343. 真意、定かなるか
刻々と闇を深める夜の中庭で、方陣が組まれる。
その中心に敷かれた本陣――といっても、影人からの奇襲対策で遮蔽物は置かれていないが――に、伝令の兵が代わる代わる駆け込んできていた。
「1班から8班まで、所定の配置につきました! 迎賓館内の使用できる水晶灯や物資の移送も、滞りなく進んでいます!」
「よし。生存者の捜索も続行しつつ、ローテーションで食事と仮眠を取らせろ。起きてる者は、15分刻みに奇数班と偶数班で交互に警戒にあたれ」
「はっ!」
ハンサの指示に従い、100名近い人間が一個の生き物のように連動して、形を成してゆく。
最初は60人程が集結していた迎賓館の兵士たちだったが、その後は影人の進攻が鳴りを潜めたこともあり、順調に数を増やしていっている。
ハンサはその度、新たな班とそれを率いる班長を選出してゆき、持てる資材を活用して堅陣の強度を高めている真っ最中だ。
聞けば彼のこうした指揮ぶりもまた、ハンサが敬愛するランクーガー家の老執事の教育の賜物らしい。
一執事が指揮までこなせるってどういう事なの、と彼に聞いてみたいのは山々ではあった。
しかし残念ながら、今はこちらもそれどころではない。
第二監視塔の指揮所で下された決定である、『ミストピアの街からの援軍が来るまで、全方位型の陣で以て領主エキュムを守り抜く』という目標が、ハンサの使命であるように……
俺とホムラ、そしてフェレシーラの三人もまた、これから本陣を出て中庭の外周に向かい、『影人に対する囮兼、遊撃要員』としての役割を果たさねばならなかったからだ。
「よし。準備こっちは準備オーケーだ、フェレシーラ。いつでも出れるぞ」
「了解よ。よろしくね、二人とも」
「ピ!」
装備のチェックを終えて、互いに声をかけあう。
その動きに澱みはない。
動き自体に、澱みはないが……俺にはどうしても、気にかかっていることがあった。
「フェレシーラ。さっきはありがとう」
「んー? いったいなんの話かしら。具体的に言ってくれないとわからないのだけど」
「指揮所で俺が領主様にムカっときて、『影人の狙いは俺たちだ』って言った時のことだよ」
「ああ、あれね。たしかにちょっと驚いちゃったけど」
そこで彼女は一旦言葉を区切り、手にしていた戦鎚をまるでバトンか何かのように、グルンと一回転させてみせてきた。
「さっきも言ったけど。正直、私もカチーン! ……ってきちゃったから。あの時のエキュム様の言い方にはね」
「まあ、お前も領主様に突っかかっていきそうになってたもんな。ハンサ副従士長がすぐに止めに入ってたけど、あれ、内心ヒヤヒヤってヤツだったんじゃないか?」
「むぅ……だって、仕方ないじゃない」
「いや、嬉しいけどさ。そういう風にお前に言ってもらえるのは」
こちらの指摘に「ぷぅ」と頬っぺたを含まらせて抗弁してくるフェレシーラに、俺は思わず苦笑いで応じてしまう。
「私は全然、嬉しくないんですけど。フラムだってそうでしょう? たしか……『土壇場で命が惜しくなって逃げ出すかもしれない』みたいに言われて。幾らなんでも、例え心の中でそう思ったとしても、失礼にも程ってものが……ああ、もうっ!」
指揮所での一幕を振り返ったことで、静まっていた怒りに再び火がついてしまったのだろう。
「思い出したら、またムカムカしてきちゃったじゃない! 折角、人が苦労して気を落ち着けたっていうのに……出撃前に、どうしてくれるのよっ!」
「あーいや、ごめん。そこは悪かった。でも……本当にありがとうな。俺のことでそんなに怒ってくれて」
「べっつにー。私は単に……なんていうか、あの人の口振りが気に入らなかっただけだもの。これから戦地に赴く勇士に対する言葉じゃないもの、あんな言い草。別にフラムのことでなくったって、怒ってたもの」
「それは……たしかにそうかもな。フェレシーラなら、きっとそうだな」
「ピ」
俺が彼女の言葉に頷きで返すと、走竜の肩当ての上よりホムラが同意してきた。
しかしそれでも、フェレシーラの剣幕は治まることはなかった。
「大体ね、感謝っていうものが足りないのよ。あの領主様は。いい? 貴方は今日ここにあっちの要望を受けて招かれた来賓、客人なの。例えそれが、所領の強化を目的とした登用を円滑に進める為のものであれ、客は客よ。それで影人が突然襲ってきて、率先して戦闘に加わって、指揮下から外れた兵士たちも纏め上げて……奮戦し続けていたっていうのに」
手中の戦鎚をビタッ! と眼前で制止させながらも、尚も彼女は続ける。
「然し足る労いの言葉をかけるわけでもなく、謝意もみせず。挙句、戦士の覚悟を疑うだなんて……到底許容できないわ」
「うん。たしかにそうだな。だから俺も、カチンときて自分が戦う理由を伝えちゃったけど……でも、少し考えてみればさ。あの時の領主様の言動って、ちょっとおかしくなかったか?」
「なによ……おかしいって」
未だ不満げな神殿従士の少女に問いかけてみると、僅かながらも怒気が萎んでゆくのがわかった。
俺の覚悟を疑われたことで、彼女がエキュムに対して反感を抱いたこと。
それは他ならぬフェレシーラ自身が、戦士としての矜持を持ち合わせているからこその、当然の反応だとも言える。
しかし同時に、俺はこうも思ったのだ。
「領主様……エキュムに・スルスって人はさ。元々、16年前の魔人戦争で武勲を挙げていまの地位を得たんだよな?」
「そうね。『公国の盾』ルガシム・マグナ・メルランザスの一の配下。戯下数千の兵士を率いたこともあり、自らも先陣を切って剣を振るった事も多々ある、公国有数の指揮官として名を馳せていた……筈だけど」
「お、流石に詳しいな。でも、そうするとさ……そんな優秀な人が、軽々しく戦う人間の覚悟を疑うようなことをしてくるのは、なんかちょっと引っ掛かるなって。今更ながらだけど、思ってたんだよ」
「それって……もしかして、わざとあの人がフラムを挑発するような真似をしてきた、ってこと?」
「挑発かどうかはわからないけど、まあ何らかの意図があった気はするな」
そこまで言ったところで、フェレシーラが「言われてみれば……」と呟き、考え込む様子を見せてきた。
それを見て、俺は方陣の外に向けての進発を開始する。
すると彼女もすぐに横に並んできた。
「エキュム様は、最初から影人の狙いが私たちなのかもしれない、と考えていた……そう考えれば、辻褄はあうか。ちょっと乱暴なやり方だけど、普通に尋ねたらこっちは否定するかもだし」
「だな。下手に話が広まると、『じゃあ影人の君たちが狙いなら、ここから出て行ってください』って言われて防壁の外に追い出されても文句は言えないしなぁ……だんまりを決め込んでいた可能性はあるよ。無駄な情報だった場合、悪影響も出るし」
「でもそれも……戦う覚悟を問いつつなら、戦意を確認しつつ予想が当たっていたかも確かめられると。もし貴方の考えが当たっていたのなら、相当な狸ね。あのおとぼけ領主様は」
「ピィ……」
推測を交えつつ、慌ただしく動き回る兵士たちの間を抜けてゆく。
何はともあれ、俺たち三人が遊撃として動くのは悪い選択肢ではない。
いや、むしろハンサの指揮と皆の守りが堅牢なればこそ、攻めに回る部隊は有効。
救援の到着まで影人の戦力を削り続けるには、必要不可欠な存在といえるだろう。
そう思い、積み上げられた資材と資材の間を進んでゆく。
するとその先に、幾人かの人影が見えてきた。
「あれ……」
辺りの警備についている兵士にしては、姿形がおかしい。
訝しみながら、こちらは光源の乏しい闇の中で目を細めて、その正体を掴みにかかるも――
「やあ。先程は申し訳なかったですね、ご両人」
それに先んじるようにして、聞き覚えのあるとぼけた男の声が俺の耳に飛び込んできた。