341. 切り返し
第二監視塔の最上部に設けられた指揮所。
その部屋の中心に置かれた正方形のテーブルを、皆が囲んでいた。
「遅くなりました、ハンサ副従士長。こちら見回りの結果、特に異常はありませんでした」
「来たか」
そこにフェレシーラと並び入室を行うと、エキュムの正面に立ったハンサが声をかけてきた。
「歩哨の任、ご苦労……と、お前にいうのも可笑しいか。話は色々と聞いている。館内の兵を纏めての合流指示、負傷者の治療。フラム殿には助けられてばかりだな」
「いえ。こういう時ですので、少しでも神殿で助けて頂いた恩が返せれば。あと……出来れば、これまで通りフラムでお願いします」
「了解した、フラム」
ハンサが頷くと、セレンとパトリース、ドルメとワーレンら他の面々も、こちらに向けて手短に労いの言葉を口にしてきた。
雰囲気から察するに、どうやら影人対策に向けての会議も一段落していたらしい。
テーブルの上に広げられた地図は、この迎賓館周辺を記したものだろう。
ミストピアの街へと繋がる経路には太い線が引かれており、その途中、館にかなり近い部分に赤い×マークが複数記されている。
防衛用の戦地図。
ホムラと共にそれを覗き込んでいると、フェレシーラが横に並んできた。
「それで……状況はどうなっているのかしら? ハンサ副従士長」
「厳しいですね。セレン殿の『伝達』、街に走らせた兵。どちらも反応がありません。物見台から街に『照明』で救援要請の信号を出してはいますが、それでどの程度の速さと規模で援軍が出てくるかは、なんとも」
「術法的にも物理的にも妨害されている、ってことね。エキュム様たちを脱出させる手筈は進んでいるの?」
「そちらは滞りなく。この時間なので馬は使えませんが、街道・裏道共に熟知した者を集めています」
「オーケー。手慣れたものね。ガドム様がこの場にいないのが残念よ。いたら貴方のこと、皆に自慢してたでしょうに」
「御冗談を。親父殿がいれば真っ先に防壁の外に飛び出していってますよ。おそらくきっとほぼ確実に俺と兵士たちを引き摺って」
ハンサとのやり取りで、簡単に状況は掴めたが……
御冗談を、といいつつ目がまったく笑っていない辺り、彼の親父殿とやらの破天荒ぶりが伝わってくる。
これまで聞き齧った話から察するに、領主エキュムの一の臣下、という感じのようだが、相当な猛将というか、ヤベー御仁な気がしてならない。
「話が逸れましたな。まずは、確認を兼ねてお浚いを」
言いながら、ハンサが戦地図の脇に置かれていた駒を手に取った。
駒の種類は、白・青・赤の三種類。
「現在、影人の進攻は収まっています。それに合わせて館内の兵の合流を完了。60人ほどが戦える状態です。独立して指揮を出来る者が少ないこともあり、この第二監視塔に集結させています」
最も数の多い白い駒は守備兵。
それが監視塔の近辺、中庭側に向けて三段構えで扇状に配されてゆく。
「ま、この配置は布陣とは言えませんので。体勢が落ち着いたら、中庭に陣取る形に移行します。なにせ敵は防壁ごとこの監視塔を落としに来かねない。もし移行前にそうなれば、速やかな退避を」
「わかりました」
「それが懸命ね」
主にこちらに対しての説明であったこともあり、俺とフェレシーラは揃ってハンサに対して返事に及ぶ。
暇を持て余したホムラが駒を咥えようとしているので、そこは抱きかかえての絶対阻止だ。
お願いですからジタバタしないでくれませんかね、ホムラさん……!
「俺も実際にこの眼で見ましたが……やはり警戒すべきは、相手が神出鬼没であるということですね。閉所に籠るのは悪手。開けた場所で受けるか、統率者がいるのであれば、それを叩いて元を断つか」
次に多い駒は、青。
一旦は白い駒を中庭で方陣を組ませてから、それを方陣の中央と、防壁の正門の二箇所に分けて配置する。
「相手の増援も、こちらの救援も不透明な状態。守ってばかりというわけにもいかない。少数で影人に対応出来る者で手分けして、索敵からの撃破に動くことで盤面を動かしてゆく。ここまでに、質問は?」
「攻めのプレッシャーをかけて、守るってことですね。上手く影人を操っている者の喉元に迫ることが出来れば、相手は攻め入る指示を与えるどころではなくなるので」
「そうね。今は多分、ティオがその動きを担っているとはおもうけど。案外、攻めが途絶えたのもあの子が先攻した結果かもしれないし」
「そこは何とも言えませんが……無事であることを祈るのみです」
そう言ってくたハンサの表情に動きはない。
うん、まあ……ですよね。
はっきり言ってこの状況。
指揮に当たる者としては、少しでも多くの戦力が欲しいところだろう。
そんな中、ティオはエキュムに一言挨拶をしただけで、単独行動を開始してしまっている。
おそらくは『白羽根神殿従士』に匹敵するであろう、『青蛇神官』が独断専行に走ったことで、ハンサの計算は大きく狂ってしまった筈だ。
「そもそも彼女は、ミストピア領所属というわけでも、交友がある間柄でもないですからね。戦闘に加わってくれるだけでも、御の字という奴です」
青い駒を一つ、防壁の外に置きつつ彼は言う。
「どの道、普通の相手ではないことに変わりはありませんので。通常の戦のセオリーに固執するのは危険です。早めに行動を開始して、後は臨機応変にという形で話は済んでいます」
最後に赤い駒、つまりはミストピアの領主エキュムを陣の中央に据えて、ハンサが話を締めくくった。
指揮官としてのハンサの判断・戦略は、正鵠を射たものだった。
取捨選択を繰り返してゆくことで、主君を守りきる。
純粋に、その目的を果たす為のものだった。
それを成す手立てを周囲の者に明確に提示して、率いてゆく。
指揮官としてのその命を受けて、皆が行動を開始する。
「ちょっといいですかね、ハンサくん」
そこに、声が飛んできた。
エキュムだ。
ハンサの目の前で、これまで一切口を開かずに泰然と構えていたミストピアの領主が、微笑みと共に挙手を行ってきていた。
「無論です。ですが、出来れば手短に願います」
「それはもう。と、いう事で早速なのですが……フラムくんにお話が」
「え――」
不意に話を振られて、思わず声が出てしまった。
しかしここでまごついていては、全体の動きに響いてしまう。
「……なんでしょうか、領主様」
居ずまいを正して、俺は返事を行った。
それを見て、エキュムが問うてきた。
「うん。君はいま、我がミストピアの神殿に借りがあるから、と言ってくれましたが……それは君が、命を張るほどのものか、どうか。確認をしておこうと思いましてね」
「それは……」
問われて、俺は固まってしまった。
「はっきり言うと、この戦いでは皆、命を落とす危険性が非常に高い。しかしそれも、仕えた主を守る為に戦う、属した組織の為に動く……守るべきものがあれば、然りでしょう」
「それは……俺が土壇場になって、命惜しさに逃げ出しかねない、と言っているんですか? それとも俺には何も――」
「ちょっと……貴方ね!」
「控えろ、フラム。エキュム様も、教官も。このような時におやめ下さい」
周囲にいた者たちの間に、緊張が走るのがわかった。
エキュムは動じない。
しかしまあ、それもそうだろうとも思う。
この状況で、流れでついてきた俺がギリギリまで命を賭けるかと考えれば、それはノーだと彼には思えるだろう。
そしてその判断が正しければ、俺という人間は戦力の軸としては当てに出来ない。
青い駒の内の一つに、俺を振り分けることは出来ない、というわけだ。
正直言って、カチンときた。
俺は俺なりに、死力を尽くしてここにいる。
その姿を彼は見たわけではない。
兵士たちの口から伝え聞いてはいるだろうが……それを踏まえて、こちらを一つの駒として数えてもいいのかを試している、といったところだろう。
ふと、思った。
いまハンサが示した方針・作戦について、頭の片隅を過ぎったことに関して、俺は考えを巡らせた。
「その質問に答える代わりに。俺からも、一つ要望があります」
もう一度姿勢を正して挙手を行うと、指揮所にいた者すべての視線がこちらに注がれてきた。
が、エキュムを覗いて動くことは誰にも出来ない。
それはフェレシーラにしても、同様だった。
「ふむ……聞きましょうか。フラム・アルバレット」
「ありがとうございます。では、失礼します」
エキュムの赦しを受けて、こちらは間を空けず言葉を続ける。
「今回の影人の狙いは……いえ、前回の影人も含めて。フラム・アルバレット、フェレシーラ・シェットフレン、グリフォンのホムラ」
一人一人、はっきりとその名を口に上らせて――
「この三名の内の誰か。もしくはその全員が、影人を操る者の狙いであると俺は考えています。だから俺は……他の誰の為でもなく、俺たちの為に戦うつもりです。そのことを念頭において、采配をお願い致します」
一切の迷いを捨て去り、俺はミストピアの領主、エキュム・スルスへと向けて言い切っていた。