325. 宵闇への出撃
「フェレシーラ」
「ええ。どうやら、このままここで固まっていても埒が明かなそうね」
館内に影人が出現している。
伝令の報告を受けて、俺とフェレシーラは頷きを交わしあっていた。
「エキュム様。今から私とフラムで館に出現した影人を倒しに回ろうと思います」
「ふむ。影人については以前から近隣の被害報告を受けていましたが……その前に。ドルメ助祭とワーレン卿は、影人に関しては御存じかな?」
フェレシーラの発した提案に、エキュムが会議室の面々を見回してきた。
「ご配慮痛み入ります。不勉強で申し訳ございませんが、影人なる名を聞くのは始めてのことでした」
「右に同じく。簡単にでも説明があれば助かるゆえ……頼めるか、フラム氏」
「わかりました」
頭を垂れたドルメに続き、我さん改めワーレン卿が、こちらに説明を求めてきた。
何故ここで俺に、という気持ちはあるが……
いまは時間を浪費するわけにはいかないだろう。
影人に関する情報を頭の中で纏めつつ、俺は短剣を握るその手はそのままに、口を開いた。
「まず、こうして常に襲撃を受けても対応できるように心掛けてください。影人は神出鬼没で、出現の法則性も掴めていません。その名の通りに影のように黒い魔物で、俺の知る限りですが基本は人型。喰らった相手のアトマを奪い、容姿を模倣する能力があります」
嘗てフェレシーラと共に、『隠者の森』で遭遇した影人との戦闘経験を元にした基本的情報。
それを口に上らせてゆくと、エキュムの横にいたセレンが「おや」と呟いてきた。
「喰らった相手のアトマを奪う、の部分は初耳だね。倒しても影も形も残らぬことから影人と呼ばれていると、こちらは噂で耳にしていたが」
「俺が交戦したのは『隠者の森』で出くわした影人でしたから、このミストピアの周辺に出没するものとは、亜種、または呼び名が同じ別種という可能性は捨てきれません。でも今は、脅威度の高い情報を念頭に置いて動いた方がいいと思います」
「それもそうだね。すまなかった。続けてくれ給え」
「はい。他にも、警戒すべき点はあります」
微かな笑みを浮かべてきたセレンには、同意の頷きで返す。
侍女の手を借りて紫紺のローブに身を包んだパトリース、そして俺の足元で四肢を張り、ピンと背を逸らして立つホムラまでもが、それに聞き入っていた。
そうしている間にも階下からは、何者かが武具を用いて争う気配と怒号が響いてきている。
呼吸を一度深く取り、俺は説明の言葉を吐き出しにかかった。
「影人には一つに集まり巨大化したり、その逆に無数に分かれて行動可能という特性もあります。俺とフェレシーラが協力して倒した影人は司令塔ともいうべき個体で、そいつを起点に、合体・分散・アトマの奪取による変異、という動きを確認しています。分体というべき影人にまで、司令塔と同じ能力があるのかまでは不明です。それと、中央大陸語らしき言葉を口にしていたので、知性に関しても低くはないと思われます。俺からは、以上です」
一気に言い終えて、会議室を見回す。
当然だが、こうしている間にも部屋の中に影人が出現する可能性もある。
その認識が伝わったのか、部屋に流れる空気がそれまでより一層張りつめたものと変じていた。
「ふむ……個にして群、というわけですか。報告にあったものより、随分と危険度が高いようですが」
そんな中、エキュムが平時と変わらぬ調子で口を開いてきた。
「いやぁ、堪ったものではありませんね。魔物に寝込みを襲われるというのも久しぶりです。こんなことは、魔人どもとの戦い以来ですね。はっはっは」
「お父様、こんな時になにを呑気な……1階ではハンサたちが窮地に立たされているのかもしれないというのに……っ!」
「まあまあ。落ち着つきなさい、パティ」
焦る娘に対して、彼はいつの間にやら腰に佩いた剣の柄を軽く叩きながら、続けてきた。
「どうやら今回は、フラム殿と白羽根殿のお二人に動いてもらった方が良さそうですね。残りの者たちはこのまま会議室で状況の把握と全体への差配に勤めつつ、奇襲への警戒を。机と椅子は邪魔なだけですし、運び出してしまいましょうか。その方が戦い易い。階下との連絡が途絶えたら……いっそ全員でハンサの元を目指すとしましょう。何処にいても同じ、という気はしますからね。それならダンスホールで魔物と踊るのも一興、というものです」
エキュムの発した締めの言葉に、くすりと皆が笑う。
おそらくではあるが、彼にはこうして兵を率いてきた過去があるのだろう。
虚飾を取り払い、かつ、時にユーモアも交えて部下を率いてゆく。
伊達に魔人との戦いを潜り抜け、人の上に立っているわけではない、ということを肌で感じさせてくれる。
「と、いうことで……これからお二人には、我々とは別れて行動してもらうわけですが。フラム殿に、この襲撃について一つ意見を聞いておきましょうか」
「俺の……意見ですか?」
「ええ」
これからフェレシーラと共に外に打って出て、影人の排除に動く。
それを目前にしてのエキュムからの突然の要求に、俺は思わず首を捻りかけてしまう。
正直、彼の意図を掴むことは出来ないが……
なんにせよ、迷っている余裕はない。
「この襲撃に関しては、情報がまったくないので迂闊に大きく動くことは出来ません。外にどれだけの影人が出現しているのか、他にも敵はいないのか、不明ですので。なのでここは単独で影人に対応できる見込みの高い者と、集団で対応するべき者で分けて動きつつ、街からの救援が到着するまで領主様を護り、持ちこたえる。これがベターです。素人考えではありますけど……」
言い切るだけ言い切ってから、そこに慌てて言葉を足す。
すると、エキュムがニッコリとした笑みで応じてきた。
「うん。じゃあ今回はそれでいこうか。勿論、責任とここからの対応に関しては、このミストピア領主エキュム・スルスが全て預からせてもらうよ。ドルメ助祭、ワーレン卿、異論ないかな」
「流石、公国でも音に聞こえた魔人狩りのスルス卿。賛成でございます。良き判断かと」
「我も我も」
……ええっとですね。
さも当然とばかりに、トントン拍子で話が進められてしまったわけですが。
「うん? いいんじゃない? そんな不安そうな顔しないでも。私も貴方と同意見というか、もっとざっくばらんって奴で考えてたし」
あまりと言えばあまりな展開に救けを求めて横を見ると、戦鎚を手にしたフェレシーラがそんなことを言ってきた。
え、マジでいいのかこれ。
まあ領主様がここからの対応はしていく、ってことだから俺の意見に穴があっても、柔軟に修正していくんだろうけど。
そう思い気を取り直したところに、エキュムの後ろにいたパトリースが一歩前へと進み出てきた。
「フラム様……いえ、この場は敢えて師匠と呼ばせてもらいます」
再びこちらを師と呼んだ少女の面差しは、俺がよく知る彼女のものだった。
見ればその手には、一本の黒い杖が握られている。
魂源神アーマの象徴とされる、黒胡桃の杖を模した長杖だ。
「今日は師匠に教えていただいた事を思い出して、私も皆と力を合わせて戦います」
おそらくはスルス家の所有する、由緒ある品なのだろう。
それを手にした少女の佇まいは、最早初めて出会ったときの、泣きべそを掻いていた見習い神殿従士のそれではない。
「なので師匠も……思いっきり、やっちゃってくださいね!」
「ピ!」
パトリースの宣言に合わせて、ホムラが羽ばたく。
その姿を前にして、俺は一瞬、躊躇いも抱くも――
「わかった。いこう、フェレシーラ……ホムラもだ!」
「ピピッ!」
「ええ。影人風情、サクッと片付けて明日の依頼分まで楽しちゃいましょ」
それを吹き飛ばすようにして威勢よく応えてみせると、二人もまた、それに応じてきてくれた。