329. 影夜幻想英雄譚
結果から言うと、迎賓館の1階部分では6名の犠牲者が出ていた。
駐屯中の兵士が3名に、料理人が1名、使用人2名。
それぞれが通路・厨房・用具室にて、然して争った形跡もなく、喉元を引き裂かれる形で絶命していた。
「恐ろしいものですね、影人という化け物は」
「……はい」
用具室で倒れ伏していた男女1組の使用人の亡骸を前にして、俺は隣にいた年嵩の兵士の言葉に対して、ようやくのことで返事を行っていた。
遅まきながらその場に駆けつけた俺とホムラ、そしていつの間にか10名を越えてしまった公国の兵士たち。
彼らは館内での警備にあたっていたところに、ハンサの召集を受けた兵士たちだ。
指揮を執るために館の1階へと出向いた時点では、まだ影人の出現の報せを受けていなかったのだろう。
ハンサは彼らに防壁の手薄な場所の守りにつくように指示を飛ばして、自身は伝令の兵のみを引き連れて、中庭へと向かっていったとのことだった。
その場にいた兵士に確認したところ、迎賓館の防壁は魔物の侵入を阻む為に10m近い高さと5mを越える厚みがあり、ちょっとやそっとの攻撃ではビクともしない構造となっているらしい。
国賓を受け入れる場所だけに、簡易的な砦としても機能するらしく、兵糧などの補給に関してもそれなり以上の備えがあるのだとか。
恐らくは、万が一ミストピアの街がラ・ギオやメタルカ共和国からの進攻を受けた際に、公都アレイザからの救援が到着するまでの拠点となるように設計された正に『最後の砦』という奴なのかもしれない。
とはいえ、他国の人間を招き入れるからには、その規模や構造は伝わっていて然りではあるので、保険の様な物なのだろうが。
「こちらはいったん、館内に配備されていた兵と合流してから外に迎えとのことで移動していたのですが……突然の襲撃で足並みを崩してしまい、外に向かえずにいました。フラム様には皆の窮地を救っていただき、感謝のしようもありません」
別の兵士がそう言いながら、かっと見開かれていた亡骸の瞼を手で下ろしてきた。
状況を伝える為のその言葉は、しかし最後の方は明らかに、こちらに対する配慮から来たものだ。
正直これが、俺のよく知る人であればここまで冷静ではいられなかっただろう。
刈り取れば霞の如く消え去る影人とは、残る痕跡、その重みのわけが違う。
漂う血臭に怯みかけながらも、俺は努めて平静な口ぶりで彼らに提案を行った。
「ハンサ副従士長の指示通りに、館を出て影人の掃討に当たりましょう。戦力を一か所に集め過ぎるより、他の手薄な場所へのフォローに回った方が良いとおもうので」
このまま1階に固まっていても、意味は薄い。
そう思い、俺は提案という形で私見を口にしてはみたが……
「はっ! ではこのまま我々は、フラム様について行きます!」
隣にいた兵士がこちらに敬礼を返してくると、用具室の外、通路側に控えていた周りの兵士たちもそれに倣ってきたようだった。
軍靴が揃い鳴る音に、俺は戸惑いを隠し切れない。
彼らの中には、これといってリーダーとなる者、状況を判断して指揮を担える者がいないようだった。
強いて言えば年嵩の兵士がまとめ役を買って出ていたが、特に行動の指針を打ち出してくるわけでもなく……
気付けば影人を倒して回っている内に、何故だか合流した兵士たちは一様に、挙って俺に指示を求めるようになってきていた、というのが現状だった。
正直いって、不味い状況に思えてならない。
レゼノーヴァ公国軍との関りもない、仮の公国民としての資格を得たばかりの俺が、そこに属する兵士たちの行動を決定してしまう。
彼ら一兵士に軍事行動を決定する権限はなく、むしろ濫りに個人の意見を述べず、群として足並みを揃えることが正しいというのは、俺にもわかる。
「フェレシーラの名前を出したのが良くなかったかな……」
「? 何か仰られましたか?」
「あ、いえ。何でもないです。それよりも、先を急ぎましょう。こうしている間にも被害は拡大している筈です。全員で外へ。影人は一旦掃討し終えているので、新手が湧いたとしても本陣……2階で領主様を護っている面々であれば、易々とやられはしないと思うので……」
こちらの独り言まで拾い上げてきた兵士の問いかけに、うながしの言葉で返しつつ、考える。
遊撃としての行動許可をエキュムより得ていたこと。
それを皆に信じてもらう為に、俺は公国では知る者なき『白羽根の神殿従士』フェレシーラ・シェットフレンの名前を持ち出していたのだが……
どうにもこれが失敗の元であった気がしてならなかった。
「そうですね。身軽な人を2名、常時連絡役に当てて状況確認を絶やさないようにしていきましょう。それで本陣から指示があれば、対応していく形でどうでしょうか」
「良いかと思います。パーシュ! レイデン! お前たちは交互で伝令に回れ! 足が命だ、武器以外は置いていけよ!」
「はい!」
「了解です!」
「ピ!」
いやホムラさん。
ここ、君は返事しなくていいところですからね?
完全にノリでやっただろ、今のは。
いや、そうじゃなくてだ。
やっぱり、当然の如く兵士たちに求められて返したこちらの意見が、『指示』として受け取られてしまっている。
始めはそれを気にする余裕もなく、普通にやり取りを交わしているつもりだったが、ここまで行くとやり過ぎとしか思えない。
軍属でもなく、その上周囲の兵士たちよりも明らかに年若い俺に対して、皆が付き従う。
こちらの認識からすれば、あり得ない事態だ。
だがしかし、彼らレゼノーヴァ公国の兵士にとってそれは違ったらしい。
これはミストピア神殿で、イアンニとの戦った際にも感じたことだが……
公国の兵士は、時と場合により聖伐教団、特に戦場での振る舞いに慣れた神殿従士の指示に従う動くケースが多いのだ。
そもそも神殿従士として任ぜられる者は、元はラグメレス王国時代の立場ある騎士や、貴族の流れを汲む者が多い。
そうした背景に加えて、実力主義の神殿で腕を磨く者たちは、もうそれだけで多くの兵士からすれば敬服すべき対象であり、憧れの存在だろう。
事実、ミストピア神殿の副従士長であるハンサ・ランクーガーは、領主エキュム・スルスの命を受けて迎賓館を守る兵士たちの指揮に当たっている。
勿論そこには、スルス家に仕えるランクーガー家の格というものも絡んでいるのだろう。
しかし神殿従士の階級としては二級であり、歳もそう重ねていないハンサが指揮を執ることに難色を示す者は、誰一人としていない。
その時点で公国の兵士たちにとって、神殿従士の存在がどれだけ大きなものであるかが、わかるというものだ。
そんな彼らに向けて、俺はフェレシーラの……『白羽根神殿従士』の名を用いて、影人と戦ってみせていた。
出来る限り、周囲の被害を抑えたい。
一匹でも多く、素早く影人を倒しておきたい。
その為には、少しでも標的との交戦した経験のある自分が、皆に警戒すべき点と有効な手段を示しつつ、主軸となって戦わねばならいない。
それを出来るだけ円滑に進める為に、俺はホムラと共に『フェレシーラの戦友』として振る舞っていた。
持てる手段を総動員して、兵士たちと連携しつつ、無数の影人を館内から排除して回っていた。
それが結果的におかしな事態を引き起こしてしまっていたのは、明白だった。
「それでは行きましょう……俺に続いてください」
それでも俺は、ある種の打算と諦めを隠して彼らに命じた。
間を置かずして、鬨の声が上がる。
まとまりのない兵ほど、脆いものはない。
それも今日の代理戦で学んだことの一つだった。
戦場において多くの兵士たちには、常に己らの上に立ち、導く者が必要なのだ。
それが例え、思い違いの類……英雄を求める人々の幻想であったとしても。