344. 『脅威』
「すみませんでした、師匠……フェレシーラ様。私が我儘を言ったせいで、こんな事になってしまって……」
「気にする必要ないぞ、パトリース。囮役の件なら、俺たちは願ったり叶ったりってヤツだ。なあ、フェレシーラ」
「ええ。元々、遊撃役であっちこっちに飛び込んでいくつもりだったもの。それにこの子だってやる気満々だし。ほーら、ホムラ。言ってあげなさい、私たちが全部片づけてあげるって」
「ピ? キュピピピピ……ピピィ♪」
「……ありがとう、チビ助」
付き人が手にした携帯用の水晶灯に照らされながら、黒い杖を手にしたパトリースがこちらに向かい、頭を下げてきた。
「私からも、もう一度謝罪をさせてもらいます。済まなかったです、フラム殿、フェレシーラ殿。ホムラくん。そしてあらためて、危険な役目を引き受けてくれたことに感謝を」
そう言って彼女の横で深々を頭をさげてきたのは、エキュムだ。
「いえ、こちらこそ影人の狙いが俺たちだっていう確証もないのに、出過ぎた真似をしました」
本陣の裏側で揃って謝罪を行ってきた親子に応じつつ、俺は話の矛先を変えることにした。
「それにしても……パトリースの計らいだったいうのには、ちょっと驚いたけど。結果的には助けられたよ」
「そうね。でも、納得よ。まさか表立って私たちを守るわけにもいかないし……自由に動けるようにしてもらうのがベストだもの。むしろこっちは感謝しないといけないぐらいね」
「ピ!」
「そう言ってもらえると……お父様にお願いした甲斐がありました。えへへ……」
皆で和やかな返事を行うと、ようやくパトリースが笑顔を見せてきてくれた。
何を隠そう、というべきか。
実は指揮所での一件は、彼女が俺たちの身を案じてエキュムに相談を持ちかけたことで、引き起こされた出来事だったのだ。
「これまで聞いていた話や雰囲気から、なんとなく師匠たちと影人には因縁があるんだろうなって思っていて。今回、皆を引っ張って戦っていると聞いて……師匠が影人に包囲されたっていう報告を受けて、もう、居ても立っても居られなくなってしまいました」
「あー……いやまあ、それは包囲されたというか、されに行ってしまったと言いますか」
「そこに関してはフラムが勝手に突っ込んでいっただけだから、気にする必要はないわ。まあ、あれで監視塔に押し寄せていた影人たちが急に反転して、結果的に攻勢に出られたのは事実ではあるのだけど」
「ピピィ……」
事の切っ掛けは、一時間ほど前の影人への挟撃を行う際。
俺がホムラの力を借りて、影人の群れの真っ只中に突入を行い……結果的に包囲されてしまったことにあったらしい。
その場はホムラの機転とフェレシーラの参戦で事無きを得たものの、その報告を受けたパトリースはエキュムに対して『影人の狙いは師匠たちなのかもしれない』という話を持ちかけたらしく……
「パティの予測もでしたが、一番の決め手はタイミングと場所ですよ」
「……と、いいますと」
その相談を受けて一芝居打ってくれたエキュムの言葉の先を、俺は促した。
「簡単なことです。影人の狙いが私にあるのなら、もっと守りの薄い領主本邸にいる時を狙えばいい。きっと成す術なくこの首を持っていかれていたことでしょう。それほどまでに影人の奇襲能力は高い。身柄を捉えるにしても、そこは同様です」
「……たしかに」
自分が標的であれば、多くの兵士を動員中の迎賓館にいるタイミングを狙ってくるのは、悪手どころでの話ではない。
「ま、これが何かしらの目的をもって行われたデモンストレーションだというのなら、話は別ですけどね。例えば、戦力としての影人の有効性を示して何処かしらに売り込む、というような腹積もりもあるのかもしれない。ですがそれなら、相手を考えてやるべきでしょう」
「そうね。いまここにいる面子に喧嘩を売るなんてリスキーすぎるから、まずその線はないでしょうね。折角の売り物が全部叩き潰されでもしたら、まるで逆効果だし。やるなら、セブの町あたりの防衛線を壊滅させた方が、方々で噂になって高値で捌けるんじゃないかしら」
「ですねぇ」
物騒すぎるフェレシーラの意見に、エキュムが「はっはっは」と朗らかに笑って返す。
「というわけで、私を狙う、もしくは影人の売り込みという線はどうにも弱く思えてですね。そうなると……確か、代理戦でしたかね? そこでフラム殿が消耗した上で、という線がまだ根拠としては強いですからね。場所も防壁を無視出来ることを考慮すれば、神殿と教会から離れているここの方が、攻めるにはマシというものですし」
「た、たしかにここよりは、街の方がヤバイ人が大勢――あ、す、すみません! 今のは、決してここの兵士さんたちが頼りないとかではなくてですね……!」
「いやぁ、フラム殿の仰るとおりですからね。領主といえど、聖伐教団が有するほどの戦力は持てないのが現実です。むしろ私などは、先の戦いで付き従ってくれた者たちが子息を神殿に預けてくれていますからね。ハンサくんを筆頭に随分と助けてもっているので、これでも随分と恵まれている方です」
領主邸よりも、教会が併設された神殿の方が保有戦力としては明らかに上。
ついついその事実に賛同してしまい、俺は慌ててエキュムに手を振りフォローを入れるも、返ってきたのはそんな言葉だった。
大きな街の領主と聞けば、強い権力を持っているものだと思っていたが……
どうやら彼の口振りからしてみると、公国内では聖伐教団の力が非常に強いらしい。
場所によっては領主側が教団の下についているところもあるのかもしれない。
「何にせよ、今回はまず影人たちを退ける。そこから対策を練らねば、被害は甚大な物となるでしょう。それも恐らくは、このミストピアには収まらない規模で」
「ミストピアに収まらない……ですか」
「ええ。影人が魔法生物の一種である、という前提であれば。当然ながらそれを作った者には何らかの動機がある。しかもこれだけの規模を一気に動かしてくるとなれば、それ相応の勢力がそこに加担しているとみるのが妥当です。というか、そちらの方が事態としては余程マシでしょうねぇ」
誰かが裏で糸を引いていた方が、まだマシであると。
そこまで言って、エキュムは声のトーンをすっと落としてきた。
「神出鬼没にして、狂猛。倒したところで痕跡も残さず消え去る。おそらく捕獲して調査しても、同じことになるでしょう。こんなモノが自然発生し続けて群れてくるというのなら……これはもう、単なる魔物の『大狂走』などという生温い話では済みません」
ある種の魔物が時折みせる、突発的な増加暴走……
時には堅牢な城壁を持つ大都市すらも脅かす『大狂走』すらも生温いと切り捨てて、彼は言葉を続ける。
「あまりこういう事は大きな声では言えませんので、おそらくは渦中にある君たちだけに、という次第ではありますが。私……こういったモノに覚えがあるんですよ」
鷹揚に挙げられた手に従い、付き人たちが傍を離れてゆく。
おいそれと人には聞かせられない。
その意志を周囲にありありと伝えてきながらも、彼はこちらの瞳をまっすぐに見据えてきた。
「長ずれば、一国の存亡にすら繋がり兼ねない程の脅威。人ならざる人型の群れの出現。闇に乗じ、隊伍組む悪夢の行進。その再来」
「……それって、まさか」
「ええ」
知らず乾き始めていたこちらの口を衝いてでた問いかけには、腰に佩いた剣の柄を軽く叩きつつも――
「魔人戦争です」
奈落の住人の恐ろしさを知る男が、その名を口に上らせてきた。