327. 炎閃光刃、影を討つ
最初に気付いたのは、ダンスホールの中央で四人の兵士に囲まれていた、大柄な影人だった。
「グルゥ……?」
鰐の様に突き出た顎と鯰のような髭。
頭頂部には枯れ木の枝にも似た二本角。
鋭い爪牙と、太く長い尻尾。
例えるならば、黒い龍人。
迎賓館を襲撃してきた異形の魔物、影人。
全身に鱗を生やしたそいつは、戦いの最中、自身の顔を覆い隠してきた影に気付き、頭上を見上げてきた。
が――
「おせぇッ!」
「ギゥ!?」
その影人の顔面ど真ん中。
無防備な鼻頭へと、俺はブーツの踵を叩き込んでいた。
上方にアトマを放って軌道を調整しつつ、全体重を乗せた一撃だ。
「よっ――と!」
「ピ!」
突然の落下攻撃によろめく影人。
こちらがそれを踏み台にして、真っ赤な絨毯へと着地を果たすその直前。
ダンスホールへと響き渡ったのは、甲高き友人の声だった。
シャンデリアの光を背に受けて描かれたのは、翡翠色の螺旋。
その狙いは言うまでもない。
「ピピィーーッ!」
「ギャウッ!?」
こちらと入れ替わるようにして突っ込んできたホムラの体当たりをもろに受けて、影人が吹き飛ぶ。
風のアトマを纏った渾身の突進だ。
体勢を崩したところにもらうには、少々キツイ一撃だろう。
当然、この隙を逃す手はない。
「起きよ――」
もんどりうって地に転がった影人との距離を削り殺しつつ、俺は両掌に意識を集中してゆく。
「承けよ――」
「グ……ガッ!?」
不定術の構築を成しつつ、起き上がりかけた影人の顎を蹴り飛ばす。
立て続けの追撃に再び仰向けとなって倒れた、そいつの頭部に狙いを定めて――
「結実せよ!」
俺は直下に降していた影人へと、疑似的『熱線』を放っていた。
煌々とした輝きがダンスホールを染め上げる。
「な――」
そこに遅れて、戸惑いの声がやってきた。
今の今まで、俺に顔面を消し炭にされて消滅した影人と交戦していた、公国の兵士の声だ。
どうやら室内用に長剣で戦っていたらしく、全身を硬質な鱗に覆われた影人相手に攻めあぐねていたようだが……
その分、数の利を活かして取り囲んでくれていたのに、こちらは助けられた形だった。
「だ、誰だっ!」
「救援です。エキュム様の許しを得て、白羽根神殿従士フェレシーラ・シェットフレンと共に遊撃にあたっているフラムといいます。それとコイツはグリフォンのホムラ。俺の相棒です」
「ピ!」
横手からやってきた誰何の声に、簡単な状況説明を兼ねて返事を行う。
ダンスホールには、いまのところ他の影人はいない。
焦り過ぎて伝えるべきことを伝えずに、我武者羅に走り回っても意味はない。
ならばまずは、周囲としっかり連携をしてゆくのが肝要だろう。
「なんと! あの白羽根様がこの場に!」
「すげぇ……あれだけ俺たちが苦戦していた化け物を、一瞬で倒しちまった……」
「いま、ミストピア街に向けて伝令を出しているところです。救援が到着するまで、こちらで時間を稼ぎます」
「おぉ。それでは我々もご一緒に!」
「いえ」
にわかに湧き立つ兵士たちの言葉を遮り、そこから背を向ける。
視線の先には、開け放たれていたダンスホールの大扉。
「影人は神出鬼没です。まずは館内の守りを固めつつ、ハンサ副従士長の指示に従ってください。俺はこういう事に関しては素人ですから――」
のそり、と影が姿を現してきた。
扉の奥からやってきたのは、やはり先ほどと同じ黒い龍人型の、しかし二回りほど小さな影人が一体。
「ま、また出てきやがった! これで何匹目だよ!」
「このぐらいの相手なら、もう2匹はやっている! 囲んで仕留めるぞ!」
「私が引きつける。皆は足を狙って倒してくれ」
「おう! 弱点は目だ! 動きを止めればこっちのモンよ!」
その場にいた兵士は、合わせて四人。
ハンサがメイドのお姉様の一人に伝達を命じた、指示通りの編成だ。
1人が盾を構えて剣を振りつつ威嚇を行い、そこに影人が進み出てきたところを四方から囲みにゆく。
単純ではあるが、猪突猛進の魔物相手には非常に効果的な戦法だ。
ここに魔術と神術の使い手が加われば、戦闘面ではかなり隙のない構成となる。
だが――
「よし……!」
影人の後ろに素早く回り込んだ軽装の兵士が、剣を手に気合を漲らせる。
狙い澄ました一振りで痛撃を加えることが出来れば、一気に畳みかける好機に繋がり、例え凌がれたところで、残る左右の兵士たちも攻撃の足掛かりを得られる。
「ホムラ」
「キュピ?」
「ちょっと上から見ててくれ」
「ピィ……ピピッ!」
こちらの言わんとしたことを、それで察してくれたのだろう。
俺が頭上で輝くシャンデリアを指さすと、ホムラが素早く上空に舞い上がっていった。
さて。
おそらくではあるが、この状況であれば……
「ハッ!」
裂帛の気合と共に、軽装の兵士が背後より斬り込んで行く。
正面の兵士に気を取られていた影人が、背中への一太刀を受けてよろめく。
しかし硬質な鱗に阻まれてか、致命傷には至っていない。
「チ……! やっぱ硬ぇ!」
「臆するな、続けて押し込むぞ!」
影人の左方に位置していた兵士が、叱咤の声と共に剣を水平に構える。
体重を乗せての突進突き。
その一撃が放たれかけた矢先、向こう正面にいた兵士がピタリと動きを止めた。
「お、おい……う、うしろ! 後ろだ!」
「は――?」
不意に指差しを受けた兵士の眉根が、不審げに歪む。
その足元で影が蠢き瞬時に膨れ上がったのと、彼が背後へと振り向いたのは、殆ど同時のことだった。
無防備な喉首へと、新手の影人の鋭爪が迫る。
驚愕に目を見開くも、兵士の男は微動だに出来ずにいる。
そこに割って入ってきたには、赤茶の翼だった。
「ギャゥ!?」
「ピィ! ピピーッ!」
「後は任せろ、ホムラ! 十分だ!」
「ピッ!」
影人が持つ潜伏能力。
それを利用しての背後からの奇襲は、しかし頭上にて警戒にあたっていたホムラの爪撃により、未遂に終わっていた。
兵士たちの言うとおりに、鱗に護られていない影人の目は明確な弱点の一つだ。
故にそこは、小振りなホムラの鈎爪であっても痛手を与えることは十分に可能であり……
それは俺が手にしていた蒼鉄の短剣であっても、同様だった。
ホムラの作ってくれた隙を逃さず、標的へと迫る。
遮二無二、デタラメに振り回されてきた鉤爪がこちらの頬を切り裂くが、それだけだ。
小柄な影人に組みつき自由を奪いつつ、逆手にした短剣の切っ先を、爬虫類のそれと酷似した瞳へと突き込む。
掌全体に生々しい手応えが伝わってくる。
その、次の瞬間に――
「フゥ――ッ!」
俺は蒼き刃より、追撃のアトマを影人の頭蓋へと直に叩き込んでいた。
強烈な反動に、一瞬、短剣を握る腕が跳ね上がりかける。
それを強引に押さえ込みトドメとばかりに刃を突き込むと、影人がビクンと身を仰け反らせた。
仮初の命を断ち切る、重く淀んだ手応え。
その感触を振り払うようにして影人の体を打ち捨てると、それは音もなく地に溶け消えた。
相変わらず、気味の悪い連中だ。
心の中でそう吐き捨てながらも、残る標的へと向けて自由となった刃を振るう。
再びのアトマ光波。
それが兵士たちに包囲されていた影人の膝裏を捉えて、赤い絨毯の上へと転がす。
その光景を前にして、ようやく皆、我に返ったのだろう。
まるで彫像のように硬まっていた兵士たちが一斉に動き始めたかと思うと、瞬く間の内に決着はついていた。
だが、これで終わる筈もない。
すかさず手甲に仕込んだ霊銀盤より、『探知』を発動させて辺りを探る。
「次、中央に3体。一気に来ます」
「ピ!」
「応――ッ!」
翡翠色のアトマがダンスホールに逆巻き、それに呼応するようにして兵士たちが気炎をあげた。