「凄いよな、ホムラ!」
「ピピィ!」
俺は頼れる戦友を賞賛しつつも、ようやく標的の背後に取りつくことが出来ていた。
無論そうしながらも、既に『分析』の術効は確保済みだ。
「グガ……!?」
こちらに首の付け根を掴まれた影人が、大きく身を捩る。
捩るも、そいつはビクンと全身を仰け反らせると同時に、『終了』を迎えていた。
そこにガランと音を立てて、長方形の盾が石床の上に転がる。
見ればその盾の持ち主が、呆然とした表情で闇に溶け逝く無色のアトマを眺めていた。
一瞬、彼に声をかけそうになるも、前方で瞬いた閃光がそれを押し留めた。
「フラム! こっちにも新手! 全部一発だけ入れてくから、取り溢したヤツ、バンバン消していって!」
「……了解だ、フェレシーラ。次いくぞ、ホムラ!」
「キュピ!」
結局、前線に吶喊する神殿従士の少女との合流を果たすまで……俺はその眼で見かけた影人を、只管黙々と『解呪』し続ける羽目になっていた。
「いやいやいやいや……」
それは時間にして30分ほど。
こちらが処理した影人の数としても、おそらく30体ほど。
俺はようやく夜の静けさを取り戻し始めた陣中にて、膝に手をつき深々と溜息をついていた。
「あら。どうしたのよ、フラムったら。そんなところでバテちゃって」
そこにやってきたのは、大きめの革袋を手にしたフェレシーラさん。
「悪かったな、バテていて。こっちはほぼ常時、全力疾走で走り回ってたんだぞ。いい加減、疲れるに決まってるだろ……」
「なにいってるのよ。『体力付与』なら、さっきドルメ助祭にかけてもらったでしょ? 足りないのなら、パトリースかセレンにでも頼んでおきなさいな」
「……手厚い支援を受けておきながら、お言葉を返すようではありますが。体力的な問題じゃなくて、気持ちの問題だとボクは思いますね……!」
「ああ、そういうことね」
わりと露骨な非難を籠めたこちらの抗議にも、彼女は顔色一つ変えずに革袋差し出してきた。
それを受け取り、巻き紐を解く。
チャプンという音を立てながら、俺は一気に革袋の中を満たしていた液体を飲み干しにかかった。
「ま、取り敢えず初陣にしては上出来なんじゃない? あれだけ影人を潰して周ったんだし、遊撃隊の面目躍如、ってとこでしょ」
喉をぎょくぎょくと鳴らして革袋を呷る様を、フェレシーラがニコニコ顔で眺めてくる。
その上機嫌の笑顔に、なんともいえないこそばゆさを覚えつつも……
「いやだからさ。ないだろ、こんな出鱈目な戦力の運用法は……! お前いったい、人をなんだと思ってあんな戦い方させたんだよ……!」
俺はほとんど空になった革袋を彼女に返しながら、抗議の再開に及んでいた。
が、当のフェレシーラは素知らぬ顔で革袋を受け取ると、さも当然といった風に紐を緩めてみせてきた。
「そう言われてもねぇ。エキュム様には、可能な限り走り回って影人の動きを掴んでくれって言われてたし。当然、見かけた奴は全部叩いておかないとだもの。その為には使えるもの使っておかないとね」
「……あのなぁ。こっちはまだ全然、慣れてないんだよ。お前の『浄化』と違ってさ」
「ふぅん。その割にはガンガン『解呪』しまくってたみたいですけど? 後半なんて、すれ違い様にバラしてたじゃない」
「そりゃお前がハイペースでバンバン影人を殴り倒していくからだよ。瀕死になったヤツなら、アトマも術法式も弱まっていて難易度は下がるからな」
「あ、やっぱりそうなんだ。ならいいじゃない。万全な相手はホムラが隙を作ってくれてたし、何の問題もないでしょ」
「……まあ、そうなんだけど」
顔色一つ変えずに水分補給を終えた目の前の少女に、俺は何も言えなくなってしまう。
自分でもわかってはいる。
連戦に次ぐ連戦からくる疲労は、実際のところ心理的なものがその殆どを占めている。
肉体的なダメージは、交戦中であれば自前で治すか、余裕があればフェレシーラがケアしてくれる。
こうして影人の進攻が収まれば、本陣に残る神術の使い手を頼ることも出来る。
なので今こうして俺がフェレシーラに対して色々吐き出しているのは、正直ゴネてるとしか言いようがない。
では何故、俺がそんな状態に陥っているかといえば――
「人が間近で死ぬのを見るのは、初めてだったのでしょう?」
「……ああ」
「そう」
不意にやってきた問いかけに何とか声を絞り出して答えると、彼女は静かに目を伏せてきた。
「いまはね、弔ってあげることは出来ないの。兵士の人達は皆、公民権があって、還すべき場所があるから」
「うん……ありがとう」
「あら。なんで私がお礼を言われてるのかしら」
「そりゃあれだよ。俺が色々考えすぎないように、引っ張り回してくれてたんだろ。こういう時って、やることあった方が気が楽だからさ」
「まあね」
フェレシーラは相変わらずニコニコとしていた。
それは何も、この状況が心底楽しいから、というわけではないだろう。
こちらを気落ちさせない為のものだということぐらいは、俺にもわかる。
周囲に人気がないのも、そうだろう。
気を遣わせているのに八つ当たり染みたことをしてしまう自分に嫌気がさしてしまうが、そんな姿を人に見せまいという配慮なのだと、頭ではわかっていた。
戦場の狂気だなんて言葉は、読み物で目にしていたが……
いまはそんなものを感じるよりも、物言わぬ姿となった者たちを前にして、どうすることも出来なかった。
こんな事態を引き起こした影人への怒りや憎しみはあれど、名も知らぬ犠牲者へのやるせなさが、肩に重くのし掛かってしまっている。
「ちょっとデリカシーのないこと言っちゃうけど」
そこに再び、フェレシーラが声をかけてきた。
「こういう時って影人みたいな手合いは楽ね」
「楽って……どうしてだ?」
「言葉も喋らないし、死体も残らないもの。例えば滅ぼすべき邪悪な魔物でも、そういうのがあると……ちょっとね」
言われてみれば、と思った。
それと同時に、彼女もまた同じような気持ちになったこともあるのかと思うと、大分気持ちが楽になった。
「そっか。フェレシーラでもそういうことがあるんだな。少し、気が楽になったよ」
「むー。なによ、その言い方。まるで私が無神経なやつみたいじゃない!」
「ちょ……おま、鈍器を振り回すのはやめろ! てか、体力あり余りすぎだろ! どうなってんだよ、お前のスタミナは!」
結局そこからは、休憩だかじゃれあいだか、よくわからないやり取りが暫し続き――
「さてと。ふざけるのはこれぐらいにして、また見回りにいきましょうか。ホムラは眠かったら本陣に戻っていてね」
「ピ! ピピピピピ……ピィー!」
「お、まだまだやれるってさ」
そうして小休止も終えて、皆で再び遊撃の役目を果たしにいこうとしたところに……
「まあ離れてたら逆に危険かもだしな。案外夜目は利くみたいだし、影人は死体が残らないし、そこに紛れたりも出来ないからさ。ホムラには、空から――」
俺はふと、あることに気付いた。
「ん? どうしたよの、また固まっちゃって。何か気になることでも?」
「――フェレシーラ」
その問いかけに、少女の眉がひそめられる。
「影人ってさ。死体、残らないよな」
「ええ……そうだけど」
「うん。そうだよな。『隠者の森』で俺たちが倒した影人は、そうだった。そして、ここにいる影人たちもそうだ。でもさ」
間を置かず、俺は言葉を続ける。
ふと甦ってきた、兵士たちのそれと重なる『死へのイメージ』を思い返しながら――
「でも……俺たちが初めて見た影人って。たしか……死体、そのまま残っていたよな?」
俺が発したその問いかけに、彼女は答えを返してはこれなかった。