323. 『襲撃』
館を包む戦いの気配。
夜の静寂を引き裂く悲鳴、そして怒号。
「敵……!?」
クローゼットの扉を反射的に握りしめたところで、そんな言葉が口を衝いてでた。
敵。
ミストピアの迎賓館、『白霧の館』に何かが押し寄せてきている。
音以外の情報がない中――
否。
だからこそ、方々からあがってくる様々な音と声とが、その存在を否が応でもこちらに知らしめてきていた。
「クソ……ッ! なんだってんだ、こんな夜中に……!」
逆だろう。
夜中だからこそ襲ってくるのだ。
一日の疲れを癒すために床につき、無防備に眠りにつく時こそ。
闇に乗じて容易に事を成せるからこそ。
襲ってくるのだ、敵というものは。
一度、スゥと大きく息を吸い込む。
それを胸に溜めながら、両の掌は僅かに隙間を残して眼前に、瞳は閉じて全ての感覚を遮絶する。
パンッ、と乾いた音が部屋の中に響いた。
「……よし!」
一度はパニックを引き起こしかけた精神を、自ら打ち鳴らした掌に残るじんわりとした痺れでもって抑え込み、クローゼットの中で荷袋を逆さに振って中身をぶちまける。
既に引き出されていた合皮の手甲の上に、ベストとトラウザといった上下の防具、そして走竜の肩当が、その他の雑貨と共に降り注ぐ。
落ち着け。
これは万が一に備えているだけだ。
迎賓館には十分な兵が守備にあてられている。
だから気を付けておくべきは、騒ぎに乗じた賊の侵入、破壊工作のような隠密行動が主となるはずだ。
「ホムラ!」
「ピ!」
こちらの呼びかけに、バサリという羽根打ちの音と勇ましい鳴き声とが返されてきた。
それを耳に受けつつ、こちらもまた、やるべき事を選択してゆく。
日々の特訓をこなす中、付け焼刃ながらも戦いに臨むまでの動きは身に着いていた。
全身に馴染み始めた防具を手早く身に付けて、軽く手足に力を込めては緩め、緩めては込めてを計三回。
最後に鞘付きの蒼鉄の短剣を、肩当ての前面、ホルダーへと納めて――
「いくぞ、ホムラ!」
「ピピィ!」
こちらに先んじて準備万端となり四肢に力を漲らせていた友人と共に、俺は部屋を飛び出していた。
「フェレシーラ! いるか!」
貴賓室を出て、すぐに向かいの部屋の大きな扉を拳の裏で「ココン!」と叩く。
「いま出るとこ! ていうか、開ける! 着けるの手伝って!」
「……!」
こちらの呼びかけに即座に返されてきた少女の声に、俺は一瞬、状況も忘れて怯みかけてしまう。
ガチャリと音を立てて、扉の鍵が回る。
「ピ!」
「――入るぞ!」
足元であげられた声を後押しとして、ノブを回して両開きの扉を最低限開放して、素早くそこに身を捻じ込む。
後ろ手に回した指先で、再度鍵をかけそうになるのを意志の力で強引に抑え込み、俺は一度目を閉じる。
「あと胸当てだけ! お願い!」
「……ああ!」
そこに声が飛んできて、返事を行う。
遅まきながら瞳を凝らすと、先ほどの俺と同じようにクローゼットの前で装備を身に着けるフェレシーラの姿があった。
「ここと同じ2階、中央にある窓なしの部屋。エキュム様の部屋に私は向かうから。貴方は他の部屋に声かけとノックして回って、その後に合流で。多分もう、寝に入ってる人もいるからしっかりめに。ホムラ、フラムから離れないでいてね!」
「わかった」
「ピィ!」
姿勢を正しながらテキパキと指示を飛ばす少女に、俺は短く答えて白い胸当ての金具を確かめる。
「何が起こってるか、予想はついてるのか?」
「まだなんとも。警備兵があちこちで動いてる感じだけど、領主の命を狙ってくるには派手すぎるから、陽動だとしても……とにかく、集まれるだけ集まって状況を確認。兵士たちの指揮には、この面子ならハンサが指揮に回るはずよ。パトリースのことが気にかかるでしょうから、彼女だけはしっかりエキュム様の部屋に連れてきて。もし護衛がついていて、引き止められるようなら任せて良しよ」
「了解だ。たしかに他の人はともかく、あの子だけは誰かが見ておいてやらないとな」
フェレシーラが両腕を頭上でサッと組むと、彼女が身に付けていた藍染めの衣が微かに揺れた。
若干の抵抗を感じつつも、背後に立ち胸当てを添えてゆく。
ずっしりとした金属製の胸甲の重みを片手で受け止めつつ、一旦肩紐で仮止めをする。
「まったく、こんな時に騒ぎが起きるなんて。久しぶりに寛げそうだったのに、残念ね」
「だな。ん……もうちょい、右腕」
「あ、うん――って……締め方、いつもよりキツくない……!?」
「これぐらいの方が動いてる内に丁度よくなるだろ。鎖の方は余裕持たせておくから、我慢しろって」
「うー……やっぱりちょっと、どれもサイズが合わなくなってきてるのかしら……」
「ピ」
「あんま気にしすぎるなって。ほら、終わりだ。急ぐんだろ?」
ぶちぶちと燻る様子を見せてきたフェレシーラの背中を、敢えて気軽にポンと叩く。
それを合図に少女が「ん」と応じて、右手には戦鎚を、左手には小盾を携えて――
「まずは皆で集まって、状況確認から。いきましょう」
猛禽の如き眼差しで未だ見えぬ標的を睨みつけた白羽根の聖女へと、俺は頷きのみを応えとした。
「失礼します、フラムです! フェレシーラより、敵襲とのことで部屋を回っています! 手早く準備を済ませて、2階中央の大部屋に集まってください!」
通路に並ぶ扉を、確認もせずに叩いて回る。
フェレシーラから確認が取れていたのは、パトリースの部屋だけだ。
他の面子は何かアクシデントに出くわしても、自力で身を護れるという判断なのだろう。
貴賓室の並ぶ通路の東側、最奥部。
フェレシーラに宛がわれていた特別貴賓室と同様の、両開きの扉。
その前に、一人の兵士が控えていた。
「何事だ! ここはミストピア領主エキュム様の七女、パトリース様の部屋だぞ!」
「一々、来たヤツに教えてる場合か!」
「う――」
向かって右側、腰に佩いた剣の柄に手をかけた男に声を叩きつけると、あちらは怯む様子をみせてきた。
「こっちにだって、外の騒ぎは伝わってきてるだろ。俺はフラム。白羽根神殿従士、フェレシーラ・シェットフレンの指示で部屋を回っている。パトリース……様を、すぐに起こしてくれませんか」
「フラム……た、たしか、今日の晩餐会の……!?」
「はい。エキュム様に招かれていました。身元に不安があれば、パトリース様にこちらの名前を出してください。その方が、話が早いとおもいます」
「は……! パ、パトリース様! お休みのところ失礼いたします! 白羽根様の使いで、フラム様という方がお見えに……! グリフォンの雛を連れた、少年です!」
こちらの誘導に従い、兵士の男が扉を鳴らして呼びかけを行う。
しかしそこに返されてきたのは、「なにごとですか」という聞き覚えのない女性の声。
「実は――」
「まあ……!」
おそらくは、パトリースの身の周りの世話を行う侍女か誰かなのだろう。
ほんの僅かに扉を開いてのやり取りの後、再び扉が閉ざされる中。
迎賓館を包む喧騒は徐々にその響きを増し始めており、窓のより覗く防壁の篝火は、火の粉散らして赤々と燃え盛りながらも、漆黒の夜天へと呑み込まれていた……