331. 『先陣』
もう少し、データが欲しい。
迎賓館より拝借した水晶灯を頼りに闇夜を進む中、そんなことを考える。
「1班はこちらの正面、2班は右後方、3班は左後方を分担。会敵した班は一度後退しつつ、他班と挟撃。その際、他班は1名、常に影人の奇襲を警戒して待機を」
「はっ!」
「了解いたしました!」
「承知」
各班の警戒役に連携法を伝え終えると、青白い輝きが三方に走り去っていった。
館を出て中庭で交戦した影人の数は、既に両手で数えても足りない。
四人一組で構成された班の動きは、着実に磨かれつつある。
彼らが戦う間、こちらは基本的にアトマ光波による中距離攻撃と、不定術による『治癒』を用いての負傷者回復、そして交戦中に現れた新手の影人への対応に徹している。
無論、俺が率先して攻撃の核となった方が一戦一戦は早く片が付くのも、負傷を抑えられることも分かっている。
しかしこの先、全体の指揮を執るハンサと合流した際には、こちらは彼の指揮下に兵士たちを返さねばならない。
それまでは可能な限り、兵士の数を減らさず進む必要がある。
欲を言えば斥候を散らして早急にハンサの所在を確認したかったが、それでは斥候にした兵士を失う可能性が高い。
当然『探知』によるアトマ視は常時展開してはいるが、そもそもこれは射程がそれほど長くもない。
影人の早期発見には十分な範囲ではあるが、遮蔽物には簡単に阻まれることもあり、過信は禁物だ。
「大分こなれて来ましたな、フラム殿。あれの怖いのは、やはり爪と牙。危険ではありますが、いったん一人に組みつかせて、周りが押さえ込んで……というのが有効なようだ」
「ええ。館内ほど灯りを頼りに出来ないので、無理に転倒させるよりはそちらが良いですね。流石はミストピアの兵。対応が早く、頼りになります。隣国への守りを担うだけのことはありますね」
こちらに随伴していた年嵩の兵士の報告には、幾分過剰に言葉を重ねて応えておく。
すると彼は、水晶灯に照られていた顔を破顔させて「皆が聞いたら喜びます」と言ってきた。
班で行動する上での、経験と自信。
それは彼らにとって未知の怪物であった影人と戦う上で、必須とされるものだ。
その二つを早期に磨き上げるとなると、戦闘における俺のウェイトが大きすぎるようでは、その妨げとなる。
指示自体はこちらが明確に出してゆく。
だが、実際に戦うのは、生き抜くために考えるのは、彼ら兵士の仕事だ。
影人はその特性上、いま交戦している龍人型とは違うタイプのものが現れる可能性が、非常に高い。
その脅威に晒された時、即応していかねばならないのは、彼ら自身なのだ。
「いま戦っているものとは、まったく容姿も能力も異なる影人が現れる可能性があります。その際は、まずパニックにならないように。相手の特性を報告しあって、連動するように」
「なるほど。肝に銘じておくよう、各班に伝えておきます」
頭の中でまとめたことを、実際に言葉として並べてゆく。
それが指示となる。
自分の一言一句が、他者の命を、運命を左右するとは敢えて想像はせずに、具体性のみを高めてゆく。
そうして結論を導き出すことが、何処か術法式の構築にも似通っているな、などという、不謹慎極まりない考えを脳裏にチラつかせつつも――
「右前方。明らかに人の数が多いですね。影人も多い。総員、突撃準備。ここはこちらも前に出ます」
「心得ました」
俺は新たに捉えた無数のアトマの煌めきを前にして、覚悟を決めた。
「聞け、ヒヨッコども! 第二監視塔方面で味方が交戦中だ! フラム殿に続き、助勢するぞ!」
「応!」
次々に挙がる、兵士たちの声。
こちらは中庭の広さも正確に把握出来ていない。
構造に至っては想像もつかない。
ならば頼るべきは、常日頃からこの迎賓館の守りに当たっている、彼ら兵士たちの知識と経験だ。
幸いにも脱落者はいない。
中庭に出てすぐに大規模な影人の群れと遭遇していれば、例え俺が積極的に戦線に加わっていても、そうはいかなかっただろう。
だが、味方と思しき反応が見つかった以上、そのやり方に拘ってもいられない。
ここまでに必要とされたのが、『盾』としての防陣であるとすれば。
ここからは『矛』としての攻陣を敵に叩きつける必要がある。
もしも俺の指揮が僥倖という奴に助けられているのであれば、それが失われない内に仕掛けておくべきでもあるだろう。
「接敵すれば、自ずと挟撃する形になります。ここは全速力で雪崩れ込み……前方の味方の損耗を少しでも抑えることを、第一の方針に! 1班、突撃用意! 残る2班は、左右より押し包んでいきます!」
「よっしゃー!」
「遅れるなよ、テメェら!」
「ばーか、足の速さじゃいつも俺の勝ちだろ!」
いつの間にか立ち込めていた夜霧を圧して、土埃と歓声が巻き起こる。
正面にいた大柄な影人が2体、こちらに向き直ってくる。
だが、それでいい。
騒々しいまでの鬨の声は、こちらの士気を上げると同時に、交戦中の味方への協働の証となる。
あれだけの数の影人を相手に持ちこたえている時点で、相応の兵士がいる。
恐らくはハンサの指揮下に入った者たちが、監視塔の篝火を頼りに視界を確保した上で戦っているのだ。
よしんばハンサが不在であっても、それはそれでかなり頼れる味方が残存していたということになる。
ならば、ここが最初の賭け時だ。
そう俺は判断した。
「ホムラ、お前はついてくるだけでいい。あまり無理すんなよ。夜目は利かないだろ」
「ピィー……」
きっとこれから俺がやろうしていることの、予想がついたのだろう。
頭上をうろうろとし始めたホムラに声をかけると、不安げな鳴き声が返されてきた。
「そんな顔すんなって。傍にいてくれるだけで心強いんだからさ」
「……ピ!」
ばさりと打たれた羽ばたきを受けて、俺は再び瞬考する。
影人の群れに深く切り込めば、当然ながら、こちら側から死者が出る可能性も跳ね上がる。
だが、ここで日和って少数の兵を温存したところで、戦いがこれだけで終わるとは到底思えなかった。
そもそもこの襲撃において最初に領主エキュムの元に報じられたのは、『館の防壁の周囲に敵が現れた』という内容のものだった。
これは推測になるのだが……
おそらく、それ自体が陽動だったのだろう。
一旦は外に注意を引きつけておき、防衛力を十分に分散させた上で、時間差で中庭、そして館内といった順で侵入を果たす。
そして真の標的を落とす。
そうした意図が透けて見えるあたり、裏で影人を操る存在がいるのだろう。
しかしそこは敢えて、頭の片隅に追いやっておく。
いま優先すべきは、数と数の均衡をこちらに傾けることだ。
それが出来て初めて、他のことに手を回せる余裕が生まれてくる。
リスクを上回る、リターンを皆で取りに行く。
であれば、ここは合力して敵の一気殲滅に舵を切るのみ。
その為には、この場に最も相応しい札を切る必要があった。
左手を強く握りしめる。
手甲に仕込まれた霊銀盤は、全て正常に作動していた。
データは不十分ではある。
しかし、ある程度の予測はついていた。
繰り返される影人との戦闘と、勝利の残滓が……俺に一つの仮定を与えてくれていた。
それを梃子に覚悟を決める。
年嵩の兵士が、何かを察したようにこちらに向けて敬礼を行ってきた。
「では、いきます。あとの事は……頼む!」
「御意。若き英雄に、アーマ神の加護があらんことを」
きっとこれまでに、多くの同胞が散る様を見届けてきたのだろう、その声を背に――
「フラム・アルバレットが道を拓く! 総員、続け!」
俺は星なき夜天に声を放ち、蠢く影の群れへと身を躍らせていった。