334. 分かたれた翼
詠唱短縮。
そして増幅である後詠唱。
共に術法を扱う上で、高等技術とされるものであり、そのどちらもが戦いの場で術法を用いる為に発展したのだと言われている。
というか、俺はマルゼスさんにそう教えられていた。
「ギルオォッ!」
「っと……!」
最早何匹目かもわからなくなった、影人どもの爪撃。
それを姿勢を低く取って掻い潜りながらも、俺はそんなことを思い出していた。
マルゼスさんは魔術士ではあったが、魔術の求道者ではなかった。
術法を修める者の中には、その研究に没頭する内に、世俗との関りを断つ者も少なくないと聞く。
しかし彼女は違った。
自分では『隠者』を名乗り、住まう森も塔もその名で呼ばせていたのは、真の意味でそうありたかったからだ。
『昔から憧れていたのよねー、隠遁生活って奴に』
『憧れてたって。師匠、この森に来たのって14歳の頃って話でしたよね。バリバリ魔術士として活躍していたのに、引き籠りを選択するにはちょっと早過ぎませんか』
『う――それは、その……ほ、ほら! あれよ、あれ! 私ってば戦うことしか能がなくてアレだから! 変に公国をフラフラしていると、揉め事の元っていうか……』
『それはそうでしょうけど――って、なんでいきなり、殴りかかってくるんですかっ!? 自分で言いましたよね、アレだって!』
『……!』
『いやだから、なんで――のわっ!? ちょ、こんな狭い部屋で攻撃術を――』
密着状態からの脇下への逆手突きと、そこから放ったアトマ光波でまた一匹、標的を仕留める。
倒すたびに消滅してくれるのは気持ち的には有難いが、盾にしたりは出来ない分、ポジショニングには要注意だ。
光源不足でちょくちょくと『探知』を使って影人の位置を把握しないといけないのも、地味にキツい。
まあもっとも、既に不定術を使って術法の完全発動を狙っていける状況ではないので、『探知』の術具で片手が塞がるのは致命的な問題ではない。
僅かな隙を縫っての、不定術による中距離攻撃。
そして今やったように、短剣での攻撃がギリギリ通る場所を見極めての、ゼロ距離アトマ光波。
現状、この二つが俺の有効な攻撃手段であり、命綱だった。
「全く。なんでこんな時になってまた思い出すかな……!」
事ある毎に脳裏に甦ってくる嘗ての師とのやり取りに、思わず文句を口にするのも、一つのリズムの取り方、過度の緊張を避けるための反射行動なのだろう、と思う。
ホムラに運ばれて、敵地の群れのど真ん中に到達してから……あれから一体、何匹の影人を始末したかさえ、把握してはいない。
把握する意味もない。
「ゴアァ!」
「シャーッ!」
「ぐ……っ、このっ!」
高く遠く輝く篝火を目指して薄闇を征く最中、新手の影人に挟み撃ちを受けて、足が止まる。
視界も悪く、これといった遮蔽物も存在しない。
夜の中庭での多対一とあっては、どうしても避けられない攻撃もでてくる。
そうなればこちらは、短剣や手甲にアトマを集中させて受けきるしかない。
余程のデカブツ、巨人型ともいうべきパワー特化の影人でもなければ、なんとか防御できるレベルではある。
が――
「なんて思ってると、出てくるんだよな……コイツらはよ!」
「ギルオオォォッ!」
「シャガガガガ……!」
ズシン、ドシンと地を揺らして進み出てきたのは、双子の如き大型の影人ども。
4mクラスの、動きは鈍いがタフでパワーもある厄介な相手だ。
放つアトマも通常サイズのものよりも大きく、アトマ視を用いれば遠目にもその存在はすぐに察知できる。
普通に考えれば、あまり相手にはしたくないタイプかに思えるが……
実際のところこいつが出てくると、ちょっと楽が出来る。
何故なら如何に視界が微妙とはいえ、開けた場所であれば鈍重な巨人型の攻撃を避けるのは、それに専念していれば決して難しくもないからだ。
しかもその上、こいつらが暴れると通常タイプの影人は巻き添えを怖れてか、離れてゆくのだ。
なのでこうしたケースであれば、
「ゴオオォォッ!」
「バアアアァァ!」
「起、承、結――我が内なる術法式よ。此処に顕現し、仇成す者を焼き尽くせ!」
生まれた余裕を活かして、『熱線』なりの攻撃術の完全発動を行い、是を殲滅する。
そうした一つのパターン、チャンスタイムとすら言える、攻めの糸口を得ることが可能だった。
「つっても、いい加減――結構キツいな、コレ……!」
巨人型を処理し終えたところには、当然の如くまた数押しの攻めがやってくる。
今は何とか凌げてはいるものの、これがもし連携して動き始めたらと考えると――
「グォウ!」
「――くっ!?」
あれこれと余計なことに頭を回しているところに、背後から影人が攻撃を仕掛けてきた。
今度のそれは、腕を大きく広げての突進だ。
近くには別の巨人型がいる。
いま捕まれば、こちらに突っ込んできた影人諸共、デカブツが叩き潰しにくるだろう。
だが、こちらは完全に虚を突かれてしまっている。
避け切れそうもない。
捕まる。
捕まって、踏みつぶされる。
一瞬、観念しかけたところに風を裂く音が飛来してきた。
「ピーーッ!」
「ギャウっ!?」
翡翠色のアトマを纏った一撃、頭上からの体当たりをもろに受けて、影人が仰け反る。
ホムラだ。
上空で飛び回っていたホムラが、こちらの窮地を察して飛び込んできてくれていた。
その機を逃さず、俺は短剣を手に怯む影人へと迫る。
瞬時にして間合いを削り殺しながらも、アトマを練り上げる。
想起するのは磨き抜かれた槍の穂先。
狙いは牙と牙の隙間。
だらしなく開かれた顎の奥でチラつく舌目掛けて、俺は収束させたアトマを『薙ぎ払う』挙動ではなく『突き込む』で解き放っていた。
抉り込むようにして一直線に打ち出された魂源の力が、影人の口蓋を貫く。
黒一色のその体がビクンと跳ねて、力なく崩れ落ちる。
その消滅の瞬間を……影人のアトマが飛散する瞬間を、俺はこの眼でしっかりと『視て』いた。
「やっぱりだ。やっぱり、こいつらの体は――」
「ピィ!」
その光景を前にして、思考の渦に入りかけたところに飛んできたのは、警告の叫び声。
「わり、ホムラ……!」
「ピ! ピピィ♪」
謝罪の言葉を口にしつつ慌ててその場を後退する。
すると、直前までこちらが突っ立って場所に、巨大な影人の足が振り下ろされてきた。
「助かったよ。ここまで、って判断したら必ず呼ぶから、また降りてきてくれ」
「ピー……ピピッ!」
響く地鳴りの音から一旦遠ざかりつつ、再びホムラを上空へと逃す。
風のアトマを巧みに操り、想像以上の機動力を発揮しているホムラだが、やはり体つき自体はまだまだ子供のそれだ。
無理はさせられない。
そう考えて、俺は思わず苦笑してしまう。
無理に付き合わせているのは俺の方だと、今更ながらに気付いてしまう。
「どんなもんかな、皆は」
一度敵から離れて、落ちつく必要があった。
影人の密度が低い場所をアトマ視で探りつつ、比較的安全な場所へと一度進路を変える。
俺がこうして敵陣のど真ん中に飛び込んだのは、幾つかの狙いがあってのことだ。
一つ目は、持てる火力を最大限に放つため。
味方への巻き込み被害を気にせず魔術を放てるというアドバンテージを得るためだ。
兵士たちから離れて単独行動をとった理由は、やはりここが大きい。
そして二つ目は、挟撃の効果を引き上げるため。
第二監視塔に集う兵と、俺が途中まで率いてきた兵で行うそれは、動きとしては有効かもしれないが、いかんせん彼我の戦力差というモノを織り込めていない。
影人がどれだけ防壁の内側に侵入してきているのか。
増援の可能性はないのか。
龍人型とは違う、脅威となるタイプの影人は存在していないのか。
これに監視塔側にどれだけの兵が存在するのかも把握出来ていないことを加えると、攻め手が足りない様におもえたのだ。
では、どうするのかとなれば……答えは簡単だった。
挟撃が引き起こされる地点を、増やせばいいのだ。
迎賓館の守備兵同士で行う挟撃作戦。
その間にこちらが飛び込むことにより、『監視塔側の兵士』と『俺』と『館から打って出てきた兵士』でダブルサンドウィッチ状態にしてしまえばいいのだ。
「ま……言うは易く行うは難し、ってヤツではあるけどな」
しかし俺とホムラでやれるとしたら、これが最善の一手だと断言も出来る。
その証であると誇ってもいいものだろうか。
監視塔に灯された篝火は先ほどまでより力強く、煌々と燃え盛っている。
背後より届いてくる兵の歓声も、次第に大きなものとなってきている。
いける。
このまま俺が影人どもの注意を引きつけておきさえすれば、それで何とかなる。
そう思った矢先に、それはきた。
「……おいおい」
ぞわりと背筋が怖気立つ感覚に、俺は辺りを見回す。
そこにいたのは、大小無数、優に二十は越えようかという影人の、群れ、群れ、群れ――
「ホムラ!」
頃合いだ。
ここが引き際だ。
流石に撤収しないと、取り返しのつかないことになる。
ここは一先ず、『浮遊』の魔術とホムラの翼を借りて離脱せねばならない。
そう思い、星無き空を見上げるも――
「……え?」
頼もしき俺の相棒の姿は、どこにも見当たらなかった。