322. 最も長き一日 その始まり
ティオとフェレシーラが俺の部屋として用意されていた貴賓室を去った後。
「ピィ……スピィ……スピィ」
「おーおー。気持ち良さそうに寝てるな」
俺はホムラの寝床である竹籠を覗き込ながら、晩餐会用に着用していたタキシードから、就寝用の夜着へと着替えにかかっていた。
「うお……なんだこの服。めちゃくちゃ手触りいいな……!」
備え付けのクローゼットに収められていた夜着は、どれも絹製の高級品揃い。
その全てが男性用かつ、サイズ的にもピッタリな辺り、使う者に合わせて用意された物であることがわかる。
手荷物の類はこの迎賓館を訪れた際に持ち込んでおり、自前の夜着の類もあるにはあったのだが、折角なのでここはコイツを使わせてもらうことにしよう。
「ん……?」
そう思い、クローゼットを物色していると、棚の一つに見覚えのある物体があることに気づいた。
「ああ、ここに返してもらっていたのか。てっきり、明日の朝にでも渡されると思ってたけど」
そこに置かれていたのは、蔦模様の装飾が施された鞘に収まった、一振りの短剣。
晩餐会が始まる前に預けていた、蒼鉄の短剣だ。
「今晩、神殿で修理してもらう予定だったんだけどなぁ……」
言いつつ、俺は短剣を鞘から抜き放つ。
そこに現れたのは、深い青一色の諸刃の刀身。
刃渡り30㎝ほどの刃の表面に細かなアトマ文字がびっしりと刻まれたそれは、優れた耐久性を持つ得物であると同時に、一つの立派な霊銀盤を有する術具でもある。
「造りは頑丈だし、研ぎは入れてるから武器としては使っていけるけど。『蓄積』が使えないままなのは勿体ないよなぁ……」
元来、なにかしらの術法をストックする為の機能を備えた品であるにも関わらず、それを有効に利用出来ていない。
手首につけていた翔玉石の腕輪に視線を合わせつつ、溜息をつく。
こちらの体を乗っ取りにきていたジングを、この腕輪へと封じる為に俺は自身の血液を陣術の触媒として用いていたが……
その際に使っていたのが、この短剣だ。
そしてそれ以降、術具としては機能不全を起こしてしまっている。
「光波を使う分には問題ないあたり、アトマを流し込めないわけじゃないし。『起』に関しては問題なさそうなんだよな。『承』の部分までいけてる手応えはあるし……やっぱり『結』に持っていくところで……なんか、こう……詰まりを起こしてる感じなんだよなぁ」
ブツブツと独り言を口にしつつ、短剣の様子を確認していく。
未だこの癖は抜けないし、ずっと変わらない気もする。
染みついたものは中々抜け落ちはしない。
自身の血が流れ込んでしまったと思しき霊銀盤を前に、ついついそんな風に考えてしまう。
「まあ、選択肢が増えすぎても振り回されるかもだしな。『蓄積』を絡めていくよりも、まずはこっちが先か」
言いながら、今度は手荷物の収められていた袋に手を伸ばす。
そこに収められていたのは、合皮製の防具が一式。
ミストピアの革製品店『貪竜の尻尾』にてフェレシーラが選び与えてくれた走竜の肩当てと共に、店の主が寄贈してくれていた品だ。
こちらはフェレシーラとの稽古の度に破損しまくっていたので、その度に新調してもらっていたのだが……
その中から手甲のみを取り出して、手首部分に設けられたスリットを確認してゆく。
「……よし。ちゃんと全部入ってるな」
留め具を外して解放したその先の、僅かな空間。
そこにあるのは三種類の霊銀盤。
極小の術具たち。
その一つ目は言わずもがな、フェレシーラより貸与されていた左右一対で動作する『不定術法』を発動させるためのもの。
僅かながら改善の兆しは見え始めたとはいえ、未だ自力では実用レベルの術法を行使できない俺にとっては必須の品。
二つ目は、右の手甲に仕込まれていたのは、ミストピア神殿での特訓開始時にセレンより譲り受けた、『探知』の術効を持つ霊銀盤。
二つのアトマを同時に操れる俺にとってはかなり使い勝手の良い代物で、この先も頼りにしていける、地味ながら実用的な品だ。
そして残る三つ目の品。
左の手甲に収められたままの、最後の霊銀盤についてだが……
「予定通りなら、今日のフェレシーラとの手合わせで試せてたのになぁ。まあ、ぶっつけ本番でも影人討伐には使っていけるとは思うけど……」
うん。
駄目だなこれ。
今日は考えるのはここまでにしておこう。
完全に悪い癖が出始めている。
このまま行くと、ああだこうだと考え続けた挙句、夜更かしどころか朝になるまでグルグルとやりかねないのが俺という奴だ。
今日のところはしっかりと休んで、また明日以降、合間の時間で詰めていこう。
「ま、今日は結構頑張ったしな」
お世話になっていた神殿に突如舞い込んできた、緊急査察。
青蛇の神官、ティオ・マーカス・フェテスカッツとの出会い。
貪竜湖を根城とする湖賊殲滅の為の、副神殿建設計画。
その湖に纏わる、『邪竜ギリシュと王国の勇者』の物語。
査察団とティオの仕組まれた諍いから勃発した、代理戦。
そしてミストピア領主エキュム・スルスに招かれての、晩餐会。
そこからもまあ……色々とあったけど。
なんにせよ、暫定的な物であれ公民権とホムラを連れ歩くための許可証も得ることが出来たのは大きい。
戦闘面に関してもかなりマシになって来た筈だ。
少なくとも、フェレシーラの足手纏いになってばかり、ということもないだろう。
「なんか振り返ってみると、めちゃくちゃ長い一日だったなぁ……くぁ……」
特訓最終日。
たった一日の間に、これだけ色んな出来事が起きたのは産まれてこの方、始めてな気もする。
特に代理戦では、ジングの奴にもかなり協力してもらっていた。
いきなり体を乗っ取られたときは、何としても排除せねばならないと必死になっていたが、もしかすれば、この後も上手くやっていける未来があるのかもしれない。
そう考えたところで、ふと、ある考えが頭に浮かんできた。
9対1の代理戦を制した後。
暫く話し込んでからというもの、ジングはずっと静かなままだ。
それを俺は、アイツなりに頑張って疲れたのだろうと思っていたが……
「おい、ジング。まだ寝てるのか?」
ふとした不安に駆られて、俺はその名を呼んでいた。
ここで下手に起こしてしまって騒がれでもすれば、寝に入るのに邪魔になる可能性はあった。
「おい、返事しろって。もうたっぷり寝た筈だろ……おい、ジング……!」
しかしそれでも脳裏を過ぎった一抹の不安を拭えずに、俺はそれを繰り返してしまう。
翔玉石の腕輪から、反応はない。
「おい……返事しろって……!」
やはり返事もなければ、目や耳が開いたりもしない。
その無反応さ加減に、一つの不安が推測へと変じてゆく。
元々ジングは、俺の精神領域に入り込む形で存在していた。
そこには確かに、この世界の人類種が持ち得ない力の気配があり、ジングはそれを操る素振りをみせていた。
魂源力と対を成す力……魂絶力。
魔人の持つ力。
フェレシーラが述べていた推測では、それこそがジングの持つ力であるとのだった。
だが、それは本当にそうだったのだろうか?
その疑問は、魂絶力の存在そのものに対してではない。
俺が疑問を抱いたのは、その力の在処に関してだった。
あれだけ喧しかったジングが、眠りについたきり、目覚めない。
その原因が、力の不足、枯渇にあるとしたら。
この翔玉石の腕輪の中に、彼の魂と共に魂絶力が存在しないのだとしたら。
ジングが用いていた力が……用いていた力から、切り離されてしまっていた故だとしたら。
彼が目覚めないことにも、説明がついてしまうのではなかろうかと――
その推測へと思い至った瞬間に、誰かの叫び声がやってきた。
籠の中にて眠りについていた幻獣の瞳が、パチリと開かれた。